ミーマン日記

週1回ディサービスに夫婦で行って、楽しく過ごしています。

新緑の洛北に・2・・・(^^♪

2008-05-29 16:09:59 | お友達・・・(映画・旅行・お食事)
食事も済み、「三千院」に向かって歩き出す。

お天気が悪いせいも有り肌寒くなってきた。

洛北は、市内との温度差が3・4度有りますが、今日は特に寒い・・・



門をくぐり中に入る。

大原の地は千有余年前より魚山と呼ばれ、仏教音楽(声明)の発祥の地であり、念仏聖による浄土信仰の聖地として今日に至ります。
創建は伝教大師最澄上人(767~822)比叡山延暦寺建立の際、草庵を結ばれたのに始まります。
別名梶井門跡・梨本門跡とも呼ばれる天台宗五箇室門跡の一つで、当院は皇子、皇族が住職を務めた宮門跡です。
現在の名称は、明治四年法親王還俗にともない梶井御殿内の持物堂に揚げられていた霊元天皇宸筆の勅額により、「三千院」と呼ばれるようになりました。



新緑の庭



紅葉の頃



「往生極楽院」には「阿弥陀三尊像」(国宝)が祀られていて、納める工夫として、天井を船底型に織り上げています。
中尊の阿弥陀如来は、来迎院を結び、右の観世音菩薩は往生者を蓮台に乗せる姿で、左の勢至菩薩は合掌し、両菩薩共に少し前屈みに跪く「大和座り」で、慈悲に満ちたお姿です。



現在は肉眼では分かり難いものの、その天井には極楽浄土に舞う天女や諸菩薩のお姿が極彩色でえがかれています。(復元模写された)


後 金色不動堂・観音堂などを廻り、次の「宝泉院」に向かう



先ずは、「宝楽園」の方から見学に・・・

「宝楽園」は<仏神岩組雲海流水花庭>を趣向し、地球太古の創世に・・・その原初の海を想像した庭園です。




「二十一世紀の庭」とも言われています。

「宝泉院」では、お抹茶とお菓子がついていました。

平安初期、比叡山に天台仏教を開いた最澄の高弟・円仁が唐に渡り、十余年間の仏教修学を終え、帰国し、比叡山に密教、五会念仏、等またその法要儀式に用いる仏教音楽「声明」を伝えた。
後、長和二年(1012)寂源は大原寺(勝林院)を創建し、法儀声明を盛んにした。
平安末期、良忍が出るに及んで大原は、法儀声明の修学地(声明の里)として有名になる。
当院は、大原寺(勝林院)住職の坊として平安末期頃よりの歴史を持ち、現在に至っている。(

ここでチョット一休み・・・



目の前に水禽窟が有り、右の短い方が良い音がしているようです。(ハヌルさん)



額縁庭園 客殿の西方、柱と柱の空間を額に見立てて観賞する。
竹林の間より大原の里の風情を満喫します。

この写真は、左の柱が欠けていますが・・・雰囲気だけでも味わってくださいね。

後 血天井などが有った。

最後の見学場所、「寂光院」に向かいました。

当院は天台宗の尼寺で、山号は「清香山」、寺号を「玉泉寺」と言う
推古二(594)年に、聖徳太子が御父用明天皇の菩提を伴うために建立された。

本尊は聖徳太子作と伝えられる六万体地蔵尊であったが、平成十二年(2000)年五月九日発生の火災により損傷したため収蔵庫に安置されて、現在は復元された本尊が、本堂に安置されています。



第三代の建礼門徳子は、(1185)年9月に入寺し真如覚比丘尼となって、源平の戦いに敗れて遠く壇ノ浦で滅亡平家一門と、我が子安徳天皇の菩提を伴い、終生をこの地で過ごされ閉居御所とされた。



お庭

これで今日の見学は終わりました。

私も近くにいながら~京都人の京都知らずになっていました。

この様な機会で無いとめったに行きませんね・・・

訪ねて下さった、マイミクさんに感謝します。

又訪ねてくださいね。

日記が長くなりました・・・

スルーして、写真だけ見ていただければ良いですよ~