
今年は平城遷都1300年記念祭です。
【北】◎平城宮跡『玄武会館』 【東】◎室生寺『青龍会場』
【西】◎信貴山朝護孫子寺『白虎会場』 【南】◎金峯山寺『朱雀会場』
平城遷都1300年記念行事の一環として、【南】】◎金峯山寺『朱雀会場』に行って来ました。
今年の夏は猛暑が続き、皆様体調を崩されて居られないか?心配でしたが、最終の合流場所吉野では40名の方が参加されました。(沢山の参加有難うございます。)
マイクロバス2台に分乗して、曲がりくねった上り坂をバスは走り「奥千本口」に到着
行きはバスで楽した分、下りが心配です。
「金峯神社」
【祭神】 吉野の最奥に、老杉に囲まれてある。 吉野山の総地主神・金山毘古命。
中世以来修験道の行場として知られ、関白・藤原道長も祈願したことが「栄華物語」に記載されている。
藤原道長の埋蔵した金銅製経筒(国宝)が伝わり「京都国立博物館に預託」されている。

金峯神社 集合写真
「義経隠れ塔」
文治元年(1185)源義経が金峯神社から3分、小道を下がった所、宝形造、檜皮葺きの塔。
義経が吉水神社に一時かくまわれた後、ここに隠れ、追ってから逃れるため屋根を蹴破ったと伝えから、蹴抜けの塔とも言われる。 大峯行者場の一つ

義経隠れ塔
「西行庵」
新古今和歌集の代表的な歌人西行が、俗世を離れ三年間隠棲したという庵。桜に囲まれた庵には、西行像が祭られている。
近くには西行が「とくとくと落つる岩間の苔清水 汲みほすまでもなきすみかかな」と詠んだ流れがあり、西行を敬慕する芭蕉がこの地を訪れた際に詠んだ、「露とくとく心見にうき世すすがばや」の句碑も立っている。
● 願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ 西行法師
西行庵(前田氏提供)
西行庵には、希望者だけが見に行きました。
昼食も済み、いよいよ蔵王堂に向かって坂道を降りて行きます。

途中風景が見える場所でパチリと、(三重県方向)

牛頭天王社跡
今度は展望台で、万葉歌を朗唱

二上山・金剛山・葛城山等が見えます。
1● 1-27 よき人の よしとよく見て よしと言ひし 吉野よく見よ よき人よく見 天武天皇(御製歌)
2● 3-385 あられふる 喜志美が岳を さがしみと 草取りはなち 妹が手を取る 味稲・柘枝仙姫に与える歌
意味・「柘枝伝」によれば、梁・簾に流れてきた枝が仙人の姫だった。それを縁に結婚したが、やがて昇天した。(それは中国の『神仙譚』に基づく山人と人)
天武天皇の吉野籠りの歌・苦難の逃避行の歌を朗唱
六田の淀
6● 7-1105 音に聞き 目には未見ぬ 吉野川 六田の淀を 今日見つるかも
(評判ばかり聞いて、目には見たことが無く、吉野川の、六田の淀を、今日見たことだ)
他に吉野宮を称える歌を朗唱した。
日本書紀・続日本紀を通じて天皇の行幸は応神天皇一回・雄略天皇二回・斉明天皇一回・持統天皇三十一回(太上上皇二回)・文部天皇二回・元正天皇一回・聖武天皇三回。計四十三回 各行幸に供奉した宮廷歌人の歌を朗唱
展望台を後にひたすら坂道を下っていきます。

彼岸花 コスモス
彼岸花やコスモス、又紫の花等を横目に見ながらひたすら「蔵王堂」に向かって歩く
坂道を4キロ歩いてやっと金峯山寺「蔵王堂」にたどり着く・・・

蔵王堂 秘仏公開 左尊(弥勒菩薩) 中尊(釈迦如来) 右尊(千手観音菩薩)
{未来の菩薩} {現在の菩薩} {過去の菩薩}
「蔵王堂」は、金峯山寺の本堂。秘仏本尊蔵王権現(約7m)三体のほか、多くの尊像を安置しています。
重層入母屋造り、桧皮葺き、高さ34メートル、四方36メートル。堂々とした威容の中に、優雅さがあり、たいへん勝れた建築という高い評価を得ています
金峯山寺にお祀りされる御本尊は、金剛蔵王大権現であります。今から1300有余年前、金峯山山上ヶ岳に役行者が一千日の修行に入り、感得された権現仏であります。権現とは権(仮り)に現われるという意味で、本地仏の釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)、弥勒菩薩(未来世)が権化されて、過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済を誓願して出現されました。また金剛蔵王とは、金剛界と胎蔵界を統べるという意味も表しています。
「蔵王堂」を後にロープウエイに向かう
吉野駅ー橿原神宮駅ー京都行きー竹田ー北大路ー市バスに乗り自宅に着いたのが19時半だった。吉野は遠かった。
今日は足があっちこっち痛い・・・下り坂を5キロ、14891歩も歩きました。(行きはよいよい、帰りは辛い)
吉野も4回目ですが、奥千本に行ったのは初めてだし、義経隠れ塔を見たのも初めてだし、蔵王堂では、四年に一度の秘仏も観れて、お天気は晴天で、暑くもなし寒くもなしの絶好のハイキング日和でした。
参加された皆様お疲れさまでした。ゆっくり静養なさって、又10月24日(日曜日)にお会いしましょう~