
【Live Information】
昭和を代表する歌手、美空ひばり。
その名は、日本のポピュラー音楽史に、いつまでも燦然と輝き続けることでしょう。
「川の流れのように」は、美空ひばりの晩年の名曲です。
作詞の秋元康は、「おニャン子クラブ」や「AKB48」などを手掛けた、今ではもはや説明の必要もないほどの歌謡界の重鎮。
作曲の見岳章は、「すみれSeptember Love」のヒットを持つ「一風堂」のメンバーで、解散後はソロ、作曲家として活動していました。
「川の流れのように」は、もともとは1988年12月に発表されたアルバム「川の流れのように〜不死鳥パートⅡ」に表題曲としてに収録されていました。
自分の人生とオーバーラップするこの曲に対し、ひばりさんは当初から強い思い入れを持っていたようで、シングルカットを強く希望したと言います。
昭和天皇崩御の4日後の1989年1月11日、まるで昭和に別れを告げるかのようにリリースされました。結果的に、これがひばりさんの生前最後のシングルとなります。
そして、この歌で自ら人生の幕を引くようにして、この年6月24日に52歳で亡くなりました。
まさに日本における「マイ・ウェイ」、あるいは「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」と言っていい名曲だと思います。
栄光の陰で多くの苦難に向き合ってきたひばりさんが歌いきった歌詞だからこそ、人生の中盤から終盤に差し掛かっている人々の共感を呼んだのではないでしょうか。
この曲が世に出たばかりの頃、当時まだまだ若かったぼくには、この歌詞の持つ意味や重さは分かっていませんでした。
しかし25年以上を経たいま、歌詞を読むだけで、わが身を振り返って思うしみじみとした感情に包み込まれます。
細く、長く、でこぼこして、曲がりくねった道。
地図すらない。
まさにそれが「旅」という名の人生です。
多くの苦難もあるでしょう。
しかし、人生とは辛いだけのものでしょうか。
この曲をひばりさんが歌うのを、一度だけテレビで観たことがあります。
それは、身震いするほどの迫力と優しさを併せ持った、感動的な歌でした。
今から思えば、その頃すでに歩くのも困難だったはずですが、テレビで見る限りそのような様子は微塵も伺えませんでした。そして、圧倒的な歌唱力と、すんなりと心に入り込んでくる歌に込められた思いは、ぼくの「単なる懐メロ歌手」「かつてのスター歌手」という美空ひばりに対する捉え方を根っこからひっくり返してくれました。
そして、聴き終ったあとの、なんて晴れやかな気持ち。
いろんな方がいろんなところで語り尽くした感がありますが、歌の巧さはやはり抜きんでていると思います。
声量、抑揚のつけ方、感情の入れ方。
そして、改めて感じるのが、「なぜこんなに伝わってくるのか」ということです。
やはり、一音一音ていねいに歌っていること、そして歌詞の発音が非常に明瞭であることではないでしょうか。
フィーリング重視、あるいは勢いだけで歌ってしまっている歌手がとても多いなか、これだけ歌詞の内容を伝えられる歌手は、そうそう見当たらないと思います。
また、バックバンドを支配している、とでも言えばいいのか、「わたしの歌に対して必要な演奏はこうなのです」と歌で指示を出しているように聴こえます。バンドに歌わせてもらっているのではなくて、歌唱力でバンドを自在にコントロールしているのだと思います。これがあるべき歌手の姿なのではないでしょうか。
「川の流れのように」は、ひばりさんの死後の1989年12月、第31回日本レコード大賞で、特別栄誉歌手賞、金賞、作曲賞を受賞しました。
その後、今に至るまで、国内外問わず多くの歌手に歌い継がれています。
【川の流れのように】
■シングル・リリース
1989年1月11日
■作 詞
秋元 康
■作 曲
見岳 章
■編 曲
竜崎孝路
■歌
美空ひばり
■チャート最高位
1989年度オリコン週間チャート 8位
1989年度オリコン年間チャート 35位
1990年度オリコン年間チャート 78位
[歌 詞]
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