ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

正義感

2016年04月24日 | 価値観
 
 【Live Information】 



 人を責めるだけの正義感は、無いほうがいい。
 
 
 芸能人のスキャンダル、政治家の言動、天災などなどのたびに、「悪」を糾弾する声があふれる。
 その大半は、問題発言・行動を非難し、誤りを厳しく指摘し、「間違った言動を正せ」と断罪している。


 いろんな考え方がある。
 その人なりの、人の数だけの、いろんな考え方が。
 しかしその全ては、人間が、それぞれの立場で決めたもの。
 正邪や善悪の概念すら、人間が決めたもの。そしてその物差しは各人によって違う。むしろ違うのが当たり前。
 相手を「悪」という前提で見て、その考え方を正そうとするのは、別な見方をすれば、他人を自分の考え方に従わせようとしているだけではないだろうか。
 そういうのを、「自分は正の立場」という前提で物申している人は「ファッショ」と呼んでいるのではなかったっけ。


 いろんな意見が出てしかるべきだし、それが民主主義の良いところでもあるけれど、いくら正論であっても「馬鹿」だの「死ねばいい」だの「糞」だの、あるいはそれに類する汚い言葉で相手を罵倒するのは、相手を自分に従わせようとしたいだけ、相手を「悪」ということにして自分の「正しさ」をアピールしているだけではないだろうか。
 すべては「善悪」とか「正邪」だけで計られるものだろうか。
 だれかを責めるだけでは、事態は何も変わらない。
 自分の意見はおおいに言えばいいと思う。
 しかし、意見と罵声は違うんじゃないかな。
 罵声には罵声が返ってくるだけ。
 罵声を「銃弾」に置き換えた状態をなんと言うんだろう。


 だれかを責めるだけの正義感は、何も改善しない。
 だれかを責めるだけの正義感なら、いらない。
 




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