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カーマイン・ガロ『スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション 人生・仕事・世界を変える7つの法則』

2011-10-06 06:36:00 | ノンジャンル
 ティム・バートン監督の'89年作品『バットマン』をスカパーの洋画★シネフィル・イマジカで再見しました。バットマンをマイケル・キートン、その恋人役をキム・ベイジンガー、悪役をジャック・ニコルソン、ジャックが復讐する元ボス役をジャック・パランスが演じるというオールスター・キャストでしたが、ジャック演じるジョーカーのエキセントリックな点ばかりに目がいき、単調に繰り返すマイケルとジャックの間でのキムの奪い合いは、馬鹿馬鹿しいほどでした。それでも、バートン監督独特のゴシックロマンの雰囲気は楽しめたと思います。

 さて、朝日新聞で紹介されていた、カーマイン・ガロの'10年作品『スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション 人生・仕事・世界を変える7つの法則』を読みました。アップルのCEOとしてパソコン業界をリードしてきたジョブズの仕事の秘密に迫ろうと試みた本です。
 まず、著者はジョブズが人々の暮らしを「よく」してくれるものを提供しようと常にしてきたことを指摘します。そしてジョブズが仕事を進めていく上で指針としてきたものとして、1、大好きなことをする 2、ビジョンを持つ 3、様々な分野や経験、知識を結びつける 4、顧客に新たな生活スタイルを提案する 5、一番重要であると思ったことに集中的に取り組む 6、顧客との関係を深め、しかも長期的な関係を作る努力をする 7、自らのメッセージをうまく相手に伝える、という7つを挙げ、それぞれをジョブズがどう使ってイノベーション(革新)を成功させているのかを説明し、またそのそれぞれの章の後に、他のプロフェッショナルやリーダー、アントレプレナー(起業家)がそれぞれの指針のもとにどのような成功を収めてきたかを説明しています。
 書かれていることは、それほど目新しいものではなく、すこぶる真っ当なことであり、「今さら」といった感が強くしましたが、そうした真っ当なことが当たり前に行われていないのがビジネスの世界なのだなあと、改めて思ったりもしました。「ジョブズに学べ」ということが前提となって書かれている本なので、ジョブズ信奉者ではない人は、読んでいて不快に思われるかもしれません。ビジネス本、あるいはビジネスマンの自己啓発本として読むと面白く読めるのでしょうか?
 
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ロバート・ゼメキス監督『Disney's クリスマス・キャロル』

2011-10-05 08:42:00 | ノンジャンル
 岡野宏文さんと豊崎由美さんの対談本『読まずに小説書けますか』の中で紹介されていた、村上春樹さんの'97年作品『若い読者のための短編小説案内』を読みました。取り上げられている短編は、吉行淳之介『水の畔り』、小島信夫『馬』、安岡章太郎『ガラスの靴』、庄野潤三『静物』、丸谷才一『樹影譚』、長谷川四郎『阿久正の話』でしたが、あまり心に響いてくる部分はありませんでした。いまだ村上さんとの接点が見つけられずにいます。

 さて、ロバート・ゼメキス監督・共同製作・脚色の'09年作品『Disney's クリスマス・キャロル』をWOWOWで見ました。
 「第一節 マーレイの亡霊 マーレイは既に故人で‥‥」と書かれたページ。会計事務所の経営者スクルージは共同経営者のマーレイの死亡を確認してサインします。「7年後のクリスマス・イブ」の字幕。甥が訪ねてきてクリスマス・パーティに誘ってくれますが、馬鹿馬鹿しいと断るスクルージ。寄付を募る男も退散させ、家に戻るとドアのノッカーが青い光を放って襲いかかります。眠ろうとすると鳴り出す部屋中の鈴と鐘。ドアの外に重い鎖を引きずる音がしたかと思うと、ドアをすり抜け、鎖でグルグル巻きにされたマーレイの亡霊が現れます。彼はこの世で無慈悲な行いをした結果、死後7年間彷徨い続けていると言い、スクルージがそうなることを避けるチャンスを与えるために、今晩の深夜1時の鐘の音とともに1人目の精霊が、翌日の晩の同時刻に2人目の精霊が、そしてさらに次の晩の深夜0時の鐘が鳴り終わるとともに3人目の精霊が現れると言い、窓の外に去りますが、そこには無数の亡者の群れが漂っていました。最初に現れた精霊は過去のクリスマスの精霊だと名乗り、スクルージを故郷に連れていってくれ、学校で仲間外れにされていた自分、優しかった妹、そしてその妹の甥、フェッジウィッグの元で見習いをしていた時の同僚ウィルキンスと楽しいクリスマス・イブを過ごした夜、恋人との出会い、その恋人の両親が死に持参金が無くなったことで婚約を解消した場面などをスクルージは精霊とともに見て回りますが、最後の場面に耐えられなくなったスクルージが精霊の火を消してしまうと、スクルージは空に飛ばされ、落下します。落ちたところの隣の部屋は壁が光り、部屋の中のツリーの上には現在のクリスマスの精霊がいました。それが着ているローブの帯に捕まると、精霊は空から地上を見せてくれ、聖職者によってクリスマスに製パン工場が休業させられて、貧者にパンが行き渡らなくなっているところを示し、部下のクラチット家の貧しい様子、彼の長男の足が悪く、やがて早死にするであろうこと、甥の家でスクルージが笑いの種にされていることなどを見せられます。やがて巨大な時計がある部屋に来ると、精霊の姿は徐々に小さくなり、足元には痩せ衰えた“無知”という名の少年と“貧困”という名の少女が現れます。深夜0時を告げる鐘が鳴り終わると、今までの精霊は姿を消し、スクルージの影である「未来のクリスマスの精霊」が現れます。スクルージは影によって階段を転がされ、影によって追い立てられた馬車に轢かれそうになり、体が縮むと、今度は鼠と一緒に潰されそうになります。そして現実に戻ったスクルージは、道で出会った人々に「メリークリスマス!」と声をかけ、昨日寄付を募っていた男に出会うと、過去に遡って寄付をしたいと申し出、遅れて出勤してきたクラチットには昇給を告げた上に金を持たせて家に戻らせ、甥の家を訪ねてパーティに仲間入りし、来年は自分の家でパーティを絶対に開くと言うのでした。
 全編CGアニメーションの映画でしたが、『白雪姫』のように人間の実際の動きをトレースしてアニメーションを作ったと思われる自然な動きで、精霊とともに空中を飛翔するシーンは見ごたえ十分でした。唯一若干違和感を感じたのは、やはり人物の表情でしょうか? しかしそれも最小限に抑えられたものだったと思います。

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三崎亜記『海に沈んだ町』

2011-10-04 08:27:00 | ノンジャンル
 三崎亜記さんの'11年作品『海に沈んだ町』を読みました。9つの短編が収められている本です。
 『遊園地の幽霊』では、幼い自分が動かない遊園地の遊具に乗っている夢を再三見るようになった私が、地元の医師を訪ねると、それは以前にあった遊園地の幽霊の仕業だと告げられます。やがて夢の中でいつも近くにいる少年が成長した青年に現実の中で会った私が、夢の中でも彼と親しくなっていくという話。
 『海に沈んだ町』は、ある日住民とともに海に沈んだ生まれ故郷の町を、20年ぶりに妻と私が訪ねるという話。
 『団地船』では、たまたま接岸しているのに私が出会った老朽化した団地船が、私が小学生の頃同級生だった女の子が引っ越していった先のものであることに気付き、彼女が住んでいた部屋を訪ね、彼女から最後にもらった未開封の手紙を読み、彼女がその手紙を書いた直後、後に沈没する団地船に引越していったことを知るという話。
 『四時八分』は、5年前から午前4時8分のまま時間が止まってしまっている町を、その時にたまたま受験勉強で起きていた女子中学生を案内人として、旅する私が通り過ぎる話。
 『彼の影』では、夏至の日に始まった影の反乱が、やがて私にも影響を及ぼすようになりますが、私の場合は他の人と違って、自分の影がいつの間にか誰とも知らぬ男性の影と入れ替わってしまいます。その男性の影と過ごすうちに、私は影の「主人」である男性に気持ちが引かれるようになりますが、影の反乱の最終日である冬至の日、私は結局その男性に会えぬまま、自分の影と再会するという話。
 『ペア』は、10年の間、何も生み出すことができなかったペアを解消することを決心した私が、相手に手紙を書きますが、相手は何も生み出さなかったことが、かえって無限の可能性を秘めているのだと言って、これからもペアの相手は私しか考えられないと言い、私をこれ以上ないほど励ましてくれますが、やがて私はその手紙の筆跡が以前にもらった手紙のそれと違うことに気付くという話。
 『橋』は、主婦である私がある日、市役所の委託で来たという女性から、私の住む住宅地と一般道を唯一結ぶ橋が予定よりも通行量が少ないので、人一人渡るのが精一杯の木橋に架け替えられると説明され、当然私は反論しますが、今の幸福が明日にも続くと決まっているわけではないと逆に諭され、その後、周囲の人々に対しても、私がその女性と同じような見方をするようになっていくという話。
 『巣箱』は、棲みつかれたものが1つでもあると異常発生するようになると言われている巣箱が町に蔓延するようになり、その棲みつかれた巣箱というのが実は、私と妻が住んでいる家だったという話。
 『ニュータウン』では、唯一残ったニュータウンの文化を守るために、鉄条網で世間から隔絶されたニュータウンの監視員として働く私が、そこの一番若い女性の住人と子供をもうけますが、その5才になる娘がある日私の同僚に発見されてしまいます。当局に知られれば抹殺されかねない娘を守るため、もう一人の同僚がわざと現代の歌を住人たちに教え、その文化汚染を知った当局は、ニュータウンを閉鎖し、結果として私と妻と娘は平和に暮らすことができるようになったという話です。
 
 前作『コロヨシ!!』を読んだ時のガッカリ感をすっかり流し去ってくれるほどの、素晴らしい短編の数々を十分に堪能しました。やはり三崎さんに「廃墟」化した記憶を書かせると、無敵といった感じです。次の短編の予告が一つ前の短編にさりげなくなされているという工夫もあり、楽しく読ませていただきました。次回作が今から楽しみです。

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マキノ雅弘監督『八州遊侠伝 男の盃』

2011-10-03 06:36:00 | ノンジャンル
 マキノ雅弘監督の'63年作品『八州遊侠伝 男の盃』をスカパーの東映チャンネルで見ました。
 峠道を磯部の町の方へ下る旅人(片岡千恵蔵)。左太郎(千葉真一)は今年の祭りを町の若い衆中心に行おうと言いますが、忠治が処刑されて1年たった今、安中の黒岩一家が乗り込んでくるのでは、と仲間は危惧します。祭りで稼ぎにやって来た豆六(堺駿二)は、定宿の「みのや」に黒岩松五郎親分が手下を連れて来ているのを知ります。そこへ居合い抜きの江藤(水島道太郎)が現れ、豆六はこれで安心と言いますが、江藤はそんなに簡単にはいかないと答えます。死んだ父に作ってもらったコマを壊されて泣いていたケン坊と出会った旅人は、コマを作ってやると言うと、ケン坊は「みのや」の中にある従業員小屋に旅人を案内します。位牌でケン坊の父の名が巳之吉だと知る旅人。一方、松五郎は「みのや」の借金を肩代わりすることを強引に女将に承知させ、長逗留することを言い渡します。左太郎の父で十手を預かる藤兵衛(志村喬)に50両で引退を勧める松五郎でしたが、藤兵衛は死ぬまで民衆を守ると言って承知しません。左太郎も十手を売ることを父に勧め、逆に叱責を受けます。黒岩一家から仲間内の賭博まで禁止され、昨夜だけでも9人が半殺しの目に合ったと噂する町人たち。みのやでコマを作る旅人を訪ねたケン坊の母・おしのは、夫が国定忠治の代貸だったことを旅人に告げ、一時は忠治を恨んだこともあったと言います。露天風呂で豆六が忠治が処刑される直前「民衆が苦しむ限り、第2、第3の忠治が現れる」と言っていたと言うと、江藤は忠治は生きているかもしれないと言います。おしのにからむ黒岩一家からおしのを旅人が守る様子を見た町人たちは、旅人がただ者ではないと噂します。左太郎の恋人・お千代(藤純子)は旅人に黒岩一家をやっつけてくれと直訴しますが、旅人はそんな器ではないと笑って相手にしません。翌朝、巳之吉の墓を参っていた旅人の元へ、夫の命日なので来たおしのとケン坊が現れ、おしのは旅人にここまでなぜ親身になってくれるのか尋ねます。一方、藤兵衛は忠治の人相書きを持ち出して、処刑された忠治の肩の刀傷が新しかったのと、脇差しが本人のものではなかったことがおかしかったと旅人に言います。その頃、松五郎が呼んでいた浪人の相良が現れ、黒岩一家は祭りに集まっていた商人たちから所場代を一方的に取り立て始めます。旅人の留守中に脇差しを調べていた藤兵衛にその知らせが届き、すぐに現場に向かって黒岩一家に止めるように言いますが、逆に暴行を受けると、そこへ旅人が現れ、相良とともに話をつけに消えます。二人きりになると、所場代として10両を相良に払う旅人。部屋に帰った旅人は脇差しに調べられた跡があるのを知り、左太郎は十手など継ぎたくないと言って、ケガを負った父の元を飛び出します。そこに現れた旅人は藤兵衛に自分の脇差しを見せると、藤兵衛は判断するのは見る者の心次第だと言います。祭りの夜、皆に請われて太鼓を叩く左太郎。藤兵衛はその音を聞きながら、40年前に生活苦から赤ん坊を上州・国定村に捨てた話をし、自分を捨てた父が藤兵衛と知った旅人は何も言わずに去ろうとしますが、盃に残った酒を飲み干すまでは話に付き合ってくれという藤兵衛に引き止められます。藤兵衛は償いの気持ちから左太郎を養子として育てたと言い、二人は酒をくみ合います。10両をもらうために雇ったのではないと松五郎に言われた相良は、旅人が去った後、藤兵衛を斬殺し、駆けつけた旅人は左太郎に殺したのは松五郎だと告げます。左太郎は松五郎の元へ行き、忠治の人相書きを持って父が死んでいたことを告げ、旅人が忠治だと教えると、松五郎はこれで手柄を上げられると言って、必死に旅人を探し回ります。やっと古びたお堂にいる旅人を発見した黒岩一家でしたが、斬り合いの結果、松五郎は旅人に傷つけられ、左太郎はそれを斬って敵討ちを果たします。喜びにあふれ、太鼓を叩く左太郎と、それを笑って見上げるお千代。江藤と豆六と合流した旅人は、これからも村の幸せが続くことを祈って、峠道を戻っていくのでした。
 最後には『瞼の父』の話になってちょっとビックリしましたが、若い千葉真一と藤純子(タイトルでは「新人」となっていました)が見られる映画でもありました。マキノ節健在の楽しめる映画です。

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宮田珠己『スットコランド日記 深煎り』その2

2011-10-02 07:40:00 | ノンジャンル
 中田秀夫監督の'10年作品『CHATROOM/チャットルーム』をWOWOWで見ました。心に病をかかえた青年がチャットルームで知り合った同じくトラウマを抱えた青年を自殺に追い込んでいくという映画でしたが、何とも後味の悪い映画でした。

 さて、昨日の続きです。
 この本に出て来るもので思わず見てみたいと思ったのは、「くだらなくて面白い」という、NHKの「みいつけた!」という番組に出てくる、いつも風呂に入っている牛の着ぐるみを着た男、読みたいと思ったのは「お笑い漫画と思わせておいて、ぐぐっといい話になるところが、やられたっ、て感じ」の『グレゴリ青山の もっさい中学生』と、「実にくだらなくて感動した」という絵本『イモヅル式物語』、乗りたいと思ったのは、「滑らかで乗り心地抜群なので、いつまでも乗っていたいほどで」ある、東武動物公園のカワセミというジェットコースターでした。
 「幼稚園の秋祭りで、着ぐるみを着て園児の相手をしろ、という妻の指令を受け、気力みなぎる」という文章とか、「毎日腕立て伏せしてる、こんなに筋肉固くなったよ」と自慢げに力こぶを見せる息子を褒めたら、算数の授業参観の時にも息子が一人だけ床で腕立て伏せをしていて、その後、悪びれるようすもなく、見て、こんなにやったよ、と毎日回数を記録しているノートを見せたというエピソードなどには思わず笑ってしまいますし、「(盆踊りで姿の見えなくなった息子と娘の)無事を案じていると、やがて『カキ氷食べたい』と言って戻ってきたが、その顔には、目も鼻もなく、カキ氷を与えてやると、ぎゅうううう、という音をたてて顔も体もみるみる縮んだ。なんだ、どこの子どもだ、と思っていると、そのまま翅虫になってアスファルトの路面を這いながら闇に消えていった。その後ちゃんと目鼻のついたわが家の子どもたちが戻ってきたので、『カキ氷り食べるか』と訊くと、『もう食べたからいい』と言って笑った。」などというシュールな文章が突然現れたりするのも楽しめました。

 公共の場で読むと、ついプっと笑ってしまって、周囲の人に変な目で見られたりもする、やっかいなほど面白い本です。公共図書館にはほとんど置かれていないようなので、是非買って読まれることをお勧めします。

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