函館の地元紙である函館新聞では「函館信用金庫は千代台支店(千代台町12)と五稜郭支店(本町30)を統合し、12日から杉並町4の新店舗を五稜郭支店として営業する。同金庫は今後も統合計画を進め、現在の14店舗体制から11店舗体制へのスリム化を目指す。」と報じた。
この記事を目にして,真っ先に中島廉売の将来は暗いと思いを馳せた次第である。
なぜなら,今年7月に千代台町3番にあった道南勤医協函館診療所が松陰町に移転し,空き建造物となっているからである。
そして今度は,信金千代台支店の閉店に伴い,こちらも空き店舗となった。
電車道路から中島廉売を見通した場合,左の角が同診療所,右の角が函館信金千代台支店であり,いわば廉売の門を構えていたと言ってよいのだ。
診療所と金融機関という集客効果が膨らむ構造であった町並みが崩れ始めたのは,今に始まったことではない。電車道路沿いの酒店,米穀店,寿司店,その他飲食店が次々と姿を消し,北海道労働金庫までもが柏木町に移転,そして協会病院跡にMaxvalueの出店と中島廉売を取り巻く環境は,厳しくなってしまった。
私も,かつて1974年から1981年まで堀川町に居住していたが,その頃すでに中島廉売は,往時の賑わいを失い,評判を落とし続けていた。
いわゆる安かろう悪かろうの典型で,いいものを求める向きは,新川町の自由市場などに出向いていたものである。
それから,約30年,よく今までもったものだという感が強い。既に地元住民や商店街の意見も集約しきれなくなってきている現在,再開発を続けることは無意味としか思えない。
中島廉売の大通りは,かつて都市計画道路であったときく。函館自衛隊駐屯地からまっすぐ現在の中島廉売をこえ,海岸町まで抜け,国鉄函館本線まで直結というのが当初の計画だったらしい。こうした計画も実を結ばず,再開発も進まずといった何か因縁めいた話と思う。
この記事を目にして,真っ先に中島廉売の将来は暗いと思いを馳せた次第である。
なぜなら,今年7月に千代台町3番にあった道南勤医協函館診療所が松陰町に移転し,空き建造物となっているからである。
そして今度は,信金千代台支店の閉店に伴い,こちらも空き店舗となった。
電車道路から中島廉売を見通した場合,左の角が同診療所,右の角が函館信金千代台支店であり,いわば廉売の門を構えていたと言ってよいのだ。
診療所と金融機関という集客効果が膨らむ構造であった町並みが崩れ始めたのは,今に始まったことではない。電車道路沿いの酒店,米穀店,寿司店,その他飲食店が次々と姿を消し,北海道労働金庫までもが柏木町に移転,そして協会病院跡にMaxvalueの出店と中島廉売を取り巻く環境は,厳しくなってしまった。
私も,かつて1974年から1981年まで堀川町に居住していたが,その頃すでに中島廉売は,往時の賑わいを失い,評判を落とし続けていた。
いわゆる安かろう悪かろうの典型で,いいものを求める向きは,新川町の自由市場などに出向いていたものである。
それから,約30年,よく今までもったものだという感が強い。既に地元住民や商店街の意見も集約しきれなくなってきている現在,再開発を続けることは無意味としか思えない。
中島廉売の大通りは,かつて都市計画道路であったときく。函館自衛隊駐屯地からまっすぐ現在の中島廉売をこえ,海岸町まで抜け,国鉄函館本線まで直結というのが当初の計画だったらしい。こうした計画も実を結ばず,再開発も進まずといった何か因縁めいた話と思う。
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