7月3日 サンデーモーニング
平泉の文化遺産は平安時代奥州藤原氏ゆかりの地で有名。
この当時の東北地方は豪族たちの勢力争いが激しく、
東へ勢力を伸ばしてきた源氏の介入もあり大きな合戦が相次いでいた。
初代・藤原清衡(きよひら)も合戦で父や妻子を失い、大きな悲しみにくれる。
そこで清衡は合戦で失われた命の敵味方に関係なく、動物たちも含めた全ての命を慰め、
平和な理想社会を築こうと中尊寺を建てる。
中尊寺金色堂の豪華な装飾は周辺地域で砂金が取れたことで実現した。
この砂金が財力となり、奥州藤原氏は繁栄していく。
二代目・藤原基衡(もとひら)、三代目・藤原秀衡(ひでひら)も
初代・清衡の平和な理想社会への思いを受け継ぎ、
中尊寺を上回る毛越寺を建て、
そこに仏が住む世界とされる浄土庭園・大泉が池を造る。
この毛越寺は中尊寺の南に位置する。
当時の平泉は都であったっ京都に匹敵するほど繁栄したといわれている。
そこへ平家を滅ぼした後、兄・源頼朝と対立した義経がひっそりと身を寄せていた。
しかし義経をかくまっていたことを理由に
四代目・藤原泰衡(やすひら)のときに源頼朝に滅ぼされ、
奥州藤原氏の繁栄の歴史はおよそ100年で幕を閉じる。
1189年の奥州藤原氏滅亡からちょうど500年の1689年江戸時代のこと、
平泉を奥の細道の旅で訪れた松尾芭蕉の一句、
夏草や 兵どもが 夢の跡
これは奥州藤原氏の栄華と義経の最後に思いをはせて松雄芭蕉が詠んだ。
この100年の歴史の中で築かれた、
日本古来から根付く自然信仰の独特の文化と
平和な理想社会を築きたいという仏教の思想が融合し発展した
平泉の建築・庭園・遺跡郡などが今回評価されて世界遺産に登録となった。