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韓国7人制ラグビー躍進 日本との絆

2020-01-31 07:01:11 | 報道/ニュース

1月14日 NHKNS1「キャッチ!世界のトップニュース」


7人制ラグビーの韓国代表。
経験豊富なフォワードに加え足の速い選手が多いのが特徴である。
去年11月に行われたオリンピック出場をかけたアジア地区予選。
決勝に進んだ韓国は体格で上回る強豪香港代表と対戦し
接戦の末
逆転で初出場を決めた。
韓国代表を率いたソ・チョノ監督。
GPSで選手の走行距離を分析するなど
データ重視の戦術でチームをオリンピックに導いた。
(韓国代表 ソ・チョノ監督)
「感無量で信じられない気持ちでした。」
香港戦の前
韓国代表チームは合宿所のテレビでラグビーW杯の日本戦を観戦。
韓国出身の具智元選手をはじめとした日本代表の活躍に刺激を受けたという。
(韓国代表 ソ・チョノ監督)
「具選手のワールドカップでの活躍を見て
 誇らしくうれしかったです。
 私たちもいつかできると思いました。」
韓国チームの躍進の背景にあるのが日本とのラグビー交流である。
この日ソ監督は大学ラグビーの強豪 流通経済大学を訪れた。
オリンピック予選の直前
流通経済大学の内山監督にコーチの派遣を依頼。
10年近く韓国のラグビーチームとの交流があったことから
チャールズ・ロウ コーチが3回にわたって現地で指導にあたった。
「コーチの派遣がなければオリンピック出場はかなわなかった」とソ監督。
大学側も長年の交流が見事結果に結びつき喜びを分かち合った。
(韓国代表 ソ・チョノ監督)
「内山さんに支援してもらい結果も出せました。
 感謝の気持ちでいっぱいです。」
(流通経済大学ラグビー部 内山達二監督)
「われわれノーサイドの精神と言うんですけども
 スポーツを通して全力で切磋琢磨しながら
 それが終わったら仲間としてより良い関係を作っていく。
 日本と韓国がいいゲームをして
 見ている人に感動や希望 勇気を与えるゲームをしてもらいたい。」
日本を訪問しエールをもらったソ監督。
東京オリンピックでの躍進を目指す。
(韓国代表 ソ・チョノ監督)
「私たちの準備次第だが
 1勝でも2勝でもオリンピック出勝ちたい。
 日本との対戦になったら言葉どおり
 死に物狂いでいきます。」

日韓関係は歴史問題など政治面で悪化を続けているが
ラグビー界では息の長い交流が続いていて
ノーサイドの精神が息づいている。
ソ監督は日本代表が強豪国を次々と打ち破っていくのを見て興奮したと話していた。
韓国出身でスクラムのかなめのプロップで活躍した具智元選手については
自宅で焼き肉をごちそうしたこともあったそうで思い出も深い。
ソ監督は
東京オリンピックでは日本代表も含め1試合でも多く勝つこと
実力を出し切るということはもちろん
それに加え
オリンピックで結果を残して日本のようなラグビーブームを韓国に巻き起こし
選手たちがプレーしやすい環境整備のきっかけにしたいと意気込んでいた。



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職場の宴会

2020-01-30 07:00:00 | 編集手帳

1月11日 読売新聞「編集手帳」


経済小説を切り開いた城山三郎さんに『隠し芸の男』という短編がある。
銀行のきまじめな課長を主人公にしている。

ただ隠し芸は持っていた。
下腹に墨で顔を描いて踊る裸踊りだ。
行員人生に必要だと、
長年苦い思いをかみ殺して演じてきた。
そして新課長となって初めての新年会。
部下の心をつかもうと披露するが、
若者らは「ボウリングに行きたい」などと言って去ってしまう。

物語は昭和40年代を舞台とする。
いまの若い人たちの宴会離れはこれ以上だろう…と、
てっきり思っていたところ、
過日、
意外な記事を読んだ。

民間の外食調査機関の調べで今シーズン、
忘年会と新年会に参加すると答えた人が45%となり、
過去最高を更新したという。
20代の参加も高めに出た。
会社が費用を補助する取り組みのほか、
場所や時間にとらわれない働き方が増えて、
仲間意識を築くことへの関心が高まったためともいわれる。

なるほどと頷うなずきつつ、
別の理由もよぎる。
宴会がかつてより節度を保つことも大きいのではと。
隠し芸に沸く職場がまだあるだろうか。
安心して宴会に行けるのはなにも若い人たちに限らない。

 

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中村さんの夢・・・愛の国ガンダーラ

2020-01-29 07:00:00 | 編集手帳

12月28日 読売新聞「編集手帳」


<♪そこに行けば 
 どんな夢も…
 その国の名はガンダーラ 
 何処どこかにあるユートピア~>。
往年のヒット曲、
ゴダイゴ『ガンダーラ』(作詞・奈良橋陽子、山上路夫。
作曲・タケカワユキヒデ)である。

ガンダーラは現在のアフガニスタン東部からパキスタンにかけ、
紀元前から存在した国の名前だ。
かつての繁栄の象徴であるガンダーラ美術は、
歴史の教科書にも紹介されている。

テレビドラマ「西遊記」に使われたのは40年も前になるが、
この頃になってたびたび思い出す。
その地で凶弾に倒れた医師、
中村哲さんの人生の旅をかさねずにいられない。

<♪愛の国ガンダーラ 
 生きることの苦しみさえ 
 消えるというよ…
 素晴らしいユートピア 
 心のなかに生きる 
 幻なのか~>。
病気や飢え…
中村さんが注いだ愛の力はどれほどの数の苦しみを消しただろう。
歌を超えユートピアは幻に終わらなかった。
砂漠に井戸を掘り水路を作り、
農業のできる緑の大地に変えた。
そこに暮らす人々は65万人におよんでいる。

事業はペシャワール会が現地の人と協力しながら続けていくという。
中村さんの夢も続いていく。

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広がるゲーム依存症 中国で矯正施設続々

2020-01-28 07:00:01 | 報道/ニュース

12月25日 NHKBS1「国際報道2019」


中国の街なかでいたるところで見かけるネットカフェ。
多くの若者がオンラインゲームに熱中している。
「1日に3~5時間くらいゲームをします。」
「ゲームで勝っている時はとても爽快な気分になります。」
中国は
対戦型のコンピューターゲームをスポーツ競技として捉えるeスポーツを
国をあげて振興。
2022年に杭州で開かれるアジア大会では正式種目に採用されることも検討されている。
しかし急成長するゲーム産業の陰で問題となっているのが
ゲーム依存症である。
中国の青少年の10%前後がゲームやネットに依存する状態に陥っている
という調査結果も出ている。
こうしたなか依存症になってしまった若者たちのために
矯正施設が次々とできている。
湖北省にある民間施設では
規則正しい生活を身につけるため軍隊さながらのトレーニングが行われる。
スマホやパソコンの持ち込みはもちろん禁止。
数か月かけてゲームのない暮らしを取り戻す。
こうした施設はすでに国内に数百か所あるという。
この施設に今年8月に入所した張さん(17)。
張さんは
中学生のころから同級生との関係がうまくいかなくなり
オンラインゲームにのめり込むようになった。
徹夜でゲームをして
授業中はずっと寝ているような状態だったという。
部屋に閉じこもって食事も満足にとらずやせ細っていた張さん。
両親ともたびたび衝突し
さらにゲームにのめり込んでいった。
(張さん)
「他人と接するのが怖いという感覚になっていた。
 ゲームをすると達成感や自信を得られる。
 それでやめられなくなった。」
施設では一般的な授業に加えて
医学に基づいたゲーム依存症への対処方法の指導を受ける。
「生理的欲求とは違う異常な欲求を“依存症”と言います。」
心理カウンセラーは1対1で個別の悩みの相談にものってくれる。
「またスマホゲームにはまって
 コントロールできなくなったらどうしましょう。」
(カウンセラー)
「まずルールを守らなければゲーム依存症は永久に完治しません。
 理想の自分を目指すことが最も重要なことですよ。」
(張さん)
「今はだんだん自信を取り戻して
 人付き合いもできるようになり
 外の世界を避けることもなくなった。」
2月までここで生活する予定の張さん。
その後 高校生活をやり直し
大学進学を目指すことにしている。
ゲームの世界にとらわれた依存症の若者をいかに現実の社会に戻していくのか。
ゲーム大国となった中国で
試行錯誤が続いている。

中国政府は11月
ゲーム依存症を防ぐための新たな指針を発表した。
それによると
18歳以下の若者については
オンラインゲームができる時間を平日で1日90分までに制限することなどを
ゲーム会社に義務付けた。
またWHO(世界保健機関)も2019年5月
ゲーム依存症を“ゲーム障害”という病気として正式に認定していて
これから多くの国で対策づくりが進むと思われる。



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魅惑のウズベキスタン 地下鉄は“美術館”

2020-01-27 07:00:00 | 報道/ニュース

12月24日 NHKBS1「国際報道2019」


ウズベキスタンの首都タシケントの地下鉄。
見上げると天井を彩る美しい装飾に目を奪われる。
旧ソビエト時代の1977年に開通したこの地下鉄
東西冷戦のもと国威発揚のため
中央アジアの技術・芸術・文化・富を注ぎ込み
巨大な芸術作品ともいえる駅舎を建設した。
現在も人々の生活や経済を支える庶民の足として1日23万人が利用する。
3路線29駅すべてがそれぞれ独自のテーマを持って作られている。
テロ対策のため行われる手荷物検査はものものしいが
それでも最近はずいぶん開放的になった。
かつてこの地下鉄は核シェルターの役割も担っていたため
軍事施設として
構内での撮影が長年禁止されていた。
それが観光立国を目指す国の方針によって2年前に撮影が解禁されたのである。
建設に関わったひとりの建築家セルゴ・スチャーギンさんは
国内外の大型施設を手掛けてきたウズベキスタンを代表する建築家である。
セルゴさんがデザインしたコスモナフト(宇宙飛行士)駅のテーマは
“ウズベキスタンの夜空と宇宙”。
タシケント地下鉄を代表する作品の1つである。
(建築家 セルゴ・スチャーギンさん)
「子ども時代
 草の上に寝転がって夜空を見上げていました。
 限りない宇宙の魅力と神秘にいつも心惹かれていました。」
壁には世界初の有人宇宙飛行を行ったガガーリンや
女性初の宇宙飛行士ワレンチナ・テレシコワなど
旧ソビエトの宇宙開発を象徴する英雄たちが描かれている。
(建築家 セルゴ・スチャーギンさん)
「最も難しかったのはこうした柱の部分で
 クリスタルガラスを作るのが大変でした。」
クリスタルガラスでできた柱は
表面を銀で覆って輝きを増す加工を施し
宇宙にほとばしるエネルギーを表現している。
(建築家 セルゴ・スチャーギンさん)
「この駅が古びることなく
 私たちがいなくなった後も今のように魅力的であり続けてほしいと思います。」
ムスタキリーク駅は1977年にできた最初の駅で
大理石と彫刻で宮殿のようなつくりである。
ウズベキスタン駅の照明は特産品の綿花がモチーフである。
綿花・蚕・ザクロがモチーフのタイルは国土の豊かさを表現している。
アリシェル・ナボイ駅のテーマは“国民に愛されている中世の詩人”。
その詩の世界観に浸ってもらおうと
今年8月には読書スペースを設ける工夫も取り入れられた。
(高校生)
「15~16世紀の雰囲気を感じられて
 とても居心地がいいです。」
(地下鉄の広報)
「地下鉄は単なる交通手段ではなく
 人々に文化を届ける役目も担っているんです。」
開通から40年以上を経てタシケント地下鉄は
かつての知る人ぞ知る存在から
開かれたウズベキスタンの象徴として
新たな魅力を発揮し始めている。



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シルクロードの繁栄再び 観光立国ウズベキスタン

2020-01-26 07:00:00 | 報道/ニュース

12月24日 NHK「おはよう日本」


中央アジアのウズベキスタン。
かつて東洋と西洋を結んだシルクロードの交易で栄え
世界遺産の古都サマルカンドで知られている。
サマルカンドには美しいタイルで覆われたモスクなどが建ち並び
“青の都”とも呼ばれている。
(日本人観光客)
「いい所。
 見どころも多いし。」
「人も優しくて親切。」
シルクロードの世界遺産をひと目見ようと
日本をはじめ世界各国から観光客がウズベキスタンを訪れ
今年は650万人に達する見込みである。
2016年に就任したミルジヨエフ大統領は
外国との交流を長らく制限してきた閉鎖的な政策を改め
ビザの免除など外国人に門戸を開く政策を推し進めてきた。
12月には初めて来日して安倍総理大臣と会談。
日本から1,800億円余の円借款を受けて経済発展を加速させる方針である。
ウズベキスタン発展の象徴とされるタシケントシティ。
工事現場ではいまも作業が進められている。
特に力を入れているのが観光業の発展である。
観光客を受け入れるため
ホテルの建設や高速鉄道の本数を増やすなど
急ピッチでインフラ整備を進めている。
その指揮を執るのが日本に留学経験のあるアブドゥハキモフ副首相である。
(ウズベキスタン アブドゥハキモフ副首相)
「私たちは大学で若者を育てる。
 シルクロード国際観光大学を設立した。」
人材育成を図ろうとサマルカンドに去年設立されたシルクロード国際観光大学。
授業はすべて英語で
海外から招いた講師が学生を指導する。
(シルクロード国際大学 副学長)
「一刻も早く観光分野で世界水準になるよう
 できる限りのことに取り組んでいる。」
その一方で観光客のお目当てである歴史的建築物の修復作業が追い付いていない。
サマルカンドで半世紀にわたり修復作業にあたってきた職人。
(タイル職人)
「あのあたりを修復しなければならない。」
歴史的な建築物の傷みが進んでいる。
タイルの修復に携わる深い知識と経験を有する職人は現在10人しかいない。
(タイル職人)
「人材が足りない。
 修復すべき建物が多すぎるから。」
政府は今後修復作業の職人を養成することにしている。
シルクロードの時代から客人をもてなす精神が根付くウズベキスタン。
再び“開かれて国”としてかつての繁栄を取り戻そうとしている。
(ウズベキスタン アブドゥハキモフ副首相)
「日本人のみなさま
 ぜひウズベキスタンへいらっしゃってください。
 ウズベキスタンへようこそ!」




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フランスで高まる若者の環境意識

2020-01-25 07:00:00 | 報道/ニュース

12月23日 NHKBS1「キャッチ!世界のトップニュース」


世界各地で“ブラックフライデー”と呼ばれる年末商戦が本格化した11月末。
フランスではちょっと変わった風景が見られた。
パリ近郊にある巨大なショッピングセンター。
入り口をブラックフライデーに反対する若者たちが塞いでいる。
“ブックフライデー”と名付けられたこの抗議活動。
“大量消費は資源を無駄にし環境破壊につながる”として
買い物客にショッピングを控えるよう訴えた。
(抗議活動 参加者)
「ここには健康や生態系を悪化させる商品を製造する企業が集まっています。
 抗議するために来ました。」
(買い物客)
「買い物に来ましたが罪悪感を感じました。
 大量消費は環境に深刻な影響を与えるので
 抗議活動には賛成です。」
大量消費にとどまらず商品そのものが環境に与える影響に関心が高まるなか
環境にやさしいことを強く打ち出す企業が増えている。
とりわけ対策を迫られているのが高級ブランドだという。
消費者の意識調査を行っている大手のコンサルティング企業は
1985年以降に生まれた世代の60%以上がブランド品を購入する際に
“環境保護”といった持続可能性を重要な判断基準にしているという。
(大手コンサルタント会社 副代表)
「若者たちは将来の高級ブランド消費者です。
 持続可能性を大切に思う消費者の価値観に高級ブランドは応えなければなりません。」
すでに取り組みを始めている企業もある。
フランスの老舗の高級化粧品ブランド。
シャンゼリゼ通りにある本店で香水の詰め替えサービスを始めた。
(客)
「環境にいいし
 同じ瓶を使えて何個も買わなくて済みます。」
今年4月からは特別なサイトを起ち上げた。
キーワードは「透明性」である。
クリームなど100余の商品について
原料や製造過程・輸送手段などを公開し
企業としてどうやって環境への負荷を減らそうとしているのか情報を発信している。
(担当者)
「パリでは夜間の配送を電気自動車で行っています。
 渋滞や日産化炭素の排出を減らせます。」
さらに
環境を守る取り組みも強化している。
2019年10月にはユネスコと協力して
世界的に減少するハチを守るプロジェクトを起ち上げた。
日本をはじめ世界中で人材育成に乗り出すとしている。
(高級化粧品ブランド CEO)
「企業は利益追求だけでなく地球や社会への貢献が求められています。」
化粧品ブランドに協力した広告代理店。
環境保護に向けた取り組みを発信することが今後欠かせなくなると指摘する。
(広告代理店 代表)
「変革できない企業は5年後10年後には生きていけません。
 消費者は大きく変わっているのです。」
ヨーロッパの企業に変革を迫る若き消費者。
そのうねりは世界にも広がる兆しを見せている。
 



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“災害時の保存食” パンを海外へ

2020-01-24 07:00:00 | 報道/ニュース

12月23日 NHK「おはよう日本」


台風などで甚大な被害が相次いだ2019年。
災害時の保存食として愛媛県内の企業が作るパンに大きな注目が集まった。
その理由は賞味期限。
国のガイドランなどをもとに定められ
通常の10倍以上 43日長持ちするパン。
しかも保存料は一切使われておらず
常温で保存できるとあって
大手スーパーなどからの引き合いが1日に製造できる量を大幅に上回った。
これらの商品を製造しているのは愛媛県砥部町のパンメーカー。
長持ちさせる秘密は何か。
まずは生地。
パネトーネ種という特別な天然酵母を生地に練り込む。
「これが日持ちを長くする1つのカギになる。」
この酵母を使うことでカビや細菌が繁殖しにくくなる。
さらにパッケージの工程には企業秘密も。
気密性が高くしっとり感が長続きする。
この強みをもっと追求しようという取り組みも始まっている。
「こちらが今 製品の保存テストをやっています。」
今の43日の賞味期限を1,5倍の68日まで延ばそうというのである。
そのカギは生地と混ぜる油脂
これまで使われてきた動物性油脂はコクやうまみを出すが
賞味期限がさらに延びると酸化して匂いが出てしまう。
そこで植物性油脂だけに切り替えて匂いの発生を防ぐとともに
うまみなどは他の成分で補うことにした。
テストは最終段階。
近く商品化される予定である。
(四国シキシマパン 製品開発 マネージャー)
「賞味期限が長ければ長いほど保存の価値も上がるので
 極力長めに
 でも美味しくなるよう開発を進めていきたい。」
人口減少で国内市場が縮小するなか
この企業が目を向けるのが海外マーケットである。
千葉で開催された輸出向け食品の商談会。
「解凍後30日です。」
「どれぐらい持ちますか?」
「常温で43日ですが
 海外の方は冷凍して現地で解凍してから30日間。」
「結構持ちますね。
 おいしいです。」
輸送に時間がかかるぶん海外で勝負するのに重要なのは
何よりも賞味期限の長さ。
見積もりやサンプルの問い合わせなどおよそ25件もの引き合いがあった。
(来場者)
「新鮮なパンと同じように柔らかくておいしい。
 中国の消費者にも食べてもらえたらいいなと思う。」
11月下旬の東京
消費者の生の声を聴こうと
日本に住むアジアや欧米出身の人を招いた試食会が開かれた。
多かった指摘は
1個ずつ包装されたパンに慣れていないこと。
特にターゲットの1つ 香港のグループでは
「香港ではあまりこういうパッケージの中にあるパンを買う習慣がない。」
「保存料不使用って結構強い要素だと思った。」
“保存料を使っていないことをパッケージで目立たせた方がいい”と助言をもらった。
災害がきっかけで大きな注目を集めたパン。
強みを伸ばしながら挑戦を続ける。
(四国シキシマパン 塚本社長)
「災害で大変なところを少しでもサポートできるのは
 企業としても非常にありがたいこと大事なことだと思っている。
 海外でも十分勝負できる品質になってきたので
 広い海外という市場で是非評価をいただき
 ポジションを獲得したい。」



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北限のオリーブ栽培 被災農家の挑戦

2020-01-23 07:00:06 | 報道/ニュース

12月20日 NHK「おはよう日本」


宮城県石巻市北上町。
震災後 北上川を望む日当たりのよい高台に木が植えられた。
たわわに実を付けていたのは暖かい気候を好むオリーブ。
石巻市と地元の農家が連携して栽培に取り組み
今年で4年目を迎えた。
その成長を誰よりも楽しみにしている男性がいる。
地元の農事組合法人みのり 代表 千葉さん(70)。
「やっとここまで来たという感じ。
 去年と比べたら
 だいぶ実の付きが違う。
 希望が持てる。」
千葉さんが生まれ育った地区には小学校があり
およそ80世帯が暮らしていた。
しかし東日本大震災の津波により集落は壊滅。
千葉さんの自宅や農地も大きな被害を受けた。
高台に住宅地が造成されたが
再建したのは千葉さんを含めわずか10世帯のみ。
故郷に活気を取り戻したい。
千葉さんは震災から2年後の2013年
千葉さんは仲間とともに農事組合法人を起ち上げた。
コメや大豆
野菜を作り
少しずつ規模を拡大していった。
(千葉さん)
「誰かがやらなければいけないから。
 被災した人たちを何人かでも雇い入れれば
 それだけ地域も潤う。」
そんな千葉さんのもとに市から新たな提案が持ち掛けられた。
オリーブの栽培である。
他の地区の農家とともに勉強会を開き
オリーブの本場の四国に見学にも行った。
植樹からずっと指導を続けている香川県のオリーブ農家の荒井さん。
「香川でも雪は降ります。
 積もります。
 それでもオリーブは持ちこたえますので
 この宮城県の石巻で
 雪が1週間程度で溶けるんだったら問題ない。」
荒井さんの指導のもと
まんべんなく太陽が葉にあたるよう小まめに選定したり
枝に虫がついていないか1日おきに木を1本1本見てまわったりした。
これまで茨木が北限と言われていたオリーブ。 
4年目となる今年は高さ3メートルまで成長した。
(千葉さん)
「オリーブを植えて緑が増えていけば
 地元の人も帰ってきて
 うちの屋敷の跡がこうなっているんだって
 うれしく思うと思って。」
収穫は11月
今年も順調に生育し500キロの収量を見込んでいた矢先
台風19号が襲った。
強風でオリーブの実は落ち
枝も根元から折れてしまった。
被害は200本近くにのぼった。
11月中旬
収穫の日を迎えた。
地元の人たちやボランティア
およそ50人が手伝いに駆け付けた。
収穫できたのは予定していたのよりも少ない100キロだった。
(千葉さん)
「全部残ってなくても
 収穫できて喜びもひとしおってところだね。」
地区にはこの秋 新たにオリーブ専用の加工場も作られた。
収穫したばかりの実を使ってオイルを絞る。
石巻で育ち石巻で絞られたオリーブオイルである。
「いい香り
 ばつぐんだね。」
「味としては香りがいいようだね。
 こういうおいしい
 すばらしいものができたことは
 これからに向けて作りがいがある。」
(千葉さん)
「石巻のブランドで
 “北限のオリーブ”として売り出せれば
 挑戦ですよね。
 本当に今でいうチャレンジですよ。」


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日本陸連の成果主義

2020-01-22 07:00:00 | 編集手帳

12月19日 読売新聞「編集手帳」


寅次郎
「バカヤロウ、
 あのお嬢さんがラーメンなんか作るかい、
 てめえの考えは貧しいからいけねえよ」――
『続 男はつらいよ』のセリフから引いた。

説教の相手は寺男の源公である。
「そいじゃ何作るんだよ」と聞くが、
寅さんにこう言わせるところが脚本の妙手だろう。
「きまってるじゃねえか、
 スパゲッチーよ」

考えが貧しいからいけねえよ…
言葉がきついようで迷ったものの、
選手の気持ちを代弁するかに思い、
引用させていただく。
日本陸連が東京五輪の100メートル、
200メートルの代表選考について原則どちらか1種目と提案した問題である。

金メダルをめざす男子400メートルリレーの負担軽減が目的という。
けがや疲労を防ぎメダル奪取に確実を期す考えだが、
100、
200の両方に執念を燃やすサニブラウン・ハキーム選手からは困惑の声が聞かれる。

寅さんには次のセリフもある。
「貧しいねえ、
 きみたちは。
 二言目には金だ。
 金なんてなくったっていいじゃないか、
 美しい愛さえあれば」
(『寅次郎の休日』)。
つい、
金をきんと読んでしまう。
競技を見守る人の多くはスポーツへの愛情派で、
成果主義ではないだろう。

 

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興福寺 難行に挑むドイツ人僧侶

2020-01-21 07:00:00 | 報道/ニュース

12月18日 NHK「おはよう日本」


奈良市の興福寺で8年前に僧侶になったドイツ人が
一人前の僧侶になるための“堅義(りゅうぎ)”と呼ばれる試験に臨んだ。

ドイツ人のザイレ暁映さん(41)。
高校生のころ日本語を学んだのをきっかけに仏教に興味を持った。
日本とアメリカの大学院で仏教を学んだあと
研究者として9年前に来日。
興福寺の僧侶になった。
(ザイレ暁映さん)
「お坊さんになったドイツ人ではなく
 たまたまドイツで生まれたお坊さんだという考え方なので
 仏教は世界宗教ですから
 国籍もともと関係ない。」
寺で修業を重ねてきたザイレさん。
一人前の僧侶になるための試験「堅義(りゅうぎ)」に挑戦することになった。
堅義は興福寺など法相宗という宗派に千年以上前から伝わる難行。
挑戦できるのは一生に一度だけである。
堅義に向けた本格的な修行が始まった。
3週間 座敷にこもる。
与えられるのは机などに囲まれた半畳ほどのスペース。
3万の漢字で記された宗派の教えをひたすら暗記する。
人と話すことも横になって寝ることも許されない。
1と6の付く日には座敷の外に出て「大廻(おおまわ)り」という修行にのそむ。
興福寺の五重塔や寺とゆかりの深い春日大社など二十か所を参拝。
教えを身につけられたか
自らの問いかけつつ
難行を無事終えられることを願った。
11月13日 堅義の当日
夜9時頃ザイレさんは白い法衣をまとって挑んだ。
「暁映 登高座 登高座」
名前を呼ばれ高座に上がる。
堅義は法相宗に関する口頭試問である。
別の僧侶から投げかけられる五つの問いに
ザイレさんは漢文で次々答える。
およそ1時間半
ザイレさんは合格した。
外国の人がこの難行を無事終えたのは初めてだということである。
(ザイレ暁映さん)
「口座にのぼってから緊張感が出たが
 私たち僧侶にとって
 一生に一度だけこういう役を務めることができるのは名誉なことなので
 その喜びで精一杯だった。
 仏教が日本に伝わってから千年以上伝わっているが
 多くの方がこれを古いとか古典的なものとしてみているんですけど
 今の私たちの心は全く変わっていません。
 みなさまのためになる仏教を自分の修業を通して紹介したい。」
難関を突破したザイレさん。
仏の道をこれからも歩み続ける決意である。




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うす紫のシクラメン

2020-01-20 07:00:00 | 編集手帳

12月17日 読売新聞「編集手帳」

 

週末、
近所の花屋さんをのぞくとシクラメンの鉢植えがにぎやかに並んでいた。
この花の人気に火をつけたのは1975年のヒット曲「シクラメンのかほり」といわれる。

作詞・作曲を手がけた小椋佳さんはかつて、
著書『いたずらに』(新潮文庫)の中でこんな告白をした。
<“シクラメンのかほり”“うす紫のシクラメン”は実在しないものです。
 完全に遊びです>

詞で「うす紫」は「真綿色」「うす紅色」に続き、
3番目に出てくる。
小椋さんが歌を作った当時、
紫はなかったそうだが、
いつからか生花店の景色は一変し、
今は人気品種の一つになっている。

では「かほり」はどうか。
調べてみると、
こちらも“実在”した。
東京都の農林技術機関が開発し「はる香」の名で種苗登録されている。
職員が歌に着想を得て、
匂いのする新たな品種に取り組んだというから、
生みの親は小椋さんの遊び心といえるかもしれない。
栽培に力を入れる園芸農家も出てきたという。

<今年また雪の囲ひを終りたり窓に一鉢シクラメンを置く>(真庭義夫)。
師走も半ばを過ぎ、
冷え込む日が続いている。
冬が香ってきた。

 

 

 

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ベトナム 生産拠点から消費市場へ

2020-01-19 07:01:32 | 報道/ニュース


12月16日 NHKBS1[国際報道2019」


ベトナム最大の都市ホーチミン。
高級ホテルや海外のブランドショップがひしめく目抜き通りに
12月 日本の大手衣料品チェーンがベトナム第1号店をオープンした。
「ユニクロへようこそ!」
「楽しいお買い物を!」
ベトナム初のユニクロの店舗は現地での関心も高く大勢の来店客でにぎわう。
ユニクロとして東南アジア最大級のこの店舗。
客が自らデザインしたTシャツを注文できるコーナーを設けたり
若い世代が人口に占める割合が高いことを踏まえて
子供服の売り場を充実させるなど
独自の戦略を打ち出している。
(客)
「日本製ですし
 以前使ったこともあるので
 ユニクロの製品はとても安心できます。」
(ユニクロを展開するファーストリテイリング 柳井正会長兼社長)
「ベトナムは東南アジアの大国であり
 国民の平均年齢も非常に若い。
 今後の飛躍的な成長が期待できる。」
もともとアパレル製品で世界有数の生産国となっているベトナム。
“人件費の安さ”“品質の良さ”から
現地で作られた衣服が世界へと輸出されてきた。
それが高い経済成長を背景に
今や消費市場としても注目されている。
アパレル市場の規模は去年26億ドルを超え
10年で2,4倍に拡大。
5年後には36億ドル(3,900億円余)にのぼると予測されている。
8年前に進出したアメリカのGAPは売り上げがこの5年で50%ほど伸びた。
(客)
「海外ブランドはデザインがより多様で
 価格も高くなく
 収入に見合っています。」
(GAP現地責任者)
「ファッションにお金をかけるベトナム人は年々増えています。
 海外大手との競争は激しくなっていますが
 それでも毎年5~10%の成長を維持できています。」
こうした市場の伸びを支えるのが着実に増える中間所得層である。
ホーチミンに住む銀行員のミンさん(22)。
新卒社員のミンさん。
月給は日本円で多いときで7万円ほどだが
その4分の1を衣服に使うという。
(ミンさん)
「社会人になって好みの服を着るようになりました。
 学生の頃の子どもっぽい服はもう着られません。」
かつてアオザイに代表されるパンツルックが一般的だったベトナム女性たちの間で
徐々にファッション熱が高まり
スカートなどの着用が目立つようになるのは2000年代以降だと言われている。
週に3回服を買いに出かけることもあるというミンさん。
この日はおしゃれなワンピースなどを求めてヨーロッパのブランド店を訪れた。
(ミンさん)
「海外ブランドはサイズも豊富で品質やデザインがいいので
 若者に人気で
 私も国内ブランドより好きです。」
アパレルの生産国から巨大な消費市場へ。
アジアの成長市場を取り込もうと
海外ブランドの競争も激しさを増しそうである。



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有楽町1丁目 ヘイフンテラス (Hei Fung Terrace)

2020-01-18 15:44:42 | グルメ

 

 

 

 

 

ザ・ペニンシュラ東京 2F
地下鉄日比谷線、千代田線、三田線「日比谷駅」・有楽町腺「有楽町駅」A7出口直結

JR「有楽町駅」から徒歩2分
日比谷駅から41m


https://www.peninsula.com/en/tokyo/hotel-fine-dining/hei-fung-terrace-chinese-restaurant

 

 

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仁和寺の美しい姿 写真に残したい

2020-01-17 07:00:03 | 報道/ニュース

12月16日 NHK「おはよう日本」


世界遺産 仁和寺はかつて皇室出身者が住職を務めた格式の高い寺院である。
国宝の金堂や重要文化財の五重塔など
貴重な文化財が残る。
しかし去年の台風などで境内も大きな被害を受けた。
寺では仁和寺の今の美しい姿をなるべく多くの写真に残そうと取り組みを始めた。

世界遺産 仁和寺。
平安時代に創建された。
国宝の金堂をはじめ貴重な文化財が人々を魅了する。
仁和寺の僧侶 金崎義真さん。
文化財を未来に引き継いでいくにはどうしたらいいのか
危機感を募らせている。
(仁和寺 金崎義真さん)
「台風21号でこの屋根の部分が風でめくれて
 直系2~3mくらいの大きな穴が開いた。」
相次ぐ台風の影響で重要な建物のあちこちに大きな被害を受けた。
(仁和寺 金崎義真さん)
「台風や災害がないと考えるよりも
 来てはいけないけども
 あると考えて
 景色風景を含めて記録をどんな形でもいいので記録を残しておく。
 記録がないと後の人が追うこともできません。」
多くの人が撮影する仁和寺の姿は貴重な記録につながるのではないか。
金崎さんは写真の投稿サイトを運営する会社に相談した。
東京カメラ部の塚崎秀雄さん。
美しい写真を撮るための環境づくりも手掛けている。
電柱が邪魔をしていた北海道のケース。
町と協力して電線が写り込まないように移設をした。
今まで見たことがないに仁和寺の姿を撮影してもらおうと
塚崎さんたちが動き出した。
計画したのは撮影のためだけの夜間拝観である。
なるべく多くの人に貴重な文化財を美しく記録してもらうことが目的である。
文化財と紅葉が最も映える照明を探る。
(東京カメラ部 塚崎秀雄さん)
「ここだけスポットが当たっているので目で見えるより差がある。
 ここが暗い。
 変えないと。」
「ここから簡単にきれいに撮れるんだったら
 我々が前もって撮れる環境として整備する。」
紅葉越しなど建物が最もきれいに写るアングルを見つけていく。
参道にたたずむ若い僧侶を撮影してみると
写真の右側に寺が設置したライトが写り込んでしまうことに気がついた。
「ライティングがちょっとゴツいな。」
「これはきびしい。」
ライトが見えない位置まで移動することにした。
11月 紅葉があでやかに境内を彩る。
初めての試みとなる夜間拝観が始まった。
「わあ すごいね 貸し切り!」
「めっちゃいい!」
多くの寺で使用が禁止されている三脚の使用もOKである。
この日は僧侶
そして特別に舞妓も登場した。
寺の魅力を引き立てる。
(拝観客)
「静かな中であらかじめ撮影に特化した雰囲気を楽しめるというのは
 すごく良かったです。」
およそ1か月間で1千人以上が訪れた。
今まで撮られたことがなかった夜の仁和寺。
SNSを通して世界に発信される。
(東京カメラ部 塚崎英雄さん)
「いま撮っておかないと
 昔記録を残してくれたことが後世にバトンがつなげない。」
(仁和寺 金崎義真さん)
「残る可能性があるんであったら
 それに対する努力はいとわない。
 皆さんが大切にデータを保管するって言いながら帰っていく姿は良かった。」
多くの人が写真に収めた仁和寺の姿。
貴重な記録として未来に伝わってほしい。
仁和寺の試行錯誤は続く。


 

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