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シンガポール観光 復興のカギはゲームの中に

2020-06-30 07:00:00 | 報道/ニュース

6月3日 NHKBS1「国際報道2020」


シンガポールでは6月から経済活動の一部が再開されたが
今も観光客の姿はほとんど見られない。

世界が注目した
アメリカのトランプ大統領と北朝鮮のキム・ジョンウン朝鮮労働党委委員長の歴史的会談。
その舞台となったのが
シンガポールの中心部から車でわずか15分のセントーサ島である。
青い海と白い砂浜。
娯楽施設に高級ホテル。
シンガポールを代表するリゾート地で
2018年は国内外から1,970万人が訪れた。
そのリゾート地も今は人気の海岸は閉鎖されたまま。
再開後を見込んで
島が活用したのが世界で大ヒットしているゲームである。
“あつまれ どうぶつの森”。
プレーヤーが架空の無人島に移住し
自在にデザインできるゲームである。
セントーサ島の開発会社がこのゲームに着目。
ゲームの中で島を本物そっくりに再現する取り組みを始めたのである。
デザインした島は開発会社の招待があればオンラインで見ることができる。
今後 外国人観光客の入国が認められ次第
すぐに客足が戻るよう
ゲームを通じて島をアプールする狙いである。
(島の開発会社 幹部)
「今の制限された状況を言い訳にしてはいけない。
 多くの人にこの島を“訪問”し続けてもらいたい。」
制作を担当したデザイン会社のフーさん(32)。
特に細かい描写にこだわり
看板やモニュメントなどを再現。
7人の同僚とテレビ会議を重ね
わずか12日間で完成させたという。
(デザイン会社 フーさん)
「プレッシャーはとても大きかったですが
 やり遂げる以外に道はありませんでした。」
さらにフーさんたちが目をつけたのが
別のプレイヤーが実際にこの島を訪問できる機能だった。
期間限定で島の案内ツアーを募集すると
約2週間で世界中から1万を超える応募が殺到したという。(このツアーはすでに終了)
抽選で選ばれた人が島を訪ねると社員のキャラクターが案内する。
本物そっくりに再現した
トランプ大統領とキム委員長が会談したホテルの部屋や
色とりどりの花とチョウチョが楽しめるバタフライパーク。
島の魅力を余すところなく堪能できるよう配慮したという。
(デザイン会社 フーさん)
「訪れた人はその様子を撮影して
 SNSに投稿もできます。」
狙いは見事に的中。
島を訪れた人たちはSNSに写真などを次々に投稿したのである。
体験した人は
(大阪府在住の女性)
「本当に島に遊びに行ってもてなされている感じが楽しかった。」
(アメリカ在住の男性)
「すばらしいね!
 すてきな場所だとわかったので行ってみたい。」
近々セントーサ島で会いましょう。
観光復興のカギはゲームの中。
柔軟な発想で描く出口戦略である。


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米 ラスベガス 失業率最悪の中 経済再開の動き

2020-06-29 07:00:00 | 報道/ニュース

6月3日 NHKBS1「国際報道2020」


ラスベガスがあるアメリカのネバダ州では
一大産業であるカジノが休業した影響で4月の失業率が28%を超えて
これは全米各州の中で最悪の数字となっている。

ラスベガス中心部の大通り。
ふだんは大勢の人で混み合っているが
今はほとんど人通りは無い。
以前は常に多くの観光客などでにぎわう街だった。
しかし感染拡大で3月から次々にカジノじゃホテルが休業。
世界中から押し寄せていた観光客は姿を見ることすらまれである。
観光産業の停滞はラスベガスの街全体の雇用を直撃している。
市内に暮らすケリーさんとボーイフレンドのゼラーさん。
ケリーさんは市内のレストランで働いていたが
理由も告げられず突然解雇された。
去年12月に学校を卒業したばかりだったという。
(ケリーさん)
「突然解雇されました。
 本当に急なことでした。」
今は失業保険を受け取りながら次の仕事を探している。
しかし経済活動が事実上止まっているラスベガスで
新たな仕事の募集はほとんど無い。
(ケリーさん)
「いつ次の仕事に就けるかわからないので
 出来るだけ節約して過ごしています。」
音響エンジニアとして働いていたゼラーさんは
今はコンサートなどのエンターテインメントの仕事はない。
(ゼラーさん)
「仕事がいつ再開されるか分かりません。
 自分の力で生きていくしかないんです。」
こうしたなかラスベガスでは6月4日からカジノが順次再開されることになり
いま各社は感染防止策の徹底に追われている。
ホテルに併設されたカジノでは
カードを配るディーラーと客の間に飛沫を防ぐ透明な板を設置したほか
利用客にマスクを無料で配布することにした。
また
手を洗えるよう洗面台も設置。
従来のように営業はできないが
慎重に再開を進めていく方針である。
(ホテルの感染防止策担当)
「再開と同時に
 カジノが利用客で混み合う状態にするわけにはいきません。
 新しく導入した対策をゆっくりと着実に進めていきます。」
ただ感染のリスクを避けようと
旅行に出ることを控える人も少なくないのが現状で
ラスベガスが日常を取り戻し
人々に仕事がいきわたるにはまだ時間がかかる見通しである。


 

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過去の“新型コロナ”② 世界を救った医師

2020-06-28 07:14:53 | 報道/ニュース

6月3日 テレビ朝日「グッド!モーニング」


SARS(重症急性呼吸器症候群)のウィルスは
中国の広東省
さらには香港から各地に散らばっていった。
その行先の1つがベトナムのハノイである。
この地が舞台となりSARSは新たな展開を見せた。
最前線で闘ったのが
イタリアの医師 カルロ・ウルバニである。
WHO世界保健機関の専門家としてハノイで勤務していた。
“世界を救った医師”とも言われている。
2003年の2月下旬
ハノイに到着したばかりの中国系アメリカ人が体調不良を訴え入院した。
男性は
謎の肺炎を発症した広東省の医師と同時期に香港のホテルに宿泊し
その直後にハノイ入りしていた。
このとき“謎の肺炎”が中国で流行しているという情報はすでに出回っていて
急激に重症化する男性を診たウルバニ医師は
その肺炎の可能性があると考えたのである。
ウルバニ医師は危機感を抱く。
このままでは感染が急拡大すると思ったのである。
不安は現実となった。
医療スタッフに同じ症状が出始めたのである。
ヒトに見感染することが確実になった。
対策は“待ったなし“である。
ウルバニ医師の説得の結果
ベトナム政府は国を挙げて感染の拡大防止に乗り出し
病院を閉鎖したのである。
そしてWHOは3月上旬
ベトナムや中国広東省などで原因不明の肺炎が集団発生していると警告を発したのである。
中国政府は情報開示に後ろ向きだったが
ウルバニ医師の奮闘で事態が動いたのである。
ただ治療に従事したウルバニ医師自身もSARSに感染し
初めて診察した日からわずか1か月後に亡くなった。
彼の命がけの貢献で
世界は最悪の事態を回避できたのである。



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過去の“新型コロナ”① SARSの拡散

2020-06-27 07:00:00 | 報道/ニュース

6月2日 テレビ朝日「グッド!モーニング」


今年に入って新型コロナウィルスが世界を恐怖に陥れているが
そもそもコロナウィルスは普通の風邪を引き起こすウィルスである。
そのイメージが大きく変わったのが
2002年11月だった。
中国南部の広東省で謎の肺炎患者が出たのである。
広東省では
トカゲ・ネズミ・サルなど
多くの野生動物の肉が売られている。
その広東省の料理店で働いていた若者が
2002年に謎の肺炎にかかったのである。
その後 次々と同じ症状の肺炎患者が出た。
これが後に“SARS”と呼ばれる新型肺炎である。
感染源は当初ハクビシンとみられていたが
現在はコウモリの可能性が高まっている。
この謎の肺炎が世界に拡大するきっかけを作ったのは
ひとりの医師だった。
広東省の広州市で治療にあたっていた医師が
SARSに感染していることを知らずに香港を訪れたのである。
親戚の結婚式に出席するためだった。
この医師は
香港のホテルの部屋で重症化し
嘔吐する。
ホテルの従業員がその部屋を掃除した。
その掃除器具を使って別の部屋も掃除したため
ウィルスが広がったのである。
宿泊していたシンガポール人・カナダ人・ベトナム人らに感染した。
その後 彼らが自国に戻り
それぞれの国に飛び火したのである。
感染源となった医師は香港の病院に入院する。
その病院内でも感染が拡大した。
この時中国政府は最悪の対応を取った。
SARSの実態を公表しなかったのである。
このまま放置すれば
さらに多くの国に感染が広がるリスクがあった。
世界中が大きな危機にさらされていたのである。

 

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ウイルスという敵

2020-06-26 07:00:00 | 報道/ニュース

6月1日 テレビ朝日「グッド!モーニング」 池上彰のニュース検定


新型コロナウィルスの感染拡大で
人々は日常生活の中でもウィルスの存在を警戒するようになった。
ウィルスは細菌よりもさらに小さく
体に入ると病気を引き起こす。
新型コロナウィルスだけでなく
インフルエンザや
はしか
水ぼうそうなど
数多くのウィルスがある。
人類が長い間闘っている敵なのである。
ウィルスは細菌と違って
自力で増えたり子孫を残したりすることができない。
このため“生き物”とは呼べないという考え方もある。
もともとウィルスが潜んでいる動物は決まっていて
インフルエンザウィルスならカモ
エイズウィルスはチンパンジーだとみられている。
そして今回の新型コロナウィルスはコウモリだという見方が有力である。
ウィルスは外に出てしまうと感染力を失う。
動物の体内で感染力を維持しているのである。
ウィルスは決まった動物の体内にいる限り問題を引き起こさない。
共存しているのである。
しかし問題は
違う動物にうつった際病気になる可能性が高まることである。
たとえばインフルエンザウィルス。
通常はカモの体内にいるが
ニワトリや人にうつると病気を引き起こす。
さらにウィルス自体がより毒性に強いものに変異する恐れがある。
今回の新型コロナウィルスは
コウモリから何らかの生き物を経由したうえで人に感染した可能性が高いとみられている。
動物からうつったばかりのウィルスに対して人間は免疫を持っていない。
防御する力が弱いのである。
私たちは“ウィルス”という敵が体の中に入らないよう
最大限注意する必要がある。

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濃厚で芳醇!温泉で熟成チーズ

2020-06-25 07:00:00 | 報道/ニュース

5月30日 NHK「おはよう日本」


酪農王国北海道十勝でいま注目を集めているチーズがある。
熟成に使うのは地元の温泉。
とろ~り溶けたアツアツのチーズ。
かけるのはジャガイモに牛肉。
どれも十勝の大地で育まれた食材である。
十勝ラクレット モールウォッシュ。
原料は十勝産の生乳100%である。
(レストラン「大地の匠」 マネージャー)
「この場所にしかないチーズ。
 せっかく十勝に来たので十勝らしいものを食べたい人にお勧めしている。」
十勝の魅力が詰まったこのチーズ。
最大の特徴は熟成過程にある。
使っているのは十勝川温泉の温泉水。
チーズの熟成に使う十勝川温泉。
全国的にも珍しいモール温泉という琥珀色の“美肌の湯”で知られている。
この温泉水でチーズを磨き
熟成を進めているのである。
アルカリ性の温泉水で磨くことで
チーズの表面は美しくなり
風味もまろやかになるという。
「こうなってくるといい感じ。
 これをちょっと湿らせて
 磨いて湿らせてあげる。
 これでだいたい熟成3か月くらい。
 中もおいしく食べられるようになっている。」
ラクレットチーズをモール温泉で磨くことから
十勝ラクレット モールウォッシュ。
地域の名物を活かしたチーズである。
(熟成士 )
「十勝川にもノール温泉水というすばらしい資源がある。
 試してみたら非常にいい効果が出た。
 日本人の嗜好に合った仕上がりになっている。」
このチーズ
こだわりは温泉だけではない。
十勝を代表するチーズを作るために
工房が垣根を超えて連携しているのである。
熟成前のチーズを生産しているのは十勝地方の6つの工房である。
それぞれの工房が熟成庫にチーズを持ち寄り
共同で熟成。
共通ブランドのチーズを製造している。
共同で熟成庫を運営するのは日本で初めてである。
高い品質のチーズを作るため
工房はお互いに製造技術も公開し合った。
このチーズには十勝の職人たちのプライドが込められている。
足寄町のチーズ工房。
共通ブランドのチーズ作りは大きな刺激になっているという。
(あしょろチーズ工房 社長)
「“こんなふうになるんだね”とすごくいっぱい見えてくる。
 切磋琢磨できるというか
 逆におもしろいかなと思う。」
このチーズを使って十勝の新たな名物を作ろうという動きも始まっている。
表面を覆うようにモールウォッシュが使われているケーキ。
温めて食べるチーズケーキである。
(スイーツファクトリーグリーン シェフ)
「モールウォッシュの潮み・香り
 それが店のチーズケーキとよく合う。
 全国のお客様にこの味をお届けできればと思う。」
職人たちが力を合わせて作り上げたチーズ。
食の宝庫 十勝の魅力を広げている。


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スペイン風邪とは➄ 「大女優と劇作家」

2020-06-24 07:03:44 | 報道/ニュース

5月29日 テレビ朝日「グッド!モーニング」 池上彰のニュース検定


スペイン風邪は日本国内でも数多くの犠牲者を出した。
その中でも注目されたのはこのふたりである。
劇作家の島村抱月(1871-1918)と
女優の松井須磨子(1886-1919)である。
ふたりともスペイン風邪の犠牲になったわけではない。
亡くなったのは島村抱月だけだった。
人々の関心を集めたのは
島村抱月の死んだ2か月後に
松井須磨子が後追い自殺をしたからである。
ふたりは当時もっとも有名な不倫カップルだったのである。
島村抱月は著名な劇作家だった。
妻子があったにもかかわらず
自らが目をかけた女優 松井須磨子と同棲していた。
そして須磨子は抱月が手がけた舞台で人気が急上昇する。
とりわけ
トルストイの小説をもとに抱月が舞台化した「復活」で
須磨子が歌う「カチューシャの唄」が人々の心をとらえた。
レコードが発売され
累計で2万枚売れたのである。
日本で初めての“ヒット曲”と言われている。
その島村抱月と松井須磨子の運命を狂わせたのがスペイン風邪だった。
実は最初にかかったのは須磨子である。
1918年(大正7年)10月末のことだった。
抱月は熱にうなされる須磨子を看病したことでスペイン風邪に感染したのである。
抱月は47歳
須磨子は32歳だった。
須磨子はその後回復するが
抱月はわずか数日で亡くなった。
スペイン風邪は
発症してから数日で呼吸困難になり死亡するケースが多くあったのである。
感染力が強く
看病する家族や医師が次々と感染した。
こうしたなか
有名カップルの悲劇が
国民にスペイン風邪の恐ろしさを改めて知らしめたのである。



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中国 高まる“攻撃的愛国主義”

2020-06-23 07:00:00 | 報道/ニュース

5月28日 NHKBS1「国際報道2020」


香港やウィグルなどへの対応をめぐり国外からの批判が強まっている中国だが
国内では新型コロナウィルスを抑え込んだとして
共産党指導部を評価する声が高まっている。
その一方で
党や政府に批判的な意見を示すとインターネット上で激しく攻撃されるという風潮も広まっている。
中国を代表する作家の1人で
新型コロナウィルスが最初に広がった武漢に住む方方さん(65)も標的になった。
封鎖された武漢での生活を綴ったSNS上の日記は
中国内外で1億人以上が読んだと言われている。
しかしその内容が政府に批判的だとして
ネット上で非難が殺到する事態になった。

武漢在住の作家 方方さんがSNS上に綴った日記。
今年1月下旬から2か月半にわたって封鎖された武漢での暮らしが詳細に記されている。
1月25日(封鎖3日目)
武漢がこのような深刻な災難に見舞われるとは思ってもみなかった。
街の中心部でも車の通行が今夜から禁止になった。
2月4日(封鎖13日目)
スーパーが閉鎖され
食料がなくなるのを恐れ
買い占めが起きているという。
一方で
いち早く警鐘を鳴らし自らの感染して亡くなった武漢の医師についても言及。
医療現場の声をも言論統制の対象にした当局に批判の声をあげた。
2月7日(封鎖16日目)
情報が封じ込められていた間に
多くの医療従事者が感染し
その家族も悲しんでいる。
3月に入り
対策の効果が出てきたという報道が増えるなか
方方さんは政府の姿勢に疑問を投げかける。
3月7日(封鎖45日目)
武漢のリーダーたちは市民に党や国家に感謝するよう求めるが
実に奇妙な考え方だ。
政府は人民の政府であって
人民のために奉仕する存在だ。
率直な思いを綴った日記に
市民の間では共感が広がった。
“あなたの勇気と揺るぎない意志に感謝”
“すべて賛同します”
ところが徐々に風向きが変わる。
4月8日 武漢の封鎖が2か月半ぶりに解除された。
北京や上海でも経済活動が再開。
欧米各国で感染の広がりが深刻化するなか
中国国内では感染拡大を抑え込んだ政府への支持がかつてないほど高まった。
(市民)
「中国の能力は偉大です。
 すばらしい。」
「国家や政府を信じています。」
ちょうどこの頃
方方さんの日記が海外で出版されるという情報がネット上で広がる。
すると一転。
“世界に中国の悪い印象を与える”と批判が殺到したのである。
“政府への責任を追及することは国への裏切り行為だ”
“西側諸国に中国を批判する格好の材料を与えている”
方方さんの日記は炎上し
殺害を臭わせる脅迫すら書き込まれた。
方方さんはやむを得ず
書き込み機能を停止。
海外メディアから取材を受けることも控えている。
知り合いの大学教授が方方さんを援護する文章を投稿すると
今度はこの教授のアカウントも炎上した。
中国のネット上ではいま
政府を称賛することが“愛国”であり
少しでも政府を批判するは攻撃されるべきだという
極端な論調が高まっている。
背景には
政府の対策の成果を宣伝する一方で
“批判的な意見は認めない“習近平指導部の徹底した言論統制があると指摘されている。
加えて
中国への批判を強めるアメリカに強い姿勢で反論する場面を積極的に報道。
(中国外務省 華報道官)
「アメリカの政治家の発言は恥知らずで非道徳だ。」
その結果
愛国主義を掲げるネット市民が政府を擁護し
勢いづくことになっている。
専門家は
政府に批判的な意見を書き込むことは
いまや当局の処罰の対象になるだけでなく
“愛国”を掲げる人たちの攻撃にもさらされる危険な行為になったと指摘する。
(中国人民大学 張教授)
「国を愛する気持ちは自然な感情なのに
 なぜそれを武器にして他人を殴るのでしょうか。
 異なる意見を心からぶつけ合うことこそ健全な討論なのに
 今はその場所すら無いのです。」


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スペイン風邪とは④ 「3波の流行」

2020-06-22 07:00:00 | 報道/ニュース

5月28日 テレビ朝日「グッド!モーニング」 池上彰のニュース検定


スペイン風邪が日本を襲ったのは1918年だった。
“相撲風邪”は第1波で
本格的な第2派はこの年の10月にやって来た。
学校や軍隊などで広がっていった。
第2波が来たわずかひと月後の11月7日には
全国の鉄道で働く鉄道員のうち7,500人が感染したことが伝えられた。
さらにその2日後の11月9日には
東京小石川区の小学校で児童の4分の1が感染したため3日間休校になった。
あっという間に広がり
東京だけでも毎日200人以上の死者が出た。
年が明けてもこの流行は続く。
1919年2月の朝日新聞は
“入院は皆お断り“という見出しで伝えている。
当時も医療崩壊が起こっていたのである。
ただこの大流行は気温が上がった7月にはいったん収まりを見せる。
しかしそれもつかの間だった。
3か月後の10月下旬から第3波の大流行となった。
しかもを留守が突然変異したのか
毒性が強くなって死亡率が高まったのである。
(1920年1月11日付 東京朝日新聞)
この恐ろしき死亡率を見よ
流感の恐怖時代襲来す
せき1つ出ても外出するな
多くの感染者を出すかもしれぬ
マスク不足も深刻だった。
(1920年1月19日付 東京朝日新聞)
マスクはどの店も品切れ続きだ
悪徳商人が粗悪品を売ったり大幅値上げをしている
などと伝えている。
都会から逃げる人もいた。
熱海は避難客で温泉宿はどこも満員(1919年2月19日付東京朝日新聞)と報じる記事もあった。
見えないウィルスに対する人々の反応は
今も昔も変わっていないのである。



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スペイン風邪③ 「日本への第1波」

2020-06-21 17:04:28 | 報道/ニュース

5月27日 テレビ朝日「グッド!モーニング」 池上彰のニュース検定


スペイン風邪の起源について
アメリカからの可能性のほかにもう一つ有力な説がある。
中国である。
この中国説のカギとなるのが相撲風邪である。
1918年4月
3人の力士が謎の風に感染して亡くなった。
当時日本の統治下にあった台湾で巡業が行われていた最中のことだった。
その後 本土に戻ってきた力士たちから相撲界に広がり
新聞に相撲風邪として取り上げられた。
ポイントとなるのがそのタイミングである。
記録上最初のスペイン風邪の感染者とされるアメリカ兵は
1918年3月に発症した。
そしてお相撲さんたちが台湾で発症したのは
同じ年の4月である。
わずか1か月でアメリカから台湾に流行が移ったとは考えづらい。
そこでスペイン風邪は中国で発症したと推測する学者もいる。
当時 アメリカでは大陸横断鉄道が建設されていて
多くの中国人労働者が渡っていた。
その中に感染した人がいるのではないかというのである。
また
アメリカの兵舎で流行する前に
スペイン風邪とみられる呼吸器病が中国国内で流行っていたという記録もある。
当時行われていた第1次世界大戦では
英仏軍が96,000人の中国人労働者を西部戦線で使っていたという事実も発見されている。
感染源は今も特定されていないが
中国が発生源なら
つながりの深い台湾でお相撲さんが感染しても不思議ではない。
いずれにしてもこの“相撲風邪”が日本でのスペイン風邪の第1歩となった。
この年の10月には第2波が
さらに翌年には第3派が襲ってきた。
収まったかに見えて牙をむく
それがスペイン風邪の本性だったのである。

 

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箱根町強羅 GORA BREWERY & GRILL

2020-06-20 21:33:30 | グルメ

 

  

 

 
                                                   (食べログより)


強羅駅より徒歩8分
彫刻の森駅から425m

 

http://www.itoh-dining.co.jp/gorabrewery 

 

  

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元箱根 あしのこ茶屋

2020-06-20 13:18:55 | グルメ

 

  
                                                   (食べログより)

 

 


箱根海賊船・箱根登山バス「元箱根港」より徒歩1分
元箱根港正面左側

 

 http://www.hakone-kankosen.co.jp/restaurant/index.html 

 

 

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韓国デジタルコンテンツ “ウィズコロナ”に応える新技術

2020-06-20 05:14:54 | 報道/ニュース

5月26日 NHKBS1「国際報道2020」


新型コロナウィルスの影響で世界的に外出制限が広がって
さまざまな業種が打撃を受けた。
中には逆に恩恵を受けている業界もある。
その1つがゲーム産業である。
IT大国として知られる韓国では
ゲームなどのデジタルコンテンツの世界で
いわゆる“ウィズコロナ”のニーズに応えようという動きが加速している。

新型コロナウィルスの影響で仕事がなくなり
1日のほとんどを自宅で過ごすようになった男性。
多くの時間を費やすようになったのがゲームである。
(男性)
「家にいてゲームばかりしています。
 3倍ほど増えましたね。」
ゲームをはじめとするデジタルコンテンツ産業。
“巣ごもり消費”の増加で業績が伸びている企業が少なくない。
今年1~3月の売り上げが去年より3割余り増えたという
アプリを開発する企業。
いま最も人気なのが家でトレーニングを楽しめるゲーム。
自宅で出来るトレーニングが250種類以上入ったアプリである。
外出制限が厳しかった3月に
利用者がアプリを使った回数は1月の2倍以上を記録した。
(カカオVXソフトウェア本部 本部長)
「コロナの影響で勢いづくとは思いましたが
 予想以上だったので驚きました。」
去年 世界に先駆けて
次世代の高速通信の規格 5Gを商用化した韓国。
高速通信網の整備が進めば
これまで以上にデジタルコンテンツを楽しみやすくなる。
指先の動き1つでアイドルとデートしているかのような景色を見られるアプリや
ゴーグルをかけるとアイドルとデュエットできるアプリなど
VR(仮想現実)や
AR(拡張現実)などの技術を取り入れた新たなコンテンツである。
ところがこうしたコンテンツの3D映像の制作には
膨大な人出と時間がかかることが大きな課題だった。
“そうした状況を変える切り札になる“”
そう期待される施設が4月末にソウルにオープンした。
韓国の大手通信会社がマイクロソフトと共同で運営するスタジオ。
特殊な技術が採用され
106台のカメラで被写体を360度から撮影して
3D映像を制作できる。
最大の特徴は完成までのスピード。
30秒間の3D映像を作るのに今までは1か月程度かかっていたが
今は2日で出来る。
手作業でやることが多かった映像を立体化させる作業が
大量の映像を撮影することで自動でできるようになったからである。
このスタジオには問い合わせが相次いでいる。
自宅でのトレーニングアプリを開発していた企業 カカオVXも
新たなコンテンツに3D映像を導入したいと打ち合わせを行なった。
(アプリ制作企業 カカオVX)
「あのキャラクターは御社のスタジオでVX作ったんですか?」
(スタジオ運営会社)
「はい。
 高品質3Dを少ない費用で短時間で作ることができます。」
新型コロナウィルスによって変化しつつある生活。
その新たなニーズに応えられるようになると
このスタジオでは期待している。
(SKテレコム)
「コロナで会えなくなっているため
 人々は離れていても同じ空間にいるかのように感じたがっています。
 この技術が
 人々が仮想空間で出会う体験を生み出すのに役立つと思います。」



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スペイン風邪とは② 「大統領の感染」

2020-06-19 07:00:00 | 報道/ニュース

5月26日 テレビ朝日「グッド!モーニング」 池上彰のニュース検定


スペイン風邪は“第1次世界大戦の終結を早めた“と言われている。
フランス・イギリス
そしてアメリカの連合国と
ドイツ軍との戦いだったが
双方とも実に半数以上の兵士が感染したからである。
つまりスペイン風邪によって戦争どころではなくなったのである。
これとは逆に
スペイン風邪が戦争を始める要因の1つになったという指摘があるのが
第2次世界大戦である。
アメリカのウィルソン大統領がスペイン風邪に掛かったことが
回り回って
第2次世界大戦に結びついた可能性があるのである。
ウィルソン大統領が感染したのはちょうど
1919年4月パリ講和会議の最中だった。
第1次世界大戦の戦勝国のリーダーたちが
ドイツへの賠償金などを話し合っていた時である。
パリ講和会議では
アメリカがフランス・イギリスと対立した。
アメリカのウィルソン大統領はドイツに賠償金を求めないスタンスだった。
一方 フランスとイギリスの首相はドイツに巨額の賠償を求めた。
とりわけフランスは強硬だった。
ドイツと国境を接し
甚大な被害を受けたからである。
パリ講和会議で対立が深まるなか
ウィルソン大統領が突然のスペイン風邪に感染する。
生死をさまよい4日間ベッドに伏せた。
その後 会議に復帰したが
もう持論を展開する気力はない。
結局フランスやイギリスの主張が通った。
ドイツに対する巨額の賠償金が決まったのである。
その結果 ドイツの経済は危機的な状況となり
国民の間で不満が高まった。
そこで台頭してきたのがアドルフ・ヒトラー率いるナチスである。
第2次世界大戦を引き起こした。
スペイン風邪は歴史を悪い方向に操ったのである。

 

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スペイン風邪とは① 「濡れ衣の名前」

2020-06-18 07:00:00 | 報道/ニュース

5月15日 テレビ朝日「グッド!モーニング」 池上彰のニュース検定


感染症の歴史の中で最も深刻だったのは
1918年に発生したスペイン風邪である。
わずか2年ほどの間に世界で6億人もの人が感染したのである。
死者は4,000~5,000万人とも言われている。
当時は第1次世界大戦の真っただ中だった。
多くの兵士が戦場に送り込まれたことで一気に感染が広がったのである。
感染源については実は今も分かっていないが
記録上残っている初めての感染者はアメリカである。
発端はカンザス州の1人の兵士だった。
当時アメリカは
ヨーロッパでの第1次世界大戦に参戦することを決め
兵士を集めていた。
そのうちの1人が
1918年3月
カンザス州の兵舎で高熱を訴える。
すぐに何百人もの兵士が倒れ始めた。
それでもアメリカ兵は予定通りヨーロッパへ送られ
連合国として共に戦っていたフランス兵やイギリス兵も感染した。
さらに敵であるドイツ兵にも飛び火したのである。
当時は戦時下である。
各国は自国の兵士が次々と病気で倒れていることを徹底的に隠したのである。
しかしスペインは情報を隠さなかった。
当時スペインは中立国だったからである。
戦争をしていなかったので
病気の流行は軍事機密ではない。
そのため国王が感染したことも伝えられた。
“スペインで強力な風が流行している”と
世界中に知られることになったのである。
そしていつしかスペイン風邪と呼ばれるようになった。
スペイン政府はこの名称に抗議したがあとの祭りである。
100年以上たった今も
濡れ衣の名前が使われているのである。

 

 

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