日暮しの種 

経済やら芸能やらスポーツやら
お勉強いたします

犬はペットか食べ物か

2019-10-31 07:00:00 | 報道/ニュース

10月8日 NHKBS1「国際報道2019」


ベトナムの新聞の見出しに
“犬の肉を食べるのをやめられるか?”と書かれている。
その下には
犬の肉を食べないように呼び掛ける記事を犬たちが読んで喜んでいる様子が描かれている。
ベトナムでは犬を食べる習慣がある。
いまその習慣をめぐって大きな議論が沸き起こっている。

ベトナムの首都ハノイにある通り。
犬の肉を売る露店があちこちで見られる。
すぐ横には実際に料理を出すレストランも。
祖母の代から犬肉料理のレストランを営むタインさん。
専門の業者から仕入れた犬の肉を自ら調理する。
ベトナムでは昔から“犬の肉は精力がつく・悪運を取り除く”と信じられていて
旧暦の月末に食べる習慣がある。
消費量は年間500万匹に及ぶという推計も。
(犬肉料理 レストラン店主 タインさん)
「出しているのは伝統的なベトナム料理です。
 ゆで肉・煮込み・炒め物・鍋料理などがあります。」
(客)
「豊かな味わいがあって元気が出ます。」
「犬肉料理がナンバー1です。」
ベトナムでは今この伝統的な食文化が国を二分する論争を巻き起こしている。
行政が犬の肉を食べないよう相次いで呼びかけているのである。
去年 首都ハノイ市が発表した通知は
犬の肉を食べる習慣を見直すよう呼びかけている。
9月にはホーチミン市も自粛を呼びかけた。
背景には近年のペットブームがある。
ハノイに住むフィさん。
ベトナムでも人気がある柴犬など4匹の犬を飼っている。
SNSで愛犬の姿を発信。
アクセス数は増え続けているという。
民間の調査では
ベトナムのペットフード市場はこの10年ほどで約5倍になり
今後も拡大していくとしている。
(フィさん)
「すべての生活が犬たちと一緒ですから
 友だちであり家族でもあります。
 犬の肉を食べるのはやめてほしい。」
専門家はベトナムの経済成長が犬を取り巻く環境を一変させたと指摘する。
(ベトナム国家大学ホーチミン市校 ヴィ准教授)
「経済成長で食の選択肢が増え
 犬は食ではなく心を満たす存在に変わってきています。
 こうした変化を踏まえ
 我々は犬の肉を食べる習慣を見直す必要があります。」
さらに批判の的となっているのが
飼われているペットを盗み食肉用として売りさばく密猟が横行していることである。
警察も摘発に乗り出しているが被害は後を絶たない。
貿易会社を経営する愛犬家のソンさん。
5年前から食肉用に売られる可能性のある野良犬の保護などに取り組んでいて
密猟組織から逃げ出した犬を保護することもあるという。
(ソンさん)
「ベトナムで食肉のために犬を殺すということを終わらせたいのです。」
口に大きな傷を負った犬。
犬が吠えたり噛みつかないよう密猟組織が口をワイヤーで縛ったものとみられる。
ソンさんはこの犬が逃げ出し路上にいたところを保護し治療を施した。
一命はとりとめ今は海外の支援団体を通じてアメリカにわたり
新しい飼い主と平穏に暮らしている。
(ソンさん)
「この犬のことを多くの人と共有するようにしています。
 そうすれば人々の意識を変えられます。」
犬はペットか食べ物か。
経済発展めざましいベトナムを二分する論争が続いている。





コメント

金田正一はでっかい男だった

2019-10-30 07:00:00 | 編集手帳

10月8日 読売新聞「編集手帳」

 

巨人軍元投手、
金田正一さんはかつて高額の年俸の使い道を聞かれ、
こう答えたことがある。

「プロは自分の体にカネをかければいい。
 わしは1か月の食費が50万円になる。
 本職のコックさんをおいて野球のための食事をとる。
 一人ではさびしいので、
 誰かかれかに来てもらうから、
 こんな金額になる。
 ま、
 ダイヤモンドを食ってるような気持ちだな」

ガハハハ…
いかにもあの豪快な笑いが聞こえてきそうな談話が1969年10月の本紙にある。
当時の大卒初任給は3万円ほどだった。
勝ちを積みあげるための体作りへの執念はもちろん、
後輩の面倒見のよさがうかがえる。

国鉄から巨人に移籍した年、
オープン戦で利き手の左人さし指を骨折した。
だが開幕戦、
不屈の闘志でマウンドに上がると、
自ら本塁打を放ち、
完投で勝利を飾った。
この1勝が巨人V9のスタートとなった。
後に「ほかの399勝にまさる1勝だった」と語っている。
開幕戦で勝つという当時の川上哲治監督との約束を果たせたことが誇りだと。

通算400勝の金字塔を打ち立てた金田さんが86歳で亡くなった。
記録も心意気も、
でっかい男だった。

 

コメント

“香港脱出” 葛藤する若い世代

2019-10-29 07:00:00 | 報道/ニュース

10月7日 NHKBS1「国際報道2019」


4か月近くにわたって抗議活動が続く香港では
台湾やシンガポールなどに移住する動きが活発化している。
中でも増えているのが
以前から中華系の人々を受け入れてきたマレーシアである。
いま香港の30~50代の子育て世代が移住に向けて動き始めている。

9月 マレーシアへの移住を決めた画家の李さん(46)夫婦。
香港で人や動物など数々の絵画を発表してきた李さん。
生まれ育った香港が混乱していく様子を複雑な思いで見守ってきた。
(李さん)
「多くの香港人は夜も眠れないくらいとてもつらい思いをしています。」
李さん夫婦は悩んだ末
9月マレーシアのマンションを購入した。
(李さん)
「香港の現状に影響されました。
 どうにもなりません。」
いま香港島にあるマレーシア領事館には
平日から多くの人たちが長期滞在ビザの申請に訪れている。
会場を訪れた李さん。
混乱の続く香港では“創作活動の自由が奪われる”と
この日に長期滞在ビザの手続きを済ませた。
(李さん)
「静かに創作活動に打ち込める環境が必要です。
 香港はかけがえのない所ですが
 将来戻ってくるかはわかりません。」
香港の新聞にはマレーシアへの移住を呼び掛ける広告が連日掲載されている。
マレーシア政府は
日本円で2,500万円ほどの住宅を購入するなどすれば
起業も可能な10年間の長期滞在ビザが取得できる政策を導入。
裕福な香港人の移住を促そうというのが狙いである。
マレーシアはもともと中国南部からの移住者が多く
中華系が人口の4分の1を占める。
広東語も通じることから定年後の移住先として人気を集めてきた。
最近では
先行きへの不安から
香港の比較的若い世代がマレーシアを目指すようになっている。
ビザ代行業者によると
マレーシアのビザ申請件数は大幅に増え続けている。
(ビザ代行業者 担当者)
「1週間で受け付けた申請書です。
 100件以上あります。」
抗議活動が始まる前は3年間で700件程度だったのが
この4か月で2,000件近くに達した。
(ビザ代行業者 担当者)
「ビザ申請件数が伸びています。
 マレーシア政府の積極的な誘致と
 香港の問題(抗議活動の長期化)が理由です。」
マレーシアに移住することを希望している人たち向けの説明会。
マレーシアへの移住に特に強い関心を持っているのは小さな子どもを持つ人たちである。
家族で説明会に参加した石さん(37)。
小学生の娘2人の教育環境について詳しく尋ねる。
「大学はどんな教育制度ですか?」
(担当者)
「マレーシアはイギリス式
 留学もできます。」
「ということはイギリスの大学に進学できますね。」
今の香港では
高度な自治が認められているはずの一国二制度の根幹ともいえる自由が揺らいでいると
危機感を強めている。
(石さん)
「一国一制度あれば絶対香港にいたくない。
 二度と香港に戻らない可能性もあります。」
香港で専門学校と新館を経営する石さん夫婦。
抗議活動そのものは否定しないが
過激な暴力の応酬が毎日伝えられる状況は
子どもにとってもよくないと感じるようになった。
「あっ火事だ!」
「こんなことしちゃだめよ。」
子どもたちが寝静まったあと石さん夫婦はマレーシア移住に向け話し合った。
マレーシアに行けば安心して子どもに教育を受けさせることが出来ると感じている。
香港では実質 一国二制度は失われていると考え
できるだけ早く移住することを決断した。
(石さん)
「30年もしたら香港の自由なんてなくなります。
 子どもたちが大人になる頃には
 今とは全く違う香港になります。」
「香港のすべてをあきらめるのは本当に簡単ではないことです。
 でも子どもたちのために一歩を踏み出そうと考えています。」
マレーシア国内でも香港からの移住者にとって魅力的な環境の整備が進んでいる。
南部ジョホールバルで2年前に開校したイギリスのインターナショナルスクール。
生徒 約1,200人。
マレーシアにいながらイギリス出身の教員による授業を受けられると人気で
およそ20か国の生徒が通っている。
ジョホールバルには地元政府の誘致でインターナショナルスクールが20校近く進出。
今後 混乱が続く香港からの生徒の増加も視野に入れている。
地元政府は
香港からの移住者に向けた環境を今後さらに整備する予定だという。
(政府関連企業 幹部)
「香港では混乱が続き
 多くの人が移住先を求めています。
 マレーシアには多くのチャンスがあります。」
混迷を極める香港。
その移住者受け入れに積極的なマレーシア。
香港の人たちは故郷から離れざるを得ない厳しい事態に直面している。


 

コメント

電力の安定供給と経営者のあるべき姿

2019-10-28 07:00:00 | 編集手帳

10月6日 読売新聞「編集手帳」


富山、
黒部峡谷は色づき始める頃だろうか。
急峻(きゅうしゅん)を極めるこの地で発電用の巨大なダムの建設が始まったのは昭和31年のことだ。

難工事のさまは小説や映画でも知られる。
資材運搬のためのトンネルを掘削中、
大量の湧水に見舞われる。
毎秒数百リットル、
策はなく、
進退窮まる中、
一人の男が現場を訪れる。
関西電力初代社長、
太田垣士郎である。

高度成長期のとば口で電力は幾らでも必要な時代だったと『黒部の太陽』(木本正次著)は記す。
経営を揺るがしかねないダム計画を、
7割成功の見通しがあったら勇断をもって実行する、
と推進した。

当時63歳、
崩落も危ぶまれる坑道を落水にずぶ
濡ぬれになりながら奥まで歩いた。
「仕事をいいつけた僕が、
 行かないという法はないよ」。
丸2時間、
技師らを
労ねぎらい、
帰社後の幹部会議では
「全社が一体になって、
 鉛筆一本、
 紙一枚も、
 黒部の仲間に送るようにしてもらいたい」
と訴えたのだという。

半世紀以上も昔に世に出た名著には、
今に通じる先人の言行がつづられている。
電力の安定供給がどれほど大切か。
経営者のあるべき姿とは。
さまざま思いを巡らせる秋である。

 

 

コメント

中国の富裕層 日本の空気で“洗肺”ツアー

2019-10-27 07:00:00 | 報道/ニュース

10月3日 NHKBS1「国際報道2019」


中国で話題となっている日本へのツーリズム。
ツアーの目的は洗肺(せんぱい)。
きれいな空気を肺に取り込むという造語である。
日本の農村地帯を訪れて洗肺で心と体を浄化しようというツアーが
いま中国の富裕層の間で注目されている。

山口市阿東。
人口およそ5,500人。
稲作と農業が盛んな地域である。
8月上旬
中国から5組の親子11人が訪れた。
思い思いの場所を見つけて洗肺スタート。
深呼吸すること2分以上。
「とても新鮮。」
「稲に風が吹いてとてもいい音がする。」
ツアー客は中国の広州や南京など都市部に住む人たちである。
PM2,5などによる大気汚染が課題となっている中国。
そこで都市部に住む中国人の間で
健康のために日本の田舎の空気を味わう
洗肺ツアーが人気となっているのである。
「目や耳
 肌や花を通じても新鮮さを感じます。」
「日本と中国の田園地帯は違う。
 中国は農業機械がうるさくて変なにおいがする。」
ツアーを企画したのは阿東在住の中国人 郭さん(39)である。
中国人グループからの依頼を直接引き受け
この2年間で150人近くを案内してきた。
北京で生まれ育った郭さん。
阿東の自然にほれ込み17年前から住み続けている。
(郭さん)
「空気・水・山の恵み
 そういうものを感じてほしい。」
郭さんはこの旅を通じてツアー客に様々な体験をしてもらい
自然を感じる心を育んでほしいと考えている。
そんななか郭さんの目にとまったのが小学6年生の劉くん(11)。
「勉強は面白い?」
「勉強?
 考えさせて・・・。
 面白くない。」
受験競争が激しい中国。
都市部の子どもたちは毎日長時間の勉強を強いられている。
人口1、500万の大都市 天津に住む劉くんもその1人である。
私立小学校に通い
遅いときには夜10時まで机に向かう日々。
そんな勉強漬けの子どもたちのために
ツアーで用意されていたのが農作物の収穫体験である。
「これは体によさそうなニンジンだ。」
劉くんは
野菜が畑でどのように育てられ収穫されるか
これまで知らなかった。
「いつもどこでトマトを見てる?」
「市場で。」
(劉くんの母親)
「もっと食べ物や自然の恵みを大切にし
 感謝する気持ちを常に持ってほしい。」
郭さんのツアーに協力した地元の人たちにとってもこのツアーは新鮮なものとなった。
(あとう観光協会 理事長)
「我々が気づいていない美しい景色
 豊かな農産物をと生かせるチャンス。」
郭さんはこれからも中国に向け
日本の地方の魅力を発掘し発信していきたいと考えている。
(郭さん)
「この自然のよさ
 命を大事にする気持ちを彼らが理解し
 自分の答えを見つけてくれたらいいと思う。」



 

コメント

月島3丁目 あぺたいと

2019-10-26 07:19:39 | グルメ

 

 

             (食べログより)

  

月島駅から3分
勝どき駅から3分
勝どき駅から343m

 

http://www.apetaito.com/



コメント

ガンジー生誕150年 遠のく宗教間の融和

2019-10-26 07:00:00 | 報道/ニュース

10月2日 NHKBS1「国際報道2019」


“インド独立の父”として知られるマハトマ・ガンジーの生誕から150年。
ガンジーは非暴力・不服従の精神を貫いたことが有名だが
もう1つ強く訴えていたのが宗教間の融和である。
インドで国民の約8割を占めるヒンドゥー教徒と
少数派のイスラム教徒などが共存できる社会を目指していた。
しかしガンジーの死後から70年余がたった今
その精神は薄れつつある。

ガンジーの150回目の誕生日
出身地 西部グジャラート州の家には多くの人が集まり
その教えをあらためて心に刻んだ。
しかし訪れた人からは
インドではいまガンジーの教えが失われてきているという懸念も聞かれた。
「今のインドはガンジーが目指した世界とは異なる状況です。」
ガンジーが狂信的なヒンドゥー教徒に暗殺されてから70年余。
その教えと逆行する動きが広がっている。
特に
ヒンドゥー至上主義団体を支持基盤とするモディ首相が2014年に就任して以降
排他的な思想が台頭しているのである。
モディ首相もかつて所属していたヒンドゥー至上主義団体RSS(民族奉仕団)。
ヒンドゥー教に根付いた国づくりを目指し
メンバーは400万人を超えている。
(RSS代表)
「ヒンドゥー教の教えこそがこの国のアイデンティティーだ。」
その影響を強く受けたヒンドゥー教徒たちが各地で自警団をつくり
教義で神聖視する牛の保護活動をしている。
「牛の闇取引を撲滅しよう!
 みんな賛成か?」
「賛成!」
牛を違法に連れた異教徒がいないか独自にパトロール。
こうした自警団は全国で数百にのぼるとみられる。
(自警団の代表)
「ヒンドゥー教にとって牛は何よりも重要なものだ。
 政府の対応が不十分でも
 我々がやるだけだ。」
ヒンドゥー至上主義の先鋭化により暴力事件も増えている。
乳牛を育てているイスラム教徒のスレイマンさん。
去年7月
息子のラクバルさんがヒンドゥー至上主義とみられる男たちに暴行を受け死亡した。
(スレイマンさん)
「息子の遺体は体中の骨が折れていて
 とても直視できなかった。」
当時一緒にいた友人のアスラムさんは
暴行した男たちはイスラム教徒への敵意をあらわにしていたという。
(アスラムさん)
「彼らは殴りながら“こいつは牛を殺すイスラム教徒だ”と言っていた。
 殺すための牛ではないと説明しても
 聞く耳を持たず
 殴り続けた。」
アスラムさんはンとか逃げ出したが
ラクバルんは殴られ続け命を落とした。
(アスラムさん)
「今の政権になってした事件が増えた。
 モディ県下で宗教間の分断が深まった。」
ガンジーの教えを伝えているひ孫のトゥシャール・ガンジーん。
インド社会に不寛容ア広がっていることを強く危惧している。
(ガンジーのひ孫 トゥシャール・ガンジーさん)
「ガンジーを暗殺した憎悪の思想が社会や政治に受け入れられてしまっている。」
トゥシャールさんは
今こそガンジーの教えに立ち返り
国民が宗教の違いを超えてお互いに向き合うことが大事だと考えている。
(ガンジーのひ孫 トゥシャールさん)
「ガンジーは
 “異なる宗教について学び共通点を探すことがん減の義務だ”と言っていた。
 手遅れになる前に狂信的な思想を得なければならない。」





コメント

ノートルダム大聖堂 再建にかける思い

2019-10-25 07:00:00 | 報道/ニュース

10月1日 NHKBS1「キャッチ!世界のトップニュース」


5か月余前の火災で尖塔が崩れ落ちるなど大きな被害を受けた
フランスのノートルダム大聖堂。
マクロン大統領は5年以内の再建を目指すとしているが
崩落を防止するための補強工事が必要となるなど
多くの課題が残されている。
そうしたなか銅像の修復作業が職人の手で始まった。


フランス南西部にあるぺリグー。
ローマ時代から栄えてきたこの歴史ある街に小さな工房がある。
38人の職人を抱え
ベルサイユ宮殿や世界遺産モンサンミシェルの銅像などの修復を手掛けてきた。
長年工房で技術指導を行ってきたパトリック・パレムさん。
そのパレムさんのもとにノートルダム大聖堂の火災から1か月後
大聖堂から1体の銅像が送られてきた。
崩れ落ちた尖塔の上に取り付けられていた風見鶏である。
(パルムさん)
「ここを見ると落下時の衝撃の強さがわかります。」
1860年に作られた風見鶏の重さは約8kg。
地面ではなく北側の屋根に落ちたことで奇跡的に無事だった。
しかし落下の衝撃で形が変形し
炎で一部が赤く変色していた。
風見鶏に入っていたのは銅製の筒。
その中にはノートルダム大聖堂を象徴する
あるものが収められていた。
十字架にかけられたキリストが被っていたとされる“いばらの冠”。
そのいばらの1つが風見鶏に入れられていたのである。
“聖なる力で
 パリの人々を守ってほしい”との願いからだった。
(工房「ソクラ」名誉会長 パトリック・パレムさん)
「とてもうれしい驚きでした。
 失われたと思っていたので
 言葉にできない感情がこみ上げました。」
火災で失われずに済んだのは風見鶏だけではなかった。
(パルムさん)
「これが12体の聖人像です。
 火災の数日前にここに運び込まれました。」
無事だったのは尖塔の周りに置かれていた聖人や天使の像など合わせて16体。
風見鶏と同じころに作られたものである。
大聖堂では
去年から総額170億円
10年がかりの大規模な修復が始まっていた。
銅像は火災のわずか4日前に屋根から降ろされ
危うく難を逃れている。
工房で9月から始まった銅像内の部品を修復する作業。
パレムさんは修復する上で何よりも大切にしているのが
ボルト1本にいたるまで
当時のものを最大限に再利用することである。
「これは160年前に作られたものです。」
19世紀の部品の多くは今では使われない手法で作られている。
劣化していない部品を再利用することで
160年前の優れた技術を次の100年に伝え残そうとしているのである。
(パルムさん)
「ひびひとつない素晴らしい仕事です。
 現代の技術で代替できるとしても
 当時の知識を残していくことが大切なのです。」
修復作業の1つの柱が
長年酸化で青緑になった表面を元に戻すことである。
酸化した表面を削ったあと薬品を塗っていくと色が変わっていく。
その成分は19世紀に使われていたものと同じである。
工房では像が作られたときの色を見極めるために
政府の担当者や建築家とともに試行錯誤を重ねてきた。
候補となったのはおよそ10パターン。
検討の結果 
濃い茶色が本来の色に最も近いと判断された。
(職人)
「私たちは昔の手法と全く同じ手法を用いています。
 なぜなら長い年月をかけて有効だと証明されているからです。」
9月21日
パリのフランス文化省で
風見鶏をはじめ4体の銅像が市民に公開された。
会場には2日間で8,000人余が足を運んだ。
(市民)
「これは奇跡です。
 焼け跡から立ち上がる象徴です。」
「すべてのフランス人とキリスト教徒のシンボルであり
 希望につながります。」
大聖堂の再建に先駆けて始まった銅像の修復作業。
ノートルダムの歴史を伝え残す
真摯な取り組みが続いている。




コメント

原発による資金の闇

2019-10-24 07:00:00 | 編集手帳

9月28日 読売新聞「編集手帳」


降旗康男監督『日本の黒幕』(1979年)は、
ロッキード事件をヒントに作られたことで話題になった。
政財界から暴力団にまでにらみをきかす主役は名優の佐分利信さんが演じた。

この映画、
タイトル中の「黒幕」を「フィクサー」と読ませる。
英語を直訳すれば「紛争の調停者」だが、
日本では昭和から平成にかけての汚職・経済事件で、
裏に潜み各界のつなぎ役となる人物をそう呼ぶことが多かった。

昔話ではないことに驚く。
最近までそのような実力者を頼った大企業があるらしい。
原子力発電所が立地する福井県高浜町の元助役(今年3月に90歳で死去)と、
関西電力である。

会長、社長を含む幹部ら20人が昨年までに総額3億2000万円相当の金品を、
元助役から受け取っていたことが分かった。
「町の有力者で助言や協力をいただいた。
 関係が悪化すると事業に悪影響が出るかと思い、
 (金品を)返せなかった」
 (岩根茂樹社長)。
そこはかとなく畏怖が漂っている。

かつて事件記者のはしくれだった身には、
不穏な懐かしさがこみ上げる。
原発をめぐって地域に投下される資金のヤミがのぞいた。


コメント

復興の笑顔

2019-10-23 07:00:00 | 編集手帳

9月26日 読売新聞「編集手帳」

 

人柄を端的に言えば、
ゲーテは前向き、
カフカは後ろ向きな人だったという。
翻訳家の頭木弘樹さんが著書の中で、
ふたりの文学者の言葉を比べている。

<人の感情で最も高貴なのは希望です。
 運命がすべてを無に返そうとしても、
 それでも生き続けようとする希望です>
 ゲーテ。
<僕は自分の状態に果てしなく絶望する権利がある>
 カフカ。
どちらが心に響くでしょうかと、
頭木さんは問うている。
(『絶望名人カフカ 希望名人ゲーテ』草思社)

苦しい思いをした人には答えづらい問いだろう。
希望が胸を膨らませたからといって、
絶望が消えるわけではない。

東日本大震災の被災地、
岩手県釜石市でラグビー・ワールドカップの試合が行われた。
会場の「釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアム」は津波で全壊した小中学校の跡地に建てられた。
肉親を奪われ、
泥砂をかきわけ遺品を探す――
無慈悲な災害に絶望の底に落とされた街の記憶をまといながら、
きのう午後2時15分、
緑鮮やかな芝の上でホイッスルが鳴った。

活気づく街の人々の笑顔をテレビで見た。
先の問いであれば、
むろん響き渡るのはゲーテの言葉だろう。

 

コメント

アパレル “カリスマたち”の新戦略

2019-10-22 07:00:02 | 報道/ニュース

9月25日 NHK[おはよう日本」


カリスマ店員というと魅力的なコーディネートを提案してくれるが
いま新しい売り方で販売を伸ばしている。
全国に24店舗を展開するアパレルブランド。
上杉美穂さんは年間5,000万円を売り上げるカリスマ店員である。
カリスマの秘訣は
暇を見つけては最新のコーディネートに着替えること。
そしてスマホで撮影して自身のインスタグラムにアップする。
おすすめの着こなしを発信することで
SNSなどからの売り上げは1,000万円に達している。
(アパレルショップ店員 上杉美穂さん)
「スマホの画面越しの接客が
 今の時代 大切になってきていると感じます。」
上杉さんのフォロワーは約3万人。
服だけでなく髪形など日頃のおしゃれも紹介していて
親近感がわくよう工夫しているという。
旅先の姿も・・・。
(上杉さん)
きれいな海でお魚もたくさん見えました。
すばらしい接客に美しい景色。
佐渡良いところをまた知ることが出来ました。
とコメントすると
(フォロワー)
着てるお洋服可愛すぎます!!
ネットでも買えますか?
と返事が送られてくる。
(アパレルショップ店員 上杉美穂さん)
「コスメとか食べ物とか はさむようにして
 お客様の興味を引くよう気をつけている。」
会社ではSNSの発信を従業員に任せているが
こうした取り組みに手当を支給しているということである。
さらにフォロワーがSNSを経由して服を購入できる仕組みも構築。
従業員がネットを介して直接売り上げたデータはアプリに記録され
ボーナスに反映されている。
(アパレル運営「パル」執行役員)
「SNSで発信して
 いいものを伝えていくことがやれる時代になったのが大きい。」
こちらの会社ではライブで客とつながることで販売を伸ばそうとしている。
お店に並ぶ前の最新商品をいち早く配信している。
「ことし流行りのマーメイドスカートで今っぽく着てもいい。」
ライブを見ているのは約2,000人。
次々と寄せられるコメントに応えていく。
(寄せられたコメント)
25歳は大人っぽくロングですかね?
「大人っぽくだったらロングのぽうがいい。」
客がお気に入りをすぐに購入できるこの仕組みは
順調に売り上げを伸ばしている。
(「ナイスクラップ」ネット販売担当 )
「メリットは不特定多数のお客様に一気におすすめができる。
 気軽な質問も受け答ええきるので
 満足度につながればいい。」



コメント

地球を元に戻して

2019-10-21 07:00:00 | 編集手帳

9月25日 読売新聞「編集手帳」


作家の岡本綺堂が、
「雷雨」と題する随筆に夕立が嫌いになったと書いている。
昔はせいぜい20分ほどだったのに、
この頃はいつまでもじめじめと降る。
またたくまに雲が去り、
夕日が照り、
セミが鳴くこともなくなったと。

1930年代発表の文章という。
<蒸し暑く陰鬱で、
 こんな夕立ならば降らないほうがましだ>。
雨の降り方がどうもおかしいというつぶやきは現代人も肌身に感じるところだろう。

産業化の影響で20世紀、
大気の二酸化炭素濃度は急カーブで上昇した。
気象科学に無縁の綺堂の感想にすぎなくとも、
その時代にも温室効果ガスは増え続けており、
無関係とは言えまい。

1時間に100ミリを超える雨が降った、
秒速50メートルの風が吹いた――今がおかしいのではなく、
百年も前からおかしいのかもしれない。
気候異変を止められるだろうか。
世界の首脳が集う気候行動サミットで、
多くの国が温室効果ガスの増大がもたらす変化への強い危機感を表明した。

夕立を好きになれるような地球に戻してもらいたいものだが、
今回も、
米、中両国は消極的な姿勢を崩さなかった。
大国がまだ20世紀にとどまる。


コメント

“グレタに続け” 立ち上がる若者たち

2019-10-20 07:00:00 | 報道/ニュース

9月24日 NHKBS1「国際報道2019」


地球温暖化を止めようと起ち上がっている世界の若者たちの中心にいるのが
スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさん(16)である。
毎週金曜日に学校を休んで温暖化対策を訴える活動を続けて
世界の若者たちにとってカリスマ的な存在になった。
グレタさんが出席するサミットを盛り上げようと
9月20日に各地でデモが開かれた。
150か国以上でティーンエイジャーたちを中心に400万人超が参加。
グレタさんがたった1人で始めた抗議活動は世界中に広がっている。
若い世代の熱意は
現在 温暖化対策に消極的なアメリカにも波及して
ニューヨークでは25万人を集める過去最大規模のデモとなった。

8月ニューヨークに到着したグレタさんを出迎える2千人を超える人たち。
ひと際熱い視線を送る若者がいた。
高校2年生のカルビン・ヤンさん(17)である。
(カルビン・ヤンさん)
「グレタさんは皆を動かした張本人です。
 彼女の姿を見て
 できるだけ早く大きな動きを起こしたいと思いました。」
以前から環境問題に関心を持っていたヤンさん。
しかし仲間が少なく活動に限界を感じていた。
そんな時にソーシャルメディアで出会ったのが
グレタさんがたった1人で始めた抗議活動だった。
同じ10代の少女の主張が瞬く間に世界に広がる様子を目の当たりにし
大きな力をもらったという。
(カルビン・ヤンさん)
「これまで10代は世界に何も意見できないと思い違いをしてました。
 僕たちは気候変動の影響を大きく受ける初めての世代です。
 だからこそ自分たちの未来のために闘うんです。」
グレタさんの活動をなんとか後押ししたい。
ヤンさんが仲間とともに機器くしたのが
国連温暖化サミットを盛り上げるための
史上最大規模のデモだった。
当初10人にも満たない生徒で立ち上げた実行委員会。
ソーシャルメディアなどで拡散され
しだいにニューヨーク中から若者が集まり始める。
「毎月20日のデモを告知するプラカードを首から下げて宣伝することにした。」
この日ヤンさんたちは高校生にとって重要なある課題について学校側と話し合った。
平日にデモの参加することにためらいを感じる生徒たちのために
授業を休むことを正式に許可してほしいと訴えたのである。
「将来 自分の子どもやそのまた子どもに
 ひどい環境で生活させたくありません。」
(教師)
「管理する側の私にとって難しいのは授業とのバランスだ。」
ヤンさんたちの世代にとって温暖化問題がどれだけ大事なことか
これまで学んできた知識をもとに説得した結果
学校を欠席する許可を得ることが出来た。
(学年主任)
「学校を休むことは犠牲を伴うと話したが
 犠牲を払ってでもやる価値もある。
 生徒たちやさらに若い人々が
 気候変動のことを考え世の中を変えようとしているのを見て
 私自身の意識も変わってきたと感じる。」
ヤンさんたちの熱意は行政をも起こした。
ニューヨーク市や市内の公立学校に通う110万人の児童や生徒に
デモ参加のための欠席許可を出したのである。
デモ前日 最後の準備を進めるヤンさんは手ごたえを感じていた。
(カルビン・ヤンさん)
「明日のために頑張ってきたのでワクワクしています。
 12万人以上は来ると思う。」
そして迎えた9月20日。
「僕たちは止められない!
 もっと良い世界にできるはずだ!」
デモには10代を中心に就学前の子どもまで
予想を超える25万人もの若者が集まった。
(12歳)
「ひとつしかない地球を救うために来ました。」
(17歳)
「地球を守る法律を作ってほしい。」
集会のクライマックス。
グレタさんが登場し盛り上がりは最高潮に。
(グレタ・トゥーンベリさん)
「世界の指導者に行動させます。
 私たちは成し遂げます。
 彼らが望もうと望むまいと変化は起きます。」
温暖化対策に消極的なトランプ政権のアメリカで
変化を求めて動き始めた若者たち。
大人たちが行動を始めるまで
訴え続ける決意である。

 

コメント

豊田スタジアムに“復興芝生”

2019-10-19 07:00:00 | 報道/ニュース

9月24日 NHK[おはよう日本」


ラグビーW杯の会場の1つ
愛知県の豊田スタジアムで使われている芝生は
8年前の東日本大震災の被災地で生産されたものである。

9月23日
最初の試合となるウェールズ対ジョージア戦が行われた豊田スタジアム。
その会場を特別な思いで訪れた男性。
大坪征一さん(79)。
宮城県山元町で芝生を生産する会社の社長である。
(大坪征一さん)
「夢心地。
 手塩にかけたものを使ってもらってありがたい。」
ふるさとの山元町は8年前の東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた。
荒れ果てた土地を緑に変えて
復興の象徴にしたい。
大坪さんは地元の人たちとともに震災の翌年から芝生の栽培を始めた。
名づけて“復興芝生”。
激しいプレーにも耐えられると高い評価を得て
W杯会場の豊田スタジアムで採用。
大会で使われる芝生は今年6月 スタジアムに敷き詰められた。
そしてついに初戦を迎えた。
自身も60年以上ラグビーをプレーしている大坪さん。
震災後の8年の思いとともにこの時を迎えた。
(大坪征一さん)
「被災した土地を復興したいという心境。
 キックオフが待ち遠しい。」
大坪さんが見守るなか試合が始まった。
屈強な戦士たちが走り回り
スクラムで力の限り押し合った。
復興芝生の上で激しい戦いが続いた。
(大坪征一さん)
「こける人がいなかった。
 まっすぐ走っていた。
 ステップ踏んでもしっかり走りきっていた みんな。」
80分間
自らが育てた芝生が世界レベルのプレーの足元を支えた。
試合後 選手たちも復興芝生に太鼓判を押した。
(ジョージアの選手)
「すばらしかったです。
 良い仕事をしてくれていると思いました。
 言うことなしですよ。」
(大坪征一さん)
「内心ハラハラしていたが
 思っていたより芝生が良かった。
 みんなが一体となって夢を実現した。
 みんなで分かち合いたい。」
 

 

コメント

インド 官民一体でめざす「スポーツ大国」への道

2019-10-18 07:00:00 | 報道/ニュース

9月24日 NHKBS1「キャッチ!世界のトップニュース」


13億の人口を抱え
堅調な経済成長を続ける大国インド。
一方で長年振るわないのがスポーツの分野である。
インドは1947年の独立以降これまで18回オリンピックに出場しているが
獲得したメダルは射撃やレスリングなどの種目でわずか23個にとどまっている。
そんな状況を変えようと
インドではスポーツ振興が進められ
少数民族に光を照らす動きにもつながっている。

インドの人々にとってスポーツと言えばクリケット。
週末には大勢の人が楽しむ。
18世紀にイギリスから持ち込まれたクリケットは
インドの国民的スポーツである。
しかしインドではクリケット以外スポーツ自体あまり行われず
世界で競える選手は少ないのが実情である。
そうしたなかスポーツ全体のレベルを上げようと
モディ政権が5年前に立ち上げたのが選手強化プログラム
「オリンピック表彰台目標計画」である。
将来メダルを狙えそうな選手に対し
トレーニング費用を国が全て負担するというもの。
いまは全国から88人が選ばれている。
そのうち最も人数が多いのが射撃。
射撃は
2008年の北京五輪でインド選手が個人初の金メダルを獲得したことで
人気が高まりレベルが上がった。
強化選手の1人 マヌー・バーカーさん。
今年すべてのワールドカップで優勝し
東京オリンピックへの優勝を決めた若手のエースである。
(強化選手 マヌー・バーカーさん)
「インドは裕福でない人が多く
 援助がなければ射撃の用具も買えません。
 金メダルを取りたいです。」
インド政府は来年の東京オリンピックで過去最高の6個以上のメダルを目標としている。
さらに2032年のオリンピック招致も見据えているという。
(スポーツ局 サンディップ・プラダーン局長)
「どの国でもスポーツは重要です。
 2032年にはスポーツ大国になることを目指します。」
インドのスポーツ振興は近年 政府だけでなく民間でも盛んになっている。
元オリンピック選手が先頭に立ちIT企業などの支援で作られたトレーニング施設。
選抜された選手や一般の人まで幅広く利用することが出来る。
運営する団体は南西部や沿岸部など5か所に施設をオープン。
今後も全国に施設を増やしていく予定である。
さらに今スポーツの力が差別に苦しむ少数民族の希望につながっている。
インド南部のカルナータカ週にある集落。
ここで暮らすのはアフリカ系の民族“シッディ”の人々である。
7世紀ごろに奴隷や兵士としてインドに渡り
奴隷制度廃止後そのまま定住。
今では5万人以上のシッデイがこの地域を含め限られた地域で暮らしている。
外見の違いなどから今でも差別を受けることがあるという。
カマラ・ミンゲル・シッディさんも幼い頃から差別に直面してきた。
「周りの人に“ゴリラ”とからかわれて
 悲しくて泣きそうになりました。」
32年前そんな彼らの運命を変える出来事があった。
インド政府はアフリカ系のシッディの人々の身体能力に注目し
世界で通用するスポーツ選手に育てる政策を始めたのである。
走るのが得意だったカマラさんは12歳の時その選抜メンバーに加入。
トレーニングの結果
ハードルや走り幅跳びなど陸上競技のインド代表として
国際大会で次々とメダルを獲得したのである。
(カマラ・ミンゲル・シッディさん)
「インドの代表になれて誇らしい気持ちでした。
 インド代表の服を着るとインドのために頑張ろうという気持ちがわいてきます。
 すべてが変わりました。
 仕事に就き
 尊敬され
 多くを得ました。」
しかし政府の方針の転換でプログラムはわずか6年で終了してしまった。
それから23年。
再びシッディの子どもたちを世界レベルのアスリートに育てようと
地元NGOが動き出した。
現在の選抜メンバーは地元の貧困地区で暮らす10代の若者15人。
8人がシッディの若者である。
(選抜メンバー)
「ボルト選手が好きです。
 夢は五輪に出て金メダルを取ることです。」
かつての自分たちのようにスポーツで自分たちの人生を変えてほしい。
カマラさんはNGOと協力しながら子どもたちに自分の経験を伝えている。
(カマラ・ミンゲル・シッディさん)
「自分の子どものころを思い出します。
 将来 彼らがオリンピックに出場し
 自分たちのことを誇りに思ってほしいです。」
広大なインドの各地で進むさまざまなスポーツ振興。
人口13億を超える大国が今
スポーツによって変わろうとしている。
 


コメント