10月8日 おはよう日本
乳がんで治療中のフリーアナウンサー 小林麻央さん。
小林さんは9月から
闘病中の思いをつづったブログをインターネットで公開し
この1か月で169,000件を超えるコメントが寄せられるなど
大きな反響を呼んでいる。
小林さんと同じくく乳がんの治療を受け
ブログとの出会いをきっかけに職場復帰を果たした女性がいる。
北海道釧路市に住む赤尾千草さん。
小学6年と中学3年の2人の子どもを夫とともに育てながら
看護師として働いてきた。
今年6月 がん検診で左の胸に白い影が見つかった。
精密検査の結果は乳がんだった。
(赤尾千草さん)
「まさか乳がんというのは想像もしていなかった。」
(長男 竜将さん)
「あんまり実感がなかった。
もしかしたら死んじゃうのかなみたいな。」
(長女 有優奈さん)
「大丈夫かなって
すぐ治るのかなと思ったりした。」
早い段階で見つかったが転移のおそれを無くしたいと
8月に左の乳房を全て摘出。
手術後ホルモン剤による治療が始まった。
本当の戦いはここからだった。
副作用で夜眠れず
食欲が減り
体重は5キロ以上減った。
抑うつ気味になり起きられないこともあった。
家族に心配をかけたくないと普段どうりにふるまおうとするなかで
孤独感だけがつのったと言う。
(赤尾千草さん)
「自分をわかって
今のつらさをわかってくれるのは周りにいないのかと
気持ち的に弱っていた。」
職場に復帰する予定だった9月1日
体調が回復しなかった赤尾さんはソファーに横たわったままインターネットを見ていた。
そのとき目にしたのが
まさにこの日から公開が始まった小林麻央さんのブログだった。
そこには同じく乳がんと診断されてからの率直な思いがつづられていた。
私は
力強く人生を歩んだ女性でありたいから
子供たちにとって強い母でありたいから
ブログという手段で
陰に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました。
(赤尾千草さん)
「自分がいちばん気持ちが沈んでいた時だったので
本当に印象的な“がんの陰に隠れないで”という
同じような気持ちでいる人の言葉を聞けて
自分ももう一度考え直してみようと思って。」
副作用があるなかで
仕事をこなせるのかという不安と
復帰したいという思いで揺れ動いていた赤尾さん。
ブログをきっかけに一歩踏み出そうと決意し
手術から約2か月後ついに職場復帰を果たした。
まだ痛みはあるが
仲間に支えられながら
できることからやっていこうと考えている。
10月2日 10月が乳がん月間になっているのに合わせて市内の病院で集会が開かれた。
この中で赤尾さんは
小林さんの言葉が背中を押してくれたという思いを語った。
(赤尾千草さん)
「麻央さんは
“がん患者というアイデンティティーでいっぱいになり
がんに隠れている自分がいた”と言葉にしていた。
自分はどうなのか
周りのやさしさに甘えているのかもしれない。
自信がないならどうすれば自信が持てるようになるのか
自分に問いかけてみた。
そこで一歩踏み出してみようと気持ちを切り替えることにした。」
薬の治療はこれから数年間続くが
前を向いて行こうと考えている。
(赤尾千草さん)
「たった1人になったような
誰もわかってくれないような気持ちになった時期もあったが
それが小林麻央さんのブログで
会ったことはないけれどもどこかでつながっていることを感じさせてくれた。
また何か自分でできることがあれば
逃げずに
積極的に参加したり
チャレンジしたり
なるべく前向きに生きていきたいと思っている。」
10月7日 おはよう日本
今年6月 モンゴルと日本の間で経済連携協定EPAがスタートした。
今後10年以内にほぼすべての品目の関税が撤廃され
活発な貿易が期待されている。
モンゴル ウランバードルにある衣料品店。
中国や欧米など世界各地の観光客でにぎわっている。
店内に並ぶのはモンゴルが世界2位の生産量を誇るカシミヤ製品である。
特に人気なのがカシミヤ100%のコート。
高い品質と手ごろな値段で日本人にも人気である。
こうしたモンゴルのカシミヤコートは
6月のEPA発効で日本に輸出される際の関税が0になった.
日本への輸出増加を見込んで
モンゴルのカシミヤ工場には関西の会社から視察に訪れている。
(関西から来た経営者)
「結構いいものがある。
世界ナンバーワンだと思います。」
しかしモンゴルのカシミヤメーカーには
高級なコートの材料となる繊細な生地を加工する技術はない。
実は生地の加工は大阪の会社に頼っているのである。
毛織物の産地 大阪泉大津市の会社である。
創業126年
ウールやカシミヤなど約10種類の天然毛織物の加工を手掛けている。
モンゴルのメーカーの目に留まったのは
100年近く続く熟練の技術である。
使うのは50年近く使われている機械。
ローラーに付いた無数の針で生地の糸を1本1本引っ搔いて毛羽立たせ
柔らかな手触りを生み出していく。
職人は糸のより方や部屋の湿度などをこまめにチェックして
ローラーを押し当てる強さを調整する。
(加工職人)
「しょっちゅう見ないといけない。
もう難しい。」
社長の柴原正志さんは
安い海外製品に押されて地元の同業者が減るなかでも
熟練の技術を守り続けてきた。
(柴原正志社長)
「品質だけは絶対世界にも負けませんから
それを残していく。」
こうした技術が見込まれて
モンゴルのカシミヤメーカーから直接取引の申し込みがあったのである。
大阪の会社の技術によって
モンゴルのメーカーは質の高いカシミヤのコートを完成させることができた。
5年後には去年の実績の10倍となる10万着のコートを生産して
世界トップのシェアを狙う。
(カシミヤメーカー ロウサン・アリウン副社長)
「大阪の技術を取り入れて
世界と競争できるいいものを作りたい。」
カシミヤの委託加工を始めたことで
大阪の会社の業績は1割アップ。
EPA発効も後押しして
モンゴルのメーカーからは早くも来年以降の注文が入ってきている。
(柴原正志社長)
「最初は見本からスタートしたので
これだけの量の仕事ができるとは考えなかった。
もとどんどん深い関係
量も増やさないと
品質にしても向こうの望むものをこちらも努力してやっていかないと。」
モンゴルと大阪の熟練の技術で目指す世界一のカシミヤ。
EPAの発効でビジネスチャンスが広がっている。
10月21日 編集手帳
ラガーマンを見つめて、
松任谷由実さんの『ノーサイド』は歌う。
♪ 何をゴールに決めて
何を犠牲にしたの
誰も知らず…
全国高校ラグビーの決勝戦に想を得たと伝えられるが、
歌が世に出た1984年(昭和59年)はその人が同志社大学で大学選手権史上初の3連覇を果たした時期でもある。
華麗なステップと甘いマスクを歌詞に重ねた聴き手も多かったにちがいない。
誰も知らず…歌のとおりだろう。
選手として、
指導者として、
戦いにつぐ戦いのなかで人知れず、
みずからの健康を犠牲にしていたのかも知れない。
「ミスター・ラグビー」平尾誠二さんの訃報を聞く。
男盛りの、
まだ53歳である、
「スクラムがなんぼうまくてもトライは取れない」。
神戸製鋼では次々とパスをつなぐ独自の“神鋼ラグビー”を作り上げた。
平尾さんの名前を聞くたびに浮かんでくる歌がある。
〈ジャージーの汗滲(にじ)むボール横抱きに吾(われ)駆けぬけよ吾の男よ〉(佐佐木幸綱)。
それにしても、
駆けぬけるのがあまりに早すぎた。
楕円(だえん)形のボールは転がる方向の予測がつかない。
人生に似ている。
とは知りながら、
さりながら。
10月7日 おはよう日本
ペットフードの改良や医療の進歩で
犬の平均寿命が延び
高齢化が進んでいる。
こうしたなか長生きしてほしいという飼い主がいる一方
各地の動物愛護センターには高齢を理由に収容される犬が後を絶たず
引き取り手が見つからなければ殺処分の対象となる。
そうした高齢の犬、老犬を救い
最後まで世話をしようという動きが名古屋市で広がっている。
白内障が進み目が見えなくなったミニチュアダックスフンド。
足腰が弱ったシーズー。
かつては人気を集めたペットの現在の姿である。
推定年齢15歳あまり
人で言うと80歳を超える老犬たちである。
去年 名古屋市内に作られた老犬シェルター。
年老いた犬に静かに余生を送ってもらおうとNPO団体が運営している。
ほとんどの老犬が殺処分になるところを救い出されてやってきた。
(NPO「ファミーユ」代表 熊崎純子さん)
「余命あとわずかかもしれないし
何年生きるかわからないけど
私たちが愛情を込めて終生看取ってあげたいなと。」
老犬の世話は大変なことが多くある。
急病にかかっている犬は頻繁に体を消毒しなくてはならない。
また免疫力が弱いため
こまめに犬小屋を掃除する必要がある。
ボランティアのスタッフが交代で世話をしている。
エサやトイレシートなど
個人や寄付で賄っているものもあるが
今後さらに犬の数が増えると難しくなってくるのが人手の確保だと言う。
(NPO「ファミーユ」代表 熊崎純子さん)
「毎日2~3人をボランティアで埋めるというのは結構大変。」
このため老犬を最後まで預かってもらう“看取りボランティア”の募集を
去年12月から始めた。
この思いに賛同し
老犬を預かることにした男性がいる。
早川静英さん(81)。
預かるのは人の年齢に当てはめると早川さんと同年代になるビーグルのプリンス。
時間に余裕ができて犬を飼いたいけれど
最後まで面倒を見られるのか自信がなく我慢している高齢者は多いという。
看取りボランティアには
そうした高齢者に一時的にでも老犬を預かってもらおうという狙いがある。
(早川静英さん)
「我々の年ではもう責任持てないから。
15年も前飼っていた犬は生きた。
次また15年飼うのはちょっと無理なんじゃないか。
無責任なことになっちゃうので。
老犬ならいい勝負です。」
散歩が大好きなプリンス。
毎日外に連れ出さなければならない。
プリンスの世話をすることで早川さんの生活にも張りが出てきたという。
(早川静英さん)
「散歩に行かなきゃとかいろいろ思惑しながら帰って来る。
それだけでも楽しい。
今度はどのコースを行こうとか。
散歩に連れていくと表情には出ないけどうれしそう。
足取り見てるとわかる。
この子がいると癒されるというのは絶対にある。」
NPO団体は
看取りボランティアが万が一飼えなくなった場合には
犬を再びシェルターで預かる体制を整えている。
10月6日 おはよう日本
高知県南国市の牧場。
約70頭のヤギを飼育している。
牧場主の川添健太郎さんは
牛乳アレルギーのある人でもヤギのミルクなら飲める可能性があると知り
ヤギの飼育に力を入れている。
独特のにおいがあるヤギのミルクを飲みやすくするため
エサを工夫。
無農薬で栽培した牧草にコメを混ぜるという独自の方法を編み出したことで
ミルクの臭みが消え飲みやすくなったと言う。
(川添健太郎さん)
「おいしいが前提だが
そのうえで例えば健康にいいとか
アレルギーが少ないということが付加価値としてあれば
自信を持って勧められるので
皆さん飲んでいただきたい。」
なぜ牛乳アレルギーのある人でもヤギのミルクなら飲める可能性があるのか。
宮崎大学農学部の川原聡教授は
秘密は含まれる成分にあるという。
ヤギのミルクと牛乳を比較する実験。
「ミルクの主成分のタンパク質を分離していきます。」
まずアレルギーの原因になる物質をとり出すため遠心分離器にかける。
約15分後 液体からタンパク質をとり出した。
このたんぱく質を青色に着色したあと
特殊な機械に入れさらに細かい成分に分ける。
実験の結果
牛乳の青色の部分はαs1カゼインという物質で
牛乳アレルギーの原因になる物質の1つである。
ヤギミルクには色が付いておらず
この物質が含まれていないことがわかる。
川原教授は
牛乳アレルギーの原因がαs1カゼインの人は
ヤギミルクを飲める可能性があると指摘している。
(宮崎大学農学部 川原聡教授)
「牛乳が飲めないことによる栄養摂取のハンディキャップを
ヤギのミルクで補うことができる。
牛乳の代替品としての可能性は非常に高く
有望な食品の1つ。」
牛乳アレルギーの対策品としての需要を見込み
ヤギのミルクの販売に乗り出した会社もある。
94年続く乳業メーカーである。
臭いを抑えて飲みやすくした川添さんの牧場のミルクを仕入れて商品化した。
就職活動の一環で工場の見学に訪れた大学生からの評判も上々である。
(大学生)
「そんなに臭いもきつくないし飲みやすい。」
「アレルギーの人がいろんな乳製品を食べられるようになったらいいと思う。」
(ひまわり乳業 吉澤文治郎社長)
「いま全国で牛乳アレルギーで悩んでいる人が本当に多くて
牛乳の商売をやっているのでよくわかる。
全国の悩んでいる人にいきわたるよう頑張っていきたい。」
牛乳アレルギーのある人に一定の効果があることがわかってきたヤギミルク。
その可能性に期待が高まっている。
10月5日 おはよう日本
登山道などを駆け抜けそのスピードを競うトレイルランニング。
ここ数年人気が高まり競技人口が増え続けている。
その一方で登山者との間でトラブルが生じるという課題も浮かび上がってきてる。
イギリス発祥と言われ
日本でも10年ほど前から広がり始めたトレイルランニング。
凸凹した山道を疾走するスリルや
次々と変化していく景色を楽しめるのが魅力である。
(トレイルランナー)
「つらい上りを登り終えて
振り返ったときのあの景色を見るとまたやりたくなります。」
ここ数年で人気は急上昇中。
専用のグッズも発売されるようになり
競技人口は20万を超えた。
(店員)
「ここ2~3年で商品のバリエーションが増えて
30代から40台50代の方も幅広くいらっしゃいます。」
開催される競技会も増えており
今では北海道内だけで年間15に及ぶ。
しかし競技人口の増加にともなって新たな課題が浮かび上がってきた。
同じ登山道を利用する登山者との間でのトラブルである。
トレイルランニングを始めるランナーの中には
登山のマナーを知らない人が少なくない。
(登山者)
「登山は普通は上り優先が原則だけども
トレイルランニングの人は上り優先もない。
バーッと走ってきちゃうからちょっと危ない。」
「『どけどけ』というような感じで下りて来る。
僕らがよけたりしますけれども
そういうのをよけないでスッと横をすれ違っていくこともあります。」
札幌近郊でトレイルランナーのマナー改善に取り組むグループがある。
105名のメンバーが所属する「北海道トレイルランニングクラブ」である。
荷物をしょって歩く登山者からトレイルランナーがどう見えるのか。
メンバーの中でランナー役と登山者役に分かれて
シュミレーションをするなどの活動を続けてきた。
活動を通してこのクラブで徹底することにしているマナーがある。
まず登山者を追い抜く場合
①近づいたら走るのをやめ後ろについて歩く
②そして登山者が気付いたらひと声かけてから歩いて追い抜く
次に対面でのすれ違いの場合も
①登山者に近づいたら走るのをやめる
②すれ違ったら登山者と1m以上離れてから走り出す
(北海道トレイルランニングクラブ代表 竹田渉さん)
「せっかくこれだけ豊かな自然で
皆さんが一緒に楽しめる場所があるので
大きくトラブルになる前に
トレイルランナーが自らマナーを徹底していくことが一番大事かなと思っています。」
競技人口が急増するトレイルランニング。
今後 普及が進むかどうかは
競技者の間でマナーを徹底できるかどうかにかかっている。
神奈川県では登山者とのトラブルが原因で
トレイルランニングが禁止されることになった場所もあるということである。
どのように普及を進めていくのか
試行錯誤が続いている。
10月5日 おはよう日本
伝統工芸の盛んな金沢市では
工芸作家たちが変化を求めて新しい作品づくりに挑んでいて
海外への販路を拡大も目指している。
新幹線開業後 外国人観光客が急増した金沢。
いま熱い視線を集めているのが日本の伝統工芸の技術を生かしたアクセサリーである。
「とても繊細ですごく良い。」
なかでも最近特に売れ行きを伸ばしているのが金沢伝統の加賀ゆびぬきである。
細工をする人が減り
ゆびぬきを日常的に使う人が減少。
そんななか製作者の大西由紀子さんは
色彩鮮やかな加賀ゆびぬきの魅力を生かして
アクセサリーに転用することを思い付いた。
新幹線の開業前に比べて売り上げは倍増。
以前はほとんど訪れなかった外国人観光客に今ではほぼ毎日売れているという。
(加賀ゆびぬき作家 大西由紀子さん)
「海の向こうのお客さんに
これなら自分も使えるかなと受け入れてもらえると思うとすごくうれしい。
どんどん広まっていって
世界中の人に愛されるようなものになるといい。」
そして伝統工芸の技術が使われている照明。
材料はのし袋などに使われる水引である。
製作した水引細工の作家 廣瀬由利子さん。
金沢の伝統工芸水引を様々な形に変化させた。
(水引細工作家 廣瀬由利子さん)
「水引に触ってやっているうちに
すごく可能性があるものだということにだんだん気づいてきました。」
加賀 山城温泉旅館のロビーに置かれたオブジェ。
牡丹雪をイメージして作った。
日本伝統の水引を使って身近なものを製作することで
水引を知らない外国人の心にも響くと考えた。
(廣瀬由利子さん)
「外国人が使うにはもっと身近なもの
日常使いというキーワードで紹介すると非常に興味を持ってもらえるので
生活の一部に何か使っていただきたいと思う。」
廣瀬さんは色の表現にもこだわっている。
糸は特別に注文。
全部で133色。
赤色だけでも15種類もある。
豊富な色で表現の幅を広げている。
廣瀬さんの作品に
世界70カ国以上でカフスなどの紳士服用の装飾品を販売する
イギリスの有名ブランドも目をつけた。
この日は日本の代理店の社員が廣瀬さんを訪問。
廣瀬さんは水引を使ったカフスを作ってほしいと依頼された。
この日カフスの飾りの部分が完成し
試作品を披露した。
(日本の代理店 内田裕信さん)
「イギリス発信という形で日本の文化を伝えさせていただきたい。」
外国にいるCEOにもテレビ電話でお披露目した。
(イギリスの紳士用装飾品販売会社 ロバート・タテオシアンCEO)
「私もこの水引という伝統工芸を用いて
新しいカフスを作るというコラボレーションを楽しみにしています。」
今回作られた水引のカフスは
来年1月イタリアで開かれる有名ブランドの展示会で発表し
世界各国で販売されることが決まった。
(廣瀬由利子さん)
「水引の可能性を
日本国内だけでなく海外に向けてという視点を持って
またいろいろ考えていきたい。
いろいろな人に使っていただきたい。」
変化していく伝統工芸の新たな形。
織りなされる日本の美をいかに海外に売り込めるか。
世界に向けた挑戦が始まっている。
10月4日 首都圏ニュース
東京台東区の中学校3年生のクラス。
授業後の学級活動の時間に1冊の詩集を活用している。
“少年少女に希望を届ける詩集”
8月に出版された。
おさめられている詩の多くは学校での経験をもとに綴られている。
かつていじめられていた女性が書いた詩。
苦しさから心の殻に閉じこもっていたこの女性は
ある日ふとしたきっかけで笑顔を取り戻す。
(不思議なところ 荒木せい子)
まみ子さんがそばに来て話しかけてきた
喜びの瞬間殻から顔を出すと
私達は仲良し3人グループになった
詩集を企画した曽我貢誠さん。
中学校の教師を3年前に退職した。
かつて不登校の生徒とのコミュニケーションに悩んでいた曽我さん。
宮沢健司の詩を生徒の家に届けたことがきっかけで
心を通わせることができた。
同じように悩みを抱える子どもたちを支えたい。
そう考え詩を寄せてほしいと雑誌で呼びかけたのである。
(元中学校教師 曽我貢誠さん)
「悩んでいる子どもたちの心の栄養になればいいなと思う。」
曽我さんがぜひ詩を描いてほしいと頼んだ男性がいる。
保久学さんはかつて曽我さんのクラスで不登校だった生徒である。
保久さんは小学校のころのイジメがきっかけで不登校になり部屋から出られなくなった。
(保久学さん)
「一日中死にたい死にたいとずっと頭の中で考えているので
本当に地獄というか。」
そんな保久さんをかろうじて支えていたのが
曽我さんが届けてくれる詩や励ましの文章だった。
(保久学さん)
「曽我さんと交換日記みたいなことを始めた。
僕と学校との点と点をつなぐ線だった。」
その後専門学校を卒業し
情報通信系の会社で働いている保久さん。
曽我さんからの呼び掛けに1編の詩を寄せた。
イジメに遭っている君に言いたい
若い君には想像できないだろうが
未来に楽しい自分がいるといい聞かそう
自分の身方をしてくれる人は必ずいる
自分を好きと言ってくれる人が必ずいる
自分を頼りにしてくれる人が必ずいる
生きていれば絶対いいことが待っている
今になって言えるが実際僕がそうだった
この詩集を学級活動の時間に活用している今泉友佑先生。
「(消えない火)
何をなしたかよりも、
何をなそうとしたか・・・。
私の胸にもそうだ、
決して消えないそんな火がある。」
受験を控えた多感な時期
生徒たちを励ます詩を選んで朗読している。
(今泉友佑先生)
「大人の体験談や教員の体験談は子どもは食い入るように聞いてくれる。
いろんな面からのメッセージが込められた詩なので
いろんな子どもたち
生徒へのメッセージになると思う。」
人生の先輩たちの経験が集められた詩集。
子どもたちを支える助けになればと期待されている。
10月4日 おはよう日本
大きな望遠鏡を次々にのぞき込む子どもたち。
大人たちも夢中になる。
この日 観察したのは月と土星。
これまでに撮影された月の表面は
大気の影響でクレーターがゆらめくように見える。
地球から十数億キロ離れた土星もくっきりと見える。
「月は肉眼で見たら表面がつるつるそうだけど
でこぼこが多かったりしてびっくりしました。」
「土星のリングが見えたのが感動的でした。」
京都市山科区にある京都大学の火山天文台。
昭和4年に設立され
最近は天文教育の拠点として
一般の人たちに向けた観察会などを開いてきた。
この天文台がこれまでどうり存続できるか
危機に直面している。
京都大学火山天文台台長の柴田一成教授は
研究に特化した別の新しい天文台に大学の予算が移るなか
やりくりに頭を痛めている。
今後 観察会に必要な経費は2年前に始めた寄付で賄うことにしている。
しかし当初は年1,000万円あった寄付も
その後は減少。
今年は大幅に少なくなっている。
「半年で152面円の寄付しかない。
1年間で1,000万円ぐらい寄付を集めないとやっていけない。」
この事態を心配する人がいる。
地元の小学校で理科の教師をしている安達誠さんである。
かつては火星観測で最先端の研究が行われた火山天文台。
安達さんは中学生のころいつも自宅からドームを眺めていた。
(安達誠さん)
「天文に興味を持ち始めて望遠鏡を知って
山の上にドームがあって
ときどきドームのスリットがスーッと開く様子が見える。
開いて中に望遠鏡が見える。」
高校生になり天体観測を始めた安達さん。
思い切って当時の天文台長に手紙を出したことがところ
火星の観測について情報交換が始まった。
(安達誠さん)
「ときどき連絡をくださいと書かれていて嬉しかった。」
このやり取りをきっかけに宇宙の魅力に取りつかれていった安達さん。
その後 大津市の自宅に観測用のドームを設けるまでになった。
火星の観測がライフワークとなり
アマチュア天文家として情報を発信してきた。
次の世代の天文家を育てるためにも
観察会を続けてもらいたいとしている。
(安達誠さん)
「天文にのめり込めたのは火山天文台の先生のおかげ。
できれば残してもらいたい。」
宇宙飛行士の土井隆雄さんも火山天文台に強い思い入れがある。
高校時代を大阪で過ごした土井さん。
火山天文台で作られた詳細なスケッチを参考に火星の観測をしてきた。
(宇宙飛行士 土井隆雄さん)
「そのスケッチを見ながら
火星のいろんな模様の名前や場所を覚えて
観測して
スケッチをとる。
夏休みの間中行っていた。」
ここから天文へのあこがれが広がり
宇宙にかかわる仕事を目指すようになったという。
土井さんは今年4月から京都大学の特定教授を務めている。
火山天文台の魅力を伝えるために
自らが講師を務める観察会を開くなどして
寄付の呼び掛けに協力することにしている。
(宇宙飛行士 土井隆雄さん)
「いま 運営のピンチを迎えている。
なんとかその問題をクリアできるように
火山天文台でしかできないもの
そういうものを私たちが作り出して提供したい。」
天文台では訪れた人たちにチラシを配って
観察会が続けられるよう協力を求めている。
(京都大学火山天文台 柴田一成台長)
「多くの市民の方に火山天文台を知っていただけたら
1人の寄付額は少なくても
寄付は集まると思う。」
長く京都から宇宙を見つめ続けてきた天文台。
未知の世界の魅力を
これからも多くの人たちに伝えていきたいという模索が続く。
10月18日 編集手帳
作家仲間で酒を飲んでいて軍歌の話題になった。
軍歌の真髄(しんずい)は…と、
丸谷才一さんが口ずさんだ。
「ヘイタイサンハカワイソウダネ マタネテナクノカヨ」
野坂昭如さんが『新宿海溝』(文芸春秋)で回想している。
厳密にいうと歌ではない。
古参兵のシゴキといじめに泣く新兵の悲しみを、
兵営の消灯ラッパに合わせてつづった文句である。
新兵以下の扱いだろう。
「1週間で10時間しか寝ていない」と友人に訴えていた。
大手広告会社、
電通の新入社員で過労自殺した高橋まつりさん(当時24歳)である。
月の残業が105時間では“寝て泣く”暇もなかったろう。
上司から告げられたという言葉も、
事実とすれば心ない。
「君の残業時間は会社にとって無駄だ」と。
いずれは華麗なイベントを運営したり、
世間を魅了するCMを企画したり、
東京大学を卒業して入社したときは未来の自分に胸を躍らせていたにちがいない。
無念は想像に余る。
電通の社歌は麗しい。
♪ 遥(はる)かな空に虹をかける者
まなざし高くさきがける力よ
この惑(ほ)星(し)の美しい未来の為(ため)に。
歌詞の裏側に、
消灯ラッパのむせび泣きを聴く。
10月1日 経済フロントライン
巨額の公的資金を投入して4年前に設立されたジャパンディスプレイ。
薄さや消費電力を強みにしたスマホ用のパネルで世界シェアを高めてきた。
しかし中国などでのスマホ需要の落ち込みによって
収益が大きく悪化している。
立て直しを託されたのが本間充会長である。
サンヨー電気で電池事業を世界トップに押し上げた功績をかわれ
去年就任した。
掲げた方針は“スマホ依存からの脱却”。
全体の売り上げの85%をスマホに依存しているため
経営のリスクが高いと考えたからである。
(ジャパンディスプレイ 本間充会長)
「85%がスマホ事業で成り立っている会社は異常。
よそから見ても異常に見られているのではないか。
そこから早く抜け出したい。」
いまスマホに使われるパネルは大きな転換期にある。
液晶から有機ELに主役が移ろうとしているのである。
有機ELはパネルを曲げられるのが大きな特徴。
ジャパンディスプレイの最大の顧客であるアップルのiPhoneにも採用される見通しである。
有機ELは韓国メーカーがいち早く量産化に成功し大きくリードしている。
大規模な投資をしても
韓国勢との戦いは非常に厳しいと予想している。
そのためスマホ依存から脱却し
新たな分野を開拓しようとしているのである。
その柱の1つが自動車向けのディスプレイである。
ジャパンディスプレイが描く未来の世界です
各国の自動車メーカー向けに製作したPRビデオ。
これまで培ってきた液晶の耐久性や省エネの技術を生かし
車のあらゆる部分に組み込もうと開発を進めている。
画面があなた好みの快適な空間を演出します
メーター類はすべて液晶画面。
フロントガラスにも組み込まれ
前の車に近づきすぎると警告のメッセージが表示される。
開発を進めると同時に
すでに各国への営業を強化し始めている。
「9月の中旬にアジアのお客様に持っていこうと。
このエリアは自動車の動きが一番大きいところ。」
自動運転の開発が進むなか
この分野でいち早く世界をリードすれば
大きなシェアをつかむことができると考えている。
(ジャパンディスプレイ 本間充会長)
「車載事業は2021年に向けて1兆円規模の市場になる グローバルで。
逃すことはできない。
そこに今舵を切り始めている。
スピードを速くしていかなければ
市場は常に動いているので
そこを求められている。」
この他にも医療や教育などの分野でパネルの活用を模索するジャパンディスプレイ。
日の丸液晶メーカーはいま正念場を迎えている。
10月1日 経済フロントライン
大阪岸和田にある大型ショッピングセンター。
その中に入っていた総合スーパーが去年12月に撤退した。
そのあとに10月に出店するのが
岡山県倉敷市に本社をおく食品スーパーの大黒天物産である。
最大の特徴は価格の安さである。
うどん1玉15円。
手作り弁当は198円。
利益が出るぎりぎりの価格で勝負している。
(客)
「ちょっとでも安い方がいい。
生活に響いてくる。」
16年前にスーパーを始めて以来
年々店舗を増やし
西日本を中心に121店舗にまで拡大した。
低価格を実現するためにこの会社では総合スーパーが行わない戦略をとっている。
どの店にも倉庫はない。
商品の多くは段ボールのまま売り場に置かれる。
総合スーパーなどでは牛乳は10種類以上などに対し
4種類程度。
少ない種類を大量に発注することで仕入れコストを下げているのである。
さらに新たに工場を作らずに食品を生産する仕組みを取り入れている。
経営難の地元メーカーを買収し
その工場を使ってパンを製造している。
工場を新設するのに必要なコストを大幅に削減できる。
(大黒天物産社長 大賀昭司さん)
「わが社は専門的なノウハウ、知識、技術がない。
他社の技術を借りて生産性を上げて
安く客に提供できる。」
出店する場所は総合スーパーが狙わない場所を主にターゲットにしている。
交通の便が多少悪くてもそれを補う土地代の安さが
車での利用客を十分見込めるからである。
目標は今後3年間で50店舗増やすことである。
(大黒天物産社長 大賀昭司さん)
「目指すべき戦略や志は固まっている。
日本全国にわが社の店を展開したい。」
10月1日 経済フロントライン
高度経済成長に合わせ全国に拡大した総合スーパー。
しかし2000年代に入り相次いで経営危機に陥った。
あれから10年余
競争を勝ち抜いたはずの大手スーパーも業績が低迷。
店舗の閉鎖を進めるなど苦境に立たされている。
(総合スーパー 担当役員)
「当初予定していた営業利益が確保できず
多くの皆様の期待を裏切ってしまった。」
M&Iホールディングスは
傘下のイトーヨーカ堂の不振で
今年度のグループの最終利益は前年度の半分以下になる見通しだと発表。
来年2月までにイトーヨーカ堂20店舗を閉鎖。
東海地方を拠点とするユニーは
9月にファミリーマートと経営統合したが
これに合わせ傘下の総合スーパー全体の1割にあたる約30店舗を閉鎖する方針。
最大手のイオンは
ダイエーを傘下に収めて規模の拡大を続けてきたが
総合スーパー事業は2割近く減益。
いま戦略の見直しを余儀なくされている。
全国に600以上の店舗を持つイオン。
3~5月までの総合スーパー事業は93億円の営業赤字。
いま危機感を強めている。
(イオンリテール 三宅香執行役員)
「厳しい状況が続いている。
お店作りひとつとってもどこに行っても金太郎あめ。
それが客の求めているのもではないという時代になってきたことが
課題のひとつだと思います。」
横浜の東戸塚店。
食品から衣類や生活用品まで幅広い商品をそろえる典型的な店のひとつである。
しかし衣類などの販売不振が続いている。
売り上げはピーク時の7割まで落ち込んでいる。
こうした中イオンでは店舗運営の戦略を抜本的に見直すことにした。
これまでは店舗の改装や商品の仕入れなど
本社がトップダウンで決めてきた。
それを各店舗が地域の事情に合わせ独自に判断して行えるようにしたのである。
東戸塚店では店が提案して大規模なリニューアルを行うことにした。
(東戸塚店店長)
「地域に子どもが多い。
これまで子どもに向けられなかったニーズを実現する。」
現在 周辺ではマンションが次々と建設され
30代から40代の住人が増えている。
リニューアルでは
売り上げが伸び悩んでいた2階の衣類や3階の生活用品を大幅に減らし
2階に集約。
空いた3階をすべて子育て世代をターゲットにした売り場にすることにした。
一方 本社は各店舗のサポートに徹する。
専門知識を持つ社員で約100のチームを作った。
「ラーニング(知育玩具)売り場を日本一の広さで展開していきたい。」
東戸塚店では子ども用品専門のチームが
どのような商品を充実させればよいのか相談にのっている。
9月24日のリニューアルオープン当日
3階には8,000点もの商品が並ぶ巨大なおもちゃ売り場。
スリッパやタオルなど生活用品が売られていた場所には多くの親子連れが訪れた。
「すごく楽しい。」
「すごく変わりました。
以前の売り場はぱっとしない感じだった。
全然違います。」
しかし来客数を今後も増やしていくことができるのか。
店が主役となって進める改革の真価が問われるのはこれからである。
(イオンスタイル東戸塚 岡沢譲治店長)
「都市とともに街も変わり住んでいる人も変わるので
随時見ながら
いまこの売り場がずっといいというのではなく
店が変化させていくことが必要。」
9月30日 おはよう日本
名古屋市の動物園でイケメンゴリラとして人気が急上昇した西ローランドゴリラのシャバーニ。
入園者の減少に悩んでいた動物園は
去年 入園者が前の年より大幅に増えて19年ぶりに250万人を超えた。
しかしブームがいつまで続くかわからない。
そこで動物園では“第2のイケメン”を探そうという取り組みが始まっている。
シャバーニを見に動物園には連日 全国各地からファンが訪れている。
人気のきっかけを作ったのは動物園で広報を担当している石川恭之さんである。
去年ツイッターにシャバーニの写真を載せたところ
“イケメンだ”と話題を呼び
一気に人気が高まった。
(東山動物園 石川恭之さん)
「シャバーニがお客様目線で魅力的だと認めてもらった。
それで話題が広がった。」
しかしそのシャバーニもそろそろお疲れの様子。
シャバーニに頼ってばかりはいられないと
石川さんは次なる“イケメン”動物の発掘に乗り出した。
毎日カメラを手に園内をまわり
動物が見せる一瞬の表情をツイッターで発信している。
(東山動物園 石川恭之さん)
「魅力をお客さんに伝えきれていないだけで
第2第3のシャバーニの可能性のある子はたくさんいるのではないかと思う。」
石川さんが目をつけたのがカバ。
しかし日中はほとんど動かない。
動物の普段見られない姿を見てもらおうと
期間限定で行われた「ナイトズー」。
ここで意外な反応があった。
オスのカバ ジュウキチ。
紫外線に弱いため日中は池の中にいてほとんど姿は見えないが
夜間に屋外を歩いたりエサを食べたりと活発に動く姿を見せ
大勢の人をひきつけた。
「こんなに動いているとは思わなかった。」
「いつも見られないからいいなと思った。」
(東山動物園 石川恭之さん)
「夜の中での迫力がすごいので
瞬間的なお客さんの集まり具合ではゴリラに匹敵すると思うことがある。
イケメンかどうかはカバは判定しづらい。」
ツイッターで写真を発信することで人気の動物を増やそうという石川さん。
しかしその目的はたんなる人気集めではない強い思いがある。
現在 東山動物園にいる約500種類の動物のうち
100余が絶滅危惧種に指定されている。
石川さんは動物たちを取り巻く状況を知ってもらい
命や環境について考えるきっかけを提供したいと考えている。
(東山動物園 石川恭之さん)
「興味を持つと動物のバックグラウンドを知りたいと思ってもらえる。
より環境教育というか
動物の置かれた状況を保全しようという方につながると思う。
そうなったら願ったりだ。」
大勢の人を動物園に呼び込み続けるため
広報マンの“イケメン”探しは続く。
動物園の入園者数をどう増やすかは全国各地で課題となっていて
なかには閉園に追い込まれる園もある。
東山動物園も例外ではなく
現在 隣接する植物園を合わせた年間予算は3分の2は税金で賄われているため
入園者数は減らすわけにはいかないのが実情である。
東山動物園では動物たちへのエサやりの様子を公開するなど
入園者に見てもらうための工夫を続けたいとしている。
9月29日 キャッチ!
はかま姿で刀さばきを稽古する人たち。
日本の武道 居合道である。
さらに弓道
オリンピックのメダリストが出ている柔道は子どもたちにも人気である。
そして剣道。
最初に伝えられたのは40年余り前だが
経済成長が続くなかこの10年ほどで愛好者が増え
約800人になった。
ポーランドでは日本文化への関心の高まりを受け
いろいろな武道が行われるようになっている。
ワルシャワ市内で行われた剣道教室。
初心者から有段者までレベルは違うが
剣道を好きな気持ちは一緒である。
(参加者)
「医師なのでストレスがたまります。
ですから剣道は体にも精神的にも良いです。」
「日本の武道を練習できてうれしいですし
我が国の騎士との共通点を感じます。」
指導者の1人 エンジニアのクシストフ・ボサックさん(34)。
週に4,5回は剣道クラブに参加している。
教室では剣道の技術を高めることはもちろん
“礼に始まり礼に終わる”という武道の基本精神を大切にしている。
ボサックさんが剣道を始めたのは14年前の大学生の時である。
一般には知られていない剣道をやってみないかと日本語の先生に誘われ
たちまち夢中になった。
(クシストフ・ボサックさん)
「当時は防具を買える店もなかったので
日本の剣道連盟が送ってくれました。」
その後熱心に稽古を続けたボサックさん。
4段となり
現在はポーランドの代表チームのメンバーである。
今年4月に行われたヨーロッパ選手権で
個人で3位
団体では過去最高の2位になった。
(クシストフ・ボサックさん)
「剣道では試合の成績はそれほど重要ではないのです。
精進する過程が重要なんです。」
去年5月
ボサックさんにとって忘れられない大会があった。
東京で開かれた剣道の世界選手権である。
出場は初めて
しかも長い間憧れだった武道館で
日本や韓国の強豪選手たちと対戦し
敢闘賞を受賞した。
(クシストフ・ボサックさん)
「武道館で他の選手たちと試合をしたのは
私にとって本当に素晴らしい体験でした。」
再来年に行われる世界選手権では
団体戦で初の予選突破を目指している。
9月にボサックさんはポーランド西部の町ヴロツワフにいた。
心待ちにしていた剣道の催しへの参加が目的である。
地元の文化交流団体の招きで
日本から剣道の先生たちが指導に訪れたのである。
ポーランドで剣道の最高位である範士に教えてもらえる機会はめったにない。
少しでも新しいことを身につけたいと耳を傾けるボサックさん。
思い切って質問をした。
「出鼻技のとき左肘の位置はどこですか。」
「左手は上がってはダメ。
中心にある。」
(範士 山城宏惟さん)
「剣道を楽しんでいる人たちが一生懸命にやっている。
これがうれしい。
剣道を広めよう
みんなを上手にしようというのに燃えている。」
(クシストフ・ボサックさん)
「範士の指導を受けられて光栄ですし
我が国の剣道も向上します。」
ポーランドには今日も練習に励む剣士たちの掛け声が響き渡っている。