日暮しの種 

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尺八奏者のあくなき挑戦 辻本好美さん

2018-01-30 07:00:00 | 報道/ニュース

1月13日 おはよう日本


尺八奏者の辻本好美さんは
尺八の伝統的な音色のイメージを変えたいと挑戦を続けている。
世界からも注目される演奏は女性らしさを生かし進化を続けている。

まるでジャズのような尺八の演奏。
辻本好美さんはこれまでの尺八のイメージを覆す演奏に取り組んでいる。
(観客)
「若い子も絶対つまらなくない。
 和楽器に対しての入り口を広げてくれる。」
(尺八奏者 辻本好美さん)
「素晴らしい音色を持っている楽器として関心を持って聞いてもらいたい。」
辻本さんが本格的に尺八の演奏を始めたのは母校である和歌山県立橋本高校の部活動である。
父は尺八  母は琴の演奏者という邦楽一家に育った辻本さん。
尺八は幼いころからおもちゃ代わりに吹いていた。
練習を始めていくと次第に音色の奥深さにのめり込んでいった。
(尺八奏者 辻本好美さん)
「尺八は十人十色。
 吹き手によって音色が全く違う。
 すごくおもしろいし個性あふれる音色をしているのですごくそこに魅力を感じた。」
(邦楽部の塚本留美先生)
「高校時代の辻本さんは
 “東京の方に行きたい 尺八を続けていきたい”と聞いていた。
 いろんな才能を持った人の中で成功していけるのかなというのはちょっとありました。」
大学でも尺八を専攻。
しかし古くからの伝統的な演奏に限界を感じる。
“伝統楽器で新しい音楽の世界を切り開きたい”とピアノなど洋楽器との共演を始めた。
(尺八奏者 辻本好美さん)
「伝統音楽だけでは人の興味は柔軟ではない。
 ほかの楽器とコラボしたり自分自身模索しながら活動してきた。」
転機が訪れたのは3年前。
演奏家として活動するなかで“洋楽を割楽器で演奏する”という番組の企画に声がかかったのである。
尺八の力強い音を生かせる局として選んだのは
マイケル・ジャクソンの「スムース・クリミナル」。
動画はSNSを通じて世界中で評判を呼ぶ。
“泣きそう・・”
“大興奮!!”
“尺八 神ってる!”
(尺八奏者 辻本好美さん)
「尺八というのが認められる
 皆さんの興味をひけるすばらしいものなんだということをすごく実感した。」
国内外からオファーが相次ぎ
これまで20カ国以上で演奏。
さらに女性初の尺八奏者としてメジャーデビューも果たした。
いま辻本さんは新たな挑戦を始めている。
それは作曲である。
自らが作った曲で尺八の新たな魅力を表現する。
辻本さんの強みは女性ならではのやさしい音色である。
♪「シンクロ二ティ」
自分の出会いや経験がいくつも重なる様子を短いメロディーの繰り返しで表現した。
(観客)
「鳥肌・・・
 涙が出ました。」
「こういう演奏も尺八で出来るんだ。
 ものすごく新鮮。」
(尺八奏者 辻本好美さん)
「伝統音楽もやりながら新しい挑戦もしていきたい。
 伝統のものももちろん
 大事に大事につなげていきたい。」
自分ならではの尺八の音を求めて
伝統を生かした新たな音楽が広がっている。




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雪がもたらすもの

2018-01-29 07:00:00 | 編集手帳

1月13日 編集手帳

 

 昔から、
大雪と静けさは友人同士らしい。
歌人の岡山巌に次の歌がある。
<屋外のこの静けさやものものし起きいでてみればはたして大雪>

雪がすべての物音を吸収したかのような静けさは北国の暮らしの興趣といわれる。
だがしかし…きょうばかりは例外だろう。
受験生である。
今年の大学入試センター試験は各地で注意報が出るなか行われる。

新潟県三条市では電車が立ち往生し、
乗客約430人が15時間にわたって閉じこめられた。
試験会場まで無事にたどり着けるかどうか、
気が気でなく一晩を過ごした受験生は多いことだろう。

天気はいたずらものである。
それ次第でどこかが混乱に見舞われるのはいまに始まった問題ではないにしても、
今年の試験日ほど地域により好天と悪天がくっきり分かれる予報欄は記憶にない。
「神の御前で」、
あるいは「法のもとで」人々は平等であっても、
「天気の前では」とはいかないようである。

静寂の雪に耳を傾け、
なるべく家でじっとするのが雪国本来の過ごし方かもしれない。
諸事情から仕方なしと知りつつも、
やはりぼやいてしまう。
なぜ、
この時期に試験を。



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いつ現れる?“樹氷予報”

2018-01-28 07:00:00 | 報道/ニュース

1月11日 おはよう日本


三重県北西部にある御在所岳。
頂上まではロープウェイで15分ほど。
標高1212mの頂上付近では木々が真っ白に染まっている。
厳しい冬山が作り出す自然の造形
樹氷である。
美しい風景を目当てに多くの人が訪れる。
しかし樹氷が出来るのは年によってはほんの数日だけ。
しかも気温が上がるとすぐに溶けてしまい
見られずに帰る人も少なくない。
(観光客)
「せっかくなのに見たかったです。」
「インターネットで調べ
 楽しみに来たんですけど残念ですね きょうは。」
樹氷はいつ見られるのか。
独自の予報を始めた人がふもとの温泉街 湯の山温泉にいる。
関谷不二夫さん(65)。
老舗旅館の従業員である。
“樹氷予報”はこの冬から掲示板に張り出している。
可能性が高い順に
A B Cの3段階で示す。
(関谷不二夫さん)
「信頼できるつもりでやっていますけど
 予報は予報。
 ちょっとでもお客さんに樹氷の景色を楽しむチャンスを与えたい。」
じつは関谷さんは自宅に風速計や百葉箱まで設置する“気象マニア”。
独学で気象予報士の資格も取った。
その関谷さんを引きつけてきたのが
御在所岳に気まぐれに現れる樹氷。
この山に樹氷が出来るのは日本海からの季節風が関係している。
御在所岳が位置するのは日本海からはわずか80kmの場所。
間に高い山がないため
水分多く含んだ冷たい季節風が直接山に吹き付ける。
この風が木にぶつかって水分が氷の結晶に変わり
樹氷になる。
現れるのは気温や湿度
風向きなどの気象条件が揃ったときだけ。
その日を事前に予想することはできないか。
関谷さんは約20年分の気象データを独自に分析。
樹氷が発生するのは氷点下3度以下の気温に加え
北西から風速10m以上の風が吹いている時だと付き止めた。
(関谷不二夫さん)
「最初はあきらめていたけどそのうち はまってしまった。
 興味のある部分に絞ってやれば
 経験を積めば分かってくる。
 精度を上げるようにしたい。」
12月23日
関谷さんは御在所岳に向かった。
観光客が増える年末年始を間近に控え
樹氷が見られるのかどうか心配していたからである。
例年であれば樹氷が発生している時期だが
ここ数日 暖かい日が続き樹氷は全く無い。
この時 関谷さんが空に何かを見つけた。
うすい筋状の雲 巻雲である。
(関谷不二夫さん)
「ぼやっとした雲は天気が下り坂になる印。
 徐々にあしたになって下り坂になる。」
樹氷をもたらす日本海からの季節風が吹く兆しである。
そしてよいよ年末休みが始まる前日の12月28日。
直前までデータの検討を続けた関谷さん。
出した翌日の予報は
樹氷が見られる可能性が最も高い“A”。
お客さんも関心を持ったようである。
予報は当たっているのか。
翌朝 関谷さんは自ら登って確かめることにした。
(関谷不二夫さん)
「プレッシャーがあるような感じですね。」
旅館で予報を見ていた観光客も一緒である。
予報は的中。
大きく発達した見事な樹氷である。
(関谷不二夫さん)
「お客さんみたいに
 初めて来て
 すばらしいという人もいるし。
 きょうはラッキーです。」
「樹氷ができるかなという気象条件のときはワクワクしますね。
 全然なかったのに一晩で真っ白になったり
 無くなったりするので
 それはそれで美しさがありますね。
 こんな魅力が御在所岳にあるんだと発見するなり
 いい思い出の一つとして残していただけたらいいなと思う。」
気まぐれに現れる神秘の造形。
樹氷予報が会わせてくれた
冬の輝きである。




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ウラジオストク発 ビーチの宝石はいかが?

2018-01-27 07:00:00 | 報道/ニュース

1月11日 キャッチ!


ロシア極東のウラジオストク中心部から40km余。
日本海に面した小さなビーチがある。
ビーチをよく見てみると
緑や青、オレンジなど
色とりどりに小さなガラス玉で埋め尽くされている。
無数のガラス玉は朝日に照らされると宝石のように美しく輝く。
地元の住民からはこのビーチはインスタ映えするともっぱらの評判である。
(市民)
「おとぎ話のようですばらしいです。」
「シーグラス」と呼ばれるガラス玉は普通の海岸でも時々見かけるが
数百メートルのビーチを埋め尽くすほどのシーグラスがあるビーチは
世界的にも珍しいということである。
なぜこれほどまで多くのシーグラスがあるのか。
その原因は
このビーチ周辺に旧ソビエト時代からあったゴミの集積場である。
ゴミの中にあった多くのガラス瓶などが海に流れ出し
長年 波にもまれるうちにシーグラスになったのである。
シーグラスを“海の宝石”だというのがウラジオストクに住むアーシャ・ニェズナヤさん(32)。
(アーシャ・ニェズナヤさん)
「様々な色や形でおもしろく
 太陽の光でとても美しく輝きます。
 自然の力がとても素晴らしいわ。」
ニェズナヤさんはもともとシーグラスがどんなものだったのか
ストーリーを想像するのが好きだと言う。
(アーシャ・ニェズナヤさん)
「水平たちが長い航海を終えて
 飲んだシャンパンの瓶かもしれません。
 想像力を働かせるのはとても楽しいわ。」
独特の色や気に入った形を集めていたニェズナヤさん。
3年前からはこのビーチのシーグラスを使ったアクセサリー作りを始め
材料集めのため毎週のようにビーチに通っている。
作っているのはピアスやネックレスなどのアクセサリーである。
(アーシャ・ニェズナヤさん)
「少しおもしろい形のペンダントにしましょう。
 私の好きな形です。」
もともとは自分の趣味で始めたアクセサリー作りだが
友人に見せたところ「欲しい」という声が相次いだため販売を始めた。
アクセサリー作りを独学で始めた当初は割れたガラスでけがをしたことなどもあった。
今ではハンダなどを使って本格的なアクセサリー作りを始めている。
作業を始めてから約30分。
シーグラスの水色が特徴的な素敵なペンダントに変わった。
自然が作ったままの形を生かして作るのが重要だということである。
(アーシャ・ニェズナヤさん)
「作るのは大好きです。
 デザインを考えて作るのではなく
 作っていると芸術の神が降りてきて
 気がつくとアクセサリーがいっぱい出来ているのです。」
シーグラスの採取から制作 販売までひとりでこなすニェズナヤさん。
充実感を持って過ごす彼女に家族も理解を示している。
仕事が多忙で家を空けることが多い夫のデニスさん(32)は
手伝えない代わりに資金面で支援している。
また娘のアリーサさんは
創造性あふれる母親が自慢である。
この日は地元のマーケットに出店し
自らシーグラスの魅力を訴える。
(客)
「こういうアクセサリーはなかなか無いわね。
 こんな素敵なものをくれた海を見に行かないとね。」
ニェズナヤさんはインターネットでの販売も行っており
アメリカなど海外も含めて3年間で3,000個を販売。
今後は地元の特産品として広く発信していきたい考えだが
作品の魅力を通して
ゴミを宝石に変える自然の偉大さを感じ取ってほしいと願っている。
(アーシャ・ニェズナヤさん)
「海への感謝が大切です。
 勝ってくれた人が日々アクセサリーを見て
 海に愛を感じてくれたらとてもうれしいです。」


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誓いで人気!“出張餅つき屋”

2018-01-26 07:00:00 | 報道/ニュース

1月10日 おはよう日本


今と会で人気なのが“出張餅つき屋”。
赤いはっぴを着た餅つきのプロ。
依頼があればどんな場所でも駆けつけ餅をついてくれる。

都心のマンションで行われた餅つき大会。
掛け声とともに餅をつくのは“出張餅つき屋”である。
材料の準備など
ありとあらゆる段取りを整え
場を盛り上げてくれる。
東京足立区。
出張餅つきを行っているイベント会社。
社員が5人。
6キロの杵を何度も振り下ろすのは体力がいるため
日々トレーニングに励んでいる。
出張餅つきを始めたのは5年前。
以来 年々犬巣は増え続けている。
こだわっているのが息を合わせたパフォーマンスである。
参加した人を楽しませることを何より大切にしている。
餅つき屋に依頼した神奈川県川崎市のマンション。
住民の入れ替わりが激しく
近所付き合いはほとんどないという。
マンションの理事を務める先濱克樹さん。
今回“住民同士が知り合うきっかけを作りたい”と依頼した。
(マンション理事 崎濱克樹さん)
「飲食でつなぐのが一番いい。
 住民が顔見知りになって。」
餅つき大会の日。
餅つき屋は2時間前から準備を始める。
次々と住民たちが集まってきた。
初めて顔を合わせるという人たちも少なくない。
いよいよ餅つきが始まった。
餅つき屋はパフォーマンスで場を盛り上げる。
徐々に住民たちも打ち解けていった。
(住民)
「楽しかった。」
「同じマンションにたくさん小さい子がいる。
 顔が見られてよかった。」
(マンション理事 崎濱克樹さん)
「大成功だと思う。
 またやってくださいという声が思っている以上に多かった。」
年末年始に最も忙しくなる出張餅つき屋。
この時期に半数以上を占めるのは企業からの依頼である。
新年に餅つきを行うことにした社員148人のIT企業。
静かな社内.
業務の相談も日常会話ももっぱらパソコンである。
40代の上司と新人。
近い距離にもかかわらずチャットでやりとりしている。
(上司)
「業務の流れですべてをチャットでやってしまう。
 正直慣れてしまっている。」
(新人)
「席も離れているのでなかなか話かけに行けない。」
Q.近いんじゃないかと・・・。
「そうですねぇ・・・。」
そこで会社では社員同士が顔を合わせて会話する機会をなんとか増やしたいと考えた。
(ベーシック 代表取締役 秋山勝さん)
「笑い合いながら自然なコミュニケーションが出来るのが大事。
 そういう場があることが会社の中に。」
オフィスで行われた餅つき大会。
この日は社員同士で餅つきを楽しめるよう
餅つき屋はサポートに徹する。
パソコンでやりとりをしていた上司と新人も参加した。
息があった2人の餅つきにに社員たちが盛り上がる。
(上司)
「にぎやかな状態で
 打ち解けた話もできる。
 良いスタートが切れた。」
(新人)
「今年も本当に明るい1年になるんじゃないか。」
人と人とをつなぐ出張餅つき屋。
都会の冬に笑顔を届ける。



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森林の恩恵

2018-01-25 07:00:00 | 編集手帳

1月7日 編集手帳

 

 正月の縁起物に、
「喜ぶ」に通じる昆布がある。
おせち料理の昆布巻きに舌鼓を打った人は多いだろう。

北海道・襟裳岬産の日高昆布は人気の銘柄である。
かの地の昆布漁は苦難の歴史を持つ。
明治以降、
岬一帯は木々の乱伐で地表がむき出しになり、
「えりも砂漠」と呼ばれるようになった。
土砂が海に流出し、
それまで採れていた上質の昆布が育たない。

戦後、
昆布の再生を懸けて漁業者らがクロマツを植え始める。
生え揃(そろ)ってきたのは1980年代頃からだ。
すると、
腐葉土の栄養素が海に溶け出し、
豊富なミネラルを吸収した昆布が復活した。
濃厚な味わいは森の恵みでもある。

手入れの行き届かぬ森林は、
今や全国に広がる。
政府は整備費に充てる森林環境税を2024年度に創設する方針だ。
全ての住民税納税者から年1000円を集める。
森林面積に応じて自治体に配り、
間伐や植栽を行う。
山間部から離れた都市部の住民にとっては、
無駄遣いだけは避けてほしいところだ。

襟裳の人々は「山が荒れれば海が荒れる」との思いで植林に励んだという。
森林が社会にもたらす恩恵は何か。
改めて考えたい。


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神々の宿る朱色

2018-01-24 07:00:00 | 編集手帳

1月5日 編集手帳

 

 留学から帰国した斎藤茂吉の心を揺さぶったのは竹やぶの緑とお稲荷さんの朱色の鳥居の眺めだった。<かへりこし日本のくにのたかむらもあかき鳥居もけふぞ身に沁(し)む>。
茂吉が見つけた、
我が国の原風景の一つである。

稲荷社の鳥居はなぜ朱なのか。
宗教学者の山折哲雄さんが自説をつづっていた。
山に隠れ、
森に宿る日本の神々が、
大陸伝来の金銅仏の輝きに刺激され、
自らの存在を証明しようと選んだ色だった…

神々の激情が理由とすれば、
みなぎる力にも得心する。
さる古語辞典によると赤の語源は「明(あ)く」と同根らしい。
空に隙間ができ曙光(しょこう)が差し始める。
夜がアク、
日に染まった東方の色がアカであり、
日の本の国にふさわしい色とも言える。

もっともこの色に魅せられるのは外国人も同じのようだ。
本殿の後背、
稲荷山の頂へと数千基の鳥居が連なる京都・伏見稲荷大社は、
その幻想的な朱色のトンネルが訪日客に人気である。

きょう、
5日には大山祭が営まれる。
お山の霊石に酒を満たした器を供えて、
本年の五穀豊穣(ほうじょう)、
家業繁栄を祈る。
神職の後について神蹟(しんせき)を巡拝する青い目の人も多かろう。


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高校ラグビー 東福岡 強さの秘密は

2018-01-23 07:00:00 | 報道/ニュース

12月26日 おはよう日本


全国高校ラグビー大会出場の東福岡高校。
東福岡高校は福岡大会の決勝では大会記録の14トライ。
圧倒的な強さで全国大会出場を決めた。
チームの指揮をとる藤田雄一郎監督。
部員が130人を超える強豪校でも就任当初は全国大会で勝ち進めなかった。
結果が出るようになった理由は意外なところにあった。
経営論などビジネスの本。
(東福岡 藤田雄一郎監督)
「経営者の方とか組織作りをされている方と
 チーム作りはすごく勉強になる部分が多いので。」
中でも影響を受けたというのが日産自動車のカルロス―ゴーン社長の本である。
組織を率いるリーダーとしての考えに共感した。
(東福岡 藤田雄一郎監督)
「人にどうやって動いてもらうのか。
 チームとして部員 選手たちにどう動いてもらうのかが一番通じるものが多い。」
そこで練習に取り入れたのがホワイトボード。
監督が当日のメニューを書き出す。
ビジネスのスケジュールのイメージで分刻みで時間設定。
その日の動きを明確にし
1つ1つのメニューの集中力を高めるのが狙いである。
ウォーミングアップの時間は15分。
攻撃連数の時間は20分。
練習時間は長くても2時間程度になった。
強豪校の中では異例の短さである。
就任当初の総時間メニューより短い時間の方が成果が出るようになったと言う。
練習試合を振り返るミーティングでも
経営論から取り入れた手法が生かされていた。
「抜かれかけたので僕が入っちゃって
 そのままつかまっちゃいました。」
選手たち自身に解決方法を考えさせる。
監督は部屋に入らず外から見守る。
(東福岡 藤田雄一郎監督)
「選手たちが1人1人その気になる。
 そういうところをどうやってマネージメントしていくかが自分の仕事だと思う。」
集中力を高めるためのスケジュール管理。
自ら考えて取り組み姿勢。
ビジネスの組織論で鍛え上げられたチームが大会連覇に臨む。



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トリップアドバイザー CEOが語る口コミの力

2018-01-22 07:00:00 | 報道/ニュース

12月16日 おはよう日本


アメリカ発の旅行の口コミサイトとして知られるトリップアドバイザー。
このサイトは日本を訪れる外国人旅行者が参考にしている。
たとえば六本木にあるカフェ。
世界的にも珍しいハリネズミと直接触れ合えるカフェである。
トリップアドバイザーで高い評価を得ていて
外国人旅行者の人気スポットになっている。
今年 日本を訪れた外国人旅行者は過去最高となった。
その原動力ともなっているトリップアドバイザーCEOのステファン・カウファーさん。
Q.来日して良いレストランやホテル 観光地は見つかりましたか?
(トリップアドバイザー ステファン・カウファーさん)
「“サムライマスター”から刀のレッスンを受けることができました。」
会社をつくるきっかけとなったのは今から約20年前のメキシコ旅行がきっかけだった。
(トリップアドバイザー ステファン・カウファーさん)
「旅行代理店で3つのホテルのパンフレットをもらった。
 どのホテルもとても美しく“泊まってみたい”と思った。
 そのホテルについて検索してみたら興味深いサイトを見つけた。
 実際に泊まって感じたことがリアルに書かれていて
 パンフレットのホテルには泊まるべきではないと教えてくれた。」
結局カウファーさんは別のホテルに宿泊。
すばらしい旅行ができたという。
この体験をきっかけに
実際に旅行した人の生の声を反映するサイトを作ろうと決意。
2000年 アメリカ・ボストン近郊のピザの2階で会社を始めた。
しかしビジネスはなかなか軌道に乗らなかった。
そこで考えたのが大手旅行サイトとの提携だった。
トリップアドバイザーのサイトで口コミを見た人が
提携先の予約サイトをクリックした時にマージンをとる仕組みを導入。
これによって利益が出るようになったというのである。
(トリップアドバイザーCEO ステファン・カウファーさん)
「サイトには旅行のために出費を惜しまない人がたくさん集まってくる。
 そうした人を取り込みたいという旅行予約サイトがたくさんあることに気づいた。」
一方 悪い口コミにもヒントがたくさん詰まっているという。
“接客が悪い”“部屋が汚い”と言う口コミが多ければ
ホテルやレストラン側にとってサービス改善のチャンスだというのである。
Q.あなたにとって旅行とは?
(トリップアドバイザーCEO ステファン・カウファーさん)
「旅行は成果中の人々を結び付けるすばらしい方法だと思う。
 直接会った人に腹を立てるのは難しく
 見ず知らずの人に怒るのは簡単。
 旅行を通じて世界中の人々が結びつくようになる。
 他の地域で暮らす人たちに共感できるようになる。
 それはすばらしいことだ。」

 

 

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期待がなぜ虐待に 声を上げたフランス人女性

2018-01-21 07:00:00 | 報道/ニュース

12月21日 おはよう日本


「父の逸脱:ピアノレッスンという拷問」
本の著者 セリーヌ・ラファエルさん。
子どものときピアノの練習をするなかで父親から虐待を受けた。
(セリーヌ・ラファエルさん)
「小さい頃ピアノが大嫌いだった。
 私にとってすべての悪の原因だった。」
フランス中部の裕福な家庭に生まれたセリーヌさん。
父親は町で有名な企業の幹部だった。
父親のすすめでピアノを始めたのは2歳半のとき。
みるみる上達し数々の国際的なコンクールで優勝。
父親は“一流のピアニストに育てる”と決意した。
しかしその期待はしだいにセリーヌさんを苦しめるようになる。
著書の中でその様子が克明に描かれている。
私は何度もたたかれた。
ピアノのある部屋に閉じ込められた。
練習に集中していないと父が判断すると
トイレにさえ行かせてもらえなかった。
父はオルゴールをわしづかみにすると
思いきり床にたたきつけた。
オルゴールの箱はピエロもろとも床に砕け散った。
それはまるで私自身のようだった。
(セリーヌ・ラファエルさん)
「“次の瞬間に何が起きるのだろう”といつもびくびくしていた。
 私はひとりだった。
 誰も助けてくれる人はいなかった。」
父親の暴力はその後もエスカレート。
セリーヌさんは14歳のとき
決死の思い出警察に通報した。
父親は裁判で有罪判決を受けたが
最後まで自分を正当化し続けたと言う。
“確かに私はセリーヌをたたきました。
 なぜなら娘は難しい年ごろで反抗期だったからです。
 しかし私はいつも十分に手加減していました。
 私の行いは誤って解釈されている。”
(セリーヌ・ラファエルさん)
「ピアノの先生が“私に才能がある”と言ったときから
 父は“娘を完璧にしなくては”と思い込んだ。
 彼にとっては使命となった。
 でもそれは誤った愛の表現だった。」
セリーヌさんの本をきっかけに
フランスでは
親の子どもへの過剰な期待が虐待につながっているのではないかと注目されるようになった。
フランス南西部にある虐待を受けた子どもたちが保護されている施設。
14人の子どもがここで暮らしている。
15歳の少年は
成績優秀であって欲しいという父親の期待に応えられず
繰り返し暴力を受けたと言う。
「僕が良く勉強するようにたたかれた。
 僕はとても悲しかった。」
こうした虐待は発見しづらく対策が難しいと専門家も警鐘を鳴らしている。
(児童精神科医 ダニエル・ルソーさん)
「子どもたちの多くは良い衣服を身につけているので
 虐待の跡は目に見えない。
 学校に通い
 よいものを食べている。
 貧しい家庭で見られるような虐待のサインは
 裕福な糧の子どもには見えない。」
家族と離れ施設で暮らすようになったセリーヌさん。
ピアニストではなく
人を救う医師を目指すようになった。
今はパリの病院で働いている。
患者の中には
子どもだけでなく過去の虐待が原因で
大人になっても慢性的な痛みに苦しむ人が多いと言う。
自分なら苦しみがわかる。
セリーヌさんは虐待を受けた患者とも向き合い治療にあたっている。
自分と同じように苦しむ子どもを減らしたいと各地で講演も行っている。
自らの体験を語ることで
親の世代にも子どもとの接し方を見直してもらいたいと考えているからである。
(セリーヌ・ラファエルさん)
「私が裕福な家庭の子どもだったから
 なかなか虐待に気づいてもらえず見過ごされた。
 最も大事なメッセージは
 虐待はどんな家庭にも起きうるということ。」
(講演会の参加者)
「裕福な家庭だったから幼い彼女に“大丈夫?”と誰も声をかけなかった。
 そのことが何よりショックだった。」
「彼女が打ち明けてくれたことを教訓に
 これ以上の虐待を防がなければ。」
父親からゆがんだ愛情を受け続けてきたというセリーヌさん。
親は子どもが何を求めているのかに耳を傾け後押しをする存在であってほしいと
訴えている。
(セリーヌ・ラファエルさん)
「子どもに必要なのは愛情と安心。
 子どもを成功させるために辱める必要もたたく必要もない。
 後ろからそっと支えて
 子どもが手足をかけよじ登れる木のような存在に親はなるべき。」

フランスは伝統的に子どもを厳しく躾ける国として知られている。
「熱心な教育」と「許されない虐待」に線引きをするのは難しく
行政が統計をとるなど対策をとったりすることはこれまで出来ていなかった。
しかしセリーヌさんの本がきっかけとなって
いま国をあげた対策が始まっている。
フランス政府は去年
医師や心理学者などでつくる委員会を設置して
家庭に埋もれた虐待の実態を把握する取り組みに乗り出している。
子どもが警察の事情兆湯を受ける部屋は
マジックミラーの向こうには医師や心理学者も待機している。
子どもの些細な言動から虐待の実態を見抜き
さまざまな視点から救済していこうというのである。
セリーヌさんの本の日本語訳は昨年9月に発表されたが
インターネット上にはすでに様々な反応が寄せられている。


 

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丸の内2丁目 オザミトーキョー(AUXAMIS TOKYO)

2018-01-20 18:22:14 | グルメ

 

  

 
             (食べログ)


丸ビル 35F
JR東京駅丸の内口から 徒歩2分
二重橋前駅から245m


https://auxamis.com/tokyo




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父親の取得率9割 スウェーデンに学ぶ育児休業

2018-01-19 07:00:00 | 報道/ニュース

12月14日 国際報道2017


世界で初めて父親による育児休業制度を導入した北欧のスウェーデン。
育休を取得する父親の割合は現在約9割にものぼっている。
そんなスウェーデンで子育てに奮闘する父親たちの姿を映した写真展が開かれた。
父親の育休取得率がわずか3%の日本と何が違うのか。

愛おしむように
眠るわが子を胸に抱く父親。
赤ちゃんを背負い掃除に汗を流す父親。
3人の子どもと忙しくも大切な時間を過ごす父親。
モデルはスウェーデンで半年以上の育児休業を取得した父親たち25人。
写真にはそこで得た“気づき”の言葉が添えられている。
“愛情を表現したり
 悪態をついたり
 笑ったり
 そしてどっと疲れたり
 まったくすばらしいことです”
“子どもとこうした強い心のつながりを築けることは
 特別な権利です
 育児休業を取得していなかったら
 何を逃していたかわかりません”
これまで25カ国で開催されてきたこの写真展。
東京港区の会場には子育て世代を中心に多くの人が足を運んでいる。
(妻が妊娠中)
「パパたちも当たり前のように子どもと時間を過ごす様子が見られて
 素敵だなと思いました。」
「いい意味で普通だなと思って
 こんな感じで僕もやれたらいいなと。」
写真を撮影したスウェーデン人のヨハン・ベーヴマンさん(35)。
写真展に合わせて来日した。
2人の息子を持つべーヴマンさん。
自身も長男で9か月
次男で10か月の育児休業を取得した。
同じように育児に取り組む友人や周囲に呼び掛け
3年前から日常風景を撮影。
作品として世界各地で公開してきた。
(写真家 ヨハン・ベーヴマンさん)
「私自身子どもたちとのきずなをより強めることができました。
 写真を見る人に
 子育てや父親であることの喜びを感じてほしいと思っています。」
1974年に世界で初めて「父親も取得できる育児休業制度」を導入したスウェーデン。
しかし当初は男性が育児休業を取得することはほとんどなかった。
大きな転換となったのは1995年「父親しか使用できない育休期間」を導入したことだった。
現在スウェーデンでは両親合わせて480日の育児休業が取得できる。
このうち90日間は「父親しか使用できない育休期間」と定められ
使用しないと消滅してしまう。
休みは子どもが8歳になるまで分割して取得できるほか
大半の機関は給料の約8割が国から保証されるなど
利用しやすい制度になっている。
(駐日スウェーデン大使 マグヌス・ローバック氏)
「育休は権利であり
 さらには特権なのです。
 この考えは今や多くの父親が共有しています。
 社会に新しい考えが浸透するには事案がかかりますが
 確実になじむものなのです。」
写真家のべーヴマンさんとモデルとなった父親2人とのトークイベントが開かれた。
参加者からは質問が相次いだ。
Q.育休をとっている時の仕事はどうやって回していた?
(モデルの男性)
「私は4日休んで1日働くという形でした。
 難しい仕事は自分がやり
 簡単な仕事は他の人に任せました。」
Q.育休を半年にするか1年にするか
  アドバイスしてもらえますか?
(モデルの男性)
「会社のメリットを考える上司であれば休みを長く取らせるでしょう。
 社員の会社への忠誠心も高まり
 強い会社になりますから。」
“制度を整えるだけではなく社会全体の意識が変わらなければならない。”
“育児に参加することはひとりひとりの人生をより豊かにする”
それがスウェーデンの父親たちからのメッセージだった。
(モデルの男性)
「父親たちは子どもと一緒にいたいという気持ちを表すべきです。
 社会全体にもっと育休を取得できる空気があればと思います。」
(来場者)
「今日 話を聞いて
 育休をとるのが楽しみになりました。
 不安なことはたくさんあるんですけど
 とってみないとわからないことも多いと思うので
 やってみてかなと。」
「社会全体が意識を変えていけば
 日本もスウェーデンみたいに
 父親が積極的に育児に参加できる社会になるのではないかと思いました。」
(写真家 ヨハン・ベーヴマンさん)
「男性が育休をとることや
 男女平等に働くことのメリットに
 我々はもっと気づくべきだと思います。
 私の写真が議論を始めるきっかけとなり
 状況が進展するよう期待しています。」



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オーストラリア 人気の結婚式立会人“セレブラント”

2018-01-18 07:00:00 | 報道/ニュース

12月14日 キャッチ!


オーストラリアでは結婚を法的に認めてもらうためには
成人2人以上の立ち合いと
国が認める資格を持つ人に式を執り行ってもらう必要がある。
その資格がある人とは
各宗教の聖職者
州政府の役人
そして「セレブラント」と呼ばれる人たちのいずれかである。
オーストラリアの若い人たちの間では
現在は伝統的な儀式よりも思い出に残るオリジナルな指揮を好む傾向があり
セレブラントによる結婚式が人気である。

シドニー市内で行われたある結婚式。
この式を執り行ったのはセレブラントである。
オーストラリアでは年々セレブラントに依頼して結婚式を挙げる人が増えていて
2017年は12万組近いカップルのうち
過去最高の76,4%にあたる9万組余がセレブラントによって結婚した。
セレブラントの1人 ギャリー・ムーニーさん(56)。
これまでに約1,500組の夫婦を誕生させてきた。
この日もあるカップルの訪問を受けた。
花嫁の入場や指輪交換の仕方など
安心して式に臨めるようカップルとの打ち合わせも念入りに行う。
そして欠かせないのが法律上の説明である。
「誓詞には“合法的に結婚した”との文言を必ず入れます。」
結婚するふたりが立会人の前で宣誓することには
結婚の法律上の意味を理解し
それを受け入れることを証明をする意味があると言われる。
満足できる
ふたりにぴったりの式を届けたい。
ムーニーさんの思いである。
(ギャリー・ムーニーさん)
「セレブラントの仕事は
 おふたりがくつろいで笑顔で結婚するお手伝いだと思っています。」
オーストラリアは世界中からの移民や様々な宗教を信じる人たちからなる国だが
異なる宗教のカップルや片方が再婚の場合などは
聖職者による結婚式が執り行えないケースがある。
そこでオーストラリア政府は
そうした人たちのためにセレブラントを法的資格者として政府のホームページなどで紹介している。
ムーニーさんの本業は航空会社の職員だが
木曜日から酒末までの4日間セレブラントの業務を行っている。
報酬は決まったものはないが一般的には約7~8万5千円ほどだと言われている。
ムーニーさんは仕事と言うよりは人々の幸せの仲介を行う名誉職だと考えている。
セレブラントになるためには
まずは関連団体が運営する研修を受講。
次に政府のインターネットのサイトで法律に関するテストを受け
敵性検査に合格すれば登録費を支払って資格を得ることができる。
セレブラントとして10年間のキャリアを持つムーニーさん。
最大の見せ所は式当日である。
笑顔とは裏腹に緊張した様子の新婦にエスコートを申し出てさりげなく話しかける。
「今日の結婚式はすばらしいものになりますよ。
  花道を歩いて新郎のもとに着いたら
 彼の手をつなぐだけでいいんですよ。」 
いよいよ式本番。
父親にエスコ―されて新婦が入場。
緊張する新郎にもムーニーさんは笑顔で励ます。
「大丈夫
 心配ない。
 うまくいくよ。」
和やかな雰囲気に包まれ式はクライマックスへ。
誓いの言葉と指輪が交わされ
ムーニーさんは二人を晴れて夫婦として宣言した。
最後に婚姻届けへの署名を促し
法的な手続きを見届けると式を無事に終わらせた。
(新郎)
「特別な日になりとても幸せです。
 結婚は緊張しますが
 ムーニーさんのおかげで楽になりました。」
(新婦)
「彼にお願いしてよかったわ。」
(ギャリー・ムーニーさん)
「10年たって
 この日が望み通りの結婚式だった
 そう振り返ってもらうことが私の望みです。」
結婚という人生の門出を支えるセレブラント。
カップルに寄り添いながら幸せを届け続けている。








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82歳プログラマーのゲームアプリ

2018-01-17 07:00:00 | 報道/ニュース

12月9日 おはよう日本


ゲームアプリ ひなだん。
「ようこそおこしたもれました」
画面下のひな人形の中から
お内裏様や三人官女などを選んで正しい位置に並べていくというゲームである。
完成すると
「お見事であらしゃいますな~」
今年2月に配信を始めたところ
ダウンロード数は6万件近くにのぼった。
「シンプルで面白いですよ。」
「ひな人形が題材だととてもしっくりくる。
 最初のハードルが下がる。」
このゲームを開発したのが若宮正子さん(82)。
れっきとした現役プログラマーである。
(プログラマー 若宮正子さん)
「お年寄りの人が楽しめるゲームアプリってないでしょ。
 だからお年寄りが楽しめるものを作ろうと思った。」
若宮さんがパソコンを始めたのは60歳のとき。
勤めていた銀行を定年退職。
90歳の母の介護に専念することになったのがきっかけだった。
(プログラマー 若宮正子さん)
「あまり外を出歩くわけにもいかないでしょ。
 だけどおしゃべりはしたい。
 それでパソコンを買っちゃった。」
貪欲に知識を吸収していった若宮さん。
旅行先での写真や動画を自ら編集して発信を始めた。
すると世界中の人たちとの交流が広がり
ネットを通じて800人以上の友人ができたという。
(若宮正子さん)
「人生が楽しくなりました。
 年齢が若い人もたくさんいますから
 大国の方もいる。
 何か書くと
 “へぇ~ そんなふうに感じる人もいるんだ”って
 おもしろいです。」
自宅で初心者向けのパソコン教室を開くまでになった若宮さん。
そんなおり1人の友人からある願いが寄せられた。
“お年寄りでも楽しめるゲームが欲しい”
そこで若いプログラマーに相談したところ
(若宮正子さん)
「『シニアの喜びそうなゲームを作って』と言ったら
 『僕たちそんなものわかりませんよ』みたいなことを言われちゃったんです。」
“ないなら自分で作ればいい”と開き直った若宮さん。
80歳を超えて
ゲームを作るという新たな挑戦が始まった。
まずはゲームの題材探し。
お年寄りが親しみやすいものは何だろう。
そこで思いついたのが「ひな人形」だった。
(若宮正子さん)
「日本の伝統文化“ひな祭り”を題材にするのがいいかなと思って。」
次に取りかかったのがゲームの操作性。
お年寄りが画面上でのスライド操作や速い動きが苦手なことをよく知っている若宮さん。
操作は画面をタッチするだけで済むようにした。
さらに普通なら設ける時間制限をなくした。
こうしてお年寄りのためのゲーム「ひなだん」が完成した。
(若宮正子さん)
「ゲームは“速さ”を競うものでしょ。
 ひなだんアプリにはそれがないんです。
 できるかできないかもない。
 全員出来るんです。
 “今までにないものを作ったっていい”。」
ゲームを発表すると
日本はもちろん
イギリスやフランスなど40カ国以上のメディアで報道された。
そしてあのアメリカのIT企業からも・・・。
(若宮正子さん)
「アップルから“こんにちは”とメールが届いた。
 それまでアップルからは英語のメールしか届かなかったのに日本語で届いたから
 何をしたかというと
 丹念にウイルスチェックをした。
 “若宮さん一緒にアメリカに行きましょう”。」
アップル本社で開かれるアプリ開発者の会議に招かれた若宮さん。
ティム・クックCEOと会い
今までの苦労や工夫を語った。
(若宮正子さん)
「最後に“あなたは私に勇気を与えてくれた”
 ハグしてくださって。」
世界に羽ばたいた若宮さん。
ひなだんをより多くの人に楽しんでもらおうと英語版を制作している。
この日はゲームで使用する音声の収録。
シンガポールの放送局も取材に訪れた。
声は 俳優の服部真湖さん。
若宮さんも積極的に意見を出す。
「後半の方が感情がこもっていいみたいな気がします。」
「よかったです。」
82歳になっても新しい事を。
若宮さんの好奇心はとどまることを知らない。
(プログラマー 若宮正子さん)
「80っていうのは何か始めるのに遅すぎる年齢ではない。
 シニアに役に立つもの
 日本の伝統文化を後世に伝えていけるものを
 いろいろな面で開発していきたい。」


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コーヒー豆 栽培プロジェクト

2018-01-16 07:00:00 | 報道/ニュース

12月9日 おはよう日本


コーヒーは
北緯25度南緯25度の
いわゆる“コーヒーベルト”と呼ばれる赤道中心のエリアで生産されるが
このすぐ北に位置している沖縄や奄美群島 小笠原諸島でも
ごくわずかだがコーヒーが生産されている。
鹿児島県徳之島では
大手企業が出資して
コーヒーの大規模栽培を進めようという新たなプロジェクトが始まった。

徳之島で行われたセレモニー。
島のコーヒー豆生産者や関係者などが出席した。
コーヒーの大規模栽培に向けたプロジェクトの幕開けである。
島でコーヒーを35年栽培している吉玉誠一さん。
大のコーヒー好きの吉玉さん。
大阪で工作機械を作る会社に就職していたが
36年前に会社を辞めて島に移住し
コーヒー栽培を始めた。
作っているのはアフリカ原産のモカ。
木を少しずつ増やし今では300本を超えた。
とれた豆はすべて自らが経営するカフェで提供している。
毎年数十キロほどのコーヒー豆がとれる。
まろやかですっきりした味で人気がある。
(吉玉誠一さん)
「1回目のコーヒーがしっかり大きくなった時に
 徳之島でもしっかりやれるという感触は得ました。」
吉玉さんは規模を拡大しようと生産者グループを起ち上げ
島の外への出荷も考える。
ところが大きな壁に突き当たった。
台風である。
徳之島は台風の常襲地。
台風が来るたびに枝が折れたり実が落ちたりする被害に遭った。
風の影響を受けにくい場所に木を植え直すなどの対策をとってきたが
懸念は払しょくできない。
こうしたなか大手食品メーカーと大手商社が支援を行うことになった。
全日本コーヒー協会によると
大手企業がコーヒーの生産者に出資して大規模栽培を行うのは国内では初めてである。
コーヒーの需要が根強いなか
国内でも高い品質と一定の生産量が確保できるとして
吉玉さんたちの徳之島産コーヒーに注目したのである。
(味の素AGF 石川裕副社長)
「コーヒーをいろいろ楽しむ人が増えて
 いろんな飲まれ方
 エスプレッソ飲んだりミルク入り飲んだり
 いろんなことをされてる中で
国産コーヒーがあったらいいなというのはひとつの選択肢だと思う。」
企業側は台風対策や苗木の栽培施設の整備について何度も検討を重ねた。
(コーヒー生産者)
「強風もあってハウスの骨組みの腐食も一番早い。
 腐食しない素材のもので作った方がいい。」
(大手商社の担当者)
「特にコロンビアの苗が比較的いいのかなという感じがしている。」
風の被害を少しでも防ぐため
現在より1メートル以上も低く大人の背丈よりも低い木を
コロンビアやグアテマラなどから新たに取り寄せることにした。
丈夫な鉄骨の農業用ハウスも必要である。
企業側が資金を提供して新たにハウスを建設し苗木を育てる。
徳之島を国産コーヒーの一大産地に。
生産者と企業が思いをひとつにした。
(味の素AGF 石川裕副社長)
「大きなコーヒーの産地としてやっていけるような条件を見い出せるか
 35年やっていて思いのある人と一緒になって手を組めば実現できるんじゃないか。」
(吉玉誠一さん)
「うれしい。
 まさかここまで来るなんて思っていなかった。
 正直 本当に思ってなかった。
 目標はまずは1万本。
 生豆で10トン。
 お世話になってきた方がいっぱいいらっしゃるから
 その人たちにもしっかりと徳之島コーヒーを提供できればいいなと考えている。」




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