6月5日 キャッチ!
「21世紀の資本論」。
600ページ近い経済専門書にもかかわらず今年3月に出版されてからアメリカでベストセラーになっている。
著者はフランスの経済学者 トマ・ピケティ氏(43)。
所得・富の格差をテーマに歴史的視点で研究を行っている。
この本の中でピケティ氏は18世紀から現在までの約300年にわたる世界各国の膨大な税務統計の分析をもとに
“富が一部に集中して社会の格差は拡大する運命にある”
と警鐘を鳴らしている。
そのうえで世界各国で進む経済格差を是正するための処方箋を模索している。
ピケティ氏の全米ツアーはかつてのビートルズのように満員御礼。
ノーベル賞受賞者たちも絶賛である。
プリンストン大学 クルーグマン教授、
コロンビア大学 スティグリッツ教授など
とくに世界的な経済格差を懸念する左寄りの経済学者たちから支持されている。
Q.資本論と言えばマルクスの有名なタイトルです。
あなたはフランスのマルクス主義者ですか?
(トマ・ピケティ氏)
「いいえ まったく。
18歳の時ベルリンの壁が崩壊してから東欧が崩壊していく様子を実際に見てきた。
私はこれまで共産主義やマルクス主義に傾倒したことはありません。」
ピケティ氏は19世紀のヨーロッパのように富が一部に集中してきていると訴えている。
講義では富裕層の上位10%がアメリカの富を握っていると説明した。
最新のデータを見ると
“2012年には国の富の半分以上を上位10%の富裕層が保有”。
もちろん経済界の大物たちにとってはできるだけ多くの富を持つことが重要。
上位に行くとその他大勢との差は開く。
ピケティ氏は今の状況を“金メッキ時代の再来”だと言う。
(トマ・ピケティ氏)
「南北戦争後の急成長でアメリカは昔のヨーロッパのような不平等な国になるかもしれないと危惧した。」
昔のヨーロッパでは土地を保有する人は恵まれた生活を保障された。
「プライドと偏見」にでてくるダーシーのように。
「ダーシーってどなた?
ペンバリーのダーシー家の息子さん?」
「そう。
ペンバリーのダーシーよ。
ペンバリーの土地だけで年間軽く1万ポンドの収入になりますわ。」
産業革命の時代になっても地主たちにとって相続された土地は資本であり確かな収入源だった。
彼らの富の4%~5%を占めていたのである。
(トマ・ピケティ氏)
「資本収益率はいつも4%~5%。
この数字は重要。」
ピケティ氏の唱えるシンプルかつ不吉な方程式と関係している。
r>g
rは資本収益率で歴史的にその割合は4%~5%
gは経済成長率で人類の歴史上ほぼ0に近いものだった。
人口の増加は緩やかで農業生産量の上昇もごくわずかだったからである。
「 経済成長がほぼ0に対し資本収益率が4%~5%であれば資本や資産を持っている人たちがますます金持ちになる。
格差が広がるのは極めて明らか。
この状況で第一次世界大戦なら富はごく一部の富裕層に集中していたのです。」
しかし20世紀初めには事態は変化し不平等は解消されていく。
数十年にわたり経済学者は“開発が進んだ後は平等が広がる”という新たな法則を信じた。
これについてピケティ氏は“富や賃金が分配されたのは歴史の偶然だ”と言う。
(トマ・ピケティ氏)
「第一次世界大戦と大恐慌、第二次世界大戦といった時代にはもちろん資本収益率はとても低いレベルにまで下がった。
資本の破壊やインフレ、戦費を得るための課税などがあったからです。
そのため資本収益率は1%かほとんど0%にまで落ち込んだ。」
そかし戦後 人口の増加とともに住宅や自動車の需要が増える。
「これが普遍的な新たな経済ルールだと思っています。」
もちろん格差の圧縮は長くは続かなかった。
「私たちは最初つまり第一次世界大戦前の状況に戻っているのです。
富の集中が進むということです。」
経済成長率gが鈍化する中で資本収益率rが上がり所得格差がどんどん広がっていくというのである。
Q.アメリカでは稼ぎに応じた収入を得る当然でどれだけ必死に働いたか
あるいは自分の技術をどれだけ賢く使うかでフ病棟が生じるのは当然という考えが根強いです。
(トマ・ピケティ氏)
「でも多くの人が一生懸命働いているのも事実。
富豪≠企業家
富はビジネスの収益だけで増えるのではありません。
相続した財産も企業収益と同じ割合で増えるのです。
今アメリカでは所得の低い50%の人が持つ富の割合は全体のわずか2%。
社会主義のほうがもう少し不平等が解消されるかもしれません。」
ピケティ氏は格差はさらに深刻になるとも言っている。
「今の資本主義の仕組みの中で広がった格差が自然になくなることはない。
過去の税率の戻すべきです。
1930年代から80年代までアメリカでは最富裕層の課税率は82%でした。
最高水準の経済成長を記録していた。」
ピケティ氏は税制や最低賃金の値上げを強調しているが米政治は賛否両論で対立している。
「多くの人は実現しないと言います。」
でも彼はそんな批判は無視する。
Q.577ページもの厚い本の宣伝に人が大勢集まると思いましたか?
(トマ・ピケティ氏)
「こんなに売れるなんて驚いています。
でも売れるといいなと思って頑張りましたから。」
結果は彼の予想通り「21世紀の資本論」は現在増版中だが
出版元は当初これだけの人気を呼ぶとは予想していなかったようだ。
6月26日 編集手帳
日頃、
酒にまつわる話をよく書いているからだろう。
わがパソコンは心得たもので、
「かんぱい」と入力するや迷わず「乾杯」と変換してくれる。
そうね、
朝起 きたときはそのつもりでいたのだけれども…と、
パソコンに独り言をつぶやく。
完敗である。
サッカー・ワールドカップ(W杯)ブラジル大会で日本代表はコロ ンビアに1―4で敗れ、
2大会連続の決勝トーナメント進出は夢と消えた。
競技の世界で悲劇の敗北よりもつらいのは、
そういう言葉はないが、
劇的な見せ場の ない“無劇”の敗北だろう。
選手たちの無念は痛いほど分かるが、
結果は結果として全身全霊のプレーをありがとう、
と告げておく。
1勝もできないまま敗退し た悔しさのなかから、
4年後に花ひらく大輪の種子が生まれることだってある。
わがパソコンよ、
「敗退」を「胚胎」に変換する技をいまから身につけておけ。
島田修二さんの歌を思い出す。
〈肩を落し去りゆく選手を見守りぬわが精神の遠景として〉。
遠くから失意の選手たちを見守るとしよう。
2本のゴールがネット を揺らした記憶と、
サポーターの美技を 盃(さかずき) の友として。
第3話 華麗なる転身(Makeover)
1. | Everybody Wants to Rule the World | ブレイン | Tears for Fears | |
2. | Celebrity Skin | ブリトニー&サム | Hole | |
3. | The Way You Look Tonight / You're Never Fully Dressed Without a Smile | イザベル、カート、レイチェル | Fred Astaire 映画「有頂天時代 (Swing Time)」 / ミュージカル「アニー (Annie)」 | |
4. | A Change Would Do You Good | レイチェル&ブロディ | Sheryl Crow |
第4話 涙の別れ(The Break-Up)
1. | Barely Breathing | ブレイン&フィン | Duncan Sheik | |
2. | Give Your Heart a Break | レイチェル&ブロディ | Demi Lovato | |
3. | Teenage Dream (Acoustic Version) | ブレイン | Katy Perry | |
4. | Don't Speak | フィン、ブレイン、レイチェル、カート | No Doubt | |
5. | Mine | サンタナ | Taylor Swift | |
6. | The Scientist | フィン、レイチェル、エマ、ウィル、ブリトニー、サンタナ、ブレイン、カート | Coldplay |
6月8日 BIZ+SUNDAY
アジアでJリーグの注目度を高めファンを観光客として呼び込もうという動きが始まっている。
タイでは2年前からJリーグの放送が始まっている。
バンコクに住むワタナーウェートさんはJリーグの熱狂的なファン。
(ワタナーウェートさん)
「小笠原選手だ。
イタリアでもプレーしたいい選手だよ。
Jリーグは組織的できれいなパスサッカーをするので好き。」
自宅には「キャプテン翼」など日本のサッカー漫画やJリーグで活躍した選手のフィギュアがずらり。
お気に入りのクラブは浦和レッズ。
(ワタナーウェートさん)
「いつか埼玉スタジアムで浦和レッズを応援したい。」
Jリーグ人気が高まるアジアからファンを呼び込もうと動き出したクラブも。
コンサドーレ札幌は去年夏“ベトナムの至宝”とも言われるレ・コン・ビン選手を獲得。
ベトナムでは札幌の知名度が急上昇。
日本への観戦ツアーや広告収入も増えチームの黒字転換に貢献した。
ヴァンフォーレ甲府も今年 “インドネシアのベッカム”と言われるイルファン選手を獲得。
インドネシアで絶大な人気を誇りツイッターのフォロワーは実に400万人を超えている。
その知名度を生かし山梨県への観光客誘致の切り札になってもらおうというのである。
(山梨県国際交流課 藤巻美文課長)
「イルファン選手のヴァンフォーレ甲府への加入は
インドネシアの方々が山梨県に来るきっかけになると信じている。」
Jリーグは外国人旅行客の呼び込みを強化するため日本政府観光局と連携を図っている。
(Jリーグ アジア戦略プロジェクト 山下修作さん)
「最近 海外からのお客さんがJリーグを見に来る。
増えている。」
クールジャパンの有力なコンテンツにしようとしている。
(日本政府観光局 事業連携推進部 亀山秀一部長)
「サッカーをコンテンツとして売り出していくのはプラスになる。
Jリーグと日本への旅行が東南アジアにおいて大きな価値を持つようにいていきたい。」
6月8日 BIZ+SUNDAY
タイのチョンブリにサッカーを活用して人手不足を解消する日本企業がある。
日本の大手自動車部品メーカーのジャトコ。
海外生産の拡大に伴い 去年7月にタイ南部に新工場を建設。
しかし人手不足が深刻で従業員確保が課題だった。
そこで目を付けたのがサッカー。
敷地内に専用グラウンドを作ることにした。
(ジャトコ グローバル広報部 佐藤尚武課長)
「こんな立派なサッカーグラウンドがあるジャトコということがブランド価値。
この会社にぜひ勤めたい。
働いてよかったというきっかけをいくつ作れるか。」
この日 従業員と一緒にプレーしていたのは現地法人の社長。
現地の従業員とのコミュニケーションにも役立っている。
(ジャトコタイランド 平山智明社長)
「タイ人はうまい。
よく走るし。
従業員の日ごろのストレス発散にいいと思う。」
(従業員)
「週に2日練習している。
勤務先にグラウンドがあるのが自慢さ。」
この工場では1年間に約1000人の従業員の確保に成功。
当初の計画を上回る成果を上げ本格的な生産を始めている。
6月9日 BI+SUNDAY
5月下旬 タイは軍によるクーデターで緊張に包まれた。
そんな中バンコク郊外の広場にぞくぞくと集まる人々。
彼らは地元のクラブチームのサポーターたちである。
戒厳令もおかまいなし。
愛するチームに熱い声援を送る。
「クーデターが起きているけど大丈夫!
関係ないよ!
クーデターよりサッカーの方が大事だよ。」
アジアでも群を抜いてサッカー人気が高いこの国にサッカーを足がかりに進出しようとしている企業がある。
バイザー 米田昌弘社長は7年前に愛知県でITのベンチャー企業を起こした。
企業からメール配信サービスを請け負う米田さんの会社は
これから通信事業が飛躍的に伸びると期待される東南アジア市場に進出を考えてきた。
この日 商談に向かったのはタイの大手通信会社 トゥルー。
契約実現まであと一歩に迫っている。
(バイザー 米田昌弘社長)
「エキサイティングな話でワクワクして毎回商談している。」
実はこのビジネスをつないでくれたのはJリーグの横浜F・マリノス。
米田さんの会社は4年前からスポンサーに名を連ねている。
マリノスはこの1年でタイ、ミャンマー、カンボジアのクラブと相次いで業務提携を結んだ。
その狙いはマリノスのスポンサー企業のアジア進出を強力に支援することである。
提携した企業に選手育成やクラブ運営のノウハウを提供。
その代わりに現地の有力企業を紹介してもらいスポンサー企業とのビジネスマッチングを進める。
スポンサーが成長すればマリノスにとっても利益になる。
(横浜マリノス株式会社 事業本部 )
「中小企業など海外に対する営業パワーが足りない企業に
我々はサッカーの力を使って巨大な力を持ったオーナーとのビジネスマッチングを差し上げたい。」
なぜマリノスにこのような事業ができるのか。
それはこの20年でワールドカップ常連国に成長した日本サッカーの実績があるからである。
幼稚園からプロに至るまで細かく指導する日本の育成システムにアジア各国から高い関心が寄せられている。
今回初めて日本代表に選ばれた斎藤学選手(横浜f・マリノス)もこのシステムで育った。
(日本代表/横浜F・マリノス 斎藤学選手)
「自分自身のサッカー人生においてこの育成がなかったら今はない。
マリノスの育成力が世界に広まるのはいいことだと思う。」
マリノスの提携先のひとつ タイのクラブチーム スパンブリーFC。
このクラブのオーナー シラパアーチャーさんはタイの財閥と深いパイプを持つ地元の有力者。
スタジアム入りする選手にはひとりひとり声をかけハーフタイムには自ら円陣の中心に立つ熱血オーナーである。
(スパンブリーFCオーナー シラパアーチャーさん)
「私は政財界とのコネクションがありスポンサー企業とつながっているので
マリノスのスポンサー企業のビジネス基盤の拡大のサポートできる。」
この日はオーナーのもとをマリノスの営業スタッフと米田さんが訪ねた。
米田さんと大手通信会社との橋渡し役を務めたのが実はシラパアーチャーさんである。
「あと少しで契約できるので引き続きサポートしてください。」
「私にできることがあれば何でも協力するよ。」
クラブとスポンサー企業が二人三脚で進めるアジア進出。
新たなビジネスモデルが実を結ぼうとしている。
(横浜マリノス株式会社 事業本部)
「日本とタイとの初めてのスキームでやっているビジネス。
サッカーがビジネスにとって有効であることを証明できてうれしい。」
(バイザー 米田昌弘社長)
「僕らの力を120%出してもらったサッカーの後ろ盾を感じる。」
6月4日 キャッチ!
中国で民主化を求める学生たちの運動が武力で鎮圧され多くの死傷者が出た天安門事件から25年。
中国政府は民主化運動を政権打倒の動乱だとして軍を導入。
犠牲者は政府側の発表だけで300人以上にのぼった。
中国では今もこの事件を公の場で語ることはタブーとされている。
いまだに政府から監視され圧力を受け続けている人も少なくない。
この事件で注目を浴びた当時の学生リーダーの多くはアメリカなど外国にのがれ
その後も彼らの動向は欧米メディアを中心に大きく報じられている。
しかし当時 軍の弾圧から学生たちを守ろうとした大勢の市民の存在についてはあまり知られていない。
こうした無名の市民は事件の後 政府から“暴徒”と呼ばれ重い刑を受けて服役した。
出所後も当局の監視下に置かれるなど厳しい境遇のもとでの生活がいまも続いているという。
北京に住む画家の武文建さん。
「たとえばこの梅の花の絵。
事件自体を描いてはいませんが
全体の雰囲気は事件の日の軍の発砲で感じた恐怖や撃たれた市民の鮮血などを表現しました。」
これまで描いた作品は数百点。
すべて自ら目にした天安門事件の情景が色濃くにじみ出ている。
キャンパスいっぱいに赤く塗りたくられた天安門広場。
その中に不気味に浮かび上がるのは乱暴に描かれた戦車。
武さんの作品の基調となっているのが赤い色。
「絵を見た若者は私に聞きます。
『なぜ赤入りを好んで使うのか?』と。
私は『これは血だよ』と答えます。
彼らはあの事件をよく知りません。
私にとってあの事件は血のイメージそのものです。
あれほどの血を見たのは初めてでした。」
事件当時 武さんは19歳。
北京郊外の工場に勤める労働者だった。
共産党員の父親のもとで育ち党や政府に対する忠誠心はゆるぎないものだった。
武さんは政府は学生たちの訴えに耳を貸すだろうと信じ民主化を求めるデモを見守っていた。
しかし6月4日に目にした光景でその認識は一変した。
「転んだ市民が解放軍に囲まれてこん棒で幾度となく叩かれました。
私はその人を抱えて病院へ向かいました。
看護師は血まみれになり涙を流していました。
それを見て私も涙がこぼれました。
その瞬間 政府に対する幻想は完全に崩れ去ったのです。」
デモ隊に銃を向けた政府に市民は憤り立ち上がる。
武さんも怒りを抑えることが出来なかった。
事件の翌日 勤務先の工場で武力弾圧に抗議するデモを行っている。
このデモがその後の人生を大きく左右することになる。
10日後 警察は武さんを逮捕。
“暴徒”と呼ばれ服役は6年半にも及んだ。
出所後も社会に受け入れられず孤独感を深めていった武さんは子どものころから好きだった絵に没頭するようになった。
事件を扱った作品は公の場で展示することはかなわない。
それでも絵を描き続けるのは事件がなかったかのようにふるまう中国政府に対してのせめてもの抵抗だと言う。
(武文建さん)
「私が絵を描き続けるのは民主や人権のためではありません。
この事件で犠牲になった人々と向き合いたいから描くのです。
私はその魂と向き合って『決して忘れない』と語りかけ
彼らのために言葉を発することが私のすべきことなのです。」
政府が武力弾圧にふみ切った際に多くの北京市民が学生たちを守ろうと軍の車両を燃やしたり石を投げたりして抵抗した。
武さんによると事件後『暴徒』とされて投獄された市民は北京だけで少なくとも2000人にのぼり
今も収監されている人もいるということである。
中国の人々の間では天安門事件は公の場で語られることはない。
中国メディアも報じることは一切なく若い世代の多くは事件があったことすら知らないというのが現実である。
事件後 政府は経済の自由化を進め人々の関心を政治から経済
いうなれば金儲けに向かわせることに一見成功したかに見えた。
しかしこの四半世紀 政治面での改革は一向に進まずここにきてその重いツケが回ってきている。
官僚の腐敗や権力の乱用が蔓延し所得格差は深刻化する一方である。
「働けば豊かになれる」と甘い夢を抱かせてきた経済も陰りが見える。
習近平政権はこうした状況に危機感を抱いているのは間違いない。
社会の不満が民主化を求める言論と結びついて大きなうねりとならないよう過剰なまでの警戒感を示している。
政府に批判的な言論がきっかけで公安当局に拘束された人はこの1か月で少なくとも70人以上にのぼっている。
こうした習指導部のなりふり構わぬ姿勢は
共産党一党支配におびえながらも
人々の声を力で抑え込む以外に有効な手立てを見出せないような行き詰まりを示しているように見える。
6月3日 キャッチ!
ブラジル サンパウロの商店街にずらりと並ぶワールドカップ関連グッズ。
毎日のように新たなグッズが発売され店側も把握しきれないほどだと言う。
ワールドカップを最高のビジネスチャンスだととらえているのがビール業界。
国内シェア6割以上を占めるベルギーメーカーが製作したPRビデオは
“恋人とビールを飲んで盛り上がろう”とよびかけている。
そのビールメーカー直営レストランはビール1杯が約400円。
薄利多売の戦略で業績を伸ばしてきた。
「ショッピ」と呼ばれる生ビールが人気がありこの店では1日3000杯が消費される。
ブラジルは中国・アメリカに次ぐ世界第3位のビール消費大国。
この店ではワールドカップ期間中は試合を観戦しながらビールを飲んでもらうイベントを数多く企画し
30%以上の売り上げアップを見込んでいる。
(店のオーナー)
「売り上げはすごく増えると思うよ。
大画面テレビで全試合を観戦できるようにしているからね。」
日本のビールメーカーも攻勢をかけている。
ブラジルで初めに日本のビールの販売を始めたサッポロビールはシェアはまだ1%未満だが
会場周辺の飲食店などに売り込みサッカーファンを中心に知名度を上げたい考えである。
「このビールは軽くてブラジルのビールに似ているので
宣伝すればもっと売れると思いますよ。」
一方キリンビールは今年 日本メーカーとしては初めてのブラジル現地生産に乗り出した。
工場を建設したのはブラジル南西部のイトゥー。
奇しくも日本代表チームのキャンプ地になった。
キャンプ期間中はイトゥーにあるすべての飲食店にビールを置いてもらう計画である。
キリンの戦略は値ごろ感のある高級路線。
現地生産でコストを抑えたことで輸入していた商品に比べ2割ほど安く販売している。
専用のグラスも作り“ちょっと特別なビール”だという演出も。
日本の高品質なイメージで富裕層に食い込もうとしている。
「日本のビールは初めて飲んだけど気に入ったのでまた飲みたいわ。」
さらに幅広い層の獲得を狙って地元スーパーへの売り込みを強化。
社員が直接出向いてなるべく目立つ場所に商品を置いてもらえるようセールスを続けている。
(キリンビール 磯崎功典社長)
「ブラジルはW杯
そのあとには五輪がある。
世界的なスポーツイベントをきっかけにもっと広めていきたい。」
間もなく熱戦が始まるブラジル。
ビールの販売競争はますます激しさを増しそうである。
6月19日 編集手帳
夏目漱石は俳句を饅頭(まんじゅう)にたとえた。『文学論』に書いている。
〈饅頭の真価は美味にあり。
その化学的成分のごときは饅頭を味わうものの問うを要せざるところなり。
饅頭は食べて うまければ十分で、
成分を解析する必要はない。
俳句の鑑賞も同じで、
こむずかしい理屈や解釈は無用、
美味を堪能すればいいのだ、と。
いま、その言葉をかみ しめている。
小欄はこれまで、
日本という国はいい人が多く住むいい国だと折に触れて書いてきた。
いわば“成分”を語ってきたのだが、
口角(こうかく)泡を飛ばすでもなく、
肩ひじを張るでもなく、
さりげなく日本人の“美味”を海外に伝えてくれた人たちの前では
、帽子を脱ぐしかなさそうである。
サッカー・ ワールドカップ(W杯)ブラジル大会の日本人サポーターを世界の主要メディアがこぞって称賛した。
日本代表が14日のコートジボワール戦に敗れたあと、
黙々と客席のゴミを拾う姿が感銘を与えたという。
季節に合う美味なる一句を。
〈涼風の一塊(いっかい)として男来る〉(飯田龍太)。
日本時間ではあすの朝になる。
サポーターの吹かせた涼風のなかを、
男たちがピッチに来る。
6月14日 編集手帳
画家の安野光雅さんはかつて「百人一首」の下の句七七はそのままに、
上の句五七五を創作したことがある。
〈シンデレラ魔法の恋と知りながらなほ恨めしき 朝ぼらけかな〉という具合に百首詠むのだから、
なまなかの感性でできる仕事ではない。
その人が新しく歌の本を書いた。
『皇后美智子さまのうた』(朝日新聞 出版)という。
天皇、皇后両陛下が折々に詠まれた133首に安野さんの文章が添えてある。
草花の挿絵が美しい。
サッカーの季節、
皇后さまの一首にページを 繰る手が止まる。
〈ブブゼラの音も懐かしかの国に笛鳴る毎(ごと)にたたかひ果てて〉。
あのラッパのような民族楽器は4年前の南アフリカ大会である。
翌年のお歌には震災が詠まれている。
ブブゼラを聞いていたときは「ベク レル」も「除染」も知らなかった。
開幕したブラジル大会の日本代表は史上最強とも評されている。
もしそうだとすれば鍛錬と精進に加えて“あの日”のつらい 記憶もまた、
彼らを強くしたのかも知れない。
〈草むらに白き十字の花咲きて罪なく人の死にし春逝く〉。白き十字はドクダミだろう。祈りのような花である。
6月1日 BIZ+SUNDAY
銘建工業社長の中島浩一郎さんたちがいまオーストリアで学び導入しようとしているものがある。
7階建てのビルを木造で建てることのできる建築材である。
CLT Cross Laminated Timber(直交集成板)。
板を互い違いに張り合わせるだけで鉄筋コンクリート並みの強度を得られることが分かった。
(銘建工業 中島浩一郎社長)
「ヨーロッパでできたしてたった10年。
その前はこういうことがなかった。
日本も必ずやれると思う。」
しかし日本では3階建て以上の木造のビルは原則法律で認められていない。
中島さんたちの働きかけに応えて国はCLTの耐震実験を行った。
5階建て相当のビルに建築基準法が求める震度6弱の揺れを加えた。
目立ったひび割れは見つからなかった。
今後さらに実験を重ね実用化を目指すことになった。
Q.CLTの本格的な実用化に向けた可能性
今後の施策の進め方は?
(林農相)
「ひとつの大きな柱にしたい。
木の柱という意味ではなくて施策の柱という意味。
ヨーロッパが同じような状況で同じような時に戦争があって
木がなくなって植林して出てきて
ヨーロッパは10階建てを全部木で造るものが出来ている。
そのキーがCLT。
我々も少し加速化してCLTに取り組みたい。」
Q.里山資本主義に触れて感じたことは?
(林農相)
「お金では換算できない価値とよく言うが
非常に良いものがある。
そういうものを大事にする気持ちを持ちながら資本主義と共存していく。
里山資本主義はおもしろい概念。
ポテンシャルが実は農村漁村にあるが
これを里山資本主義できっちり守っていくと残るし
守らないとゼロになるという意味。
そういうプラスの考え方は大いにある。」
6月1日 BIZ+SUNDAY
美しい棚田の風景が広がる兵庫県養父市。
今年3月農業分野の国家戦略特区に指定された。
この町が特区を申請したのは基幹産業である農業の将来に対する危機感があったからである。
誰も耕す人のいない耕作放棄地は4年で2倍に。
(養父市 広瀬栄市長)
「今 手を打っておかないと養父市の農業は壊滅的な状況になってしまうことは明らか。」
美しい棚田にひかれ農業を志す若者が何人もやって来たが定着しなかった。
養父市はその大きな原因に農地法による規制があると考えた。
新規参入者が農地を取得するのは容易ではないからである。
現在の農地売買の仕組みは
売買の権限は各地の農家の代表で作る農業委員会が持っている。
新規の就農希望者は申請に必要な条件を満たすのが難しく売買はなかなか実現しない。
特区ではこの権限を養父市に移す。
希望者の申請には柔軟に対応し売買しやすくする方針である。
農業の再生の中心となっているのが養父市副市長 三野昌二。
三野さんは副市長に就任する前 経営者として数々の企業再生を手がけてきた。
その手腕を買われ去年 起用されたのである。
(養父市 三野昌二副市長)
「国家戦略特区という募集があり我々は手を上げさせてもらった。
これをひとつのきっかけ 起爆剤にしながら
この地域の農業の活性化
産業の振興
定住人口を増やしていくという取り組みをしていきたいという考え。」
三野さんは新規参入を促す環境を整える一方で若者の定着を支援する仕組み作りを急いでいる。
資金力のない若者に代わって市が運営する会社が農家から農機具を借り受ける予定。
移住してきた若者が地域から受け入れられるようベテラン農家との関係づくりをサポートする。
さらに農業が軌道に乗るまでは収入が得られるようコンビニなどの仕事も紹介する。
特区に指定された後 農業を志す若者からの問い合わせが増えている。
(養父市で農業を学ぶ 阿部博史さん)
「若いのは僕だけなので
もっと年の近い人とやれば農業も楽しいと思う。
20代の方がどんどん入ってくれば地域も活気づきますし
後継者の問題もクリアされるかなと。」
国を動かした養父市の危機感。
特区の成否に全国の自治体が注目している。
6月1日 BIZ+SUNDAY
島根県津和野町の奥の奥。
左鎧(さぶみ)地区という過疎の集落がいま自然豊かな環境ならではの子育てで移住者を集めている。
子どもが減り地区の小学校が廃校の危機にさらされる中で
田舎だからこそできる教育とは何か模索を始めた。
(山のこども園うしのしっぽ 京村まゆみさん)
「生きる力を育てるために必要なのは体験でしかない。
体験できる自然とか
ここで子育てできることにこだわるべきだと思っている。
こだわった先に周りの人がひかれてやってくる。」
元保育士の主婦京村さんを中心に去年始めた“森のようちえん”。
園舎も遊具もない自然の環境が子どもたちをたくましくしていく。
枝の間に木を渡してまたがる遊びを考えついた4才の女の子。
木が折れて枝にぶつかったぐらいでは泣かない。
あきらめずにもう一度挑戦する。
京村さんたちの子育てに共感して
子どもを持つ4家族を含め合わせて30人以上が移住し生活を始めている。
今年も兵庫県西宮市の家族が左鎧への移住を決めた。
(古家後知子さん)
「子どもを育てる環境を残したいというひとつの目標があって
みんなで協力しているのはすごくすてきで
来てみたいな。」
(山のこども園うしのしっぽ 京村まゆみさん)
「教育の資源がすごく豊富。
田舎だからこそあって都会にはほとんどなくなっている。
なくなった都会に近づけようと田舎がする必要は絶対ない。
ど田舎だからこその良さを利用したほうが外からにも魅力を感じてもらえる。」
6月1日 BIZ+SUNDAY
鳥取大山の雄大なすそ野。
ここで驚くべきことが起きている。
年に100人以上もの人がこのふもとに移住している。
移住してくる大きな理由は大山の風景。
(農家 森藤力さん)
「晴れた日に大山を見ていると気分が落ち着く。」
5年前 森藤力さんは農業の経験はほとんどないままここにやって来た。
ニューヨークのIT企業に勤めていた森藤さん。
帰国を機に農業をしようと決意し
どうせなら雄大な景色の中で自然に近い農業をしたいと考えた。
大山には有機農業に適した土があった。
火山灰に植物が堆積してできた黒ボク土。
この土を使って今では年に80種類もの野菜を育てている。
大山の風景に一目ぼれし一番気に入った景色の場所にパン屋を開いた人もいる。
(コウボパン 小さじいち 西村公明さん)
「大山とこの風景にひかれて
この地で自然なものを作りたいなという思いが強くて。」
大阪でサラリーマンをしていた西村さんが選んだのは人家もまばらな畑の真ん中。
しかしここにはパン作りにもってこいのものがあった。
井戸から湧き出る地下水に近所の農家が分けてくれる余った果物を合わせてみると
空気中の菌を取り込んで素晴らしく香りのいい天然酵母が出来た。
自然の風味のパンが評判を呼び岡山や大阪からリピーターを集めている。
「小麦の味がしてほわっと天然酵母の香りがする。」
「シンプルだけどおいしい。
思わずたくさん買っちゃいました。」
6月1日 BIZ+SUNDAY
千葉県佐倉市のニュータウン ユーカリが丘。
開発を手掛ける民間ディベロッパーは通常にない手法を取っている。
40年前に240ha以上造成したにもかかわらず1年に建てる家の数を200戸に制限。
いまだに分譲を続けている。
(ニュータウンを開発した山万 林新二郎常務)
「いま建設中の所
あるいは販売中の所
それと未販売の所が混在しています。」
なぜそんな手法を取っているのか。
お年寄りから子どもまで様々な世代がバランスよく暮らす街にするためである。
去年12月に千葉市内のマンションから一戸建てを買い移ってきた家族は長女は2歳
もうじき2人目が生まれる。
(根本雅子さん)
「ここは比較的年輩の方もいらっしゃいますし若い世代も入り混じっている。
これから私たちが年を重ねていっても新しい世代若い世代が入ってくるかな。」
それでも何十年もたつと世帯は高齢化する。
そこでこの会社は子育てが終わった世代に駅に近いマンションへの住み替えをあっせんする。
夫婦2人なったのを機に住み替えをすることにした川越さん夫婦。
それまで住んでいた一戸建てはディベロッパーに下取りしてもらいマンションの購入資金に充てた。
ニュータウンの中で住み替えることには住民の中で大きなメリットがある。
長年の近所づきあいが続けることができるのである。
(川越克美さん)
「コミュニティーが変わらないのが一番。
新しい人間関係をこれから築き上げるのはエネルギーがいることだと思う。」
ニュータウンの中にはグループ会社が運営するお年寄りの施設も作られている。
介護が必要になったとしても同じ町に住み続けられる。
一方 下取りした一戸建ては会社がリフォームして若い世代を呼び込む。
(山万 林新二郎常務)
「町全体で新陳代謝がどんどん図られていく。
住み続けていただける環境を提供できる。」
さらに街の価値を上げるため社員は1件1件の要望を聞いて回る。
「街の中でお店のことでも結構ですし何か気になっていることありますか?」
子どもの登下校が心配という声にこたえてグループ会社で民間交番を設立。
親戚を泊まらせたい・家族のイベントをしたいという声はホテルとなって実現した。
駅まで歩くのが大変という声にこたえて去年からは無料巡回バスまで走らせている。
それでもこの40年ニュータウン全体の収益は黒字を続けていると言う。
(山万 林新二郎常務)
「長い目で見ればそこに住む型の快適性永続性といったものを考えれば
多少の不採算部門があってもやらなければいけない。
長い時間の中で回収できればいいという考え方をする。」