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AIに負けない能力を磨け

2018-04-23 06:15:00 | 経済フロントライン

3月24日 経済フロントライン


都内のビルの1室で行われているのはアート作品を使った企業研修。
参加者は人材派遣などを行なう企業の社員22人。
最初の課題は
彫刻を見た印象を率直に話すこと。
「何か成し遂げた人なんじゃないか。」
「もしかしたら“大貧民”の代表の人なのかな。」
感じ方は人それぞれ。
自分とは違う他者の感覚を理解することで
AIより人間の方が優れているという“コミュニケーションの力”を磨く。
(京都造形芸術大学 専任教師 岡崎大輔さん)
「ほかの人たちの意見も聞いて
 それを踏まえて
 自分の考えや他の人たちとのやりとりを発展させるという効果がある。」
続いての課題は
自分の見たものを目隠しをした人に伝える
「イスの素材は木で
 色が塗ってあって 黄色に。」
「座面はクッション?」
「わらで編んだような・・・。」
「わら?」
“自分で感じたことをどう言葉にして伝えるのか”。
これも人間の方が得意だという能力である。
2日間で12時間。
1度研修を受けた企業のほとんどが繰り返し受講していると言う。
(研修に参加した社員)
「今リーダーでチームをひとつ見ているが
 そこですごく感じているのが“人は感情で動く”。
 相手がどんなふうに感じているのかを理解する意味では
 生きる手段みたいなものにつながる。」
(研修を取り入れた パーソルホールディングス 人材開発室)
「人と人がつながって
 どういうことを生み出していくのかがより求められている。
 感覚をトレーニングできる研修はこれからも増やしていきたい。」



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大学生に人気 AIを学ぶサークル

2018-04-22 22:15:00 | 経済フロントライン

3月24日 経済フロントライン


AIのプログラミングを学ぶサークル。
東京大学などの学生250人が参加。
コンピューターが自ら学習する“ディープランニング”の仕組みなどを学んでいる。
サークルを作った石井大智さん。
石井さんは去年
AIに詳しい学生と企業を橋渡しする会社を設立した。
すでに50社以上と取引をしているという。
(STANDARD代表 石井大智さん)
「いろんな企業と話をさせていただくにつれ
 これだけの人数
 これだけの切迫した中で求められている。
 AIの技術者を1万人届けるところを目標に設定して取り組んでいる。」
2月にサークルに入った慶應義塾大学経済学部2年大学 井上さん。
今はデータから規則性を見つけ出すためのプログラミングを勉強中である。
専攻は経済学で文系だが
将来はAIで顧客に商品を提案するシステムの開発したいと考えている。
(慶應義塾大学経済学部2年 井上さん)
「AIの技術を取得しているのは
 一定の需要があるし
 一定の評価は得られる。
 将来お金に困らない
 生活する糧には間違いなくなる。」

 

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東京五輪・パラ後の2025年問題とは

2018-04-21 07:00:00 | 経済フロントライン

3月24日 経済フロントライン


家事の代行をしてくれるのはフィリピン人の女性。
広島でカキの殻をむくのも外国人である。
建設現場で足場の組み立てを行なう浜松市の会社。
従業員20人のうち8人が外国人。
この半年で6人増やした。
彼らは技能実習生。
最長で5年間働くことが認められている。
日本での技術習得が本来の目的だが
日本人がなかなか集まらないなか貴重な戦力になっているという。
(足場組み立て会社 宝翔 後藤友亮社長)
「この際 外国人の比率を先を見越して増やしていこうじゃないか。
 できるところは逆に全部外国人にしちゃおうじゃないかと。」
しかし外国人を雇うにはさまざまな制約がある。
11人の従業員のうち店長を含めて10人が外国人というコンビニエンスストア。
コンビニは技能実習制度の対象ではないため
働き手の多くは留学生である。
留学生の労働時間は週28時間までと決められている。
そのため忙しいときでも長く働いてもらうことができず
1人でも多く留学生を集めたいという。
(ローソン 芝浦八千代橋店 店長)
「求人を出しても日本人は来ないのが現状。
 外国人がいなくなると店にとっては運営を続けられない。」
この日行なっていたのは来日したばかりの外国人への研修。
このコンビニチェーンでは欠員が出ないよう来日前から面接を実施し人手を確保している。
コンビニにスタッフを派遣している会社は
いずれ学業に支障がない範囲で労働時間の規制緩和されることを期待している。
(ローソンスタッフ 佐藤洋彰社長)
「週28時間で本当に彼らがそもそも生活が成り立っているのか心配。
 数時間でもいいので若干の規制の緩和があるのであれば
 都内や留学生が多い地域の人手不足は恩恵を受けると思う。」
今のままではいずれ外国人が日本で働いてくれなくなると心配している人がいる。
ベンチャー企業社長の松崎みささんである。
もともとはシンガポールで現地の人材を日本に紹介する仕事をしてきた松崎さん。
日本の人手不足の状況を知り
去年11月 日本にいる外国人に向けて仕事の情報を提供するアプリを作った。
登録している外国人は3,000人以上。
しかし企業側は“日本語ができてフルタイムで働ける”人材を求めることが多く
契約に至らないケースもあるという。
このままでは
シンガポールやマレーシアなど外国人が働きやすいとされる国に人材を奪われてしまうと危惧している。
(WORK JAPAN 松崎みさ社長)
「“他の国であれば英語ができれば働かせてもらえる”
 “もっと働くことが簡単な国に行こうか”という選択肢が出てきて
 日本が選ばれない国になってしまう可能性もある。
 どんどん外国と人の取り合いになっていく状況が起きる。」



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2020年の後 日本経済は?

2018-04-20 07:00:00 | 経済フロントライン

3月24日 経済フロントライン



東京五輪・パラリンピックに向けて建設が進む選手村。
ここに21棟ものビルが建てられる。
新国立競技場も急ピッチで建設作業が進められている。
同時に虎ノ門 大手町 渋谷などでも再開発が進み
オフィスビルが次々と建設されている。
今年からオリンピックが開催される2020年までに供給される都内の新築オフィスの床面積は
約253万㎡。
東京ドーム54個分に匹敵する。
田町駅の近くに建設中の31階建てのビル。
ここに移転する予定の大手コンビニチェーン。
これまで分散していたオフィスを集約することができ
今より業務の効率が上がると考えた。
(ユニー・ファミリーマートHD CSR.管理本部 青柳有二さん)
「この数年でM&Aを繰り返してきた。
 M&Aの旅に本社を増床したり改装していたが
 それを今回集約することで社員が行き来しやすいと考えている。」
ビルの完成は5月だが
建設を主導した不動産会社には入居の申し込みが相次いでいるという。
(三井不動産 ブルディング本部 西田弥生さん)
「立地や高いブルグレード(設備)を評価いただいている。
 現時点でおおよそ満室。
 非常に手ごたえを感じている。
 今後も需要は伸びていく。」

新築だけでなく古い雑居ビルも人気を集めている。
駅の近くでビルの空室を探しているのはベンチャー企業の社長 高志保博孝さん。
「駅から5分とか
 そういう立地のいいところでテナントが出てくることによって
 ビジネスチャンスが広がる。」
駅から徒歩1分のビルのワンフロアを使って高志保さんが運営しているのは
ホステルと呼ばれる簡易宿所である。
訪日外国人の急増に対応するため
国は一昨年 簡易宿所の規制緩和を行なった。
その結果 狭い場所でも開業しやすくなったのである。
最近ではオリンピック需要を見込んだ同業者も増え
空きビルの争奪戦になっているという。
(ベンチャー企業 大和人 高志保博孝社長)
「今は8店舗
 少なくとも年末までには20店舗。
 上手くいけば25店舗 30店舗ぐらいはやっていきたい。」




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なぜ上がらない?私たちの給料 ②人材投資で業績・給料アップを

2018-04-13 07:00:00 | 経済フロントライン

3月18日 経済フロントライン


大手化粧品メーカー 資生堂。
従業員はグループ全体で約46,000人にのぼる。
3月5日に発表した新たな経営計画で
人材投資に今後3年間で140億円を投じると打ち出した。
(資生堂 魚谷雅彦社長)
「本気になって人材の成長投資をはかりたい。
 これなくして世界で勝てる企業にはなりえない。」
去年1年間の営業利益は過去最高の804億円を記録した。
業績が好調ななか
賃上げだけでなく社員のスキルアップにもお金を使うことに決めたのである。
すでに始めている取り組みがある。
英語学習の支援である。
営業だけでなく総務や人事など本社で働く人たちを対象に去年から実施している。
社外の英会話スクールで1回80分のレッスンなどを
勤務時間内に無料で受けることができる。
1,700人が利用している。
(社員)
「勤務時間内で会社がこういう機会を与えてくれるのはありがたい。」
「成長意欲はこういう取り組みで非常に刺激されている。」
さらに若手や中堅の社員には希望すればMBAを取得するチャンスも与えている。
営業担当の西上直樹さん(30)。
仕事のあとや休日に早稲田大学のビジネススクールに通っている。
通常なら2年間で300円余かかる受講料は会社負担。
刺客を取得したあとは海外の拠点で経営に携わりたいと考えている。
(西上直樹さん)
「ビジネススクールには弁茶企業の社長も役員もいる。
 仕事の内容も価値観も違う。
 そこを聞くことによって
 新たなビジネスアイデアとか
 提案したい内容が変わってきたと肌で感じている。」
学びの成果はすでに仕事にも生かされている。
ふだんはスーパーマーケットなどの営業を担当している西上さん。
アンケートなど新たにマーケティング活動も行うようにした。
ビジネススクールで他の会社の人と議論するなかで
新しいことに挑戦する重要性に気づいたと言う。
(西上直樹さん)
「自分のスキルが上がっているのもわかるし
 知らない世界に飛び込んでいって
 成果に結び付けられたらと思う。」
魚谷雅彦社長は
社員教育にお金を使うことで業績が向上し
結果として社員自身の給料アップにもつながると考えている。
(資生堂 魚谷雅彦社長)
「人件費もコストや費用ではなく投資である。
 投資なのでしっかりそれを増やして
 人が成長して企業が成長できれば
 投資が十分価値を生めばリターンが十分あると考える。
 発想を大きく変えていく時期ではないか。」
投資家の間では企業が人材育成にお金を使っているかを重要視する動きが始まっている。
約500社の日本企業に投資を行なっている外資系の資産運用会社。
投資家の視点から経営者へ助言などを行なっている三瓶裕喜さん。
この日 投資先である大手の情報システム会社の経営者と面談を行った。
「売上高は順調に右肩上がりだが
 社員数がほとんど伸びていないので
 1人あたりの生産性が改善している。」
この会社は社員の資格取得を支援する制度を導入。
社員1人あたりの売り上げは5年で約2割伸び
給料も上がっている。
三瓶さんは
競争が激しいIT業界で今後も成長するためにはより一層社員への投資が必要だと訴えた。
「御社のビジネスモデルがうまく回っていくように
 人材投資は成果が実るので続けていただきたい。」
(大塚商会 大塚祐司社長)
「投資家は人材投資を長く見てもらえるところが多い。
 助かっている。」
しかしこうした企業はまだ少数。
三瓶さんは人材投資に力を入れるようアドバイスを続けていきたいと考えている。
(フィデリティ投信 三瓶裕喜さん)
「上場企業が3,000社ある。
 その中で人材投資は残念ながらほとんどできていない。
 3年 5年考えて社員1人1人が成長することによって得られるものに
 もっと視点を移していく。」




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なぜ上がらない?私たちの給料 ①賃上げは難しい?

2018-04-12 07:00:00 | 経済フロントライン

3月18日 経済フロントライン


埼玉県に本社がある曙ブレーキ工業。
ブレーキの生産で世界有数のシェアを誇り
グループの従業員は9,000人を超える。
売り上げの7割が海外。
イギリスの超高級スポーツカーに使われるブレーキや
アメリカのGMゼネラルモーターズ向けの製品など
円安を追い風にこの5年で売り上げは約3割アップした。
社長の信元久隆さん、
当初から3%を超える賃上げは容易ではないと考えていた。
その理由は世界で加速するEVシフト。
自動車の電動化でブレーキに求められる技術も急速に変わりつつある。
これまでのガソリン車のブレーキは
油圧を使ってブレーキを動かし車輪を止める仕組みである。
今後 電動化が進めば
油圧ではなく電気を使ったシステムに置き換わるとされている。
世界中のライバル企業との開発競争に勝つために積極的な設備投資が必要で
「人件費を大幅に増やす余裕はない」と信元さんは言う。
(曙ブレーキ工業 信元久隆社長)
「今の状況を考えていくと
 自動車産業自体が変わっていくし
 先に対する対応をどうするかを今からやっておかないと
 先もなくなってきてしまう。
 危機感が非常に強い。」
3月7日 賃上げをめぐって経営側と労働組合との間で詰めの交渉が行われた。
労働組合の委員長 尾釜芳昭さん。
「我々としては制度的昇給はあるものの
 全体の底上げ
 そういったところも必要。」
実は労働組合側も当初から“大幅な賃上げ要求は難しい”と判断していた。
経営側に要求した賃上げ率は満額でも2,6%だった。
組合が給料の引き上げを強く求めないのは理由があった。
「2009年6月ですね。
 希望退職者を初めて募集した。」
2008年に起きたリーマンショック。
取引先の自動車メーカーの経営不振で
会社は巨額の赤字を記録した。
そして翌年 正社員約200人のリストラに踏み切ったのである。
これ以降 雇用の維持が最優先となり
賃上げ要求は会社の経営状況をより踏まえたものになっていったと言う。
(労働組合 尾釜芳昭中央執行委員長)
「当然会社がなければ従業員も雇用がないということになりますので
 賃金 一時金の要求もありますけどそういったところはバランスをとりながら
 組合のほうも考えていかなといけない。」
14日 経営側が回答を示した。
賃上げ率は月給ベースで去年を上回る2,3%で妥結。
激しいグローバル競争に直面する企業にとってぎりぎりの決断だった。
(曙ブレーキ工業 信元久隆社長)
「これでも無理した回答だったと思っている。
 労使が一緒になったやれると思うし
 やっていかなければいけない。」
一方 国内市場中心の企業も人口減少が進むなか賃上げに二の足を踏んでいる。
首都圏を中心に観光ツアーを手掛ける はとバス。
従業員約1,000人である。
専門知識を持つ社員による質の高いサービスを売りにしている。
景気の回復を追い風に利用者も増え
昨年度は93万人とバブル期の水準に達した。
この6年にわたり黒字経営を続けている。
しかし会社では“今後 客足は伸び悩む”と見ている。
人口減少の影響が避けられないと考えているからである。
(はとバス 黒瀬智弘経営本部長)
「国内での市場が今より拡大していくとの予測はどの企業もしていないだろう。
 どういう戦略をとっていくかがこれからの課題。」
いま会社は新たな収益の柱をつくろうとしている。
まず取り組んだのが訪日外国人客の獲得である。
日本の伝統文化を体験するツアーなど
1日20コースほどを運行。
しかし外国人客の獲得は容易ではない。
この日定員42人のバスに乗り込んだのはオーストラリア人の2人だけ。
外国人の利用者は思うように増えていない。
この会社では
格安で運行するライバル会社の出現などが理由だと見ている。
(加藤一久国際事業部長)
「外国人の客数をどんどん伸ばしていく計画だが
 非常に環境としても厳しくなってきているのかなと。」
この会社ではバス利用者の数が伸びなくなることを見越して
ホテル事業など多角化に取り組んでいる。
国内市場の縮小が見込まれる今
企業にとって大幅な賃上げは容易なことではない。
(はとバス 黒瀬智弘経営本部長)
「どれだけ賃上げができるかは一番大きな問題ですので
 会社としても可能な限り人材投資という点でも応えたいが
 現実の中でなかなか難しい。」




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地震からの事業復旧 ソニー熊本の教訓

2018-03-31 07:00:00 | 経済フロントライン

3月10日 経済フロントライン


おととし4月
震度7の揺れが熊本を襲った。
菊湯町にあるソニーの半導体工場。
カメラのイメージセンサーの製造で世界シェア7割を誇るこの工場も激しい揺れに見舞われた。
工場全体の被害個所は1万か所以上。
この工場では
東日本大震災のあと
もともとあったBCPを数回にわたって強化。
復旧の目標を製品の在庫が尽きる2か月としていた。
しかし想定が不十分だったため
実際には3か月半かかってしまった。
(ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング 上田康弘社長)
「準備をしておけば今回の熊本地震でもかなりの被害を抑えることができた。
 そういうことをやっていない。
 これが非常に反省点。」
復旧が遅れたのが半導体製造の中枢となる部屋 クリーンルームである。
微細な加工が行われるため
わずかなホコリが入ることも許されない場所だが
天井と壁が破損。
外の空気が入り込み一切の製造ができない状況だった。
BCPではクリーンルームは強固だとして壊れることを想定していなかった。
何から手をつければいいのか
実は参考になる事例があった。
東日本大震災で被災した半導体メーカーのルネサスエレクトロニクスである。
ルネサスでもクリーンルームが壊れたが
全国から技術者を集め一斉に投入。
片づけや電機の復旧
設備の修理など
同時並行で進めた。
工場長の鈴木さんは地震のあとルネサスを急きょ訪問。
そこで得た情報をもとに指示を出す。
全国から集められた1000人が一斉に投入された。
ようやく復旧が進んだが
クリーンルームの再稼働だけで約1か月かかった。
ソニーでは
地震が起こる前にルネサスの教訓をBCPに反映させていれば
もっと早く復旧ができたはずだと考えている。
(ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング 上田康弘社長)
「あれは東北の話で熊本では起きない
 熊本は地震がない県だとどこかで思っていて
 真摯に学ばなかったのがすごく反省。」
これ以上の復旧の遅れは許されない。
4月29日(被災から14日目)
社長自ら檄を飛ばす。
「ソニーではなくサムスン(韓国)やオムニビジョン(米国)に任せた方がいいのか。
 生産が立ち上がれば我々の信用はより増して
 ソニーがそういうなら完全に任せられるという関係がもう1回築ける。」
しかし新たなBCPの不備が明らかになった。
揺れで破損した半導体の製造装置。
なかでも問題となったのが高温で加工する時に必要なガラス部品である。
地震でほとんどが割れてしまい工場にあった予備の部品だけでは足りなかった。
BCPでは“復旧計画に基づいて材料手配を早急に行う”と記されていた。
しかし調達先として予定されていた部品メーカーに連絡してみると
(調達担当 佐藤英樹さん)
「部品のリストを用意して
 最初はそれを片手に部品メーカーのところに行ったが
 “こんなにたくさんありませんよ”と。」
結局 県内のライバル企業に手あたり次第連絡して協力を求めることにした。
想定していなかった事態に配送はスムーズに進まなかったと言う。
(調達担当 佐藤英樹さん)
「どういう方法でどこにどう運んだらいいか
 そういう想定がなされていなかったので
 スピード感という点では1歩2歩遅れたかもしれない。」
2か月の復旧目標は実際には3か月半かかったソニー。
被災した時には他社と部品を融通する仕組みをつくるなど
新たな対策を進めている。
(ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング 上田康弘社長)
「我々は熊本地震でいろいろなノウハウがある。
 もう皆様のところに押しかけてでも
 この話を聞いてくださいと
 必ず皆さんのところでも同じようなことが起きるリスクがありますよと
 話を聞いてください
 理解してください
 ということは強く言いたいと思う」。




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ナイキと日本企業 知られざる物語 ③ナイキ創業者フィル・ナイト氏 日本へのメッセージ

2018-03-30 07:00:00 | 経済フロントライン

3月10日 経済フロントライン


(ナイキ創業者 フィル・ナイトさん)
「日本のビジネスマンがアグレッシブでないとか
 起業家精神がない
 リスクをとらない
 という見方は本当だとは思いません。
 将来は言われているよりずっと明るいでしょう。
 私は楽観的です。
 アメリカのビジネスマンも振り返ってみれば同じようなときがあったと思います。
 学生としては優秀でしたが
 リスクをとることを少し怖がる
 失敗を恐れる時代がありました。
 それを今は乗り越えたと思います。」
Q.日本の若い世代や若いビジネスマンに何かメッセージはありますか?
(ナイキ創業者 フィル・ナイトさん)「
「私が若い頃に学んだ教訓をお伝えしたいと思います。
 『失敗してはいけないのは最後に挑むときだけだ』。」
 The only time you musut not fail,
      isu the last time you try.


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ナイキと日本企業 知られざる物語 ②相次ぐピンチ ナイキ支えた日本企業

2018-03-29 07:00:00 | 経済フロントライン

3月10日 経済フロントライン


創業から7年後の1971年。
ナイトさんは大きなピンチを迎える。
急拡大を疑問視する銀行から取引の終了を告げられたのである。
新たに融資をしてくれる銀行を見つけたものの
突然 取引を止められ会社が破たんする危険性があった。
ナイトさんはある経済誌の記事を思い出す。
(「SHOE DOG」より)
日本は生まれ変わった。
世界第3位の経済国になった。
すさまじく精力的な日本の総合商社。
時にプライベートバンクとして
あらゆる会社に有利な条件で貸し付けを行なう。
ナイトさんはポートランドにも日本の商社があると知り頼ろうとする。
日商岩井だった。
ポートランド支店で営業を担当しナイトさんと接した 皇孝之さん(75)。
当時28歳。
アメリカに赴任したばかりで新しいビジネスを探していた皇さんは
ナイトさんの熱意に触れ
社内で「支援すべきだ」と主張する。
(皇孝之さん)
「我々がよく言っていたのは“当たるのは100に3つ”。
 仕事仕事がみんな当たる
 そんなことは絶対にない。
 100のうち3つに入っていたという感触は当時はありませんでした。
 当たる感触が出てきたのは2年ぐらいかかりますね。」
当時アメリカにはシューズメーカーは少なく
ビジネスチャンスがあると考えた。
皇さんはナイトさんの会社に関する詳細な書類を作成。
日商岩井が商品の仕入れなどをサポートするようになる。
(皇孝之さん)
「“近い将来アメリカで1番のスポーツブランドにする”と
 高らかに宣言するわけです。
 日商岩井としても
 彼らの夢を買った
 夢に投資した。」
この年(1971年)ナイトさんはナイキブランドを立ち上げる。
クッション性の高さや独自のデザインで
ヒット作を次々と売り出す。
しかし
ナイキ誕生から4年
急拡大のひずみが噴出する。
発行した小切手が口座の残高不足から換金できなくなったのである。
従業員への給料も払えなくなった。
しばらくして銀行は取引を停止。
融資の回収に走る。
このときナイトさんがワラをもつかむ思いで頼ったのが日商岩井だった。
対応した経理担当の伊藤忠幸さん。
(伊藤忠幸さん)
「ナイトさんが血相変えて僕のところに来たんです。
 『ミスターイトー とにかく来てくれ』と。
 一緒にナイキ本社があるビーバートンのオフィスに行ったんですね。
 黒い服を着た人が
 かばんに配達された小切手なんかをボコボコ入れているんです。
 びっくりして
 “Who are you?”
 “What are you doing?”と言った。
 “バンク・オブ・カリフォルニア(メインバンク)の代理人だ”と。」
伊藤さんは銀行も損失を抱えていると聞いていた。
その穴埋めのために債権の回収に走ったと考えていた。
将来性のある企業を銀行の事情でつぶしてはならない。
伊藤さんはナイトさんとともに銀行に向かい
“日商岩井が借金を全額肩代わりする”と伝えた。
伊藤さんがそのことを上司に報告したのはすべてが終わったあとだった。
(伊藤忠幸さん)
「将来 未来に向かってナイキ号という飛行機がテイクオフする瞬間
 そこでね バンク・オブ・カリフォルニアが来て
 ちょっと都合が悪くなったから燃料抜くぜというようなもの。
 これから いよいよというときになんて事するんだ。
 ものすごく腹が立ったんです。
 権限規定なんか無視して
 行けというようなもので
 やってしまった。」
(ナイキ創業者 フィル・ナイトさん)
「日商岩井に“ノー”と言われたら廃業でした。
 彼らとは親しく付き合ってきたし
 当社のことをよく知っていました。
 経営手法も信用してくれて大きな会社になれると信じてくれていました。」
その後 靴からアパレルなどへ事業を拡げ
世界一のスポーツ用品メーカーになったナイキ。
本社の一角に皇さんや伊藤さんへの感謝を込めて“日商岩井ガーデン”という日本庭園を造った。
日商岩井はその後 合併して「双日」となったが
40年以上前の出来事が今も語り継がれている。
(双日 藤本昌義社長)
「フィル・ナイトさんからいただいたシューズ。
 僕らにとっては伝説。
 当時 日商岩井でナイキを創った人たちは裏ではいろんなことを言われたと思う。
 “こんなところに貸すのか”と。
 結局それを熱意でもって論破して
 最終的にはああいう形で融資をした。
 そういう熱意をいまひとりひとりに持ってほしい。」
ナイトさんを支援した皇さん。
皇さんのもとにはナイトさんのサインが入った本が届けられた。
いま何を思うか。
ナイトさんに向けたメッセージ。
(皇孝之さん)
「本をありがとう。
 この行が気に入りました。
 あなたは“私の兄弟”だ
 いつの日か私の孫たちに伝えたいです。
 “おじいちゃんはあのナイキを創るのに貢献したんだよ”と。」
(ナイキ創業者 フィル・ナイトさん)
「すごい 本当に最高だ。
 胸がいっぱいだ。」
「最も語りたかったのは創業当初のことです。
 株式公開してからのことはみんなが知っています。
 でも皇さんや伊藤さんのことを知っている人はほとんどいないでしょ。
 彼らのことこそ知って欲しいのです。」



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ナイキと日本企業 知られざる物語 ①原点は日本企業 ナイキ創業者のベンチャー魂

2018-03-28 07:00:00 | 経済フロントライン

3月10日 経済フロントライン


世界最大のスポーツ用品メーカー ナイキ。
いまその自伝が注目を集めている。
タイトルは SHOE DOG
20万部を売り上げたこの本には日本人の多くが知らない事実が記されている。

アメリカ北西部オレゴン州のポートランド。
自然豊かで気候も温暖。
“住みたい町”のランキングで上位になることも多い町である。
ナイキ本社はポートランド中心部から車で20分ほどの郊外にある。
敷地面積はなんと東京ドーム35個分。
さまざまなスポーツ施設が
従業員のレクリエーション
さらに製品の開発テストに使われている。
創業者のフィル・ナイトさん(80)。
2月で80歳になった。
大学時代は地元で陸上選手として活躍。
卒業後はスポーツシューズを売るビジネスをしたいと考えていた。
授業でレポートを書いている時に
日本のものづくりに大きな可能性を感じたという。
(ナイキ創業者 フィル・ナイトさん)
「私はスタンフォード大学のビジネススクールで論文を書いていました。
 もし日本製のカメラがドイツ製のものより売れるのなら
 スポーツシューズも同じだ。
 アディダスやプーマなど市場を独占していたドイツ製のシューズより売れるはずだと考えました。」
戦後15年余。
アメリカでは日本製のカメラの売り上げがドイツ製のカメラを追い抜こうとしていた。
スポーツシューズの分野でも同じことが起こると考えたのである。
しかし「日本に行く」と言うと祖母が
「日本ですって?
 戦争に負けたことを自覚していない連中もまだいるわ。
 目をくり抜かれるわよ。」
ナイトさんは動じなかった。
東京に乗り込み
スポーツ用品店を次々と訪ね
ある靴を見つける。
軽くて耐久性に優れた靴。
神戸のメーカーが作ったものだった。
当時 24歳。
ナイトさんは“アメリカのビジネスマン”だと言ってそのメーカーに飛び込む。
「今日はお時間をいただきあるがとうございます。
 フィル・ナイトと申します。」
「どちらにお勤めですか?」
無職のナイトさん
予想外の質問だった。
「オレゴン州ポートランドの“ブルーリボン社”です。」
とっさに口にしたのはありもしない会社の名前だった。
(ナイキ創業者 フィル・ナイトさん)
「“私はビジネスマンだ”と言おうとしていたので会社名が必要でした。
 でもそれをちゃんと考えていなかったのです。
 もしまた同じ状況になれば
 正直に“これから会社を始めるつもりだ”と言うでしょう。
 そのときはプレッシャーを感じてあのように言ってしまったのです。」
ナイトさんがプレゼンを終えると重役たちは席を離れ部屋を出て行ってしまった。
交渉は失敗だと思ったナイトさん。
ところが数分後
重役たちはシューズを手に戻り
“アメリカでの販売を任せる”と答えたのである。
(ナイキ創業者 フィル・ナイトさん) 
「彼らは私が若くまだ世間知らずだとわかっていたはずですが
 話しているうちに私がシューズに少し詳しいと知って真剣な議論になりました。
 アメリカ西部13州で販売してもいいと言われて
 とてもうれしかった。」
ナイトさんが訪ねたのはオニツカ
現在のアシックスである。
当時社長だった鬼塚喜八郎さん。
ナイトさんを見て“終戦直後に創業した時を思い出した”とのちに記している。
(「私の履歴書」鬼塚喜八郎著)
創業時にリュックをかついで全国を歩いた私の姿がダブり
この若者に思い切って販売店をやらせてみることにした。
帰国後ナイトさんは大学時代のコーチ ビル・バウワーマンさんと会社を設立。 
靴の販売に加え開発にも着手する。
その記録がオレゴン大学に残されていた。
よりクッション性の高い靴底などを研究して
オニツカに提案。
少しでもいい靴を作りたいと取り組んだのである。
当時オニツカ側で開発を担当した林英雄さん(78)。
(元オニツカ シューズ開発担当者)
「記録をとるためには軽さが大事とか
 いろんなことを言ってこられて。
 シューズを分解して
 バウワーマンさんがこういうシューズがあったらうれしいというアイデアを送ってくれた。
 あとは我々が組み立てて
 何べんも失敗して
 くり返して
 こういうものを出したら
 非常に満足だと。」
ナイトさんの会社は順調に売り上げを伸ばす。
創業から3年後には自宅の仮オフィスを出て専用オフィスを構えるまでになった。
しかし問題も抱えていた。
融資を受けていた銀行から
経営の安定には現金が少ないと指摘されていたのである。
ナイトさんは収益のすべてを靴の仕入れにつぎ込んでいた。
1足でも多く売りたかったからである。
一方で
現金が不足し
何かトラブルがあれば破たんする可能性があった。
(ナイキ創業者 フィル・ナイトさん)
「上手くいって成長できると信じていました。
 だから収益のすべてを再投資していました。
 さらに当時は会計士としても働いていたのですが
 給料の半分はつぎ込みました。
 当時はベンチャーキャピタルなどありませんでした。
 だからそうしたんです。」
成長を目指して走り続けたナイトさん。
銀行の指摘にも耳を貸さず
独自の道を進んだのである。


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東日本大震災から7年 動き出す福島のビジネス ④スポーツで人を呼び込め!

2018-03-26 07:00:00 | 経済フロントライン

3月3日 経済フロントライン


福島県いわき市。
地元のサッカーチームのクラブハウスと商業施設が一体になった施設が
去年6月にオープンした。
設立して3年目の社会人チーム いわきFC。
去年は天皇杯でJ1のチームに勝つなど
地元では人気急上昇中である。
チームの総監督であり施設を運営する会社のトップ 大倉智さん。
施設にはレプリカのユニフォームなどを扱うスポーツブランドの店に加え
東北では初めての出店となるレストランやおしゃれなカフェが並ぶ。
施設作りのモデルにしたのはアメリカのスポーツビジネス。
スタジアムを中心にホテルや飲食店街など一帯で開発し
人を呼び込むというものである。
建設費など22億円を投じたのは
いわきFCの親会社でスポーツビジネスを手掛ける東京の会社である。
CEOの安田秀一さん。
震災後 被災地に物資を無償で届けてきたが
復興に向け
スポーツを核に独自に収益を生む形を考えたと言う。
(ドーム 安田秀一会長兼CEO)
「復興じゃなくて
 復興はゼロにするところだけど
 ゼロからプラスにしなきゃいけない。
 全体で地域活性化進められれば面白いんじゃないのかなと思う。」
集客のため運営の仕方も工夫している。
その1つが選手のトレーニングや練習試合の公開。
スポーツ教室も無料で毎週開催。
毎回250人が参加する盛況ぶりである。
(参加者)
「楽しかったです。」
「家族で楽しめる施設っていうところですごくいいなと思う。」
さらにプロや大学など他のスポーツチームの合宿も誘致。
これまでに10チームが訪れ
宿泊には地元のホテルや旅館を利用している。
(J3 グルージャ盛岡 DF久保海都選手)
「相当いい環境だと思う。」
(J3 グルージャ盛岡 DF田中舜選手)
「あそこまで設備が整っているところもないので
 大変ありがたい。」
(いわき湯本温泉旅館協同組合 草野昭男理事長)
「暗く落ち込んでいたところにポッと明るい光が
 兆しが見えたということで
 ぜひ地域で盛り上げていきたいと思う。」
客足は伸び続けている。
施設全体での来場者は半年で22万人。
当初1年かかると見込んでいた数字である。
プロジェクトは始まったばかり。
施設を運営する大倉さんの視線はこの先に向いていた。
(いわきスポーツクラブ 大倉智CEO)
「被災地なんだけど
 同スポーツで創生していくかというプロジェクトなんです。
 共感を得てそれがお金を生んで
 さらにそのお金をまた投資していく。
 このサイクルを作っていかなきゃいけないので
 絶やすことなくやり続けないといけない。」



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東日本大震災から7年 動き出す福島のビジネス ③福島に人を呼び込め!

2018-03-25 07:00:00 | 経済フロントライン

3月3日 経済フロントライン


福島に人を呼び込む秘策を考えている銀行がある。
福島銀行である。
10億円の資金でこれまでにないファンドを作った。
最大の特徴は
過去に事業を起ち上げ失敗した経験を持つ
倒産経験者に投資すること。
福島に本社を置くことを条件に
最大で1億円投資する。
その名も「福活ファンド(福島で復活)」。
経験を盾に福島で復活し
地元経済を活性化してもらえないかと考えたのである。
市場が広がっている画像処理サービスや
ITを生かしたマーケティング事業など
これまで5社に投資している。
(福島銀行 森川英治社長)
「海外の事例みると失敗経験をプラスの方に評価する。
 今まで企業やったことない人に比べ
 成功する確率が上がるんじゃないかと考えた。
福活ファンドから4,300万円の投資を受け
郡山市で会社を始めた黒澤伴次さん。
主力総品はアジアなどの新興国で需要が高まっている業務用コピー機である。
中古品を安く仕入れて新品同様に再生。
フィリピンなどに輸出してる。
11年前 運送会社の経営に失敗したという黒澤さん。
その後 千葉県で中古コピー機の販売を始めたが思うように資金調達ができなかった。
福島に来て資金を得たことで
事業を一気に拡大することができたと言う。
(ドリームプロトコル 黒澤伴次社長)
「福活ファンドからの支援は本当にありがたい話しで
 もう海外に100台200台じゃなく何千台と売っていきたいと思っている。」
ファンドでは起業する人たちに
①地元での雇用を求めている。
黒澤さんは20代を中心に8人を雇った。
(社員 事務職)
「一から会社を作ることができるというので
 今の仕事としてはやりがいを感じています。」
(社員 デザイン職)
「海外展開するとなると
 そういった経験はなかなか積めるものではないので。」
ファンドではさらに②地元企業との連携を求めている。
黒澤さんは地元の鉄工所と
コピー機に欠かせないトナーの保管装置の共同開発を進めている。
(昭栄スチール鉱業 木村哲也部長)
「社長いらしてからはいろんなおもしろい仕事話しいただけるので
 いろんな意味で挑戦してやらせてもらっています。」
ファンドを運営する福島銀行は
月に1度投資先を訪問し事業の進捗を確認している。
売り上げを伸ばす会社は手応えを感じていると言う。
(福島銀行 森川英治社長)
「福島というのがいろいろな人に受け入れて
 地元の人も新しいことにチャレンジしていく。
 そういう場所になっていったら福島はどんどん発展していくわけですから
 それのひとつのきっかけになればいい。」



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東日本大震災から7年 動き出す福島のビジネス ②コメ復活に光明

2018-03-24 07:15:00 | 経済フロントライン

3月3日 経済フロントライン


一昨年 避難指示が解除された南相馬市小高区。
震災前 約800の農家があったがほとんどが農業を再開できていない。
この地域でいち早くコメ作りを再開した佐藤良一さん。
思うような値段が付かないなかコメ作りをあきらめる人たちを見てきた。
(佐藤良一さん)
「買ってもらえない状況が続いた。
 このままだと荒れた農地 荒廃地になるばかり。
 何らかの手立てを打たなければいけないと切実に思っていた。」
その佐藤さんが作ったコメを買い取り“パックごはん”として売り出したのが
仙台市に本社があるアイリスオーヤマである。
お茶碗1杯分150グラムで約90円とお手頃な価格。
2月 東北各県の100の生協で販売を開始した。
(客)
「味が圧倒的。
 香りがおいしい。」
「150グラムというのはちょうどいいですね 私らには。」
(アイリスフーズ 山田次郎社長)
「農家が米を作ってもなかなか売り先がなかった。
 私たちが安定して仕入れることで
 帰還された方が安心して米を作れる
 そういう思いをもとに南相馬の米に目をつけた。」
このパックごはんにはコメの味を引き立てる独自の技術が使われている。
保管から精米 包装までの全工程を15℃以下で行う低温製法で甘みが増すと言う。
アイリスオーヤマでは3月中に首都圏でも販売を開始したいと考えている。
この日営業担当者が訪れたのはグループ企業のホームセンター。
(ホームセンター担当者)
「試食イベントは出来ない?」
(営業担当者)
「試食は出来ます。
 食べてもらったら買ってもらえると現場の声でわかった。
 チャンスがある商品なので
 ぜひ拡販を一緒にやっていきたい。」
高齢者や共働き世帯が増え
パックごはんへのニーズが高まるなか
この会社ではさらに売り場を増やしていこうとしている。
(アイリスフーズ 営業本部 吉村洸臣さん)
「味も美味しいというのがわかってくると自然にリピートしていただける。
 パックごはんの市場は精米の10分の1
 その規模を2割 3割まで上げていって
 新しい食文化を作れるようにやっていきたい。」
コメの販売先に一定のめどがつくなか
農家の佐藤さんはこの春高校を卒業する2人の若者を採用することにした。
その1人 蒔田詩織さん。
小学5年生の時に被災した。
家は代々農業をしていたが津波の被害を受け再開出来ていない。
震災から7年
ようやく子どものころからの夢だった農業の道を歩み始める。
(蒔田詩織さん)
「私たちみたいに
 若くても農業に興味があるとか農業やってみたいという人がいると思うが
 言い出せない人が多い。
 若い人がどんどん発言して
 農家になっていけるようにしたい。」
佐藤さんは今後も若い人たちを採用し
コメ作り復活の担い手として育てていきたいと考えている。
(佐藤良一さん)
「いかにして
 自分が考えているやりがいがあるものを作ったりやりがいのある農業だと
 一日も早く理解してもらう。
 その人たちが自信をもって同じ世代に言える
 そういう職場にしてあげたい。」



 

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東日本大震災から7年 動き出す福島のビジネス ①福島沿岸部に最先端ビジネスを!

2018-03-23 07:00:00 | 経済フロントライン

3月3日 経済フロントライン


南相馬市をまわるコンビニの移動販売車。
去年10月から国内初となる あるサービスを始めている。
「アジフライ3つと
 とりのから揚げはねえのか?」
7分後
飛んできたのは四角い箱が付いたドローン。
お待ちかねのアジフライ。
これはローソンと楽天が始めた実証実験である。
ドローンは3キロ離れたコンビニでアジフライを積んで離陸。
あらかじめプログラムされたルートに沿って自動的に飛行する。
南相馬市はロボット実証区域に指定されていて
ドローンを飛ばす手続きなどが簡素化されていることなどから
実験の場所に選ばれた。
(楽天 ドローン事業部 谷真斗さん)
「安全性を確保のためのオペレーションなど
 ノウハウとしてたまってきている。
 こういうフィールドで実験を住み重ねることが大切。」
南相馬市は
福島県の沿岸部に最先端の企業を集積させようとする国の構想に基づいて
ドローン以外にロボットなど様々な産業を誘致しようとしている。
(南相馬市 経済部 神沢吉洋総括参事)
「ピンチをチャンスに変える
 有効活用していくことは極めて意味がある。
 世界中 日本全国から
 ロボットの研究者 企業に集まって利用していただきたい。」
国の構想を背景に
再生可能エネルギーの分野で企業誘致を進めているのが浪江町である。
震災前は約1,000社の企業があったが
いま営業しているのはわずか88社。
復興には新たな企業の誘致が欠かせない。
(浪江町まちづくり整備課 徳村勇二郎さん)
「原子力に頼らない再生可能エネルギー
 最先端の技術を町に持ってきていただく。」
去年の秋
避難指示の解除後に最初に進出を決めたのが日産自動車の子会社である。
電気自動車のバッテリーを住宅用の蓄電池に転用する工場を春から稼働させる。
進出の決め手は日産の工場から1時間という交通の便の良さ。
さらに最先端の技術を積極的に支援するという町や国の方針だった。
(フォーアールエナジー 牧野英治社長)
「電気自動車と再生可能エネルギーを活用したまちづくりをやりたい。
 我々がやりたいこととぴったりだったので浪江町を選んだ。」
いま8年前に販売を始めた日産の電気自動車が廃車になる時期を迎え
使用済みのリチウムイオンバッテリーが増えている。
この会社では各地に点在していた再生工場をここ一か所に集約。
浪江町を再生バッテリーの世界的な開発拠点にしたい考えである。
(フォーアールエナジー 牧野英治社長)
「アメリカ ヨーロッパにも適用できる開発。
 世界中からここの技術を勉強したり
 トレーニングを受けるために人が来る。
 ここが開発拠点なので
 人がたくさん集まるような事態もあっという間に起こると思う。」



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キャッシュレスの衝撃 ③楽天 アマゾン

2018-03-13 07:00:00 | 経済フロントライン

2月3日 経済フロントライン


今年の仕事始め
都内の神社に置かれたのはQRコード。
スマホ決済ができる賽銭箱である。
IT大手の楽天が設置した。
自社のシマホ決済サービスの認知度を上げるのが狙いである。
(楽天 三木谷浩史社長)
「支払いも含めてさまざまなことができるようになる。
 需要なパスポートが携帯電話になる。」
その手軽さから導入を決める店舗も増え始めている。
クレジットカードや電子マネーではカードの情報を読み取る端末がそれぞれ必要だった。
一方 スマホ決済では紙に印刷されたQRコードだけ。
店は初期投資が低く抑えられる。
カードに比べ手数料が安いのも便利だという。
(じざいや 柳田倫子さん)
「うちの店ではなにも用意しなくていいのでとても楽です。」
 パソコンいじれない方でもこれがあればできる。
 ありがたいのでは。」
楽天がいま力を入れているのがコンビニへの売り込みである。
小銭を多く使うコンビニならスマホ決済の便利さを実感してもらえると考えているからである。
多くの決済サービスが乱立する中で
いかに目をとめてもらえるかが課題である。
(楽天 楽天ペイ事業部 松田勇作さん)
「ロゴを大きめに
 上にでかでかと出していただけると大変ありがたい。」
(楽天 執行役員 小林重信さん)
「とにかく多くの人に知ってもらう。
 そのためにはお店も増やすし
 楽天ペイで払えない場所はないというところまでもっていきたい。」
ネット通販の巨人 アマゾンもキャッシュレス市場に参入しようとしている。
2月下旬
アメリカ本社で決済部門を率いるゴティエ副社長が来日した。
日本での事業展開を議論するためである。
(アマゾン・ドット・コム パトリック・ゴティエ副社長)
「現金を払わずに退店できれば
 買い物も変わるでしょう。」
アマゾンが目指すのは利便性の高さである。
ネット通販で使うアカウントをスマホに登録し
実際の店舗でもスマホ決済ができるようにしようとしている。
(アマゾン・ドット・コム パトリック・ゴティエ副社長)
「日本は多くのチャンスにあふれています。
 上手く見つけ出して実行しましょう。
 それが成功へのレシピです。」
ゴティエ副社長は
多くの電子マネーが普及している日本では
スマホ決済も大きく広がる可能性があると考えている。 
さらに期待しているのはAIスピーカーの活用である。
将来はスマホではなく
AIスピーカーに話しかけるだけで決済できるサービスも検討している。
(アマゾン・ドット・コム パトリック・ゴティエ副社長)
「アマゾンが考えているサービスは特定の機器に限定されません。
 ここでコーヒーを注文しましたが
 将来は車の中でAIスピーカーに注文し
 ここに来て受け取ることができるようになるでしょう。」

 

 

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