2021年7月16日 読売新聞「編集手帳」
昭和の名人の一人、
柳家小さん師匠はソバをすするまねがうまかった。
片手にダシつゆを持って、
おいしそうに食べる芸を楽しみにした客は少なくない。
あるとき、
ソバ屋で盛りそばを注文した。
運ばれてくると、
少し店の雰囲気がおかしいことに気づいた。
本物のソバならどんなにおいしそうにすするのかと、
他の客に興味津々に見つめられたという。
「味わった気がしないよ」とこぼしたとされる。
桂歌丸さんに沈黙のソバ食い芸があった。
黒紋付きに羽織という正装で高座に上がり、
黙々と盛りそばをたぐる。
食べ終わったら、
手ぬぐいで口をぬぐって一言、
「おソバつさまでした」
信用調査会社の方から先日、
立ち食いなど個人の小さなソバ屋さんの閉店が続いていると聞いた。
もともと薄利多売の商売ほど外食抑制の影響を受けやすいそうだ。
朝早くからダシを仕込んだり、
天ぷらを揚げたりしてきた人たちが泣く泣く店をたたんでいるという。
両師匠が手本を示したように、
ソバは黙々とすするもので、
酒を飲んではしゃいだり、
大声を出しながら食したりするものではない。
コロナ禍の不条理だろう。