7月5日付 読売新聞編集手帳
詩人の薄田泣菫(すすきだきゅうきん)はフランスの新聞を読んでいて、
ある求人広告に目を留めた。
飼っているオウムの発音が悪いのでフランス語の家庭教師をつけたいという。
オウムの話す言葉ひとつをもおろそかにしないお国柄に感心し、
泣菫は随筆に書いている。
岩波文庫『茶話』より。
〈多くの代議士に狗(いぬ)のような日本語で喋舌(しゃべ)らしておいて、
黙ってそれを聴く事の出来る日本人の無神経さがつくづくいやになる〉
と。
いまではもう、
イヌのような言葉遣いの政治家はいない――と思いきや、
永田町とは広いものである。
松本龍復興相には、
オウム並みに家庭教師が要るかも知れない。
「知恵を出さないヤツは助けない」(岩手県庁で達増拓也知事に)。
「九州の人間だから、(被災地の)何市がどこの県とか分からん」(同)。
「お客さんが来るときは自分が(まず部屋に)入ってから(客を)呼べ」
(宮城県庁で村井嘉浩知事に)。
さぞかし心のこもった復興支援を講じてくれることだろう。
…と、ここまで書いて反省が胸をよぎる。
たとえ比喩にしても「イヌのような…」は礼を失していよう。
世のイヌ諸君、ごめんなさい。