4月4日 おはよう日本
高知城天守閣の西側の小さな広場に
むかし動物園があった。
(20代)
「知らないです。」
(70代)
「ライオンはいた 確か。
本当に小さかったもんね。
これしかないんだから。」
平成元年の映像では確かにライオンがいた。
昭和25年に開園した高知市立動物園。
高知城の中にあったことから“お城の動物園”の愛称で親しまれていた。
狭い敷地の中でアジアゾウを飼育していた時代もあった。
しかし施設の老朽化などから
平成4年 4年の歴史に幕を下ろした。
みんな この動物園にjはいろいろな思い出があります。
とてさびしいです。
“お城の動物園”で働いていた
“お城の動物園”が移転して開園した わんぱーくこうちアニマルランドの渡部園長。
いま“お城の動物園”を知る職員は渡部さんだけである。
渡部さんは「平成は動物園の飼育環境や見せ方に大きな変化があった時代」と話す。
ツキノワグマの檻。
飼育員がおもちゃの中にどんぐりを隠したり柵に果物を置いたりしている。
クマが立ち上がってエサを探す生き生きとした姿を見る事ができる。
毎日過ごす環境を豊かにすることで
動物の野生本来の習性を引き出す“環境エンリッチメント”という取り組みである。
一方で平成の時代は
人間と同じく
動物もエサや医療の進歩などで寿命が延びた。
チンパンジーのタロー。
オスでは国内最高齢の56歳である。
(渡部さん)
「タローさんは僕が動物園に入ったときからすでにお城の動物園にいたチンパンジー。」
人間でいうと100歳に近いと言われている。
今は元気なタローもこの先いつまで元気な姿を見せ続けられるかわからない。
タローが最後まで快適にに過ごせるように
“動物の福祉”という考え方も求められている。
(渡部さん)
「動物を見せればいいだけの時代はすでに終わっている。
リタイヤしてもゆっくり過ごせる空間が
1つの種類の動物を飼ううえでも必要になってきているのではないかと思う。」
さらに開園当時は思いもよらなかった課題も。
海から動物園まではわずか400m。
南海トラフ巨大地震の津波で園は最大3m浸水する恐れがある。
飼育員がすべての動物を津波から守ることは難しく
今のままでは動物の命は奪われてしまう。
(わんぱーくこうちアニマルランド 渡部さん)
「実際に立体的に移動できない動物もいる。
津波浸水にも十分対応できる施設を整備していく必要がある。」
高知市の動物園を支えて35年。
この春 定年退職を迎える渡部さん。
3月30日が園長として最後の勤務だった。
「大好きな動物たちと仕事を褪せてもらい
本日を迎えることができました。
長い間お世話になりました。
ありがとうございました。」
次の時代も人々に愛され続ける動物園を目指して
動物園は変わり続ける。
(わんぱーくこうちアニマルランド 渡部さん)
「飼育であったり見せ方であったり
僕らの時代では考えられなかったことが取り上げられ生かされてきている。
新たな元号に変わるが
動物をちゃんと見る事がいちばん大事。
本当に大好きな動物たち。
自分にとって
先生というか
教えを請う相手だったのかなと思う。」