goo blog サービス終了のお知らせ 

命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

妄想する莫れ

2022年09月11日 15時06分33秒 | お札、お守り

仏教には「妄想すること莫(なか)れ」という教えがございます。

 

こころの病気で「妄想」という症状はございますが、病気で見られる妄想は

「事実ではない」ことを「確信」し、「訂正ができない」ことです。

 

しかし、健康な人でもよく「妄想」を膨らませてしまいます。

この場合の「妄想」は病的なものではなく、心のしわざです。

 

例えば暗い所を歩いていると後ろからくる足音を、

不気味に感じ怖い思いをされた方もいらっしゃると思います。

 

つまり、周りの状況が「疑心暗鬼」を生みます。

この心が生じると何でもないことまで次々と疑い始めます。

 

彼女がほかの男と付き合っているのではと疑い始めると、そういえば・・・・

と次々にいろいろな妄想が始まります。

 

一つの妄想が次々妄想を生み、どんどんマイナスイメージに支配されます。

このように次々と悪い事ばかりを考え、自分で悩みの種を増やすことになります。

 

反対に良い「妄想」なら良いのかと言うとそうでもありません。

「もっとお金持ちになりたい」「もっといい職場に行きたい」「もっともっと」・・・

ありもしない、できもしない幸せを妄想してもそれが不満となり結局心が貧しくなります。

 

「過去を捨て、未来を捨て、現在をも捨てよ」という言葉がございます。

 

人間は往々にして過去・現在・未来のことについて考えすぎて心を痛めます。

 

時にはそれについて考えることをやめ、

心を一切空(から)にしてはどうでしょう」

 

つまり、執着することをやめてみてはいかがでしょうか?

 

南無大師遍照金剛

 

 


お経は誰の為にある?

2022年09月10日 18時57分11秒 | お札、お守り

お経は誰の為にあるのか?と聞かれたらあなたはどう、こたえますか?

 

本日、四家先祖供養のご供養日でしたので、

山主が参拝者の方にお尋ねしました。

ご先祖様の為って答える方が大半です。

 

お経はご供養するご先祖様のためにする唱えるものでもありますが、

しかし、そのお経を一番近くで聴いているのはどなたでしょうか?

それは・・・自分自身なのです。

 

自分自身の魂が一番近くで聴いているのです。

だからご先祖様のためにおこなっている行為も自分のためになる。

 

あなたもご先祖様なのです。

我々は、先祖様の代表者なのです。

 

 

参拝者の感想

 

供養をするご先祖様のためにお唱えするものだと

今までは思っていました。

でも一番そのお経を聞いてくるのは、そのお経を唱え、聴いている

自分自身だという事を知りました。

 

「あなたは誰ですか?」

この山主のお言葉を聞き、私は???となりました。

全ては繋がっており自分自身が先祖であり、

ご供養は巡り巡って自分のために成り得ることでした。

 

ご供養をしていただくことにより、

心も身体も健康的になり誰もが幸せになれる方法だなと感じました。

 

ここのお寺は、普通のお寺では教えてくれない。

知らないことを沢山教えてくださいます。

 

私たちは、この教えを皆様に伝えるのが使命なのですね。

 

合掌

 

 


自分のしたことが、子孫にも返ってくる。その時、どうしますか?

2022年09月09日 17時45分38秒 | ひと口法話

学校や職場でもイジメや嫌がらせが日常的に起こっており、その行動に耐えれなくなった者は、

登校拒否、うつで休職や退職。

酷い場合は、自殺してしまうと、いう悲しい結末がまっております。

 

このような卑劣な行いをした者には、

必ず、自分も苦しむことになるということを忘れているのでしょうか。

 

他人に知られなければ大丈夫。

法律で罰せられなければ大丈夫だと、

思っているのでしょうか。

 

小学生の頃、イジメをしていた者は、今度は自分がイジメに遭う。

また、自分の子供や妻がイジメに遭うというようなことが起こったりします。

 

その時、あなたはどうなさいますか。

 

イジメた相手が自殺した時、

あなたの大事な人が自殺しても仕方がないと

諦めるのでようか。

 

合掌


亡くなって初めてわかる供養の大切さ

2022年09月08日 19時22分17秒 | ひと口法話

当山でご供養を申し込まれる方の中には、

「主人が、お姑が、お舅が、子供が、宗教が嫌いなので内緒でお願いします」と、

言われる方がおられます。

 

そして、供養に反対した方がお亡くなりになり、今度は自分が供養を受ける立場になりますと

決まって言われる言葉が、

「こんな有難い供養だとは思わなかった」

「生きているうちにお寺に来たかった」

「こんな供養をしていることを言ってくれなかった」

「ご自分の知っているお寺の供養とは全然違います」

「初めて聞くお経です。」

 

ご自分の知っている供養ではない、命光不動尊の供養を見て聞いて驚きます。

 

山主の目前に現れ、

自分が霊となり、初めて供養がどれほど大事であるかを自覚するのです。

なぜ、生前に手を合わそうとしなかったのか。

また、子供や妻に手を合わすことを教えなかったのかと反省する霊の多いこと。

 

亡くなられた方からは、嬉しい声、驚きの声、反省の声と様々なお声を聞くそうです。

 

霊は、衣の色やお寺の大きさで決めていないのです。

心のこもった供養を求めております。

 

南無大師遍照金剛


人生を良くするのも、悪くするも己の心次第。

2022年09月07日 18時41分13秒 | ひと口法話

現在の苦しみは、

過去世でおかした過ち・先祖がおかした過ち

現世でおかした過ちがすべて悪因縁として現れた結果である。

 

この悪因縁は、我々の生活に大きく影響しており、

我々は、生きながらこの様々な悪因縁を消化していかなければならないのです。

 

天皇であろうと、総理大臣であろうと、スターであろうと、

アイドルであろうと、 一般庶民であろうと

大なり小なりの業を悪因縁としているのです。

 

この悪因縁を解消する一番の方法は、人や霊(供養)に、喜んでもらえることをする。

そして、感謝で暮らすことである。

 

良いをことよれば、良い結果に。

悪い事をすれば、悪い結果になる。

 

しかし、同じようなことをしても信心のあるなしでは、

大きな違いで出るようである。

 

南無大師遍照金剛