お布施というのは、施しをすることですが、それはお金や品物をさしあげるだけではありません。
他人のために何か良いことをするのも、りっぱなお布施です。
よい行いをした報いを功徳といいますが、しかしそれによって何かを期待するような行いには
功徳はありません。見返りを求めて行う行為ではなく、無心で行うことが肝心なのです。
子供を育てるときにこういう育て方をすればあとで返してくれるだろうなどと計算して子育てをしないように
見ず知らずの人にもこのような愛情のこもった気持ちで行うこと、これが布施であります。
「自利」とは自分のために修行すること、「利他」とはその修行で悟ったものを他に及ぼし救済することを
意味します。仏教の修行は自分の為だけの修行ととらえられがちです。しかし、大乗仏教は自らの救済と他人を
救済するということを目的としています。
この布施の心を対人関係で考えてみましょう。例えば、恋愛や夫婦関係がうまくいかなかったとき、
「私は精一杯尽くしたのに、相手がそれに応えてくれなかった。私に落ち度は無い、悪いのは相手だ」
という人がいます。しかし、「精一杯尽くした」というのは愛情を繋ぎ止めるためだったり、
自分を良く見せようとするためのものだったりします。ところが、本人はそのことを忘れ、
「あの時は心から尽くしたのに」と思い込んでしまうのです。そして結局は「なぜ私の気持ちを判ってくれないのか」
と相手を責めることになってしまいます。
人と人との関係で上手くいかなかった場合、「私はあの人に、これだけのことをしてあげたのに」としばしば
考えます。人は自分がしてあげたことは、細かいことまで良く覚えていますが、それに対して、してもらったことは
簡単に忘れてしまいます。たとえば、人にプレゼントしたり、おごったことは金額のことまで良く覚えています。
ところが逆の場合は、そのこと自体を忘れてしまうものです。
この言わば、虫の良さがいさかいの原因となることが多いのです。
人といさかいになったとき、まず、「してあげたこと」はすべて忘れましょう。そして、「してもらったこと」をよく
思い出しましょう。そうすると冷静になり感謝の念が湧いてきて、仲直りをしようという気になります。
人に何かしてあげるとき、「してあげた」という気持ちを持たないことや見返りを求めないのが布施であり
喜んで捨てるという意味から「喜捨」ともいいます。
「してあげた」という気持ちを捨てると心が豊かになり、仏に近づいていくことになります。
必要以上のものを望んだり、手に入れることを貪りと言いますが、仏教ではこれを戒めております。
布施は貪る心を打ち消すことになり大事なものです。
合掌