本日は、当山の四家先祖供養の日で、皆様ご供養に来られておりました。
信者様とご一緒にご供養する日となっております。
そして、今日は昨年12月1日にお亡くなりなられた東京の信者様お兄様の四十九日でした。
昨晩、山主の枕元にこの方が立たれ、
「ようやく辿り着きました。有難うございました」と、
「霊界は、どのような所ですか?」とお聞きしましても、どなたも一様に教えてはくれません。
生きている人間が知ってはいけないのだそうです。
本日は、信者の皆様の前で、
「俗名の〇〇でございます。今までご供養ありがとうございました。
今日は新たな旅立ちです。お世話になりました。」と
山主の口を借りてお礼を述べに来られました。
これから本当に、霊界での修行に行かれるのです。
これからのご供養が一番大事なんです。
お釈迦様も「死んだら終わりではない」と申されております。
死んだら阿弥陀様がお迎えに来られるという話を
よく聞きますが、西方浄土の一番偉いお方が阿弥陀様です。
そのような立派なお方が我々庶民が死んだぐらいで
本当にお迎えに来てくれるでしょうか?
お迎えに来てくれる方は、別界に居られるご先祖様です。
そのご先祖様が沈んでいるようでは、お迎えはございません。
また、霊界を信じない者には、お迎えがくることもありません。
浮遊霊となり、彷徨つづけるのです。
亡くなられた方の行く先(修行の場)を決めるのは、
我々、子孫の供養のみ。
永代供養は、供養の放棄です。
南無大師遍照金剛