人が生まれて来る時は、月日は選ばない。
人が亡くなる時も、月日を選ばない。
生まれた時は、「めでたい、めでたい」と喜ぶが、
正月の内に亡くなった時は、
「縁起でもない」、特に正月の三が日中に亡くなられた方の葬儀は、
満足にあげてもらえないということになっている。
非常に悲しいことである。
人間が、死ねば「お前さん、死んだよ」と悟らすのが、僧侶の役目である。
それが、最初の第一の引導である。
次に、霊界において霊界の修行者としての心構えを教えてもらうのが、第二の引導である。
それば、葬儀の場において決まっていなければならない。
第三の引導は、遺体を荼毘に付した時に
「娑婆のしがらみは、完全に無くなったよ。あんた、魂だけになったんだよ」と告げことである。
第四の引導は、故人が霊界において仏(僧侶)に成る為の引導をお授けすることである。
これで、命光不動尊・寳来寺 山主の引導が終わるのである。
命日と誕生日は、人にとって一番大事な日であることを明記するべきである。
特に一月のご供養は、前年の12月に前倒しの供養をされるそうです。
本日の2日も 命日の故人が山主にご供養を希望され、
信者様にご連絡いたしましたら、
「忙しくしており、忘れておりました。申し訳ございませんが、よろしくお願いします」とのご返事で、
本日、霊界施餓鬼一粒満腹法要をお勤めいたしました。
故人様は、「忙しい中、お願いしてよかったです。本当に有難うございました。」と
大変お喜びでお帰りになられました。
「本来、故人の命日は、一番大切であると思います。」ということが、
命光不動尊 寳来寺の 山主 私のポリシーでございます。
南無大師遍照金剛
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