マキペディア(発行人・牧野紀之)

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「天タマ」第17号

2018年12月17日 | カ行
「天タマ」第17号(1999年10月04日発行)

                 浜松市立看護専門学校 哲学の教科通信

第1回のテーマは対話でした。なるべく多くの意見を紹介しましょう。

 「対話の基礎は親子の対話にある」という講師の考えについて

──先生のような決まりきっていない授業はいいと思います。トイレは自由に行ってよいとか、授業の途中に休憩を入れるとか、集中できるやり方で、今までの授業とちがい、新鮮です。
 あと、教科通信とか、クラス内での交流っぽいものは、小学生の時にやっていたクラスで出していた新聞を思い出しました。あと、それを家族に見せたりするのも、いまではやらなくなって、小学校や中学の頃、よく母に学校であったことをいろいろと話していたなと、久しぶりに見せたりしたいなと思いました。私も先生の「基礎は家族の対話」というのにとても共感できます。家族というのはお互いにすごい影響を受けるものだと思います。

──グループの1人の子が「親とうまく会話していない人がいるけど、回りの人との対応はうまくやっているよ」と言っていました。きっとその人は親との対話の中で、ダメな部分、良い部分を見つけて、まわりの人とは良い対話をしている人なんだなと思いました。

──先生の考えには同意しかねる。我が家は共働きであり、子供の時はずっと祖母の家で1日を過ごしていたし、仕事も忙しかったので、兄弟や友人と過ごすことが多く、親子の甘えの関係ではなく、それぞれ違う人々と関わる事で自分も学んだ事が多かったので、そうとは言い切れない事もあるのでは、と思う。

        いろいろな対話経験

──私はよく小さい頃から父に怒られるときは必ず正座させられ、「人生とはなぁ~」と、訳の分からない話を聞かされました。その時はまだ幼く、その父親の怒った顔が怖くて、ただ意味も理解できずに聞いていた。だんだん大きくなるにつれて、父親の言っていたこと、それをなぜ言ったのか、分かってきた気がする。今はゆっくりと父親と話す機会がなくなったので、今度ゆっくり話したいと思う。

──高校3年の時に体育の授業で逆立ち40秒というのをやって、1人でも途中で倒れたら又皆でやり直し、という過酷な事をした。私は逆立ちが苦手だったので、30を過ぎた所で倒れてしまった。結局やり直しはなかったけど、泣いてしまい、次の時間もずっと保健室。
 放課後になって、部活の先生の所へ行って「休みたい」と言ったら、「どうした?」と聞かれ、また泣いてしまった。そしたら別の部屋に連れていかれて、その先生は私の担任でもあったので、いろいろと聞いてくれたし、アドバイスもしてくれた。仕事が忙しいのに、親身になって聞いてもらえてうれしかった。

──病院実習の時、必ずグループと指導教員とカンファレンスを行い、困っていること、今日の反省などを話し合う。その時、実に中身のある対話が出来ているように思う。1つの話題について皆が口々に自分の意見や、自分ならこうするだろう、こうしたらいいのではと、さまざまな意見が出される。対話というのはこのように一人で成り立っているのではなく、どの人も平等に意見が言えることにあるのではないか。

──私が「対話」と聞いて思い出すことは友達との対話です。高校時代に仲良くしていた友達で、その人とは何でも話せる仲でした。それ故に衝突することも多く、毎日のように大ゲンカをしてしまうんだけど、おかしな事にケンカをすればする程仲良くなっていることに気づきました。
 2人とも言いたい事を全て言える仲なので、最近は「会いすぎるといけない」と分かり、間隔を空けて会っています。対話すればケンカや衝突があるんだけれど、分かっていても対話してしまいたくなる私達ってどんな関係だろうと思います。

        和敬塾のビデオを見て

──初めて和敬塾の存在を知った。一般の寮と違うところは行事があるということだろう。私はたまに「男に生まれたかった」と言う。それは、和敬塾の生徒たちのように、男の人には「一致団結」とか、「青春」とか、憧れるものがあるからだ。女には群れのようなものがあって、別にうっとうしいと思っていないけれど、男のような分け隔てない関係を羨ましく思う。

──私が一番印象に残っている映像は自己紹介である。よく高校の応援団員が発するような声で寮全部の先輩たちにあいさつをする。なかなかの大仕事だなあと思った。あいさつをするだけでなく、お互い自己紹介してから、相手のことをもっとよく知るために話し合う場面があった。いろんな考え方を知ることが出来、世界が広がって、羨ましいと思った。

 ★ なぜああいう自己紹介の仕方をするのでしょうか。少し考えてみました。照れ隠しなのではないかと思いました。初対面では誰でも「照れ」を感じます。相手がどういう人か分からないので、どう振る舞っていいのか分かりません。そこで、少しずつというのと反対の「大声を出す」という方法で一気に打開するのではないでしょうか。
 Jさんはこういう経験を紹介してくれています。「私は小学校3年の時からガールスカウトに入っているが、県合同キャンプに行った時のこと、テントに入ると知らない人が5人もいた。初めとまどい、みんな沈黙だった。ご飯の時も沈黙であった。全然楽しくなかった。しかし、1人の子が沈黙を破ってしゃべった瞬間にみんなしゃべり出した。みんなしゃべりたいという気持ちは同じだったのだ」。
 ガールスカウトのようなしっかりした歴史のある団体にしては少し不思議ですが、ともかく、ここではこの初対面の照れをどう解決するかについて、自分たちのやり方が確立していなかったのです。
 私も新しいクラスを受け持った時、最初の授業をどう切り出し、どう持っていくか、困りました。90分全部を使って、「大学で勉強するとはどういうことか」と熱弁を振るったこともあります。ドイツ語の授業では何の前置きもなく、「後に付いて発音して下さい」とだけ言って、音読の練習を始め、それを90分続けて学生を驚かせたこともあります。本校でもいろいろありました。
 それらの経験をへて、今のような始め方にしました。生徒は「どんな先生かな」とか、「どういう授業かな」と思い、場合によっては「一体、どこに連れていかれるのだろう」と思っているのです。この不安にちきんと答えるのが一番好いと思うようになりました。それは自分の授業の全体を自分で見渡すことにもなって、結局授業の改善に役立っているようです。
 皆さんも、各々の先生が最初の授業をどう組み立てるか、考えてみませんか。そして、どうしてそういうやり方をするのだろうか、この哲学の授業の始め方と比べてどうだろうか、と考え進んでみて下さい。するとこれがもう哲学になっているのです。筋道をつけて考えているのですから。

        哲学の授業を受けてみて

──このような授業の型は初めてだったので少し驚いたが、受け身の授業ではないので、眠くならなくて、いいと思う。

──授業要綱について先生が解説していくのを聞いていて、「努力する」という言葉はいいなあと思った。努力して出た結果なら、たとえそれが自分にとってよくないことだったとしても納得がいくような気がした。

    お願い

・濃い目の字(鉛筆なら2B以上)で書いて下さい。薄い字はとても読みにくく、疲れます。昔、中学の時、或る先生が「鉛筆の字は電灯が反射して読みにくい」と言っていたのを実感します。私のお勧めは「ボールペンテル」です。
・大き目の字で、行間を空けて書いて下さい。
・番号を必ず入れて下さい。
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