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活動報告、2019,07,18

2019年07月18日 | カ行
     活動報告   2019年7月18日

 ようやく、遂に、光ファイバーが来ました。

 ADSLが来たのはたしか2005年だったと思います。あの時の喜びも大きかったです。しばらくの練習してから2006年に、正式にブログを始めました。よく書いたものだと、我ながら感心します。何しろ、メインのブログである『マキペディア』のほかに次々とに、「教育の広場」、「浜松市政」をテーマにしたもの、「静岡県政」をテーマにしたものまで、自分では名前を忘れてしまったものまで出したのですから。

 2011年の統一地方選挙の頃がピークだったと思います。その後は研究成果をまとめて出版することが中心になりました。『関口ドイツ文法』を仕上げたのは、2013年のことです。

 次が、昨秋の『小論理学』です。これで「ヘーゲルの論理学の現実的意味を解明して、自分の哲学を作る」という私の哲学研究の目標は、一応、達成しました。

 思うに、1831年にヘーゲルが死んでから、まもなく200年経ちますが、この間、ヘーゲル哲学を真正面から受け止めて、更に発展させた哲学が一つでも出たでしょうか。実存主義だとか現象学などは論外として、人は、あるいは、マルクスとエンゲルスの弁証法的唯物論がそれだ、と言うかもしれません。しかし、私見によれば、この両人もヘーゲル哲学を研究することが少な過ぎました。「発展させた」とは到底言えないでしょう。そして、残念ながら、このことは自称社会主義運動の堕落・変質と結びついてしまったのだと思います。

 このことを論じたのが今回の『フォイエルバッハ論』です。エンゲルスを中心にしましたが、マルクスも同じです。今回の本はいつもの通り、と言うか、いつも以上に、「付録」を沢山を付けました。以下の通りです。

一、フォイエルバッハの生涯
二、フォイエルバッハ全集の目次
三、エンゲルスの生涯
四、『フォイエルバッハ・テーゼ』の一研究
五、ヘーゲル『精神哲学』の最終章
六、弁証法の弁証法的理解(二〇一四年版)
七、価値判断は主観的か
八、議論の認識論
九、実体と機能
一〇、冠詞論の要諦
一一、時代背景(年表)

 そのほかに「後書きに代えて」として「エンゲルスにおける理論と実践の統一」という論文を書きました。結論は「中途半端な理論と中途半端な実践とが見事に一致している」というものです。

 話がそれてしまったようですが、今回の報告は、以上の仕事を、ADSLというインターネット環境の下でせざるをえなかったので、苦労が倍になったということです。しかし、そのようなハンデも遂に無く成ってくれました、ということです。
 
 本当に本当にホッとしました。しかし、今度は私の体力と視力の衰えを認めざるを得ない状況に陥っています。でも、光ファイバーが来たのですから、まだがんばります。牛歩の歩みを続けます。

 次の仕事は『精神現象学』の翻訳の決定版を出すことです。先日出ました熊野の訳は、主として仏訳を参照したそうですが、奇特な人ですね。少し前に出たブルジョアの訳を見たのでしょう。このブルジョアという人は『小論理学』も訳しているのですが、ご丁寧に Zusatz〔付録、補遺〕を省いて、本文と注釈だけを訳しているのです。奇特な熊野の先生に相応しい変人です。しかし、私もそのブルジョア訳を入手しました。どういう訳なのか、読むのが楽しみです。

 今後はブログの更新にも又、力を入れたいと思います。『教育の広場』から残すものを『マキペディア』に移して、整理する仕事も再開します。終活かな?

 では今後もよろしく。

7月18日
牧野 紀之




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1 コメント

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凄いですね! (相原)
2019-07-23 20:01:01
ご自分の目標を完遂したと言い切れるなんて凄い。“おめでとうございます”また、
マルクス・エンゲルスに対しても物言えるなんて・・・・・・・。自分もまだまだ諦められませんねぇ。
  (落ちこぼれ第一期塾生より)
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