マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

自己認識と他者認識、外国語を学ぶ意義

2012年10月29日 | カ行
 国語学者の金田一春彦がその『日本語の特質』(NHKブックス)の182頁以下に次のように書いています。

 ──英語から見て日本語の表現が不完全のように思われますのは、名詞の数についても言えます。英語では、たとえばたまごが1つあるか、2つ以上あるかによって言い方が違いますね。an eggというのは1つの卵であり、2つ以上あるときはeggsとsをつけて言わなければいけない。

 これはどのヨーロッパの言語でも同じです。日本語では、たとえば「学生」という言葉ならば、1人のときは「学生」、2人以上のときは「学生たち」という区別がないことはないが、「たち」という接尾語はつけなくてもいいのです。「きょうは学生が大勢やってきた」と言って別に間違いとは言えません。つまり、日本語では単数か複数かをやかましく言わない言語だということができます。

 アメリカのブロックという言語学者が日本語のこの性質をみまして、日本人は数(すう)の観念がないのじゃないか、と言ったそうですが、日本語の場合、数の観念をいちいち言葉に表現しないだけです。

 英語などはこの点大変やっかいです。新聞などで泥棒の記事を扱うときに、ある家に泥棒が何人侵入したか不明の場合、「泥棒は……」というときにthe thief or the thieves と書かなければならないそうです。

 その点、おもしろいのはハンガリー語です。ハンガリーというのはアジアから行った民族ですが、ヨーロッパの言語と同様に、単数・複数の区別はあります。ただ「3人の泥棒」のように「3人の」という修飾語がつきますと「泥棒」という言い方は単数のかたちを使うのだそうです。これは「3人の」といった以上は複数だということが明らかだから、もうそれ以上複数のかたちを使わないでもいいという理屈です。つまり日本の「大勢の学生」と同じ理屈ですね。

 英語などでは単数・複数の区別があるために、ときに大変難しい問題が起こるようです。これはイエスペルセンという人の『文法の原理』という本の中に紹介されておりますが、有名な作家にこういった間違いがあるそうです。ten is one and nine「10は1+9である」、これは。Ten are‥…と複数にすべきものだそうですね。Fools are my theme「おろか者たちは私のテーマである」、これは、テーマとすればおろか者を1つに扱っているわけですから単数にすべきなのでしょうね。

 ドイツ語なんかでも難しいのがありますね。たとえば 『千夜一夜』をドイツ語でtausend und eine Nachtと言うそうです。Nachtというのは単数です。元来「千一の夜」ですから複数にすべきですが、tausendの次に「1つの」というeineがあるので、それに引かれて単数のかたちを使う。このへんはどうも論理的ではないように思います。(引用終わり)

 私が面白いと思った事は、日本語に対するアメリカ人の批判(数の観念がないのではないか)に対しては、「日本語の場合、数の観念をいちいち言葉に表現しないだけです」と反論しているのに、ドイツ語の表現(千一夜)で自分に理解できない点については「どうも論理的ではないように思います」と軽々しい批判をしている点です。

 金田一ならかなりの数の外国語を勉強していると思いますが、それでも言葉についての常識(自分に理解できない外国語の表現を簡単に否定してはならない。それにはそれなりの理屈があると考えるべきである)という事を知らないらしいということです。

 実際、ドイツ語のこの「千一夜」の表現ではなぜ「夜」に当たる単語が複数形にならないで単数形なのかの問題に正しく答えられる人はいないようです。ドイツ人でも、です。かつてNHKのラジオドイツ語講座(中級篇)でもリスナーから質問がありましたが、ドイツ人ゲストの方はお手上げでした。

 しかし、この問題に明解に答えた人がいます。関口存男(つぎお)です。

 氏はその大著『冠詞』の第3巻(無冠詞篇)の中でこう書いています。

──英語では my und your father などという独と同じ言い方のほかに、独には見られない my und your fathersと複数扱いが盛んに行われる。これは別々に分解しないで一括して考える証拠であり、ここでも「分割」と「一括」との2原理が対立して外形を左右している現象が観察される。

 例えば、air-, car- and seasickness are the same thing(飛行機酔いと車酔いと船酔いとは同じものである)などと言うかと思うと、the American and Japanese goverments〔米日両政府〕とか the foreign, defence and finace ministers〔外務、防衛、財務大臣〕などは複数形で見かけることが多い。

 ドイツ語の考え方がすべて分解的であり、英が主として一括的であるということは、例えば「2時間半」を英は two and a half hours と言うに反し、独は zwei und eine halbe Stunde と言うのでも分かる。但し zweieinhalb, drittehalb Stundenにおいては、数詞が1語をなすから、もちろん一括的取り扱いをする(無冠詞 341頁)。

 つまり独の言い方は zwei [Stunden] und eine halbe Stunde という「考え方」だということでしょう。

 その後分かった事は、ロシア語でもドイツ語と同じ言い方をするということです。つまり「千一夜」は「ティーシャチャ・イ・アドゥナー・ノーチ」です。この「ノーチ」はカタカナで書くと単数か複数か分かりませんが、言語の綴りを見れば単数だという事が分かります。

 何となく、スラヴ系の言語はみな、分解的に考えるのではないかと推測しています。その方面に詳しい方は教えてください。

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