大阪市長の橋下徹さんの提案が論争を呼び起こしています。朝日新聞紙上でも多くの意見が紹介されました。最近の意見から2つを引いて私見を述べます。
01、瀬見井久(前愛知県犬山市教育長)さんの考え
──犬山市の教育委員会は、少人数授業や、教師による副教本づくりなど、先進的な教育改革に取り組んだ自治体として知られていました。
教育委員会制度は意外なほど地方分権の精神で貫かれているので、主体性さえあれば相当のことができるんです。そもそも戦前の軍国主義教育の反省から、国家権力の介入を防ぐために、市町村に責任と権限を持たせているわけだから。
──でも現実は、多くの教育委員会が形骸化しています。
それは、首長が「教育とはいかにあるべきか」という見識を持った人を教育委員に選んでいないから。2007年度と08年度、犬山市は全国の自治体で唯一、全国学力調査に参加しませんでした。私たちは子ども同士が教え合う「学び合い」を大切にし、すべての子の学びを保障することが義務教育の目的だと考えていた。序列化で子どもを競わせるというやり方とは相いれないと判断しました。学校現場に競争主義を持ち込もうとする大阪の教育基本条例案の考え方とは対極ですね。
──教育委員会には民意が反映されにくい。独善に陥る心配はありませんか。
民意とは結局、その時代時代の流行です。正しいかどうかは別でしょう。公教育、なかでも義務教育は国家の基盤をつくる重要な営みですから、100年単位で考えなければいけない。いくら時代が変わろうとも、子どもの人格を育むことが不易の目標であって、教育は民意で左右されるべきではありません。
大阪の条例案は教員に厳しい評価を課していますが、なぜ教員の質を上げなければいけないかといえば、授業改善のためでしょう。それには教師のやる気を引き出さなければならない。現場を信頼し、責任と権限を与えることだと私たちは考えた。
私は、「あなたの考える理想的な授業を作り上げなさい」と教師に言い続けました。独自の副教本作りに取り組んでもらったのは、授業改善改善のきっかけにしてほしかったから。現場からすれば余分な仕事ですよ。でも大勢の教師が率先して参加してくれました。「子どもはどこでつまずくのか」と議論を重ね、丁寧に教えるにはどんな教材が必要か考える。それが教師の力量を高めることにつながるのです。こうした積み重ねこそ、教育改革のあるべき姿ではありませんか。
(朝日、2012年02月03日。聞き手・西見誠一)
02、藤原和博さん(前杉並区和田中学校長)の考え
私は、現在の日本の学校教育、とりわけ義務教育は、誰も責任を取らない無責任体制の世界だと思います。
戦後の教育改革で連合国軍総司令部(GHQ)は、どこかに権限を集中させると戦前の軍国主義教育が復活するかもしれないと恐れて、教育関係者の権限を徹底的に分散しました。
例えば、教員人事は都道府県、校舎の建設や教科書の購入などは市区町村、教育課程の編成権は校長、授業は教師に委ねられました。しかも、都道府県や市区町村には教育委員会が設置され、その長である教育委員長のほかに、教委事務局のトップである教育長もいて、その教育長は教委の一員でもあるのです。教育に関する責任を一体だれが負うのか、分からなくなっているのです。
その結果、教育委員の多くは、学校現場を知らない大学の先生などの名誉職ポストになってしまい、そこから直面する問題への解決策は出てきません。
校長は教員の上がりポストになり、任期中何事も起こらないようにするという「守り」の姿勢の人が多くなりました。
実は、校長はカリキュラムの編成権を持っていますから、責任を取る気さえあれば、かなりのことができる職です。
私は杉並区立和田中に校長として赴任し、1コマ50分だった授業を45分に変え、週4コマ分授業数を増やしました。中学3年間で約400コマ増えた分を主に英数国の授業に充てました。
また、授業がよくわかったかどうかを生徒が4段階で評価する授業評価を年2回実施して、その結果を学校のホームページに公表。平均を下回る教員に努力を促すなどしました。
その結果、着任当時学力テストの成績が区内23校中21位近辺で迷走していた和田中は一昨年(2010年)には区内トップクラスになりました。生徒数も区内最少の169人だったのが、昨年は区内最多の約450人に増えました。
民間ではよその会社が何かいい取り組みをして業績を上げたら、とりあえずまねをしようとするものですが、和田中のやり方をまねしようとする学校はそう多くはありませんでした。
原因は、多くの校長が「配給制時代の米屋の主人」的発想から抜けられないからです。数量が限られた商品を平等、公平に配ることが自分の仕事だという考え方です。こうした発想を変えるためには、小中学校の1割を公募校長にすべきだと私は考えています。
そのためには、首長が意欲的な教育政策と目標設定を提示して教育長以下の教委事務局を指揮できるようにする。それを住民投票によって選択できる制度を導入するべきです。その場合、教委は首長の諮問機関という位置づけにすべきです。
(朝日、2012年02月03日。聞き手・山口栄二)
03、感想
第1に、「義務教育は、誰も責任を取らない無責任体制の世界だ」という藤原さんの指摘には教えられました。静岡県のセクハラ教師問題で、川勝知事は「責任は教育委員長[非常勤]にある。教育長[常勤]は事務方のトップでしかない」などと寝言を言って自分の選んだ教育長をかばっていますが、こういう事の言えるのも原因はここにあるようです。
実際は、教育行政の権限は教育長が握っています。そして、瀬見井さんの言うように、「首長が『教育とはいかにあるべきか』という見識を持った人を教育委員[特に教育長]に選んでいない」から丸投げ消化試合行政が行われる事になるのです。
というのは、「学校教育は個々の先生が行うものではなくて、校長を中心とする教師集団が行うもの」なのですが、その中心を為す校長が「教員の上がりポストになり、任期中何事も起こらないようにするという『守り』の姿勢の人が多い」(藤原)からです。
そして、教育長はその「上がり」の中の最高の「上がり」で、そこまで上り詰めた人は仲間に恨まれないように校長達を守る事を考えているからです。これを最も露骨に示したのが静岡県の元教育長の鈴木善彦さんで、仲間の元校長に年収200万円のアルバイト口を与えるために「コーチングスタッフ」とやらを作りました。朝日新聞はこれが善政であるかのように大きく報じました。やれやれ。
第2に、ですから、逆に首長に見識があり適当な人を教育長にし、校長にするならば、今の制度でも相当の成果を挙げる事ができます。
瀬見井さんは、「教育委員会制度は意外なほど地方分権の精神で貫かれているので、主体性さえあれば相当のことができる」と言っていますし、それを実行しました。
又、藤原さんも「校長はカリキュラムの編成権を持っていますから、責任を取る気さえあれば、かなりのことができる職です」と言ってそれを実行しました。
しかし、藤原さんも言っているように、他の校長はそれを見習いませんでした。なぜか。向上心がなく、消化試合をしていても給料は変わらず、楽だからです。
瀬見井さんは「副教本作成」で教師の力量を上げる事に成功したようですが、校長全体のレベルアップという問題意識はなかったようです。犬山市の調査をした人から聞いた話では、犬山市でも校長によって学校間の格差はあったようです。
犬山市では、教委が校長の仕事の半分をやってしまったのです。ですから、校長による差異は比較的小さかったのでしょう。
第3に、そこで、校長のレベルアップをどうするかが問題になります。藤原さんは「小中学校の1割を公募校長にすべきだ」としていますが、賛成できません。公募校長が皆優れているとはかぎりませんし、たった1割では、9割は見習いませんから、意味がありません。公募がそんなに好いならば、なぜ全ての校長を公募にしないのでしょうか。
私も校長問題の解決策には困っていますが、その大前提は、何度も言いますように、「学校教育は個々の先生が行うものではなくて、校長を中心とする教師集団が行うもの」という事を皆が認識し、教育というとすぐに教師をどうするかを問題にする間違った態度を改める事です。
その上で、本当の情報公開。校長通信。住民、特に近隣住民(同学区ではなく、隣の学区の住民)が学校評価サイトを作って日頃から監視し、叱り、励ますのが好いと思います。あるいは、卒業生がこういう評価サイトを立ち上げるのも面白いと思います。学校の質を維持するにこれ以上の保障はないと思います。
第4に、個々の教員の質の担保はどうしたら好いでしょうか。犬山市の「副教本作り」と「子ども同士が教え合う『学び合い』の学習」は素晴らしい模範のようです。いじめ対策にもなっているようです。メディアはなぜかこれを取り上げませんが、不思議です。藤原さんの「よのなか科」などは取り上げるのに。
又、生徒にアンケートを書いてもらう事も有意義ですが、それは先生を落胆させるためではなく、「平均以下の先生には努力を促す」ためです。教師に「分限処分」を適用するのには必ずしも反対しませんが、それはこれらの事をした後のことです。
いや、そもそも現在の学校教育では非正規教員が欠かせなくなっていますが、これを是正すべきです。正教員の給料は多すぎますから、これを減らしてでも、同一価値労働同一賃金の原則を実行するべきです。
瀬見井さんも藤原さんも立派な業績を残しましたが、こういう大きな枠組みの改革までは行かなかったようです。犬山市でも非正規教員を入れて「小人数教育」を実現したようです。
第3点で述べた「住民による学校評価サイト」はこのためにも有効だと思います。
関連項目
教育長はどのように決まるか
藤原和博の「よのなか科」の限界(その1)
同上、(その2)
星徹のルポ「犬山の教育」
副教本