ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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教育の広場、第314号、藤原「よのなか科」の限界(その2)

2008年04月17日 | ハ行
 東京都杉並区立和田中学校で5年間民間人校長を勤めて数々の試みをして話題となりました藤原和博さんのインタビュー(聞き書き?)が、朝日新聞に連載されました。その8回目を引用します。

        記

 私企業の感覚だと、人事権も予算権もない校長が経営なんてできないと思うでしょう。確かに難しい。

 でも、実は教育課程の編成権、つまり時間割りを決める権限は、文部科学省じゃなくて校長にある。指導要領という最低基準をクリアすれば、どう授業を組み合わせ、総合学習の時間をいかに使い、どんなゲストを呼ぶかは自由に決められる。

 地域本部も45分授業も夜スペも、僕はすべての改革を、今の制度の範囲内でやった。トップのマネジメント次第で、できることはある。恐しいのは「何もしない権限」も校長が持っていることですよ。

 和田中の挑戦を大勢が見に来た。でも、区内の校長は来ないし、当初は地域本部にも無関心。企業では他社の実例をすぐにまねるけど、学校は違う。その保守性の根源は、校長が退職前の「上がり」ポストになっていることにあると思う。

 だから、民間人校長を年間 300人、10年で3000人増やそうと提案している。企業に戻るのもアリにして外の風を教育に入れる。「評論家はもういらない。参戦せよ」です。

 ただし、数値目標を持ち込んだり教師を馬鹿にしたりは間違い。勘違いして失敗した民間人校長もいる。

 すべて民間でなくてもいい。志と力のある教師を一気に校長にする。副校長や指導主事を3年以上やらせるのはムダ。早く校長にしよう。(後略)(朝日、2008年04月10日)
(引用終わり)

 考えたことをまとめます。

 何もしない校長、私の言葉で言えば「消化試合校長」がガンであることはその通りだと思います。しかし、それを許しているのは教育長であり、それを改革する責任と権限を持っているのも教育長だということを、おそらく「故意に」素通りしています。そして、「民間人校長を 300人にしろ」などと提案しています。ここに藤原さんの限界が好く出ていると思います。

 私はかつて藤原さんの「よのなか科」を論じた時、その欠点として2点指摘しました。第1は、学校運営において外部の人に協力してもらうのは例外であって、原則にはできないということでした。

 第2点は、世の中の根本的な部門として官と民があり、官のあり方が民のあり方の快適さを左右するのに、その点が取り上げられていないのではないか、ということです。

 今回の発言を聞いて、又それを考えました。

 藤原さんが「民間人校長を 300人にしろ」などと提案しても、現実には今では民間人校長は減っているのです。理由はいくつかありますが、1つは適齢期の教師が沢山いるということです。そして、教育長はそういう教師仲間の不文律を尊重して人事をするということです。

 こういう教育行政のあり方を変えなくては根本的な改革はできないのです。藤原さんはこんな事も知らないのでしょうか。もし知らないとしたら、よのなか科を教える前に、自分がよのなか科を勉強するべきでしょう。

 いや、知っているはずです。それなら、そういう現実を踏まえてどうしたらいいのか、改革案を出すべきでしょう。

 藤原さんはこの5年間の仕事ですっかり有名になりました。これからもいろいろな所で活躍されるでしょう。しかし、こういった点を反省しないならば、体制内での改革しかできないでしょう。

 そうそう、言い忘れました。藤原さんは他の校長が自分の仕事を見学に来ないと不満を漏らしていますが、ご自分は愛知県犬山市の教育改革を調査しに出掛けたのでしょうか。

 もし出掛けたのなら、どう思ったのか、聞きたいものです。出掛けないとした、なぜ出掛けないのでしょうか。夜スペと違う方法で「出来る生徒」を伸ばすことに成功しているとか聞いているのですが。

PS・藤原「よのなか科」の限界(その1)は第249号です。