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マキペディア(発行人・牧野紀之)

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ながく、牧野紀之の仕事に関心を持っていただき、ありがとうございます。 牧野紀之の近況と仕事の引継ぎ、鶏鳴双書の注文受付方法の変更、ブログの整理についてお知らせします。 本ブログの記事トップにある「マキペディアの読者の皆様へ」をご覧ください。   2024年8月2日 中井浩一、東谷啓吾

安倍徹静岡県教育長への質問と回答

2011年11月25日 | カ行
01、牧野からの質問(11月04日)

 静岡県教育長・安倍徹殿
 貴下は、静岡県の教職員の不祥事の責任を感じたのでしょう、「県民に対して謝罪」しています。では、これほどの不祥事の続発ににもかかわらず「済みません」と言うだけで、「給与の10分の1を○ヵ月返納する」といった行動を取らないのはなぜですか。給与が減らないから、対策にも真剣みがなく、いつまでたっても不祥事がなくならないのではありませんか。

PS
教育委員会総務課へ。この質問を受け取ったら、内容的返事の前に、ただちに「受け取った」という返信メールを下さい。とにかく、教委は返事が遅いので、反省して下さい。

 02、Yさんからの返事(11月10日)

 01のメールに返事がないので、11月10日、教育員会総務課に電話をしました。出たのはYさん(平職員)でした。「もう1度送るから、受け取ったら、その旨返事をくれ」と言って、01を再度送りました。ようやく次の返事がありました。

──牧野様。メールを受信確認いたしましたので、取り急ぎ連絡いたします。内容について教育委員会内の担当する部署へ連絡いたします。(引用終わり)

 03、教委からの回答(11月22日)

 又又返事が来ないので、11月21日にYさんに電話をして、「すぐに返事をくれるように催促してくれ」と言いました。そうしたら、次の返事がきました。

──牧野紀之様。11月10日に連絡をいただきました件について、回答が遅くなったことをお詫びいたします。

 教育長にかわり、担当の教育総務課からお答えします。

 教育長が、牧野様の御指摘のような行動をとらないのは、教育委員会事務局のリーダーとして、不祥事対策を策定・実行していくことが責務であるととらえているからであると考えております。

 職員に対しての直接的な管理監督責任は校長にありますので、校長に対する具体的な指導・指示を続けているところであります。

 具体的には、校長として教職員の誇りや気概を感じられる語り掛けをすること、不祥事の具体的な事例をあげながら、職員に失われるものの大きさを考えさせること、学校内で職員同士が連帯感をもつことができる組織作りをすること、職員の学校での勤務ぶりを多面的、多角的にとらえることなどです。

 そのほか、不祥事根絶委員会の立ち上げや、県内のすべての学校のセクハラ相談員を対象とした研修会の実施など、前述の防止のための具体的な取組を進めているところです。

 今後も、県民の皆様からの信頼回復に向け、引き続き不祥事根絶対策に取り組んでいく所存です。
 御理解のほどよろしくお願いします。
2011年11月22日(午前8時48分)      静岡県教育委員会教育総務課
                       総務人事班人事担当(K)

 04、感想

 これが、県民との直接対話から逃げて逃げて逃げ回っている教育長の姿です。セクハラよりみっともない姿だと思います。

 ① 県民からのメールでの質問や意見を受けたら、直ちに「受け取りました」という受信メールを送る。② 1週間以内に返事が出来なかったら、その旨通知をし、同時に「いつまでには返事をする」という事を知らせる。③ 「長」という部署にある者は、自分で返事をするべき事を部下に丸投げしてはならない。

 こういう職務規律を定め徹底させる事は知事の「第1の仕事」だと思いますが、川勝知事は就任後2年以上たっているのに、これをしていません。これはセクハラより影響の大きい悪事だと思います。

 なお、川勝知事は「県民との対話から逃げ回っている」とは言えませんが、している事は各地で対話集会を開くことで、ブログを利用して全県民と「書き言葉で」対話をする事はしていません。大学の学長だった時もブログは出してなくて、昼食を学生食堂で取るくらいだったようです。学校というのは「書き言葉の府」であることをご存知ないようです。
 

教条主義と独断論(小論文)

2011年11月20日 | カ行
 教条主義という日本語はマルクス主義の理論と運動の中で Dogmatism(ドグマティズム)の訳語として使われ、その用法が一般化したものと考えられる。従って、教条主義の概念を理解するためには「ドグマティズム」の理解が欠かせない。

 「ドグマティズム」はギリシャ語の「ドグマ」に由来するが、後者は「~と思う」を意味する動詞「ドケオー」から派生した。その意味は「何らかの積極的な意見」ということであり、「説」ということである。従って、「スケプシス」(疑い)を事とし、いかなる定説をも立てようとしない人々つまり懐疑論者たち(スケプティコイ)が、何らかの積極的主張をする哲学者たちを、最初は主としてストア派の人々を「ドグマティコイ」(定説を立てる人々、定説主義者たち)と呼んだのは、当然である。ここに 「ドグマティズム」は「スケプティシズム」(懐疑論)の対概念として生まれた。

この古代ギリシャ哲学における「ドグマティズム」は普通「独断論」と訳されているが、その意味内容を端的に表現し、後に述べる他の独断論から区別するためには、「定説主義」と名付けられてよいであろう(出隆『懐疑論史』岩波書店参照)。

 この意味の「ドグマティズム」はその後注目されることなく歴史を下ることになる。近世においてこの語に新しい意味を盛ったのはカントである。カントは「何らかの積極的な主張をすること」自体はdogmatisches Verfahren(ドグマーティッシュス・フェアファーレン。普通は「独断的方法」と訳されるが、上記の理由により「定説方式」とでも訳しておこうか)として肯定する。

 しかし、「ドグマティズム」自身の意味は、「認識能力(純粋理性)の内容(意義)と限界の吟味をしないで、無媒介に形而上学を立てること(経験外の対象について説を立てること)」として否定する。逆にこの吟味をすることを「批判」と呼び、そういう態度を「批判主義」とした。カントがヒュームの懐疑論によって「独断の微睡(まどろみ)から覚まされた」という時の「独断」とはかかる意である。従って、この意味の「ドグマティズム」は批判主義つまり認識論先行主義の対概念であり、これも通常は「独断論」と訳されているが、その意味内容からは「形而上学主義」とか「存在論先行主義」と訳してよい。

 カントの「純粋理性批判」の抜本的改作によって自分の「論理学」を築いたヘーゲルは、カントのこの認識論先行主義を「認識する前に認識能力を吟味しようとするもの」であり、「水に入る前に泳ぎを習おうとするもの」であるとした。

 しかし、存在論にとっての認識論的反省の必要は認め、それを「認識論であると同時に存在論でもある論理学」として解決した。カントが認識能力の吟味をしたのに対して、ヘーゲルは概念の吟味をした。カントはその12個の悟性概念(カテゴリー)の客観的妥当性(悟性〔主観〕の形式である概念がなぜ客観的認識を与えうるのか)を平等に問題にしたが、概念の真理性(1つ1つの概念がどの程度真理であるか)を問題にせず、従って真理を判断のみに関わる問題とした。ヘーゲルは真理概念を改作して個々の概念の真偽(意義と限界)を問い、そこから判断と推理と科学的体系の真理性を問題にした。

 従って、ヘーゲルの「ドグマティズムス」は「1つの命題で真理を捉え表現できるという考え」という意味になった。真理の具体性を「真理は対立物の統一である」という意味で使うヘーゲルの弁証法的真理観の立場からは、真理は最少限でも相反する2つの命題の統一によってしか捉ええず、表現されえないということになるのである。だから、逆に、真理を一命題で捉える立場は抽象的(一面的)な考え方であり、これは悟性の立場だとした。

 従って、この立場としての「ドグマティスムス」は、これも通常「独断論」と訳されているが、「判断主義」とか「一命題主義」と名付けてよい。その時、それはヘーゲルの「概念主義」ないし「体系的科学主義」を意味する「弁証法」に対置され、止揚されているのである(ヘーゲル『小論理学』第26~33節、特に第32節への付録)。

 しかしここで注意しておかなければならない事は、この時ヘーゲルが「ドグマティスムス」として念頭に置いていたのがヴォルフ流の悟性的存在論で、それは「形而上学」と呼ばれていたという事である。従って、その「形而上学」にはその内容としての存在論とその形式ないし方法としての独断論(判断主義)つまり悟性的な考え方の二面があり、ヘーゲルの弁証法と差し当たって対立したのはその悟性的方法だったという事である。

 エンゲルスはこの事情を知っていたが、その説明をしないでその方法の面だけを取り上げ、「形而上学的方法」という語を作り、弁証法的方法に対置した。そのため、エンゲルスの説を追体験しないマルクス受け売り主義者たちの間で、この事情が知られず、「形而上学」概念が一面化されることになった。そして、その時、ヘーゲルの独断論批判、つまり判断主義批判は受け継がれなかった。

 そのため、哲学を生業とする人々にすらヘーゲルの独断論批判は知られず、多くの運動において「教条主義反対」が十分な成果をあげられないことになった。まさに低い理論が低い実践を結果したのである(市販されているどの哲学辞典の「独断論」と「教条主義」の項を見ても、ヘーゲルの「ドグマティスムス」概念への言及が無い)。

 これが「独断論」と訳される「ドグマティズム」の系譜だが、ここで日本語の「独断」という語を考えてみよう。その意味は、字面(じづら)から明らかな如く、「一人で決める」という事であり、「他人に相談しないで決める」という事であろう。しかし、その場合の「他人」とは、当然、文字通りの他人一般のことではなく、「事の性質上事前に相談すべき関係者」の意であろう。しかし、独断というのは、このような決め方の形式面だけを指すのではなく、そこから転じて、「決定の内容に必要な配慮が欠ける」という意味を持たされていると思う。

 しかし、このように取ると、全ての間違いは「必要な配慮に欠けている」のだから、全ての間違いを独断的としなければならず、これでは独断と間違い一般との違いが無くなってしまう。上記の3種の独断論(定説主義、存在論先行主義、一命題主義)を比較してみると、最も広い意味での認識論的反省に欠けるという共通点のある事が分かる。恐らくこれが独断論と総称される所以(ゆえん)なのであろう。

 さて、次に「教条主義」と訳される「ドグマティズム」の歴史を見てみよう。

 これはどうやらマルクス主義の立場に立つ運動の内部で発生した概念のようだが、レーニンの『何をなすべきか』(1902年)の第1章の題名の中に「ドグマティズム」という語があるところを見ると、ドイツのマルクス主義運動の中で以前から使われていたのであろう。しかし、その「ドグマティズム」は「独断論」と訳される「ドグマティズム」の哲学史的伝統とは関係が無かったようである。

 それはエンゲルスが「行動の手引」に対置した時の「ドグマ」から作られたのか、明らかではないが、いずれにせよ、そこでの「ドグマ」とはカトリック教会の「ドグマ」(教条)のことであった。そのため、カトリック教会の教条が疑ってはならないものとされている面を捕らえて、マルクスの理論を無批判に信じ、主張し、守る態度が「ドグマティズム」と呼ばれた。
 だからこれが「教条主義」と訳したのは正しいが、その意味内容からは「原則墨守主義」とでも表現されえよう。その時、この対概念は「批判的原則主義」か「主体的継承主義」くらいになるだろう。しかし、その時、実際には、「教条主義反対」の名の下に、マルクスの全理論の核心であるプロレタリアート独裁の理論を修正しようとする人々が出た。そして、これは当然の事ながら「修正主義」と呼ばれることになった。即ち、修正主義とは「原則放棄主義」であり、従ってその対概念は「原則主義」である。

 「われわれの理論は、教条ではなく、行動への手引である」という句は、レーニンの『共産主義における左翼小児病』(1920年6月)の第8節に見られ、これによって知られるようになったものと考えられる。この句は、エンゲルスの1886年11月29日付ゾルゲ宛ての手紙の中にある句に拠っているのだが、エンゲルスは手紙以外でも、仲間たちとの会話の中でその表現を使っただろうから、「教条」と「行動の手引」とを対置し、理論を教条として扱う態度に「教条主義」という名を付けるようになったのがいつかは、定めにくい。しかし、これは大した事ではない。

 大切な事は、この場合の「教条主義」が「行動の手引主義」と対置される時、その対立は行動と手引のどちらとの対立だったのか、である。主として行動と対置された時、「教条主義」は「実践と結びつけずに理論を弄ぶ態度」の意となった。それが「手引」と対置された時、それは「現実の特殊な諸条件を考慮しないで一般理論をそのまま適用する態度」の意味を持った。

 レーニンは「教条主義」という言葉までは作らなかったが、前記の本で戒めていたのはこの後者の意の「教条主義」であった。そして、この「教条主義」概念は、毛沢東が語として使い、繰り返し批判したために、そして中国革命の成功の一因がここにあったと考えられたために、少くとも日本の左翼陣営では広く知られるようになった。

 それは、先の定義から分かるように、一般には公式主義とか図式主義と呼ばれている態度である。従ってそれは決してマルクス主義運動だけの問題ではないのだし、こうした旧来の語を使えば、カントの図式論のような学ぶべき遺産もある事に思い当たるはずなのだが、新語を使うことで何か新しい事をしたかのように思い込むのが好きな小児病患者には、歴史の連続性は分からないらしい。

 ともかく、かくして公式主義の意の「教条主義」概念が確立し、現実の特殊的諸事情を過大に見たり、自分の特殊な経験を一般的に考え直すことのできない傾向が「経験主義」とされ、この一対の間違いが「主観主義」という語でまとめられた。この命名は、多分、毛沢東の愛読したレーニンの『哲学ノート』の中で、主としてカントの認識論が主観主義とされ、真の弁証法が「最高の客観主義」とされていることに由るのであろう。

 この毛沢東による主観主義反対運動は大きな役割を果した。その理由は、第1に、教条主義や経験主義が「言葉としては」正しく定義されていたからである。第2に、こういう事を自覚的に反省して、「こういう間違いを少なくしよう」と決心するだけでも、そういう自覚を持たない場合よりも、判断や行動ははるかに正しくなるからである。まして、それが最高指導者によって唱えられ、運動となれば尚更である。

 しかし、その後の歴史を見てみると、この種の主観主義反対を自覚しても、中国でも日本でも、教条主義や経験主義の誤りが繰り返された事が分かる。寺沢恒信氏の『毛沢東の実践論』や『毛沢東の矛盾論』(共に理論社刊、1954年)の中で述べられている日本共産党の路線は、その後日本共産党自身によって自己批判されたし、毛沢東自身多くの間違いを犯し、いわゆる「プロレタリア文化大革命」という愚行を強行した。

 なぜこういう事が起きるのだろうか。それは、教条主義反対がどんなに正しく理解されても、それも所詮一般論であり、個々の場合への正しい適用は保証されないからである。或る理論が或る現実に適用されて或る現状分析が出たとしよう。その時、その分析が「教条主義」か「経験主義」か「弁証法的唯物論の正しい適用」か、これを判定する間違い無い基準が無いからである。

 適用ということは、へ-ゲルが言うように(『法の哲学』第3節)本来悟性の仕事であり、偶然的要素を必然的に伴い、従って概念から内在的に展開することが出来ないからである。「実践による証明」とやらを振り回す人には、「実践という基準は、事の本質から言って、人間の何らかの観念を決して完全には確証も反駁もしない」(『唯物論と経験批判論』第2章第6節)というレーニンの句を引いておこう。

 従って、教条主義反対を押し進めるには、人間の不完全性を認めて、人間は間違えるものだという事を前提して、間違いをなるべく小さくし、なるべく早く是正する道を整備するという事になる。これこそ民主主義の具体化である。それは、言論の自由を保証するラウンド制であり、自己批判の強要の禁止であり、情報の公開であり、反省会の制度的義務付けである。

 同時に、それは、人間関係や自他の態度が本当に民主主義的かを意識的に反省する「民主主義の時間」の制度化によって「形式的運動」の要素を取り入れ、それを「内容的運動」と並ぶ位置にまで高めることである。しかし、どんなに民主的に話し合っても、無い物は出て来ない。だから、この民主主義は、他方において、思考能力と判断力と勇気を高める修業を奨励することになる。

 終わりに当たって、「教条主義」と訳される「ドグマティズム」と「独断論」と訳されるそれとの共通点を考えてみよう。それは「批判精神の欠如」ということではあるまいか。
 独断論は、説を立てるに当たって自分の認識の根拠や方法に対して無自覚無批判な事であったが、教条主義は、既成の一般理論を受け入れ、あるいは適用する際に、その内容の吟味が不十分だという事だからである。

 先に、マルクス主義の運動での「ドグマティズム」批判はヘーゲル迄のそれとは無関係だと言った。しかし、カント・ヘーゲル的問題意識自身は、「ドグマティズム」批判としては受け継がれなかったが、形を変えて受け継がれた。それが「認識論としての弁証法」の問題であり、弁証法的唯物論における自然弁証法と史的唯物論(社会弁証法)の論理的関係の問題である。

 ここでは、毛沢東における主観主義と客観主義の関係とは反対に、自然弁証法が先でそれを社会に適用して史的唯物論が出来たという考えは客観主義とされた。逆に、史的唯物論が生まれてこそ自然の弁証法的な見方が出来るようになったのだとする考えは、「主体的唯物論」と呼ばれた。後者が正しいのだが、多くの主体的唯物論者は「実践の分析が根本だ」としながら、その分析を実際には展開できず、現象から本質への認識の歩みを悟性的にしか理解できなかったために、主体的唯物論を完成できなかった。

 ヘーゲルとマルクスとエンゲルスとレーニンの弁証法の学説史的研究によってこの史的唯物論主導説の「骨格」を正しく示したのが、許萬元氏である。氏は言う。「弁証法的唯物論は自然弁証法と史的唯物論との統一であり、自然弁証法を存在根拠として史的唯物論を把握し、あるいは逆に、史的唯物論を認識根拠として自然弁証法を再把握したりすることを可能にする円環的体系と考えられなければならない」(『現代と思想』誌第32号所収の「スターリン哲学の問題点」)。

 しかし、氏自身はこの「円環的体系」を実際には展開せず、学説史研究に終始した。その上、その表現が難解で、ほとんど誰にも理解されていない。これは氏の立場が講壇哲学であることから来るのだが、理論的には、自我論が無く、概念の個別論が無く、ヘーゲルの目的論の分析が無いことに拠ると思われる。(1987年10月23日執筆)

  関連項目

「議論」の小目次


教師のセクハラより悪い事

2011年11月19日 | カ行
 静岡県教員(校長を含む)の不祥事が連続して起きました(発覚しました)ので、県の教育行政は大騒ぎ(?)のようです。読売新聞がこれを一番丁寧に追ってくれたようですので、主としてその記事から重要なものを引いて考えます。

01、読売新聞ネット版、2011年10月22日

 静岡県で教師が生徒への強制わいせつ容疑で逮捕されるなど性的な不祥事が止まらず、県教育行政トップの県教育長が「万策尽きた」と発言する事態になっている。

 県教委は、懲戒免職処分を受けた教職員の氏名公表に加え、研修などの対策を打ってきた。教育現場から教育長に理解を示す声も漏れ、無力感が漂う。生徒から「誰が生徒を守るのか」「先生は何やっているんだ」と厳しい声が噴出している。

 県立科学技術高校の男性教諭(47)が10月17日、女子生徒への強制わいせつ容疑で逮捕された事件を受け、県教委は20日、臨時校長会を開催。安倍徹教育長は「私としても万策尽きた」と苦渋の表情で語り、「学校で連帯感を持った人間関係を作ってほしい」と約120人の校長らに訴えた。

 静岡県内で、校長や教諭がセクハラで懲戒処分されたり、教諭が盗撮やのぞきで逮捕されたりするなど、8月からだけでも5件の性的不祥事が発覚。県教委は、外部講師による研修やセクハラ根絶のためグループ研修を導入してきた。

 ところが、研修を受けていた高校教諭が9月に女性のスカート内を盗撮した容疑で逮捕。生徒への強制わいせつ容疑で捕まった教諭も研修を受けている。

 安倍教育長は「万策尽きたという言葉は、思わず口に出てしまった」と打ち明ける。不祥事防止を訴える機会が再三あり、「また同じような状況で同じような話をしなければいけないのか」と無力感に襲われたという。「適切な言葉でなかったと反省している。効果的な対策を考えていかなければいけない。具体策の検討を始めている」と話した。

 県高等学校長協会会長の浅羽浩・県立静岡高校長は「苦しい心境が表れた言葉」と理解を示す一方、「現場は万策尽きていない。即効性がある対策はないかもしれないが、まだ努力することはある」と話す。

 感想・「万策」どころか「一策」もしていないのではありませんか。私は教育長宛てに「なぜ自分の給与の一部返納をしないのか。自分の懐に響かない限り真剣には考えないのではないか」というメール質問を送っていますが、返事も来ていません。

 何しろ「著書も無ければ論文もない」教育長ですから。かつてこの点を聞いたら、総課長に返事をさせました。その返事に曰く。「安倍徹氏は川勝知事と違って学者ではないから」とか。やれやれ。

 本と言うのは10年以上研究を続けていれば自然に書けるものなのです。かつての担当教科でもその教え方でも教育行政についてでも、10年研究をしていれば本は書けるのです。本が無いと言う事は、研究をしてこなかったという事です。

 安倍教育長は、「対策」というのは「校長会を開いて話をする事」だと思っているのです。これで、「学校で連帯感を持った人間関係を作」れると思っているようです。呆れて物が言えません。

 行政トップのするべき事は、第1に、ブログを出して自分の活動報告をする事(浜松市の山崎副市長はやっています)、第2に、同じくブログで公開の場での討論を組織することです。色々な機会に(映画を見たとか、本を読んだとか、社会問題が起きたとか、その他の機会を含めて)自分の意見を率直に発表し、管理職を含む関係者や生徒や保護者の意見を聞くことです。その時大切な事は、教育長への批判的な意見をも公開し、反論があるなら、そこで反論することです。

 組織の「連帯感」はトップに対する批判の自由が保障されていなければ生まれません。そして、静岡県のみならず公務員の世界ではトップが「小天皇」になっていて、トップへの批判的な意見が言えないことなのです。だから「税金泥棒の連帯感」しか生まれないのです。校長や教育長は「自分に対する天皇視」のあることを知りながら、黙っていることでそれを利用しています。狡いやりかたです。セクハラより悪い事だと思います。

02、読売新聞ネット版、2011年10月29日

 「万策尽きた」。相次ぐ教員不祥事を受け、安倍徹県教育長が10月20日、そう発言した後、教職員のメンタルケアに協力を申し出る内容の手紙が2通届いた。県教委は「受け入れるかどうか検討したい」としている。

 県教委は個人情報保護を理由に差出人について明らかにしていないが、1通は県内の大学教員からで「相次ぐ不祥事対応には、メンタル面の支援が必要。職員のメンタルサポートで私を使ってください」と、県教委が教職員のメンタルケアを行う場合、協力を申し出る内容。もう1通も「役に立つことがあれば使ってほしい」と、メンタルケアに協力を申し出る内容だった。

 県教委は、相次ぐ不祥事に対応するため、県立高校に設置されているセクハラ相談員の増員や、相談員が受け付けた意見を吸い上げて検討し、研修などにつなげるコンプライアンス委員会を設置する方針を明らかにしており、こうした対策の一環として、今後、採用するかを考えるという。

 一方、教育長の発言以降、県教委には不祥事を批判するメールや電話が寄せられている。26日現在でメールは20件以上、電話も10件程度寄せられた。

 メールの内容は「不祥事が続いているが、専門職に必須と言われている倫理綱領がないからでは。自らが誰のために何を行い、何を守るべきか、再度問い直してほしい」といった意見や、「性的不祥事を起こした教師については、氏名だけでなく、現住所、本籍のある出身地を公表すべきだ」「わいせつし放題だから、俺も静岡で教員になろうかって考えるやつが出てくる」などの厳しい意見が書かれていた。

 感想・問題の起きた組織には何でも言いさえすれば好い、というものではないと思います。ここに紹介された意見者も日頃から教育行政の問題を調査研究しているとは思えません。大学教員が何か手伝ってもいいと言ってきたそうですが、自分の大学でどんな授業をしているのでしょうか。どうやって学生と話し合っているのでしょうか。多分、大した事はしておらず、ネット上に発表してもいないでしょう。

 こんな根の深い問題は調査研究しなければ答えは出てこないと思います。皆さんは、校長というのは皆、1000万円を超える年俸を取っていると言う事を知っていますか。県の教育長の年俸は1400万円、浜松市の教育長の年俸は1300万円です。60歳の定年で校長を辞めずに、その後も多額の年俸を懐に入れ、年金も増えるから狙ったポストではないでしょうか。⇒教育行政の真実
03、読売新聞ネット版、2011年11月01日

 川勝知事は10月31日の定例記者会見で、相次ぐ教職員不祥事への対策について、「教育委員長の顔が全然見えてこない。見えてこないような教育委員会ならいらない」などと、痛烈に県教委を批判した。一方、金子容子県教育委員長は同日、「委員会としては当然役割を果たしている」と語った。

 県教委は知事が議会の同意を得て任命する外部有識者ら委員6人で構成される行政委員会。トップは教育委員長。知事への権限集中を防止し、中立的・専門的な行政運営を担保するための独立機関として位置づけられている。

 教育委員の1人で、県教委の事務局トップである安倍徹教育長が10月20日、「万策尽きた」と発言したことについて、川勝知事は「万策尽きたとは全く思っていない。ここまで不祥事が続くのは構造的な問題がある」などと語り、「教育委員会がどう動いているのか見えてこない。教育委員会はこのために存在しているのに、もっとしっかりしてもらわなければ困る」などと語気を強めた。

 また、「教員不祥事の一因がストレスにある」という意見に対しては、「みんなストレスはある。ここは倫理の欠如で済ませられるのか、不祥事が生じる教育従事者の環境があるのか、メスをいれないといけないと思っている」とも述べた。

 一方、県教委は31日、県庁で定例会を開いた。相次ぐ不祥事について、「どのくらいコミュニケーションがとれているか」「(不祥事を起こした教員に)兆候はなかったか」などの声が相次いだという。

 定例会後、取材に応じた金子県教育委員長は「本当にあってはならないこと。万策尽きたと言っているが、万もやっているかという感じがしている。もっともっと真剣に色々な手法で未然防止をやっていかなければいけない」と話した。

 知事の発言については、「(聞いていないので)わからない」としながらも、「委員会としては、民間の視点で『ここはおかしい』『こうした方がいい』という意見をしていく。当然役割を果たしている」と語った。

 感想・第1に、時々感情的になるのは川勝知事の悪い所だと思います。これは「セクハラより悪い」と思います。行政トップの資質に欠けます。

 第2に、教育委員たちと話し合う場を設けないで、いきなり「定例記者会見」の場で教委批判をするのも、行政のルール無視でいただけません。

 第3に、上の引用でははっきりは出ていませんが、川勝知事は、教育委員長(非常勤)に責任があり、教育長(常勤)は事務長でしかないと言ったようですが、これは自分の任命責任を逃れるためでしょうか。実際に教育行政を取り仕切っているのが教育長であることは「常識」です。

 第4に、「構造的な問題」と言っていますが、具体的に何がどう問題なのか、意見を持っていないようです。川勝さんは静岡文芸大で学長(行政職)をしていた人なのですよ。怒ればいいというものではありません。知事はかなり「自分の意見」を言ってはいますが、書き言葉での議論が重要です。知事もブログを出して県民と議論をするべきです。

 以上の通り、川勝知事の不見識も「セクハラより悪い」(悪影響が大きい)と思います。

04、読売新聞ネット版、2011年11月8日

 教員による不祥事が止まらない。性的なものだけでなく、4日には高校教諭の男が無賃乗車で逮捕され、安倍徹・県教育長が緊急の謝罪会見を開くなど、県教委が対策に苦慮している。しかし、教員の不祥事が相次いでいるのは静岡だけではない。全国的にも、教員の不祥事は後を絶たないのが現状だ。不祥事が相次いだ他の自治体では、どのような対応を取っているのか。

ボトムアップ型

 長崎県では、昨年度、教員の不祥事による懲戒処分が13件相次いだ。このうち性的な不祥事は3件。当時の教育長が責任を取って辞職した。

 同県教委によると、同県では2006年度から懲戒処分の件数が10件程度で推移しており、対策が急務となっていた。事態を打開しようと、同教委は、これまで県教委が指定して行っていた年3回のセクハラや飲酒運転に対する対策強化月間を、各学校独自の判断で開催するように要請。各校が自発的に不祥事対策をする「ボトムアップ型」(同県教委)だ。

 さらに、外部有識者による不祥事対策会議など、粘り強い対策を重ねた結果、今年度は11月7日現在、教員の懲戒処分件数はゼロ。同県教委は「対策が奏功してきた」と自己評価する。安倍徹・静岡県教育長が「万策尽きた」と発言したことについては、「昨年の長崎と非常に似たようなケース。大変苦労していると思う」とした。

携帯電話に規制

 広島県では、昨年度の教員の懲戒処分件数は40件(うち性的不祥事は5件)、2009年度は70件と、静岡と比べても処分件数は少なくない。2005年度から、懲戒処分の件数が40件未満になったことがないという。

 同県教委では、10年1月、各学校に教員らからなる不祥事対策委を設置。専門家による不祥事対策会議や、体罰やセクハラの相談窓口を各校にもうけるなどの対策を続けた。さらに、生徒に対する教員の性的不祥事が携帯電話のやりとりを端緒にしているケースが多いことから、10年10月には教員と生徒間の携帯電話によるメール、電話のやりとりを全面的に禁止した。

 こうした対策が奏功し、同県での今年度の懲戒処分件数は10月14日現在で10件にとどまっている。

 静岡県教委でも、相次ぐ不祥事を受け、各校で教職員のセクハラ問題について相談を受けるセクハラ相談員の増員、各学校へのコンプライアンス委の設置に向けて調整を急いでいるが、担当者は「他県の対策状況なども参考に、今後、県内の対策に生かしていきたい」としている。(古屋祐治)

05、読売新聞ネット版、2011年11月11日

 相次ぐ教員不祥事を受け、県教委は10日、県庁で教育委員協議会を開き、新たな再発防止策として、専門家から意見を聞いて対策を講じる不祥事根絶委員会(仮称)の設置や、学校単位でコンプライアンス(法令順守)委員会を設けることなど、6つの取り組みを行うことを決めた。

 不祥事根絶委員会は、県教育次長を委員長として、県教委の各課の課長らで構成する。不祥事が発覚したときなどに随時開催し、原因の分析や根絶するための方法などを検討する。外部アドバイザーとして、犯罪心理学者、警察関係者から意見を聞き、対策に生かしていくという。今月中に第1回の会合を開く。

 県教委には、すでに外部有識者による教職員コンプライアンス委員会があり、不祥事を検証、評価したうえで、県教委に提言を行っている。今後は、不祥事根絶委員会とも協力して総合的な対策を目指す。

 また、各学校には年内にも、教職員やPTA役員らでつくる校内コンプライアンス委員会を設け、法令順守を浸透させる企画の立案や、不祥事の検証にあたらせる。県立高校や特別支援学校、規模の大きい小中学校が対象となる。このほか、各校でセクハラ相談員を務めている教員を対象に、セクハラ防止講座を12月までに開催することも決めた。

 この日は、県内5校からセクハラ相談員や養護教諭が参加し、現場で感じている児童・生徒の様子や、職場の問題点について意見を述べ、安倍徹・県教育長や教育委員らが耳を傾けた。

 主な意見は、「最初からセクハラに関する相談が出てくることは少なく、人間関係の話をしている中で出てくることが多い」「管理職の先生と連携を深めながら、サポートできる体制でありたい」「気になることがあればすぐに対応し、一つ一つ起こった事を積み上げ、支援方法や生徒との距離感を考えていくべきだ」――など。

 協議会では、金子容子・県教育委員長が安倍教育長に対し、「『万策尽きた』という発言はびっくりした。未然防止策はいくつも出てくるはず」と苦言を呈す場面も。安倍教育長は「あの言葉については私も反省している。まだまだ対応策はあると考えている。子どもたちのために何ができるかという視点でやっていきたい」と答えた。

06、浜松市教委の取り組み(中日新聞、2011年11月15日)

 教員の不祥事に対応するため、浜松市教育委員会は、教職員でつくる「学校を元気にする委員会」の設置や、教職員悩み事相談システムの構築など5つの対策に取り組むことを決めた。開始時期は未定だが、可能なものから、早急に始める方針。

 学校を元気にする委員会は、委員として小中学校の校長や教頭、教務主任、養護教諭、事務職員、20代から50代の教諭らの代表を1人ずつ選び、アドバイザーにカウンセラーや臨床心理士、医療関係者、弁護士らを招く。学校組織の改善方法や職員集団のあり方などを協議、各校や教職員組織に提案する。

 悩み事相談システムでは、教職員が相談員や保健師に相談して解決策をともに探る。情報共有の必要があれば、プライバシーに配慮しながら事例を各校に紹介する。

 このほか教職員で自覚アップ作戦委員会を設け、独自の身分証明書や職員章などを作って自覚や使命感を促す。改善に向けて具体策を練る教頭研修会を開いたり、教職員の研修に不祥事根絶を盛り込んだりもする。

 感想・県も市も、消化試合行政の考える事はどこでも同じですね。委員会を作る、システムを作る、講座を開く、研修会をもつ、等々。

 ここでテーマとされている事は、どれも皆、校長の仕事ではありませんか。校長は何をしているのですか、1000万円超もの年俸を取って。

 そもそも「学校教育というものは個々の教員が行うものではなくして、校長を中心とする教師集団が行うものである」ということが分かってないようです。

 「毒にも薬にもならない」という言葉があります。毒よりも何の役にも立たない人間の方がもっと悪いという庶民の考えです。これで考えると、セクハラ教師は毒でしょうが、やるべき事をやらないダンマリ校長と丸投げ教育長は「毒にも薬にもならない」人間で、最低だということが分かります。

  関連項目

静岡大学のセクハラ問題

教科通信「天タマ」

組織はトップで8割決まる

白熱教室は50点

年金制度における公務員厚遇

2011年11月03日 | カ行
<掛け金は安く支給額は多い>

 どうして公務員ばかりが優遇されるのか。マジメに働いてきたサラリーマンは、もうやってられない。

 厚生年金の支給開始年齢が68-70歳に先延ばしされるというので、老後の生活設計見直しを迫られるサラリーマンは戦々恐々だが、ここへ来て、保険料の上限も引き上げられる公算が高まってきた。

 厚生労働省は、年金財政を強化するために、現在は月給60万5000円で頭打ちになっている保険料の上限を117万5000円まで引き上げると言い出している。

 普通に考えれば、保険料が増えればその分、年金支給額も増えるはずだが、そういう話ではない。給付額の増加を抑えることも同時に検討するという。つまり、取れるところからどんどん徴収するが、それに応じた還付はしないと居直った。

 腹立たしいのは、サラリーマンばかりイジメて、公務員の手厚い年金は手つかずのままということだ。

 「ドロボー公務員」などの著書があり、公務員年金に詳しいジャーナリストの若林亜紀氏が言う。

 「年金の官民格差は著しいものがあります。格差を是正するため、2007年に自民党政権が年金一元化法案を出したのですが、官僚のしたたかな抵抗に遭って廃案になった。それからというもの、一度も議論にすらなっていません。

 公務員年金は、基礎年金(1階)、共済年金(2階)に加え、3階建ての部分が手厚い。『職域加算』という制度があり、在職20年以上の公務員は、報酬に比例する年金支給が一律で2割増しになります。勤務年数と給料が同じなら、公務員の年金は、民間サラリーマンより年間24万円ほど多く支給される計算です。しかも、公務員の掛け金は民間より安い。二重に優遇されているのです」。

<サラリーマンだけイジメる異常>

 思えば政権交代前、民主党は「年金一元化」や、月額7万円の「最低保証年金」の実現をうたっていたものだ。ところがマニフェストを実行しようともせず、「ミスター年金」こと長妻昭元厚労相も口を閉ざしている。野田政権になって、ますます公務員優遇は顕著になってきた。一体どうなっているんだ、民主党は! まったく「フザケルナ」である。

 「厚遇は年金だけではありません。キャリア官僚の退職金平均は5000万円以上。昨年、5000万~9000万円の退職金を受け取ったキャリアは301人もいます。加えて、天下りの特権もある。天下りの平均年収は1500万円です」(若林亜紀氏=前出)。

 それだけもらっていれば、老後の心配もない。年金なんて必要ないんじゃないか。ところが、狡猾な官僚は、一度手にした特権は決して手放そうとしないのだ。国民に増税を強いるなら、まずは政治家や霞が関官僚が身を切る姿勢を見せるのが筋だろう。だいたい、国民からかすめ取った年金基金を目減りさせ、年金制度を破綻させたのはキャリア官僚なのだ。コイツらが特権を享受し続け、庶民に負担を押し付けるなんて、許されるはずがない。

(日刊ゲンダイ2011年10月25日掲載)

   感想

 公務員問題では、高級公務員と下級公務員と非正規公務員の区別をして、その全体像を追求することが必要でしょう。

 その大前提は、1人1人の公務員の1年間の収入を、決算に基づいて、最後の1円まできちんと、個人名は伏せて、一覧表にして発表することです。かつて鹿児島県阿久根市で竹原市長が実行しました。

高級官僚の実態(03、天下り隠し)

2011年10月26日 | カ行
 文部科学者所管の財団法人「地震予知総合研究振興会」が」同省OBの2人を嘱託職員として雇い、理事と同待遇の報酬を出していることがわかった。6月までは役員だったが、約800万円の給与水準を維持したまま情報公開の必要がない役職に「降格」させた。

 振興会は政府の地震予知や研究を補助するため、1981年に設立。予算は年十数億円で、文科省の補助金のほか、経済産業省や電力会社などから事業委託の収入を得ている。

 現在の役員は会長と理事2人の計3人で、いずれも国立大を退職した地震学者。6月まで役員は5人で、文科省OBの1人が専務理事、もう1人が理事だったが、「事業規模に対して役員が多い」として、2人を嘱託職員にした。

 振興会の規定では、会長の年収は約1200万円、専務理事は約1000万円、理事は約900万円だが、前専務理事の文科省OBによると、最近は規定額から2割程度減らしている。

 OBが明らかにした自身の現在の給与は年800万円程度で、理事とほぼ同額。もう1人のOBも同程度の額を受けているという。「逆に、理事が安くなりすぎた。我々が職員としての事務に専念することで人員を減らせ、経費節減できた」と説明する。

 内閣府によると、2001年の閣議決定で、公益法人の役員である省庁OBの情報を開示するが、嘱託職員は対象外。天下り隠しが問題になった2009年、内閣府が省庁OBの嘱託職員を調査したところ、7法人の10人が該当、少なくとも8人が同年度中に辞職した。

 元会計検査院局長の有川博・日本大教授(公共政策)は「肩書を変えた天下り隠しととられても仕方がない。実質的に理事と同じ処遇をするのなら、情報を開示すべきだ」と話す。

 (朝日、2011年10月18日)

高級官僚の天下りの実態(その2、わたり)

2011年10月25日 | カ行
 野田政権になり、増税を推し進める官僚の衣・食・住は税金で手厚く賄われている。だが、その優遇ぶりは定年退職後も続くのである。定年や早期勧奨退職でリタイアすると役人には第2の人生の天国が待っている。

 高級官僚が現役時代並みの高給を保障されて独立行政法人や公益法人に天下りを繰り返し、そのつど、退職金を受け取る「渡り鳥」はよく知られている。

 財務官僚の有力OBでは、「大蔵のドン」と呼ばれた長岡實・元次官は日本たばこ産業社長や東京証券取引所理事長はじめ5回を超える天下りを繰り返し、87歳の現在も理事長を務めた財団法人・資本市場研究会の顧問に居座り、同じく大物次官OBで「ワル彦」の異名を取った吉野吉彦氏(81歳)は、国民金融公庫総裁、日本開発銀行総裁などを歴任し、現在は公益財団法人「トラスト60」会長を務めている。ほかにも、生涯収入8億~10億円を稼いだとされる渡り鳥官僚は各省とも枚挙に暇がない。

 最近では、役人は民間企業への「現職出向」という給料アップの裏技を編み出している。天下り批判など公務員制度改革を唱えて本誌にもしばしば登場した改革派官僚・古賀茂明氏はさる9月末に経産省を退職したが、退官1年ほど前、当時の次官から「年収2000万円、5年勤務で1億円」という条件で現職のまま大手電気機器メーカーへの出向を打診され、断わっている。

 指定職である古賀氏の年収は規定で約1500万円だったから、500万円アップの提示だ。定年を迎えるとそのまま企業に天下ることもできるわけで、現職出向という制度がいかにおいしいかがわかる。信念ある古賀氏だからこそ誘惑に乗らなかったが、たいていの官僚なら大喜びで飛びつくだろう。

 (NEWSポストセンブン2011年10月19日)

    感想

 こういう実体を個別に暴露するのではなく、ホームページを作るとか、ブログで百科事典を作るとかして、その全体像が常に誰でもが見られるようにするべきだと思います。

  関連項目

事業仕分けの無意味性




官僚の生態(事業仕分けの無意味性)

2011年10月12日 | カ行
 防衛省が昨年廃止したはずの基地周辺の住宅防音工事に関する補助金を、各地の防衛局が発注する公共事業の形に変え、職員の天下り先に出し続けていることがわかった。事業は一般競争入札で発注し、誰でも参加できる形にしていたが、入札直前に天下り先以外の参加が難しい条件をつけてライバルを排除していた。

 補助金は、自衛隊や在日米軍基地周辺で住宅の防音工事をする際の事務手続き費用として出していた。手続きは専門的でなく、行政への申請書づくりを手伝う行政書士で対応できる内容だった。補助金は名目上、住民に1件当たり上限8万円支払われることになっていたが、実際は事務手続きを代行する防衛首席管の財団法人「防衛施設周辺整備協会」に回っていた。協会には年十数億円が入っていたという。

 協会は、防衛省から毎年10人程度、天下り職員を引き受ける一方、この住宅防音工事の事務手続きを主な収入源としていた。

 防衛省は昨年、事業仕分けで「天下り団体への資金還流だ」などと指摘され、補助金の廃止を決定。その代わりに、2011年度に「事務手続き補助業務」という事業を新設した。

 事業の発注形態は一般競争入札だったが、急きょ、個人情報を適正に管理できる団体を第三者機関が認証し交付する「プライバシーマーク(Pマーク)」か、同等の認証を持つ業者しか参加できないと告知した。

 その結果、Pマーク取得には100万円以上かかることもあり、ほとんどが協会だけが参加する「無競争入札」となった。協会は、4月1日から8月16日までに実施された32件の入札の総契約額、6億9600万円の98%に当たる6億8400万円を得た。

 本格的に入札の形に変えるのを前に、昨年秋、小規模な入札を4件実施したところ、すべてライバルの行政書士事務所などが落札し、協会が1件も落札できなかったため、Pマーク条件を加えた可能性がある。

 予定価格に対する落札額の割合をみると、競争があった入札が74%だったのに対し、協会だけの参加で無競争になった入札は93%で、競争をなくしたことで、税金の無駄遣いにつながったことがわかる。

 入札参加を断念した行政書士事務所は「行政書士が個人情報を漏らせば行政書士法で罰せられる。我々はPマークより厳しい環境で仕事をしている。天下り先を守るための条件としか考えられない」と話す。

 防衛省は「入札の競争性は高める必要があると考えているため、状況を聞いたうえで改善したい」と説明している。

  (朝日、2011年08月17日。前田伸也、松浦新)

 感想

 事業仕分けで「廃止」とかになった事業の内のほとんどのものがこういったやり方で形を変えて存続されています。それでも「構想日本」とやらは得意げに「事業仕分け」を続けています。もちろん成果のあった場合も「少数ながら」あるようです。それはトップにやる気のあった場合です。

 逆にトップにやる気があれば、「事業仕分け」とやらで大騒ぎをしなくても行政改革はできるのです。国の事業仕分けも第1回だけはテレビでも大々的に報道されて評判になりましたが、実際には大した成果につながらなかったことが分かり、今ではほとんどの人が関心を示さなくなりました。

 しかし、事業仕分けに関心を示さないだけでは困ります。行政に対する「正しい関心」を示さなければなりません。それなのに、どうしたら好いのか分からなくて、無気力になっているというのが実情のようです。

行政とは何か(03、レーニンの言葉)

2011年09月20日 | カ行
 今や、社会主義と共にレーニンの名も落ちてしまいましたが、どんな物も、又どんな人も、きちんと調べてから評価するべきでしょう。

 01、①委任者〔選挙民〕に対する義務を遂行するようにと受任者〔特別公務員〕に要求し、又それを遂行させるように努めることのできない人は、政治的に自由な市民と呼ぶに値しない。

 ②委任者〔党員〕に対する義務を遂行するようにと受任者〔党の幹部〕に要求し、又それを遂行させるように努めることのできない党員は、党員と呼ぶに値しない。(「邦訳全集」第8巻219頁)

 感想・①も②もその通りだと思います。メールで簡単に意見や質問を送れるのに、市長や知事や教育長にメールを送るのが怖くて怖くて仕方の無い臣民根性市民ばかり多すぎます。

 学生でも同じです。平教員には言うけれど、校長や学長には怖くて言えない学生ばかりです。日本は好くならない訳です。

 ②は、レーニン自身が自分の党できちんと対処していれば、スターリンのようなニセモノを防ぐことが出来たでしょうに。

 02、政治は科学である。と言う事は、第1に、他の国の経験を研究し評価しなければならないということである。第2に、自国で活動している「全ての」勢力とグループと政党と階級と大衆を評価するべきで、決して「いくつかの」勢力や政党の希望や意見や状況を基礎にして政策を決めてはならないということである。(「左翼小児病」第9節)

 感想・日本共産党の北島さだむ浜松市議はこの3月18日以降、自分のネット上の「活動日記」を更新していません(つまり、4月に再選されてから1度も更新していません)。小黒啓子浜松市議も6月16日以降、自分のブログを更新していません(いずれも2011年09月20日12時現在)。このような「科学的社会主義」では退潮は当然でしょう。レーニンを読んではどうでしょうか。

 思うに、共産党の退潮の種は1970年代の「大衆的前衛党」路線にあると思います。ネコでも杓子でもドンドン入れてしまったので、一時的には儲かりましたが、理論も実践もレベルが落ちました。そのツケが今廻って来たのです。思想運動の命は何よりも思想自身の力にあります。

 03、一般に歴史は、又特に革命の歴史は、どんな優れた政党や前衛が考えているよりも内容豊かであり、多様であり、多面的であり、生き生きしており、また微妙である。ここから2つの結論が出てくる。

 第1に、革命的階級はその任務を遂行するには例外なしに社会活動の全ての形態、全ての方面に通じていなければならないということである。第2に、革命的な階級は社会活動のどの1つの形態でも、それがどんなに急激に変化してもそれに対応できるようでなければならないということである。(「左翼小児病」第10節)

 感想・「革命的階級」でなく議員でも首長でも同じでしょう。

 なお、レーニンの考え方の根本的特徴が「全ての現象を捉える」点にあることも分かるでしょう。「或る事柄についてその現象が全て分かれば、その中にそれの本質が出ている」というヘーゲルの考えの実行になっています。「物自体」は「現象」とは別の所にあるとするカントの考えに対立するものです。

  関連項目

醜い日本人

行政とは何か(02、古賀茂明さんの忠告)

2011年09月18日 | カ行
 古賀茂明さんが、今、改革派官僚として評判になっています。著書がベストセラーになっているそうです。閑職に回されてかなり経った最近、「辞める」と言い出しましたが、又「辞めない」と言ったりしているようです。

 本は読んでいませんが、古賀さんへの聞き書きのような文を読んだら、最後に次の文に出会いました。

──選挙の時だけではなく、ネットなどを利用して普段から政治家に声を届けないと大変なことになると、若い人たちには言いたい。(朝日、2011年08月13日)

 前半は賛成です。実際、選挙の時だけ騒ぐ、いや、選挙の時しか騒がない「有権者」が多すぎます。日頃は仕事で忙しいといった言い訳もあるでしょうけれど、とにかくこれでは政治は好くなりません。私も浜松市長選挙に仮立候補した際、青年会議所の主催する「公開討論会」について「これは偽善である」「試験前の一夜漬けと同じで意味がない」と発言しました。

 →「私の立会演説会

 後半は賛成できません。ここに古賀さんの「社会運動経験の浅さ」が好く出ていると思いました。

 「政治家に声を届ける」と言いますが、どういう声を届けるのでしょうか。若い人だろうと年配者だろうと、日頃から調査も研究もしておらず、それをまとめてもいない人が、「声を届けても」、どうせ大した「声」は出てこないでしょう。「白熱教室」とやらの「口から出まかせの発言」と大差はないでしょう。2009年の総選挙で民主党に届けられた「声」のお粗末さの結果は今やはっきりしているではありませんか。

 何事も長年にわたって調査・研究をしなければ本当の事は分からないのです。日本の学校ではこういう事すら教えていないのでしょうか。

 それに「体系的にまとめられた知識」でなければ本当には役に立たないのです。「学問」というのは「体系的な知識」の事なのです。ヘーゲルは「博識はまだ科学ではない」と言っています。科学というのは「まとめられた知識」のことなのです。その体系にも高低があるのですが、それは先の話です。

 今やインターネットという武器が我々には与えられました。それを使えば「知識をまとめること」は簡単に出来ます。ブログを使うのです。記事を日記調にしないで、せめて新聞記事のような文にすることです。そして、適切な題を付けることです。第3に、目次か索引を作ることです。1人でしないで、仲間と一緒に作ってもいいと思います。

 手近の対象から始めるのがいいと思います。例えば、自分の住まいの区域内ではなく隣の区域にある小学校なり中学校なりを1つ取り上げて、その学校についての「カウンター・ホームページ」を作るのは意義のあることだと思います。あるいは議員の通信簿でもいいと思います。

 それよりも前に、先ず自分の所の市(町村)長にメールで質問か意見を送ってみることです。次に、(都道府)県知事にも同じくメールで質問か意見を送ってみる事です。それぞれの所の教育長に対しても同じことをすると好いと思います。それが主権者としての自覚の始まりでしょう。

 何を聞いたらいいのか分からない、と言うかもしれません。それなら、「浜松市の山崎副市長のように、あなたもブログを出して、週間活動報告を発表してくれませんか」と聞くと好いでしょう。実際、行政のトップの仕事の第1は、活動報告をきっちりすることです。これが実行されていません。

(ついでに申し上げておきますが、野田首相もそうですが、いまだにメルマガで報告をしている人がいます。しかし、メルマガは行間が詰まっていて、読みにくいです。こういう事にも気付かない人がいるとはあきれます。村上龍さんの主宰する団体で出しているメルマガも同じです。立派な書き手を揃えていて、内容のある長文が掲載されていますが、メルマガなのでとても読みにくいです。私は、読む時はワードにコピーしてから読みます。)

 まあ、何でもいいのですが、とにかく、続けることです、調査・研究の結果を百科事典のようにまとめることです、この2条件はぜひ必要でしょう。こういう事をする有権者が増えれば増えるだけ、日本人の政治的実力は着実に上がるでしょう。

 50年以上社会運動をし研究してきた私の結論がこれです。これ以外に政治を好くする特効薬はないと思います。

    関連項目

白熱教室は50点

主義を糧とする人々(アメリカ映画「追憶」を見て)

山崎副市長のブログ



行政とは何か(その1、改革派はなぜ挫折するのか)

2011年09月16日 | カ行
 9月9日の朝日紙の赤川次郎さん執筆のコラム「三毛猫ホームズと芸術三昧」に「論拠示せぬ首相交代」と題する文章が載りました。以下、関係のある所だけ引きます。

──(略)菅首相から野田首相へ、民主党政権で早くも3人めの首相誕生となった。それにしても、菅さんほどマスコミに嫌われた首相も珍しいだろう。どの新聞の社説もコラムも「早く辞めろ」の大合唱だった。

 しかし、どの記事を読んでも、私には菅さんがなぜ辞めなければならないのか、分からなかった。辞めたら何が良くなるのか、どこにも書かれていなかった。中には論説委員の署名入りのコラムなのに、冷静な批判とは程遠く、ほとんど感情的な罵倒に近いものさえあった。

 ここまでマスコミが感情的になるのは、「本人が辞めると言ったんだから辞めろ」という以外の、筋道を立てた論拠が示せないからだ。経団連の米倉弘昌会長が何とか菅さんを辞めさせようとくり返し発言していたのを聞くと、結局、電力会社に嫌われたから辞めなければならなかったのではないかと思える。

 この首相交代劇で、「脱原発」の勢いにはブレーキがかかることになるだろう。そうさせない覚悟が、今のマスコミにあるのだろうか。

 フィンランドの地底深く遣られた高レベル放射性廃棄物の最終処分場のドキュメンタリーを見ると、感心するより呆れるより、ブラックジョークとしか受け止められない。施設がいっぱいになったらコンクリートでふさいで、10万年は大丈夫だという。(略)「10万年は大丈夫」と言った科学者は無責任である。むしろ、「10万年たってむ、放射能は危険だ」ということこそ強調されなくてはならない。

 私のような素人が見ても、あんな巨大な地底施設を造るくらいなら、その莫大な費用で新エネルギーの開発を進めた方がよぼど現実的である。

 自然エネルギーを、「コストが高い」とか「安定供給できない」と批判する科学者は、放射性廃棄物を10万年保存できる方法を考える方がいかに大変かを認識すべきだ。

 コストや安定供給の問題は人間の知恵で何とかなる範囲内だろう。今の企業に遠慮して、将来の子供たちを危険にさらすことは許されない。──

 確か、池澤夏樹さんも朝日のコラム「終わりの始まり」で少し前に、「政策だけを考えれば、菅さんは評価できるのではないか」と述べていたと記憶しています。こういう考えは朝日の「声」欄にもあったと思います。いや、それどころか、脱原発の支持率は70%くらいだったはずです。それなのに、こういう考えは大きな潮流とはならず、菅内閣の支持率は20%を切り、菅さんは辞任せざるをえませんでした。これをどう考えたらよいのでしょうか。

 ここで、A型(政策には正しい面も多々あったのに志半ばで挫折した首長)とB型(任期を全うして志した改革を実行できた首長)とに分けて、リストを作ってみましょう。すぐにも思いつく人々は次の通りです。

 A型──菅直人さん(前首相)、田中康夫さん(元長野県知事)、竹原信一さん(鹿児島県阿久根市の前市長)など。

 B型──片山善博さん(元鳥取県知事)、浅野史郎さん(元宮城県知事)、増田寛也さん(元岩手県知事)、瀬見井久さん(愛知県犬山市の前教育長)、若月秀夫さん(東京都品川区の現教育長)など。

 A型とB型とを比べて見ると、どこに違いがあるか、分かると思います。B型は官僚出身者なのです。A型はそうではないのです。

 なぜこの違いが大きいのでしょうか。行政というのは、何千人、何万人、何十万人の職員が何十年にもわたって蓄積し、築き上げてきたメカニズムで動いているからです。このメカニズムは法律や条例で成文化されているものもありますが、職員の経験の中にだけ蓄積されているものも沢山あるからです。

 それを縦横無尽に操る能力のないトップは、どんな立派な政策を掲げても実行す事は出来ないのです。しかるに、それを操れるようになるまでには、相当の研究と経験が必要なのです。そして、それを本当に知るには自分がトップにならなければ不可能なのです。「情報公開」などという念仏の声は聞かれますが、肝心な事はほとんど全て、隠されているのです。

 これを知らないおめでたい政治家や有権者が、「(普天間基地は)最低でも(沖縄)県外」などというスローガンを掲げたり、それに騙されたりするのです。「民主党にはガッカリした」という声も多いようですが、その責任の半分は自分の不勉強と無知にあることを自覚したらどうでしょうか。国民は自分に相応しい政府しか持つ事は出来ないのです。

 菅さんも数年前、民主党の代表で総選挙を戦った時、諫早へ行って、「私が総理になったら、1か月で潮受け堤防を開けてみせます」と大見えを切りました。1年3カ月も首相の座にあったのに、開いていないではありませんか。

 菅さんも脱原発に「回帰」したことは好かったですが、一貫性がありませんし、それを実現する戦略を持っていませんでした。そもそも、菅さんは就任後すぐにも「消費税を10パーセントにしたい。この点では自民党案は評価できる」などと素人政治家ぶりを発揮し、参院選の惨敗を招きました。中国船の船員逮捕では、外国との関係は国内法で律することが出来る訳ではないことも知らないことを暴露しました。政治家として、子どもすぎます。厚生大臣として何かの資料を出させたくらいで好い気に成るような人では首相は無理です。

 はっきり申し上げておきます。選挙における「学問的に正しい公約」はただ一つ、「国政(県政、市政)の現状の『全体的真実』を調査研究し、それをネット上に分かりやすく発表し、皆さまの意見を聞きつつ、政策を立てて行きます」というものでしかありえません。私が過日の浜松市長選挙に仮立候補した時に提示した公約がこれでした。

 私は自分だけは知っているなどと言っているのではありません。私は「自分は知らないことを自覚しているし、自分がトップに立たない限り分かりえないことを知っている。同時に、在野で研究していなかったら、首長になってから研究しても分かるまでは時間がかかる事も知っている」と言っているのです。長年の行政研究の結果、それが分かったと言っているのです。つまり、ソクラテスの「無知の知」です。政治の理想は哲人政治であるというのはこの事だと思います。

 少し、注釈を付けておきます。

 第1に、「全体的真実」とは何か、と質問してくれた新聞記者がいましたので、例でお答えしましょう。例えば、浜松市役所が天竜区役所の改築のために11億円使ったという「個別的事実」をどう考えるか、という問題を出してみましょう。こういう事は、私の知る限り、どの新聞にも載っていなかったと思います。記者にそういう問題意識がないからです。この事実はそれだけとして考えても何も出てきません。しかし、関連した他の事実の中に位置づけて見ると、すぐに真相が分かります。私見は「天竜区役所はなぜ11億円だったか」をご覧ください。

 第2に、今、大阪府の橋下知事が11月27日の選挙で市長選に出て、知事選とダブル選挙にし、大阪の改革を狙っているというのが話題になっています。では皆さんは、橋下さんの改革はどうなると「予想」しますか。以下に私見を書きます。結果が出てから、自分の「意見」を言うような卑怯なまねはしないでください。意見は、このブログのコメント欄に実名で投稿して下さい。投稿に当たっては、自分のメルアドも併記して下さい。こちらから連絡を取って、確認できた人の意見のみ掲載します。

 なお、前提は、「教育の現状は大改革を必要とするくらいひどいものだ」という事実認識を共有していることです(だからと言って、君が代問題についての橋下知事の言動まで賛成しなくても結構です)。「教育に正解はない」とか、「ほとんどの先生は精いっぱい頑張っている」などという寝言に賛成の人はお断りします。

 牧野の見通しは以下の通りです。

 ① 市長選では橋下氏が当選するでしょう。そして、「改革」をするでしょう。
 ② 府知事選挙では「維新の会」系の候補者は負けるでしょう。大阪府政では「ねじれ」が起きるでしょう。そして、2015年の統一地方選挙で「維新の会」は県議会での過半数を失い、元に戻るでしょう。
 ③ 橋下さんがいつまで続けるか分かりませんが、退任後揺り戻しが来るでしょう。

   関連項目

牧野紀之の浜松市長選への仮立候補関係の記事

特捜部は要らない

2011年09月06日 | カ行
                   柴田 直治

 大阪地検特捜部の証拠改ざん事件から、まもなく1年。私は検察庁から特捜部はなくすべきだと考えてきた。

 この権力犯罪は組織の体質に根ざしており、このままでは同様の人権侵害が繰り返されると危倶するからだ。だが特捜部は看板さえ掛け替えずに生き残った。

 論説委員室の会議でも廃止論を唱えたが、採用されなかった。他紙でも社説で廃止を主張した社は見あたらない。

 ほとんどの新聞は、特捜部を残すという検察の判断に疑問を差し挟まなかった。

 私は大阪の司法記者クラブに属し、特捜部を論じる記事を書いたことがある。当時も自らの筋書きに沿った調書をつくり捜査していたが、批判的に指摘したことはない。

 反省も込めて振り返れば、独自捜査を専門とする組織が常設されていることに問題の根源があるように思える。

 検察の本分は、警察などが捜査した事件を精査して起訴するかどうかを検討し、公判を維持することだ。独自捜査は例外であるはずだ。有罪率が99%を超える日本の司法制度のなかで、起訴権限を独占する検察の手がけた捜査がチェックされる機会は限られている。

 それに特捜部は「エース」を集めた出世コースだ。特捜検事に、特捜部長になったからには、と功を焦る。公益を代表し真実を発見するより、「実績」を優先させた。その延長上に大阪の事件はある。

 私は独自捜査をすべて否定するつもりはない。警察に任せられない事件の端緒をつかんだら、その時々に検察官がチームをつくればよい。

 日本記者クラブで、笠間治雄検事総長に特捜存続について聞く機会があった。「いったん解散すれば、独自捜査の実力を持つ専門家が雲散霧消する。常設で囲い込む必要がある」との答えだった。

 「なくせば巨悪が喜ぶだけ」と書く新聞もあった。

 ではこの10年、特捜部が手がけた事件のどれが「巨悪」だったのだろう。検察が警察を指揮する形では摘発できなかった事件はあるのか。

 自民党一党支配時代、特捜部は数少ない権力の監視役だった。だが政権交代が実現し、有権者の意思で政権を排除できるいま、「最強の捜査機関」の意義はかすむ。

 検察は内部監査や決裁体制を強化し、可視化も試行する。一連の改革で、特捜部の存在意義が再び認められるだろうか。私は難しいと思う。

 (朝日、2011年09月01日。筆者は論説副主幹・大坂駐在)

     感想

 勇気ある発言ですね。朝日は「社説」ではこれは主張しなかったが、記者の発言としては認めて、誤魔化したと言うか、やり過ごした訳ですね。

 なお、私はこの記事を読んで初めて検察と警察との違いと関係が「少し」分かりました。曰く、「検察の本分は、警察などが捜査した事件を精査して起訴するかどうかを検討し、公判を維持することだ」。

 これまでは、弁護士に聞いたこともあるのですが、好くは分かりませんでした。報道で「東京地検特捜部が捜査に入りました」と聞くと、「警察が捜査するのとどう違うのだろうか」といつも思いました。

原発マネー

2011年08月22日 | カ行
 原発や関連施設が立地する道県や市町村、周辺自治体に対し、交付金や税金の形で国や電力会社からもたらされた「原発マネー」の総額は、原発が営業運転を始めた1966年以降、少なくとも2兆5000億円に上ることが毎日新聞のまとめで分かった。原発関連の固定資産税や寄付を公表しない自治体も多く、実際にはさらに巨額になることが確実だ。原発の今後を考える際に原発マネーの扱いは避けて通れない課題となりそうだ。

 経済産業省資源エネルギー庁の資料や自治体への取材などからまとめた。原発マネーの中心は1974年成立の電源3法に基づく交付金と、原発などの施設に市町村が課税する固定資産税で、それぞれ約9000億円。原発を抱える全13道県が電力会社から徴収する核燃料税も6700億円に上る。電力会社からの寄付も、把握分だけで530億円あった。

 標準的な行政に必要な財源のうち独自の収入で賄える割合を示す「財政力指数」で見ると、立地自治体の豊かさが目立つ。総務省によると、財政力指数の全国平均は0,55(2009年度決算)で、町村では0,1代の所も多い。原発立地21市町村への取材では、過半数の11自治体が1,0を超え、他も1,0に近い所が大半だ。

 原発マネーはインフラや公共施設の整備に使われてきたほか、近年は福祉や教育など住民生活に密着した分野にも活用が進む。北海道泊村が財源の5割を依存するなど、どの立地自治体も原発マネーへ強く依存している。「脱原発」を進める場合、財源を失う自治体が甚大な影響を受けるのは必至の状況だ。

(毎日新聞ネット版、2011年08月19日。まとめ・日下部聡)

      関連項目

「原発」の小目次

国連

2011年08月16日 | カ行
01、事務局

 国連事務局には、事務総長を頂点に、ニューヨーク本部の2500人をはじめ、世界銀行、ユネスコなどの専門機関を合わせ、世界中に約3万人の職員がいます。加盟国から派遣されたり、事務局が直接採用した人たちで、髪の毛の色も肌の色もそれぞれ違いますが、身分はみんな国際公務員です。出身国の利害にとらわれず、国連の職務を忠実にはたすことにな っています。

 国連の予算は、各国の分担金でまかなわれる通常予算、別途各国が分担する平和維持活動(PKO)費、各国が任意に拠出する人道的活動費の3本立てで、2年ごとに編成されます。

 財源となる分担金の負担率は、加盟国の所得をしめす国民総所得(GNI)をものさしにして決めます。その上位は予算の4分の1近い22%を出しているアメリカがトップ、ついで16,6%を負担している日本、さらにドイツ、イギリス、フランスとつづきます。

 2007年の通常予算は約20億5000万ドル、PKO予算は約52億5000万ドルです。したがって、日本は合計で約21億ドル、円に換算すると約1500億円で、国民1人あたり約1100円を国連のために負担している計算です。

 各国の分担率は3年ごとに見直されます。しかし、最近は財政難のロシアをはじめ分担金を滞納する国がふえ、アメリカも拠出にしぶくなり、国連は財政危機に直面しています。また別会計になっているPKOの費用も、地域紛争への国連介入がふえているので、経費が増大し、各国に割り当てることすらたいへんになってきています。PKO活動費をふくめた滞納額は20億ドル近くにものぼります。

 しかし、国連も組織が肥大化して、能率が悪いのではないかという批判もあります。国連本部の地下室には、安全保障理事会や総会の決議案など文書を印刷する工場があります。ここでは年間3億枚もの文書を印刷するというほどで、ムダが多いのはたしかです。

 そこで、日本などの提案で、経費を削減するための事務局の人員整理や能率向上などリストラも進められていますが、実効はなかなかあがっていないのが実情です。

02、日本人職員

 国連の事務局職員の数は2500人で、国別の職員の数は分担金の割合によって決められています。日本人職員の割り当ては専門職で約300人ですが、現在(2007年現在)100人程度しか働いていません。全職員数のわずか4%です。同じくらい分担金を出しているアメリカは日本の3倍、300人が採用されています。

 ユネスコなど国連関連機関の繚職員数は1万8000人ですが、そのうち日本人はわずか500人程度(約2,8%)です。

 そこで国連は、日本人職員を増やすため人事部長など採用担当者を日本に派遣してじきじきに面接をしたりと力を入れているのですが、せっかく日本にあたえられている国際公務員のポストもなり手が少ない、と残念がっています。

 (原康著「国際機関ってどんなところ」岩波ジュニア新書より)

    感想

 職員の給与はどのようにして決められるのか、どのくらいなのか、といった事が落ちています。

 日本人の少ないのは、政治的に幼稚な国民だからではないでしょうか。教育を改善して、日本人を増やすべきでしょう。

 「外務省国際機関人事センター」のサイトは役立つそうです。


語学は人を俗物にする

2011年08月07日 | カ行
 語学者という奴は俗物になる危険を多分に含んでいる。しかもそれが語学そのものの性質の中に根拠を持っている。

 語学の知識というのは、まずさしづめ、「どんな文句が、否、どんな考え方が最も標準的か」という指導方針の下に立っていると言って好い。

 標準的ということは、模範的ということになるが、悪く言うと凡庸な、月並みのということで、この両方の混成現象が標準的という人聞きのよい概念である。

 生兵法(なまびょうほう)は大傷の因(もと)というが、生語学(なまごがく)は多少外人崇拝の因となる。その言語で分からない事があったりすると、必要以上に恥じるという心理が生じてくる。

 次にその反対を考えてみよう。「何かが標準並みに出来た」という感じは、人をとても嬉しがらせるものと見える。

 「語学がよく出来る」という人の往々にして感ずる得意というのが、これに非常に好く似ている。どんなによく出来た所で、英人なら英人、ドイツ人ならドイツ人にはどうせ及びもつかないのであるが、とにかく従来の世界で習慣となっている事を、自分一人の力をもって間違わずにやってのけたという、考えてみれば実に下らない快感であるが、それがとにかく常人には合点の行かない様な快感を起こさせるのである。

 得意な事に関しては人間は全く目がなくなる。反省心がなくなる。おまけに仕事が忙しくなってくるというと、その危険が益々甚だしくなる。

 語学者という奴はかくして俗物になってしまうのである。

 (関口存男(つぎお)「ドイツ語論集」330-2頁)

      関連項目

高田誠著「英語の学び方」
牧野紀之著「辞書で読むドイツ語」
「辞書で読むドイツ語」のレビュー


主体的な学び方

2011年08月03日 | カ行

        ──関口人間学と私──

                          牧野 紀之

大野晋氏の考え方

 国語学者の大野晋氏の書かれた『日本語の文法を考える』(岩波新書)という本を読む機会を得ました。とても面白い本でした。中学校時代に、日本語は非文法的だと聞かされて反発し、「日本語には日本語としての仕組みがあるのではないか」と考え始めた氏が、何十年か経って、「それについての1つの答らしいものがようやくこのごろ私に見えてきた」として書かれたものです。

 言語の本質論などは弱いようですが、日本語の文の基本型を既知と未知との組合せから成るとした上で、『岩波古語辞典』を作られた実力を背景にして、日本語の特徴をたんに事実として指摘するに止まらず、なぜそうなっているのか、どう変ってきたのか、今後どうなるのか、といった事を具体的に明らかにしています。

 特に第9章では、主格助詞の「ガ」がいかにして成立したかを、古代における所有格助詞の「ノ」と「ガ」の違いから説き起し、連体形で終る形の一般化(係結びの消滅)を社会の変動と関係させて説明されたくだりは圧巻でした。

 無味乾燥な暗記物と思い込まされてきた文法も、このように理解すると、本当に充実した価値を持ち、その民族の特徴を知るのに役立つものだと、知らされます。それと同時に、この本を読みながらつねに私の脳中を去らなかった思いは、「大野氏が関口文法を知っていたらどんなに面白かっただろうか」ということでした。

 例えば、145頁を見ますと、「ハは題目とする言葉を承ける。また、すでに知られているものを承ける、あるいは承けるものをすでに知られているもの『として』扱う。それに対してガは未知のものを承ける、あるいは承けるものを未知のもの『として』扱う」と書かれていますが、この私が二重かっこをつけた「として」という考えは、はっきり意識しますと、関口存男(つぎお)氏の意味形態になるものです(拙著『関ロドイツ語学の研究』第1章第3節参照)。

 しかし、大野氏は関口氏の意味形態論を御存知ないために、この「として」という考えがどこに行き着くのかという事までは、追究しても気付いてもいないようです。同時に、この点は、逆に言えば、大野氏が関口氏のような方法を持たなかったにも拘らず、事実に強制されて、無自覚的に、正しい考え方を採り入れようとしているとも言えます。又本書では、この無自覚が大した問題を引き起してもいません。ですからこの点はこれで止めます。

名詞について

 第4章は名詞論ですが、まず「日本語では単数と複数を区別しない」ということを指摘した後、「さて、もう一つ、日本語には抽象名詞が少ないということがある。これは日本語にさまざまの問題を提供している」として、抽象名詞の多いサンスクリット語と比較した上で、「日本人が豊富に持っている抒情詩、物語、歴史という作品群は結局、個々の人間のそれぞれの立場における情趣あるいは個的な感情、あるいは個々の動き、事態を述べ記すものであって、物事を不変的に認識する、あるいは抽象的に統一して把握する、あるいは体系的に思惟する結果を直接に記述するものではなかった」(62頁)と結論しています。

 そして、この事は、物の性質や状態を客観的に捉えて表現する形容詞を含むク活用の形容詞が日本語は貧弱で、逆に情意を表わす形容詞を多く含むシク活用の形容詞が豊富であるということ(83頁)、及び「日本語に動詞の使用が多かったことは、日本人が多くの場合、世界を、具体的な事象の生起、生成、進行、持続という相において把握し、それを表現していたことを示すものだ」(100頁)ということと関連しているようです。

 たしかに大野氏の指摘は一見もっとものようです。これらの事は常識的、経験的にも感じられている事を、日本語の細かな分析を通して裏付けたという面も持つようです。しかし、僭越ながら、私はもうひとつ肯けなかったのです。私は、サンスクリット語はおろか、ドイツ語も日本語もろくに研究していないのですが、ヘーゲルを読んで理解し、訳すことについては、かなりの苦労をして来たつもりですし、ささやかながら関口文法を読みもしてみたその経験から、どうも大野説をそのまま受け取ることは出来なかったのです。

 たしかに日本語は抽象名詞に弱く、動詞の使用が頻繁であるというのは事実です。しかし、それは表面的な事実ではないでしょうか。もう一歩踏み込んで読んでみますと、ドイツ語の抽象名詞は実に生き生きと動いていることが多いのです。それは形式上は抽象名詞であっても、内容上は具象名詞と言ってよいようなものも沢山あるのです。例えば、関口氏はドイツ語の die Zeitとder Raumは抽象名詞ではなくGottと同じ固有名詞であり、個有具体概念だと言っています(『冠詞』弟1巻491~2頁)。

 大野氏は「抽象化するということはつまり個々の事例を別々に取り扱わずに普遍化して取り扱うことであり、一般化して取り扱うことである」(57頁)という悟性的抽象概念をうのみにしておられますが、抽象をこう定義するなら、そして関口氏の dje Zeit,der Raum論が正しいとするなら、ドイツ語のZeitや Raumは抽象名詞ではないことになります。事実、関口氏はそれを「固有具体概念」と言っています。これは、単語自体として、形式上は抽象名詞、内容上は具象名詞ということでしょうが、そのほかにも、使っている人が抽象名詞を具象名詞として使う場合もいくらもあるのです。ですから、私は、何も日本語とドイツ語が同じだと言いたいのではなく、関口文法を研究してこういう事を理解した上で、もう一歩突込んだ所で日本語の特徴を論じて欲しいと言うのです。

日本語は動詞中心の言語

 先に挙げました日本語は動詞中心の言語だということも、翻訳で苦労したことのある人なら身にしみているはずです。しかし、動名詞や動作名詞を挙げるまでもなく、ヨーロッパ語の名詞には動いているものが沢山あります。関口氏は ein guter Mensch in seinem dunklen Drange,ist sich des rechten Weges wohl bewusstというゲーテの言葉を「好漢はいかに躓(つまず)き迷うとも、往くべき所に往かでやむべき」と訳したのです(『冠詞』第1巻420頁)。

 ここで大切な所は、in seinem dunklen Drange という形容詞と名詞を中心にした句を「いかに躓き迷うとも」と動詞で訳した所だと思います。「暗い困窮」という抽象名詞の中に人が煩悶する様をありありと見、感じ取ることができて初めて、こういう理解と訳が出てくるのだと思います。

 また、関口氏の指摘に拠れば、ヨーロッパ語は動作を表わすのにその結果としての状態をもってするという特徴がありますから、形容詞や過去分詞によって動きを表現する場合が多いのです。こういう事を考えに入れないで、動詞が多いという一面の事実から日本人の特徴を云々するのは、余りに性急ではないでしょうか。現に、そこに挙げられました世界観は、哲学史では古代ギリシャ人の世界観として知られているものです。ですから、ここでももう一歩突込んだ所で日本人の特徴を問題にするべきだったでしょう。

 このように、私は大野氏の本を読みながら、関口文法が学ばれていないのをとても残念に思ったのですが、更に広く、関口文法がどう扱われているかと考えてみますと、その現状は余りにもひどいものだと思います。独文関係の人でも学ばない人もいるようですが、独文関係以外の人にはほとんど学ばれていない、と言ってよいと思います。

 最近言語論は盛んなようですが、それにも拘らず、関口氏の業績は然るべき扱いを受けていないと思います。『関口ドイツ語学の研究』を公刊して得ました反響から見ますと、むしろ市井の人々が、ドイツ語は出来ないけれど面白い、と言って読んでいる場合が多いのではないか、と思いました。

関口文法とは

 では、なぜ関口文法はこのような残念な事になっているのかと考えてみますと、第1の理由は、そもそも語学というものの性格にあると思います。語学について2人の人AとBが話し合うためには、AとBの両方がそのテーマたる言語について知っていなければならないということです。関口氏の本はドイツ語(だけではありませんが、主としてドイツ語)を日本語で論じたものです。これを読むには日本語がすらすら読めるのは当然の前提として、ドイツ語が一応読めなければならないのです。こうなると、外国人(ドイツ語人)にはまず読みにくくなりますし、一般性が欠けてきます。

 しかし、私は、この理由はさほど大きい理由だとは思いません。私が考えるそれ以上の理由は、「関口文法」とか「関口ドイツ語学」という言い方にあります。関口文法というのは 文法一般ではなく、関口ドイツ文法の意味ですから、どちらの言葉を使っても、これは所詮ドイツ語内部の問題だということになります。

 しかし、本当は、関口氏の学問はドイツ語学ではないのです。ドイツ語ないし言語を手掛りとした人間学なのです。だからこそ、私は、拙著の「まえがき」で、氏の『冠詞』全三巻について、「およそ人間精神に関心のあるすべての人が一度は読むべき本です」と言い、「文例まで読まなくても結構です。分らない所は文字面をなぞるだけでも結構です。ともかく全巻を自分の立場から通読してみるべきです」と書いたのです。

 私も分り易さのために「関口ドイツ語学」という言葉を使っていますので反省していますが、今後は、「関口人間学」と言い換えるか、せめてそういうサブタイトルを付けて使っていってはどうでしょうか。

関口文法を研究した理由

 前置きみたいな物が長くなりましたが、実はこれも本論と関係があるのでして、私が関口文法(関口人間学)を学びました表向きの理由は、拙著の「まえがき」にあります3つです。第1は、これまでの文法主義に代る新しい初級ドイツ語学習法(教育法)を『辞書で読むドイツ語』で完成した後で、中級以上のための新しいやり方を開発する必要に迫られたことです。第2は、関口文法が余りに学ばれていないのを残念に思ったことです。第3の、そして最大の理由は、私自身のドイツ語読解能力の低さを痛感させられて、一度関口文法と格闘しなければならないと考えたことです。

 しかし、これは表向きの理由でして、しかも動機にすぎません。では、本当の理由は何か。なぜ私は周囲の人を驚かせるような情熱をもってそれに没頭したのか。それは、やはり、関口氏の学問が単なる語学ではなく人間学だったからだと思います。だからこそ、この仕事を途中で投げ出すことなく完遂できたのだと思います。ですから、拙著『関口ドイツ語学の研究』はドイツ語の本だと思って敬遠している人もいるようですが、あれは哲学の本なのです。

関口文法に立ち向う武器

 そのような訳で、私の関口文法研究は氏のドイツ語学を学んで整理するだけでなく、それをヘーゲル哲学とつき合せて、論理的に吟味し再構成するということになったのです。そして、この事が、一般に、関口文法を研究する際の方法について示唆を与えていると思うのです。これは、まあ、何を研究する時でもそうなのでしょうが、特に関口文法を研究する時には、武器をもって立ち向わなければならないということです。その武器というのは、この点なら自分の方が関口氏より上だという点のことでして、その点を武器にして、その点から関口文法を捉え直すということです。

 例えば、日本語に詳しい大野氏のような方が、その日本語についての知識を武器にして関口文法を学ぶとか、そのほか英語学の専門家が英語についての知識をもって立ち向うとか、氏はハイデッガーの存在論を高く評価していますから、ハイデッガーの研究家がその方面から関口文法を捉え直してみるといったことも面白いと思います。

 しかるに、今迄関口文法を学んだ人は独文関係の人が主でしたが、ドイツ語に関して関口氏より上に立つことは至難の技です。ですから、独自の立場からの関口文法研究はほとんど出ず、ただ部分的に学び、部分的に批判するというような事しか出て来なかったのです。もちろん、関口氏のドイツ語学も完全無欠ではなく偏りがあるでしょうから、独文学者が関口文法をやっても成果を挙げることは可能なのですが、とにかく、そのためには漠然とやってはだめで、この点なら関口氏より自分の方が上だという武器をもってやらなければ独創的な成果は挙がらないと言いたいのです。幸か不幸か、私が武器としました論理的思考とヘーゲル研究はちょうど関口氏の弱点でもありました。だからこそ、私の研究は有田潤氏から「実にユニークだ」と評されることにもなったのだと思います。

 しかし、私は他人に忠告したり教訓を垂れたりするのは好きではありません。そんな事を考えているより、自分の反省の方が大切だと思います。現に、拙著公刊以来3年余り経ちましたが、あの時私が知らなかった本や雑誌のことを何人もの人から教えられました。いや、読んだ本すら分らないままにしてある事項がいくつもあります。その事が今でも気になって仕方がないのです。いろいろな事情があって、その後関口文法を研究し直す機会を持っていないのですが、もう一度やろうという気持は、時と共に強まりこそすれ弱まることはありません。

 しかし、すぐに手を付けようという気も無く、やはり、今度やる時にはもっと鋭い武器をもってやってやろうと考えるに至っています。その「もっと鋭い武器」というのは、ハイデッガーの『存在と時間』の研究と、ほかならぬドイツ語についての独自の研究のことです。お粗末なドイツ語学を論理的思考能力で補ってやっていくのは、前回で既に限界に来ています。あと10年くらいしたら、これらの武器を鍛えて、もう一度、この高く険しい峰にアタックしたいと願っています。神よ、私にその機会を与え給え。
 
 (この文は三修社刊『ドイツ語研究』第2号〔1980年5月〕から転載しました。題を代え、元の題は副題としました)

      関連項目

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