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ながく、牧野紀之の仕事に関心を持っていただき、ありがとうございます。 牧野紀之の近況と仕事の引継ぎ、鶏鳴双書の注文受付方法の変更、ブログの整理についてお知らせします。 本ブログの記事トップにある「マキペディアの読者の皆様へ」をご覧ください。   2024年8月2日 中井浩一、東谷啓吾

原子力ムラの灰色学者たち(その4)

2012年08月21日 | カ行
 原発が立地する14道県(立地予定含む)がそれぞれに設けた、地元の原発の安全性を検証する審議会の委員18人が、2010、11年度に計約1億5000万円の寄付を原発関連の企業・団体から受けていたことが分かった。全国市民オンブズマン連絡会議が調査し、8月18日に結果を発表した。

 同会議では、14道県の「原子力政策懇話会」など41の審議会で委員を務めた学識経験者222人について調べた。うち約100人の所属大学・研究機開から回答があり、18人が原発メーカーなどから寄付や受託研究費として3万~4261万円を受けていた。

 同会議事務局長の新海聡弁護士は「原発の再稼働を進めるには、地元道県の意向が欠かせないが、その際に重要な役割を果たす審議会の委員が公平な立場ではなかった」と指摘する。

 今回の調査では、回答待ちの大学や、独立行政法人情報公開法の対象外となる私立大も多く、新海事務局長は「分かったのは氷山の一角にすぎない」として、さらに調査を進める意向を示した。
 (朝日、2012年08月19日)

 感想・実名と金額が発表されていないのは残念です。調査の途中だそうですから、最終結果の発表を待ちましょう。

           関連サイト

全国市民オンブズマン連絡会議

共産党員市長の評価

2012年07月20日 | カ行
 東京でただ一人の共産党員の市長が引退した。共産系市政とは何だったのか。

 東京都狛江市は23区に隣接し、人口7万7000人。全国で2番目に面積が小さい市だ。ここで先月、市長選があった。

 共産党員市長として4期16年務めた矢野裕氏(65)は立候補せず、同じ共産党員の田辺良彦氏(47)を後継指名。だが「非共産」を旗印に民主、自民など4党が相乗りで支援した候補に3000票差で敗れた。

 一方で、田辺氏の得票は前回市長選での矢野氏を上回った。「矢野市政の継承を求めた人は少なくない」と陣営ではみている。

負担増も求める

 矢野氏は1996年に初当選。「ガラス張りの市政」を掲げ、2001年には市長の食糧費や交際費をネットで公表。2000年には先進的な情報公開条例を作った。

 予算配分も変わった。就任直前の1995年度に108億円だった土木費は2010年度は16億円に。福祉にかかる民生費は81億円から102億円に増えた。

 しかし、中身をよく見ると、土木費の大幅な減額は直前の市長時代に続いた小田急線立体化工事などが一段落した影響が大きい。

 また矢野氏は、国民保険税の税率を引き上げ、ごみ収集を有料化するなど、市民に負担増も求めた。

 ベッドタウンとして成長した狛江に企業は少なく税収も乏しい。年間歳出規模は約260億円。26億円を借金返済に充て、公債費比率は都内の市で最悪だ。

 「音楽の街」「絵手紙発祥の地」。矢野氏はさまざまなキャッチフレーズで市をPRした。金をかけずにボランティアに頼るソフト面の政策が中心だった。

市民の声に敏感

 矢野氏が共産党に入党する原点は、早大法学部入学後に身を投じた学費値上げ反対闘争だった。家計は楽ではなく、幼い頃は6畳一間に家族4人で住んだ。大学の学費は奨学金とアルバイトで工面した。

 その矢野氏が国保税率を引き上げ、下水道料金を値上げした。共産党の主張は国保税率の引き下げだ。

 「党員なのに値上げなんてしていいのかと悩んだが、理由をきっちり説明して、本当に困っている人には減免するなど、党員らしくやろうと思った」と矢野氏は振り返る。

 もともと狛江市は共産党への支持が厚い土地ではない。矢野氏の場合、個人票が圧倒的に多いとされ、市長選は常に無所属で立候補した。「自由にやらせてもらった。党の方針でやっていたら、4期ももたなかった」と言う。

 1期日の1997年、予算案が議会で否決された。その後、予算を通せという1万人近い署名が集まり、ほぼ同じ予算案が可決された。

 矢野氏はこの経験から、「市民の声に敏感になればいいと思うようになった」。新年会など様々な場に出かけては酌をして回った。「庶民的だ」「共産党は嫌いだが、矢野はいい」という人が徐々に増えた。そもそも共産党綱領は「地方自治では『住民が主人公』を貫く」とうたう。

 政策で党と距離を置いても、姿勢だけは党員らしさを保った。石井功市議(自民)は皮肉をこめて語る。「矢野さんは、お酒をついで回っていただけ。やるべき大きな事業がなかったから、16年ももった」

 矢野氏は07月6日、晴れやかな顔で市役所を後にした。退任後は「女房孝行したい」と、今月、妻とアラスカの船旅に出た。

 共産党員の市長は全国で最も面積が小さい埼玉県蕨市だけになった。
(朝日、2012年07月14日。平山亜理)

   感想

 「自由にやらせてもらった。党の方針でやっていたら、4期ももたなかった」とは、一体どういう事なのでしょうか。それなら、「党の方針」を変えたらどうでしょうか。

 教育行政はどうだったのでしょうか。私は何も聞いていませんが、特に評判になるような事はしなかったのでしょうか。日の丸・君が代問題はどうしたのでしょうか。こういう事を調べないようでは、新聞記者の方がおかしいと思います。

 「先進的な情報公開条例」と言いますが、市職員の給与を決算に基づいて最後の1円まで発表した竹原時代の阿久根市に劣るのではないでしょうか。竹原さんは自衛隊員だったはずです。自衛隊に劣る共産党ですか。マンガですね。

 この記事は、ジャーナリズムの堕落の方が印象に残る記事でした。

    関連項目

阿久根市の職員給与

小物の基準

2012年07月14日 | カ行
 昨年(1985年)の春、Aさんから手紙が来て、上京して私の所で勉強したいとのことであった。その後電話で連絡を取った時、ドイツ語はどのくらいやっているのかと聞いたら、ゲーテの『親和力』を「一寸訳しました」とのことであった。後で判った事には、その「一寸」というのは実際には4頁か5頁のことであった。

 そのAさんがへーゲルのキリスト教論を読んで、「大体文章にまとめた」と言うので、「じゃ『鶏鳴』に載せようか?」と聞くと、「いや、もう少し考えてから」と逃げる。その時私は、一方では自分の小さな実績を過大に言い、他方で自分の仕事を公の場で世に問うのを恐れているようではどうしようもない、と話したことであった。

 実際、自分のした事をどう表現するかはその人をよく表わしていると思う。関口存男氏はドイツ語以外にも、フランス語はアテネ・フランセでフランス語での授業を代行したほどだし、もちろん英語もギリシャ語もラテン語もロシア語もイタリア語もスペイン語も、そしてエスペラント語や漢文も出来た。そのほかにも出来たものはあっただろうと思う。しかもその出来方たるや、そこらのその語学の専門家以上だったようで、或るギリシャ語学者は氏の質問を受けて驚いたという話である。しかし、氏自身は「そもそも出来るとはどういうことか」と問題提起し、ある語学が本当に出来るとは、その言語で書かれたあらゆる分野のものを読んで分るようでなければならないと言って、「自分に本当に出来るのはドイツ語だけだ」としか言わなかった。

 さすがに関口氏。4頁や5頁訳して「一寸訳しました」という人とは基準が違う。私はAさんにこの話をし、「Aさんの日本語は間違ってる。『一寸訳しました』と言うのは、100頁訳してからにしろ」と注意したことであった。

 その話をした時にはたまたまNさんも同席していた。そのNさんが個人名を挙げない文を書くので、「相手に直接言うか、文を書くなら個人名を出して批判しろ」と最近は言い続けている。先日『人間家族』という雑誌に彼は「鶏鳴学園への招待」という文を書いたが、そこに初めて2人の名を挙げて軽い批評めいたことを書き、「今度の文には少し個人名を出しました」と言った。その時も私は、理想を掲げて運動をしている人がなぜこうもダメ人間ばかりなのかと言うのなら、○○はこれこれこうだからダメ人間だと、10人以上について書いてその文を本人に送ってからはじめて、「少し名前を出した」と言え、と応えた。

 私は人を悪く言いすぎると言われている。この評判を以前は大分苦にしたこともあるが、最近ではこう考えている。それは、私は子供は褒めるが、大人に対しては絶対的な基準をもって客観的で全面的な批評をするからだ、と思っている。

 私は子供は褒める。自分の子供でも悪くは言わないし、叱ることはめったにない。暴力を振るったことなど1度もない。少しでも好い所を探して針小棒大に褒めるようにしている。唯一の例外が食事中の姿勢で、これは悪ければ注意する。これは例外というより、姿勢が根本だと考えているので、この姿勢さえしっかりしていれば、後は褒めた方が子供の成長によいと考えているのである。もちろん私のことだから、以上の原則を完全無欠に実行しているわけではないし、私自身が食事中の姿勢を崩して子供に注意されることもある。

 ともかく子供は褒める。少くとも余り悪くは言わない。学校の成績の悪い子には「学校の成績なんか関係なし」とかばう。この間の暮に子供が落し物をした時にも、「人間には誰にでも間違いがある。わざとやったんじゃない。お父さんも沢山落し物をしている」と言っただけである。

 しかし、大人は客観的に評価する。すると、私のその評価の基準が相手の基準より高いために、相手は悪く言われたと感ずるのである。4頁訳して「一寸訳した」と思っている人に、「そんなの訳した内に入らない」と言うことになるからである。そして、1部の人々は、4頁だって少し訳したことは訳したではないか、と食ってかかる。Aさんの場合は幸いこういうことにならないで済んだが、それはともかく、ここに彼我の違いがある。

 これが根本の原因だったと思っている。その上に私の言い方が相手に対する配慮に欠け、しかも言う必要の無い時に言ったことも多かったのだと思う。そのために相手の「幻想を持つ権利」を犯すことになった。もちろんこれは私が悪かった。

 従って最近は、私に就いて学びたいと言ってきた人にその真意をはっきり確認し、かつ「私はあなたを褒めませんよ。実際より悪く言うなんて失礼な事はしないが、実際より好くも言いませんよ。褒められたいなら修業は止めた方がいい」と、念を押すことにしている。もちろん相手の言い分も聞くように、「運営に関して研鑽する時間」を制度化した。そして、研鑽する姿勢について繰り返し反省するようにしている。これで大分無用な誤解は減ったようである。(1986,02,15)(『囲炉裏端』より)



原子力ムラの灰色教授たち(その3)

2012年07月07日 | カ行
 北海道電力泊原発3号機(北海道泊村)のプルサーマル計画の安全性を確認するため、北海道が設けた有識者検討会議の委員3人が、原子力関連の企業や団体から寄付を受けていたことが27日、明らかになった。金額は6年間で692万5000円だった。共産党が同日の道議会本会議で指摘し、道も2人が寄付を受けていたことを確認したと答弁した。同党が、3人が委員当時に所属した北海道大に情報公開請求し、2006~11年度分が開示されて分かったという。

 3人は、北大の元教授で福井大付属国際原子力工学研究所の島津洋一郎教授(寄付額550万円)▽北大の佐藤正知教授(同100万円)▽北大の杉山憲一郎・元教授(同42万5000円)。

 泊原発1~3号機を施工した三菱重工業や電源開発(Jパワー)など4社と2団体が、研究助成目的の奨学寄付として大学を通じて寄付していた。

 検討会議は2008年に設置され、プルサーマル計画の安全性は「確保される」と提言。これを受け、高橋はるみ知事は翌年3月に計画受け入れを決めた。

 島津氏と佐藤氏は朝日新聞に受領を認めたうえで、議論への影響は否定。杉山氏は「受領は大学に確認してほしい」と答えた。

 (朝日、2012年06月28日)

         関連項目

原子力ムラの灰色教授たち(その1)

同(その2)

学校での事故による死傷者数

2012年07月05日 | カ行
 学校の体育の授業や部活動での事故防止策を検討する文部科学省の有識者会議は7月4日、事故分析や対策を盛り込んだ報告書を公表した。

 1998~2009年度の12年間で生徒が死亡したのは470件、重い障害を負ったのは120件。このうち、部活動中に起きた事故は競技別では柔道が最多の50件に上り、安全対策として「受け身の練習が重要」と指摘した。

 本年度から中学校で武道が必修化された中、体育の授業や部活中の事故に関する統計を文科省が公表したのは初めて。

 事故全体の590件のうち、中学、高校での体育の授業中の事故は212件で、部活中の事故は318件だった。授業中の柔道の事故は9件で、陸上(87件)や水泳(24件)の方が多かったが、部活中では柔道が最多の50件(16%)を占めた。

 今年4月から中学1、2年で必修化された武道は、学校ごとに柔道や剣道、相撲などを選ぶ。今回、報告書と併せて公表した文科省の調査では、柔道を選択した学校が全1万0683校のうち6837校(64%)を占めた。柔道の授業を4月に始めた学校は2・1%にとどまり、本格的に実施するのは夏休み以降となることも分かった。

 名古屋市立向陽高校で昨年、柔道部練習中に1年生の倉田総嗣(そうし)さん=当時(15)=が死亡した事故などを踏まえ、有識者会議は柔道指導のあり方を重点的に検討。安全対策として、受け身の指導を十分に行うことが重要と指摘した。このほか、体格や技能の差を十分に考慮して練習させる▽顧問に十分な研修機会を与え、経験の浅い教員が部活動の顧問の場合、警察官OBなど経験者の協力を得る──などを挙げた。

 今回の報告書では学校別の発生件数も分析。高校が342件(58%)で最も多く、中学188件(32%)、小学校60件(10%)だった。小学校では学年が上がるほど事故が増える傾向があり、中学、高校では1、2年生が多かった。
(中日新聞ネット版、2012年07月04日)


警察官の不祥事

2012年06月18日 | カ行
 警察官の不祥事が今年も止まらない。警察庁は不祥事だけを話し合う異例の委員会を設け、防止策を探り始めた。

 警察庁によると、今年1~3月に懲戒処分を受けたのは110人。うち12人が最も重い免職となった。前年の同じ時期よりそれぞれ18人、4人多い。逮捕された警察官は22人に上り、4月以降も相次いでいる。

 「必ずタマを出せ」。警察庁の一室で5月7日、金高雅仁官房長(57)が首席監察官や審議官ら幹部22人に命じた。警察庁が4月末に設けた「『警察改革の精神』の徹底等に向けた総合的な施策検討委貞会」の初会合だ。「タマ」は不祥事を確実に防ぐ具体策を指す。

 不祥事発覚のたび、全国の警察本部に通達や訓示で「再発防止の徹底」を指示してきたが効果なし。委員の一人は「警察官の犯罪に警察の内外とも驚かなくなった。この異常事態を何とかしたい」と委員会設置の理由を話す。

 委員長を務める金高官房長は「警察改革」のきっかけとなった1999~2000年の不祥事多発の際、本部長が部下の事件もみ消しにかかわって犯人隠避罪で在宅起訴された神奈川県警で、警務部長として事実解明と処理に追われた経験がある。「当時の屈辱と再生の誓いが忘れ去られている」。

 1~3月に懲戒免職になった12人は年齢も行為の内容もさまざまだ。最年少の愛知県警豊橋署巡査(処分当時21)は女子中学生の首を絞めてわいせつな行為をした。警察官になる前から痴漢をしていたといい、調べに対し「警察官になったら改心しようと思っていた」と話したという。最年長の群馬県警捜査2課巡査部長(62)は、捜査費を交際女性との飲食代に充てていた。

 故人の非行だけではない。静岡県警では磐田署の署長(58、警視)が、盗撮や盗みなどの犯罪にかかわった署員3人について、立件も県警本部への報告もしないまま辞めさせていた。署長は4月、犯人隠避容疑で書類送検され、懲戒免職となった。

 「長崎ストーカー殺人事件で明らかになった危機感の乏しさも度し難いが、トップがもみ消しにかかわった磐田署問題は『不祥事は隠さない』という改革の根幹が定着していないことを示している。もっと深刻だ」と警察庁幹部は嘆く。

 5月21日にあった2回目の委員会では委員からいくつかの提案があったが、金高官房長は「具体性に欠ける。もう一度警察を変えるくらいの策を出せ」と突き返した。警察の中枢幹部たちが今後も議論を重ね、7月末までに対策をひねり出すという。

(朝日、2012年05月25日。編集委員・緒方健二)

   感想

 昔、都立の高等専門学校の5年生に教えていた時、料理屋でバイトをしている生徒がこう書いていました。「客で態度の悪いのは教師と警官だ」と。

 人を裁く立場に立つと、その事自体がその人を高慢にし、堕落させる働きをすると思います。その誘惑に負けずにまともな人間として生きてゆくには相当の勇気と信念と努力が要ると思います。静岡県でも教員の不祥事問題が未だに解決の糸口すら見出せません。

原子力ムラの灰色学者たち(その2)

2012年06月14日 | カ行
 日本原子力研究開発機構の高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の安全性を調べるために設置された専門家委員会の委員7人のうち3人が、原子力関連の企業・団体から寄付を受けていたことが、朝日新聞の調べでわかった。寄付は、もんじゅのストレステスト(耐性評価)の業務を受注した原発メーカーなどからで、5年間で計1610万円になる。

 委員会は、昨年11月に文部科学相の指示で機構が設置した「もんじゅ安全性総合評価検討委員会」(委員長=片岡勲・大阪大教授)。

 朝日新聞が委員の所属大学に情報公開請求し、対象となる過去5年分(2006~10年度)が開示され、委員に直接取材した。寄付を受けていたのは宇根崎博信・京都大教授(計180万円)、片岡勲・大阪大教授(計450万円)、竹田敏一・福井大付属国際原子力工学研究所長(計980万円)で、3人は取材に対し受領を認めたうえで、審議への影響を否定している。

 寄付をしていたのは、もんじゅの原子炉を建設し、ストレステストを1億6000万円で機構から受注した三菱重工業、ストレステスト関連業務を受注した関西電力グループ会社の原子力エンジニアリング、関電関連団体の関西原子力懇談会(関原懇)、核燃料会社のグローバル・ニュークリア・フュエル・ジャパン、11年度に機構の業務を計15億円分受注した三菱電機──の五つの企業・団体。

 寄付は研究助成が名目で奨学寄付とも呼ばれ、研究者を指定して大学を通じて寄せられる。寄付者側に使途を報告する義務はない。

 委員会は、これまで会合を2回開き、原発事故を受けて機構が進めるシビアアクシデント(過酷事故)対策やストレステストの途中経過について報告を受け、意見を述べた。機構はストレステスト終了後に、最終的な意見を得る予定だ。機構によると、委員は原子炉工学や危機管理など専門分野ごとに就任を依頼。業界からの金銭支援については調べていなかったという。

 もんじゅはトラブルが続き停止中で、機構は早期の運転再開を目指している。

   宇根崎博信・京都大教授──計180万円
   片岡勲・大阪大教授──計450万円
   竹田敏一・福井大付属国際原子力工学研究所長──計980万円

(朝日、2012年06月03日。大谷聡)

     関連項目

原子力ムラの灰色学者たち

原子力ムラの灰色学者たち

2012年05月19日 | カ行
 01、2012年01月01日、朝日新聞の記事

 一面トップ

 東京電力福島第一原子力発電所の事故時、中立的な立場で国や電力事業者を指導する権限を持つ内閣府原子力安全委員会の安全委員と非常勤の審査委員だった89人のうち、班目(まだらめ)春樹委員長を含む3割近くの24人が2010年度までの5年間に、原子力関連の企業・業界団体から計約8500万円の寄付を受けていた。朝日新聞の調べで分かった。

 うち11人は原発メーカーや、審査対象となる電力会社・核燃料製造会社からも受け取っていた。

 寄付は使途の報告義務がない金銭支援だ。安全委の委員へのその詳細が明らかになるのは初めて。委員らは影響を否定している。

 要員所属・出身の大学や研究機関に情報公開請求や直接取材した。安全委員5人では、班目委員長と代谷(しろや)誠治委員、審査委員84人では22人。企業・団体は研究助成の名目で大学を通じて指定の教授らに寄付していた。20人は審査委員に就任後も受け、少なくとも総計は6000万円に上った。

 2010年4月に就任した班目委員長は、東京大教授当時の2006~09年、三菱重工業から計400万円を受けていた。代谷委員は、審査委員だった京都大教授当時の2007~09年、審査対象となる原子燃料工業から10万円、日本原子力産業協会の地方組織から計310万円。

 班目委員長は「便宜は一切図っていない」と述べ、「全て公開して(国民に)判断してもらうことに尽きる」と公開の必要性を認めた。代谷委員は「審査で言うことに変化はない」と話す。

 社会面

 原発の安全審査の最大のかなめとも言える内閣府の原子力安全委員会。その委員の3割近くが原子力業界から寄付を受けていた。中立性は保たれるのか。

 「安全性は確保し得る」。2010年4月、国内初のプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料加工工場(青森県六ヶ所村)を審査していた安全委の部会で、こんな結論が出された。核燃料サイクル政策で不可欠とされる施設。審査を受けたのは、電力会社10社が主に出資して設立された日本原燃だ。

 朝日新聞の調べではこの部会の審査委員22人(発足時)のうち岸徳光・室蘭工大教授が北海道電力から、京都大の山名元、大阪大の山中伸介両教授と山根義宏・名古屋大名誉教授は関西電力副社長が会長の業界団体から寄付を受けていた。

 4人は「寄付は受けたがどの審査にも影響はない」と語る。安全委事務局は「審査する事業者と直接的な関係のある委員は審査メンバーにならないようにしてきた」と説明。日本原燃から直接の寄付はなく、問題化することはなかった。

 今回寄付が確認された企業は「委員だけを狙っているわけではない」と口をそろえる。三菱重工業は「原子力産業の技術向上のため」、審査対象企業の原子燃料工業は「大学の寄付規定に賛同した場合に送る」と説明する。だが、電力会社の元幹部は「寄付でパイプをつくった先生のアドバイスを事前に受ければ審査でもめない」と語る。

 寄付は企業との共同・受託研究費と違って成果を出す責任もなく、使いやすい資金だ。委員のほとんどは「研修や学会に行く学生の旅費」、「備品の購入」と使い道を説明する。一部は大学の会計に入るケースも多い。ある委員は言う。「国立大が法人化され、研究者は何とか外部から資金を持ってこないといけない」。

 安全委は2009年、審査を担当する企業からの金銭支援や業界組織との兼職歴を自己申告させる制度を設けた。だが、対象は非常勤の審査委員だけで、金銭支援は非公開だ。委員の一人は「外部からみても納得できるルールが必要だ」と述べた。(大谷聡、二階堂祐介、北上田剛)

  班目春樹・元東大教授──400万円
  代谷誠治・元京大教授──310万円
  阿部豊・筑波大教授──500万円
  岡本孝司・東大教授──200万円
  岸徳光・室蘭工大教授──800万円
  酒井信介・東大教授──30万円
  関村直人・東大教授──234万円
  寺井隆幸・東大教授──180万円
  森山裕丈・京大教授──120万円
  山名元・京大教授──180万円
  山根義宏・名大名誉教授──240万円

 02、2012年02月06日、朝日新聞

 東京電力福島第一原発事故後の原子力政策の基本方針(原子力政策大綱)を決めるため内閣府原子力委員会に設けられている会議の専門委員23人のうち、原子力が専門の大学教授3人全員が、2010年度までの5年間に原発関連の企業・団体から計1839万円の寄付を受けていた。朝日新聞の調べでわかった。

 会議では、福島の事故後に政府が打ち出した減原発方針が大綱にどう反映されるかが焦点となっている。原子力委の事務局は3人の選定理由を「安全性などの専門知識を期待した」と説明するが、電力会社や原発メーカーと密接なつながりがあったことになる。

 3人は東京大の田中知(さとる)(日本原子力学会長)、大阪大の山口彰、京都大の山名元の各教授。3人は寄付を認めたうえで、「会議での発言は寄付に左石されない」などと話している。

 この会議は新大綱策定会議。元東京大原子力研究総合センター長の近藤駿介委員長ら原子力委員5人と専門委員で構成され、今年8月をめどに大綱をつくる。

 寄付は所属大学に情報公開請求し、公開対象の過去5年分が判明した。

 寄付をしていたのは、青森県に大間原発を建設中の電源開発、茨城・福井両県に原発をもつ日本原子力発電の電力2社、日立製作所、日立GEニュークリア・エナジー、三菱重工業の各原発メーカー、原子力関連企業・団体でつくる業界団体「日本原子力産業協会」の地方組織である関西、東北原子力懇談会、関西電力のグループ会社の原子力エンジニアリング。

 このうち山名教授への50万円は、策定会議の専門委員に就任した後の2011年2月に関西原子力懇談会から受けたものだった。

 3人は会議で「福島の事故を受けて安全対策は随分とられている」、「高速炉は魅力。開発は続けるべきだ」などと発言している。

 寄付は研究助成が名目で奨学寄付とも呼ばれ、企業・団体が研究者を指定して大学の口座に振り込む。教授側は使い道を大学に申告するが、企業・団体への報告義務はない。企業・団体からの受託研究費などと比ベ、研究者が扱いやすい資金とされる。

 原子力委は業界からの金銭支援について委員らから申告させていない。(大谷聴、二階堂祐介)

 田中 知・東大教授──400万円
 山口 彰・阪大教授──824万円
 山名 元・京大教授──615万円

 03、2012年03月25日、朝日新聞の記事

 一面トップ

 全国最多の原発14基を抱える福井県から依頼され、原発の安全性を審議する福井県原子力安全専門委員会の委員12人のうち、4人が2006~10年度に関西電力の関連団体から計790万円、1人が電力会社と原発メーカーから計700万円の寄付を受けていた。朝日新聞の調べでわかった。

 政府は近く、停止中の原発の中で手続きがもっとも進む関電大飯原発(福井県おおい町)3、4号機の再稼働について福井県に同意を求め、県は県原子力委に助言を求める見通しだが、5人の委員が関電など審議対象と利害関係にあることになる。5人はいずれも寄付の影響を否定している。

 委員らの所属大学に情報公開請求し、大学を通じて研究助成名目で寄せられた5年分の寄付が開示され、委員にも取材した。

 関電関連の業界団体「関西原子力懇談会」(会長=西原英晃・京都大名誉教授、関原懇、大阪市)から寄付を受けたのは4人の大学教授と元教授。4人とも、関電に近い団体と認識していたという。大飯原発を建てた三菱重工業と、福井県内に敦賀原発を持つ日本原子力発電から受けた教授も1人いた。3人は全額が委員の就任後だった。

 三島亮一郎・元京大教授は教授だった2006、07年度に関原懇から寄付を受け、09年からは関電100%出資の関連会社の研究所長に就任。しかし、10年から県原子力委の委員を務めている。

 関原懇は関電が中心になって出資して設立した任意団体で、関電副社長が今年1月まで会長を務め、いまは常務が副会長。原子力研究や放射線利用の理解促進を活動目的とし、関連の研究者に寄付をしている。

 県原子力委は原子力工学や耐震工学などの専門家で構成される。県によると、委員を頼む際、業界からの金銭支援について報告を求めていないという。

 大飯3、4号機をめぐっては、関電が2011年秋、地震や事故にどれだけ耐えられるかを計算したストレステスト(耐性評価)の報告書を経済産業省原子力安全・保安院に提出。保安院は「妥当」と評価し、内閣府原子力安全委員会が23日保安院の審査を認める確認文書を公表している。

 社会面

 再稼働の判断が注目されている関西電力大飯原発。その安全性を近く審議するとみられる福井県原子力安全専門委員会の委員らに、関電と強い関係をもつ関西原子力懇談会(関原懇)が寄付をしていた。活動の詳細は非公開だが、各地の原子力の研究者と金銭面でつながる姿が浮かび上がる。

 大阪市西区の大阪科学技術センタービル。1階に入ると、自転車型のゲーム機が目に入ってくる。福井県内の道路を走って原発に立ち寄りながら電気をためるというゲーム。時間内にゴールすれば、大阪や京都に電気が供給される。

 コーナーの出展者の欄には「関西電力・関西原子力懇談会」と記されていた。

 このビルに関原懇の事務局はある。事務担当者によると、1956年、同じ年に発足した原子力の業界団体「日本原子力産業協会」(原産協会、東京)の地方支部として、関電が中心となって設立された。現在の会員は電力会社、原発メーカー、商社など63法人と研究者ら74個人。関係者によると、事業費の多くは関電が負担しているという。

 近畿や福井県内で原子力のイベントを開き、研究者を講師に招く。小中学校の教職員や大学生向けの講習会も開催する。だが、会員名や事業規模、寄付金額などはすべて「非公開」。担当者は「任意団体であり、開示義務はない」と話す。

 研究者には発足当初から寄付をしてきたという。「将来性のある先生」を選んで続けてきたが、選考基準が不透明と外部から指摘され、2009年度から公募制に。今は寄付先を会報で公開するが、金額は伏せる。

 朝日新聞が、各地の大学に所属する原子力関連の研究者に寄せられた寄付について情報公開請求や取材をすると、福井県原子力委に委員を出している京都、大阪、名古屋、福井の各大学で、少なくとも37人の教授らが2006~10年度の5年間で計5895万円の寄付を関原懇から受けていた。

 内閣府原子力安全委員会で審査委員を務めた大学教授は「関原懇の職員が来て、『あげる』と言うからもらったのが始まり。公募になった後も含め、それから毎年受けている」と話す。関原懇は2011年3月まで日本原子力学会関西支部の事務局も務めていた。

 関原懇の会長は今年1月まで長年、関電から選ばれ、原子力担当の副社長らが就いてきた。原産協会の幹部は「関原懇はアバウトイコール関電と言えるのではないか」と指摘する。関電は「関原懇への出資額は公表を差し控えたい」と説明している。(大谷聡、荻原千明)

  泉佳伸・福井大教授──30万円
  西本和俊・阪大教授──360万円
  三島嘉一郎・元京大教授──300万円
  飯井俊行・福井大教授──500万円
  山本章夫・名大教授──100万円

 04、感想

 先日、中日新聞に名大工学部教授が中電から金をもらっていたということを報じていました。ほかにもあるのでしょう。

       関連項目

原子力ムラの灰色学者たち(その2)

同(その3)

全社員が時給制の会社

2012年05月16日 | カ行
 全社員が時給で働く会社があると聞き、いたく興味をそそられた。正規と非正規の壁はないという。

 兵庫県の姫路駅からローカル線で15分。田畑と住宅が混在する地区にある株式会社エス・アイを訪ねた。

 業務の柱はデータ入力で、顧客アンケートの結果などを集計し、分析しやすい形に仕上げる。

 午前8時から午後6時半の間なら、いつ働くのも自由だ。子どもの送り迎えや家事で職場を抜け、また仕事に戻るのもよし。社員70人の9割を女性が占めるゆえんである。「はたらく母子家庭応援企業」として昨年度、国から表彰もされた。

 社員の時給は一人ひとり違う。どの難易度の仕事を、どのくらいの時間で、どんな量をこなしたか、半年間の実績をもとに厳密に決める。

 このシステムを組み上げたのが家永雅子さん。18年前、週2日のペースで働き始め、今は常務取締役だ。

 この間、彼女の娘2人の世話を買って出たのは、社長の今本茂男さん(67)。今も経営のかたわら、必要に応じて社員の子どもを保育所に迎えに行き、退勤まで会社で預かる。「社員が集中して働いた方が、会社のため」と今本さん。

 女性の能力発揮に処遇の公平さは不可欠だが、それで十分というわけでもなさそうだ。社長が果たす役割は実に大きい。
  (朝日、2012年05月08日。浜田陽太郎)

  感想

組織はトップで8割決まる

・公正と最低保障の上に立った能力主義

義務教育にも留年を?

2012年05月14日 | カ行
 01、朝日の記事

 「義務教育にも留年を」という橋下徹・大阪市長の提言を子どもたちはどう考えるのか。東京都内の中学校が、そんな題材を授業で採り上げた。8割近くの生徒が反対したが、「留年でなく、補習をすればいい」、「できない子を落とすのでなく、できる子を飛び級で上げたら」といった提案も相次いだ。

 東京都杉並区立和田中学校が2月29日と3月l日、1~2年生の総合学習の時間に採り上げた。
           
 2月29日、1年E組。代田(しろた)昭久校長が新聞記事のコピーを配った。橋下市長が「義務教育で本当に必要なのは、きちんと目標のレベルに達するまで面倒を見ること」として、市教委に留年を検討するよう求めた内容だ。

 生徒らはまず、記事を読んで留年導入の長所と短所を考えた。

 メリットは──「わからない授業を聞く苦痛からの解放」、「学力の底上げ」。デメリットは──「劣等感を生む」、「機械的に留年させると個性がダメになる」。

 続いて自分の意見を200字以内で書いた。そのうえで代田校長が尋ねた。「賛成の人は?」。挙手は6人。「アタマいいやつはやっば余裕あるなあ」。「オレ留年しそうだから、ハンターイ」。クラスがどっとわいた。残り25人は反対だ。

 賛成、反対それぞれの生徒が意見を発表した。

 賛成派の意見。「勉強ができないで仕事に就けない人がいる。留年させて学力を一定にした方が平等になる」、「強制的なら子どもの権利が尊重されないので賛成できない。でも自分の意思で決められるなら選択肢が増えるのでいいと思う」。一方の反対派。「子どもの目線で見たら、下の学年に行くのは絶対嫌。橋下市長は子どものためと言っているが、そうは思いません」、「意欲を低下させて勉強が苦痛になり、負の連鎖につながってしまう」。

 こうしたらという提言も出た。「補習なら同じ学年の人と勉強できる」、「全体の学力向上を目指すなら飛び級がいい。上の学年の人も下に負けないぞと思う」。

 最後に代田校長が現行の制度を説明した。「今も校長が出席日数などで留年させるかどうか判断しているんだよ」。そして「政策にはいい点も悪い点もある。両方をふまえて自分で考えるのが大事」とまとめた。

 授業を振り返って、代田校長は言う。「中学生はすごい。留年問題の論点がほぼ出そろった。反対するだけでなく、こうしたらという提案も出た」。生徒291人の書いた意見をまとめて橋下市長に郵送し、「和田中に来て生徒と討論してほしい」と伝える考えだ。

 政府審議会でも過去に議論

 義務教育の留年をめぐっては、中曽根康弘首相の下で設置された臨時教育審議会や、安倍晋三内閣での教育再生会議、文科相の諮問機関の中央教育審議会などで議論になってきた。6・3制を弾力化させたり、子どもの学力を保障したりする観点から、留年の拡大が検討されてきたが、「子どもが劣等感を抱く」「障害のある子はどうするのか」などの意見が出て、制度を変えるには至っていない。

 小中学生を留年させるのは、現行制度でも可能だ。学校教育法施行規則は、校長が子どもの「平素の成績」を評価して各学年の修了や卒業を認定すると規定している。だが実際は、山席日数がわずかでも進級させる場合がほとんどだ。

 経済協力開発機構(OECD)は2月発表した「教育の公平性と質」の報告書で、少なくとも1年留年した15歳の比率を39カ国で比較した。留年経験者はOECD平均で13%に上り、フランスなど7カ国は30%を超えていた。そのうえ、で「留年はコストがかかるうえ非効率」と廃止を提言している。
 (朝日、2012年03月03日。編集委員・氏岡真弓)


 02、感想

 代田校長のした事が「現行の制度の説明」ではダメです。自分の学校ではどういう考えに基づいてどう言う風にしているか、を言わなければなりません。橋下市長に「和田中に来て生徒と討論してほしい、と伝える」前に、校長が生徒と討論しなければなりません。

 思うに、「意見の言える人間」というスローガンを聞く事はよくありますが、それが実行されないのは、「校長のリーダーシップについて議論する」という大前提が欠けているからです。「中学生になったら、何よりもまず、校長の学校運営について自分で考え、意見を言うように」と指導し、校長の方から意見を聞くようにしなければなりません。

 この学校の代田校長は藤原和博さんの後を継いだ2代目の「民間人校長」のようです。出身もリクルートで、藤原氏を継いでいます。しかし、模範的なホームページを作り、模範的な校則を定め、校長通信を出して、学校運営について皆で議論をするという一番重要な事は知らないようです。

 校長が総合的な学習の時間を担当するのは評価しますが、それなら、まず、「卒業式での国旗国歌問題」を取り上げるべきでしょう。これを避けている点をみても、「不十分な民間人校長」だと思います。

 この記事の事はホームページに発表していないらしいです。なぜでしょうか。

     関連項目

 品川女子学院の生徒心得



北原保雄の辞書と文法(その1)

2012年05月04日 | カ行
 北原氏の編集した『明鏡国語辞典』(第2版大修館書店2010年。以下「明鏡」と略す)及び氏の国文法をもっとも広くまとめて記述した作品と思われる『日本語の世界6(文法)』(中央公論社1981年。以下『前掲「文法」』と略す)を基に氏の国語学を考えてみます。

 第1節・客観的文法と主観的文法

 北原氏は「明鏡」の文法の項に次のように書いています。「①言語を構成する文・語など形態や、その機能を支配している法則性。②①を分析・記述する研究。また、その体系化された理論。文法論。③文章の作法。」

 『新明解国語辞典』(第6版三省堂2005年。以下「新明解」と略す)で文法を引くと次のように書いてあります。「その言語体系において、語句と語句とがつながって文を作る時の法則。[広義では、表現法や、その方面の基本的な作法を指す。例、演歌作曲の文法]」。

 この2つを比べて見ますと次の3点が分かります。第1に、「明鏡」は「客観的文法」と「主観的文法」とを分けて、後者には「文法論」という特別の名称を提案しているが、「新明解」は分けていない。あるいは前者だけで後者は見ていない。第2に、「新明解」の「広義」を「明鏡」は見ていない。第3に、「明鏡」は「法則性」という語を使っているが「新明解」は「法則」としている。

 私見を述べます。北原氏のように客観的文法と主観的文法とを分ける事は場合によっては必要かもしれませんが、普通は分けなくても混乱はしていないと思います。もしこれを分けて指摘するならば、同じような事は「法則」「体系」「弁証法」「論理」などについても言えますから、それも指摘しなければならないでしょう。そして、こういう性質を持った名詞に「主客両用語」とでもいう文法用語を作ってまとめる必要があるでしょう。しかし、氏はこういう事まではしていません。首尾一貫性に欠けると思います(1)。

 主観的文法に敢えて「文法論」という名称を与えるのには賛成できません。文法論という言葉を聞いた人はほとんど「文法についての議論ないし理論」を連想するでしょう。実際、前掲「文法」は内容的に主観的文法(文法体系)ではなく、「文法についての北原説」つまり「北原氏の文法論」と言うほかない代物だと思います。主観的文法に「文法論」という名前を与えてしまうと、本来の「文法論」つまり「文法についての議論」に付ける名前が無くなってしまうと思います。

 要するに、文法と文法論との関係は、「方法」と「方法論」との関係と同じで、後者の関係は北原氏自身が「明鏡」の中で説明している通りです。しかも「明鏡」では「方法論」は見出し語にすらなっています。それなのに「文法論」という見出し語はありません。ここでも首尾一貫性に欠けます。

 ついでに指摘しておきますと、最近では「方法論」という語を「方法」そのものの意味で使う学者や学生が多いのは辞書的及び文法的に取り上げるべき問題ですが、北原氏は気付いていないようです。先に氏が「法則」の代わりに「法則性」と言っていることに注意しておきましたが、それがこれと関連していると思われます。「方向」と言う代わりに「方向性」と言い、「関係」の代わりに「関係性」と言うのも同じです。明確に言うことを避けてぼかして言うということです。なぜ日本人はこういうぼかした言い方を好むのか、これは文法研究の大きなテーマのはずです(但し、武谷三男がその技術の定義の中で「法則」ではなく「法則性」を使っているのはきちんと説明しているので曖昧ではない)。

 「新明解」が「広義の文法」とした意味を「明鏡」が見落としているのはミスでしょう。

(1) 北原氏は形容詞についてはこう言っています。「形容詞には、客観的な表現のものと主観的な表現のものとがあり、さらに、『こわい』『おもしろい』『暑い』などのように、場合によって客観的表現になったり主観的表現になったりする両面的なものもある」(前掲「文

 第2節・募金の意味の変化の説明

 私はもう20年以上も前から「募金」という言葉の「意味」に異変の起きているのに気付き発言してきましたが、辞書でこの問題が取り上げられることはありませんでした。しかし、「明鏡」の第2版(2010年12月)がついに言及しました。先日、「岩波国語辞典」第7版新版(2011年11月。以下では「岩国」と略す)の広告に「『募金』の本来の意味は」という句がありましたので、「『岩国』(いわこく)も気づいたか」と思いました。これも取り上げます。

 「明鏡」にはこう書いてあります。「①寄付金などを一般から集めること。また、その金。②①に応じて、金を寄付すること。また、その金」。そして、①の後にも②の後にも、「主催者側からいう言葉」という注釈が付いています。

 「岩国」の説明はこうです。「①寄付金などを広く一般からつのること。反対語は拠金。②拠金・寄付する行為の意は1980年ころ学校から広まった誤用で、現在かなり多用。教師が言った「募金のお金を持って来なさい」などを寄付の金銭と誤解したせいか」。(①②に整理したのは牧野、又矢印を言葉に替えた)。

 これに気づいていない「新明解」の説明は次の通り。「寄付金を広く一般から集める事」。

 さて、本来の意味は「新明解」の言う通りで、「寄付金(売った物やサービスの代金ではなく無償の金)を募(つの)る(広く努めて集める)行為」でしょう。つまり「動作名詞」(動作を表す名詞)です。それが、その「寄付金自体」の意味に転化され、更に最近では「寄付金を出す行為」(とその金)という正反対の意味に転化されてしまい、完全に定着したようです。昨年(2011年)の東日本大震災の後ではこの「誤用」も含めて「募金」のオンパレードとなっています。

 ではこの「転意」現象をどう説明したら好いのでしょうか。「明鏡」は「主催者側から言ったことば」としています。この説明の拙い所は、「同じような現象を探して考える」という文法研究、いや研究一般の原則を守っていないことです。逆に言うならば、「或る行為を表す語の意味を逆の立場から見た意味に転化して使う」というような例がほかにあるのかを問題にしていない事です。従ってこの現象に一般的な名前を与えていません。

 「岩国」は本来の反対語(拠金)を指摘しています。これは当然の事ながら好かったと思います。しかし、誤用の発生源について推測を述べているのは感心しません。「同種の転意例」を集めるという正攻法を取るべきです。

 私見では、この「募金を集める」という表現と同じ構造をもった表現には「注目を集める(注目が集まる)」「(マラソンの選手が)給水を取る」「受注が殺到する」「受注が集まる」などがあります。いや、恥ずかしながら最近気づいた大先例に「被害を受ける」があります。更にこの原稿を書いている間に「注意を引く」に気づきました。後で検討します。

 これらの表現の共通点は何でしょうか。「動作名詞をその動作と関係のある物や事の意に転化して使う」ということです。本来は「寄付金を集める」か「募金を行う」と言うべき所を、募金を「寄付金そのもの」の意に転化してしまったので、「募金を集める」と成ったのです。「注目する」「注目される」「耳目を集める(耳目が集まる)」と言うべき所を、無知か何かのせいで、「関心を持つという行為」を意味する「注目」を「耳目そのもの」の意に転用して「注目が集まる」「注目を集める」と言うようになったのでしょう。「給水」(水を供給すること)は取れませんが、それを「(供給された)水そのもの」の意に転化して、「給水を取る」と言うようになったのでしょう。「受注」(注文を受けること)は殺到しませんが、「受注」を注文そのものの意にして「受注が殺到する」「受注が集まる」と言ったのでしょう。

 このように多くの「転意」が無意識のうちに行われているという事は、日本人の深層心理に「動作名詞をその動作と関係した物ないし事の意味に転化して使う」という傾向が潜んでいる事を証明していると思います。間違いにも法則があるのです。

 大切な事は、辞書がこういう変化をきちんと記載すると共に、文法学者がこういう傾向を確認して文法書の中に記すことだと思います。

 第3節・重言

 私が「被害」という語が「害を被る」という本来の動作名詞の意味とその「被った害そのもの」の意との両義を持っている事に気付いたのは実は最近のことでした。そして、これも上の法則の1例だと思っていました。

 しかし、「明鏡」は「被害を被る」という表現は「重言(じゅうげん。ジュウゴンとも言う)の1つだと説明しています。まず重言の説明を聞きます。私は重言をこれほど詳しく説明している本を知りません(1)。

 まず本文の中の説明は次の通りです(例を少し省いた)。「①同じ意味の語を重ねて使う言い方。「大豆豆」「後の後悔」「馬から落馬する」の類。②同じ語を重ねて出来た熟語。「悠悠」「刻刻」「ざらざら」の類。畳語」。ここまでなら他の辞書もほとんど同じです。

 しかし、「明鏡」にはその後に「重言のいろいろ」と題する囲み記事があります。例を少し略して引きます。

 「①言葉を重ねて使う意味がない、表現が冗長になるなど、一般に不適当とされるもの──あとで後悔する、一月元旦、炎天下の下(もと)、余分な贅肉。

 ②意味が明確になる、強調される、新しい意味が加わる、そもそも意味の重なりではないなど、「不適切」とは言えないもの──アンケート調査、過半数を超える、注目が集まる。

 ③結果目的語の適切な用法──遺産を遺す、建物を建てる、歌を歌う、犯罪を犯す、被害を被る。」

 一覧の後に個別的な説明があります。その内、「注目が集まる」の説明は次の通りです。「(これは)「注目」の「注(そそぐ)」と「集まる」に意味の重なりがあるとされるが、重言ではない」。

 そして、「被害」の項を引きますと「被害を被る」が載っていて、「~ヲに(結果)を取る言い方。重言ではない」とあります。この言い方については、「重言」の囲み記事の最後にこうあります。「「『結果目的語』は、~することによって~という行為や状態や事物を作り出すことを表すもので、日本語の一般的な用法」。

 さて、私見をまとめます。第1に、「重言ではない」という句の使い方から推理すると、北原氏は「重言のいろいろ」にまとめた3種の重言の内の第1のものだけを重言、あるいは「本来の重言」と考えているようです。後2種は「語句の意味に表面上の重なりはあるが、実際には重なっておらず、あるいは有意義な重複で、重言ではない」と考えているようです。それなら初めから「重言のいろいろ」などとしない方が好いでしょう。

 むしろ、重言の定義を「同じ意味の語を重ねて使う言い方」としたのですから、この3つは皆重言とし、①は「認められない重言」とし、②と③は「認められている重言」とすると好かったと思います。

 第2に、「注目が集まる」の適当性の説明は「意味の重なりがあるとされるが、重言ではない」と断定しているだけで「説明」になっていません。そもそも「注ぐ」という他動詞と「集まる」という自動詞は完全には重なりません。私見のように「動作名詞をその動作と関係のある対象そのものの意に転化して使う」ことの1例と捉える説は国語学界にはないのでしょうか。

 第3に、③を「結果目的語を取る用法」としているのには賛成できません。北原氏は結果目的語と同属目的語を混同しているようです。ここに挙げられた諸例は「遺産を遺す」「伝言を伝える」「建物を建てる」「犯罪を犯す」「歌を歌う」などですが、これは「結果目的語」としてまとめるべきではなく、むしろ英文法(ドイツ文法でも同じ)で言う「同属目的語」の例と考えた方が近いでしょう。

 英語のそれとの違いは、英語ではHe lived a happy lifeとかI dreamed a good dreamのように自動詞の特別な用法なのに、日本語のこれらの例では他動詞の用法だということです。
 結果目的語を取るというのは、本を書く、穴を掘る、家を建てる、などの表現です。「建物を建てる」では結果目的がたまたま同属目的になっているというだけの話です。両者は分けて考えるべきです。

 更に、「被害を被る」を結果目的語の一般的な使用の1つとしているのには一層賛成できません。「被る」という動詞は動詞と言っても「状態や事物を作り出すことを表すもの」ではなく、積極的な行為を意味していないからです。従って、「被害を被る」もやはり「動作名詞をその動作と関係のある対象そのものの意に転化して用いる」ことの1例とする方が適当だと思います。

 第4に、根本的な問題は、北原氏が「言葉は結局は習慣の問題だから、間違った用法でも多くの人が言うようになれば間違いではなくなる」という法則を知らないのか、指摘していない事です。同時に「なぜ、どういう道筋を通ってそういう誤用が生じたかの説明こそ文法の仕事の1つだ」ということをご存じないのか、実行していない事です。

 最後に、「注意を引く」を考えてみます。この場合も「注意」は「意を注ぐこと」であり、「気を付けること」(岩国)という動作名詞です。「引く」というのは「自分の方に向けさせる」(新明解)という意味です。問題は、この表現では「意を引く」という言い回しがない(らしい)ことです。「意」には「意を迎える」「意を汲む」がありますし、「引く」には「(人の)目を引く」「(人の)気を引く」などがあるのに、なぜか「意を引く」はありません。私は知りません。

 と言うことは、「意を引く」という意味の事を言おうとした人がそういう言い回しがないので無意識のうちに「注意を引く」と言ったのだと思います。それがそのまま定着したのだと思います。では、なぜ「意」の代わりに「注意」が出て来たのか。もちろん「動作名詞をその動作と関係のある物や事そのものの意に転化して用いる」という心理が日本人の深層心理の底にしっかりと根付いているからだと思います。

(1) 北原氏達の作った『日本文法事典』(有精堂出版1981年)の索引には「重言は載っていません。


北原保雄の辞書と文法(その2)

2012年05月04日 | カ行

 第4節・規範文法と記述文法

 北原氏は規範文法と記述文法の区別にもこだわっているようです。

 「このように、正しいと認められる度合い、つまり規範性の程度には差がある。それはどこで決まるのか。規範文法といっても、やはり相対的なものなのである。私の書く規範文法(論)と私よりもっと若い人、あるいはもっと年輩の人の書く規範文法(論)とは違ったものになってくる。年齢だけではない。住む場所が変われば規範も違ってくる。時代や方処が遣えば、規範は違ってくる。

 ことばというものはそういうものである。同じ時代の、同じ場所に生きる人の間においても、文法の規範は微妙に異なっている。ましてや時代が異なり場所が違えば、規範は著しく相違して当然である。現代の我々からすれば同じ古典に見えるけれども、『万兼集』と『源氏物語』と近松の浄瑠璃とでは、文法が等しく異なる。同じ現代語であっても、各地の方言は、相互に違ったものである。

 そこで、ことばをありのままに、このようであると記述する文法(論)が出てくるのである。これが記述文法である。このようにあるべきだという規範を組織したものが規範文法であるのに対して、記述文法はこのようであるとありのままに記述するものである。『源氏物語』の文法を規範として『万葉集』や浄瑠璃の文法を律しようというのは一種の規範文法である。記述文法では、『万葉集』は『万葉集』のことばに即して、そして浄瑠璃は浄瑠璃のことばに即して、その言語事実をありのままに記述しょうとするのである。これが正しいとか、これは誤りであるというようなことをいうのではなく、ありのままに記述するのである」(前掲「文法」14-5頁)。

 規範が時代や場所によって異なるのは何事でも同じでしょう。だからと言って、「規範がない」とは言えないと思います。そして、規範があるなら、それを書きしるすのも記述文法に入るはずです。両者を厳密に分ける意味がどこにあるのか疑問です。現に、氏は自分の編集した「明鏡」の中でいくつもの表現について「誤り」と断じています。敬語などを例に挙げておきましょうか。1例として「伺う」の②の項を見ると分かりますが、ここには引きません。

 北原氏のような意見を聞くとワイセツ裁判を思い出します。この裁判では、公然ワイセツ罪に問われた表現を「ワイセツではない」と主張する人々はよく「何がワイセツかは時代と共に変わる」という事実を根拠とするからです。しかし、この擁護論は「理屈としては」間違っていると思います。「時代と共に変わる」という事は「現在には現在の規準がある」ということであって、「起訴された表現がワイセツに当たらない」という結論には必ずしもならないからです。

 北原氏のすべきことは、先にも述べましたように、間違った言い回しでも多くの人が使うようになると間違いとは言えなくなる、という文法法則を指摘する事だったと思います。その上で、言語表現の現状を注視して、変わってきている点をしっかり記述する事でしょう。

 では「明鏡」はその任務を十分に果たしているでしょうか。残念ながら、否です。取り上げるべき事で取り上げていない事がかなり沢山あります。「どんな仕事にでも欠点はある」という一般論では済ませる事のできない程の欠陥があります。いくつかの証拠を挙げておきましょう。

 第1に、「逸話」(逸せられている話、あまり知られていない話)については「有名な逸話」という言い回しはもう何十年も前から使われていますが、これに気づかないようでは国語学者として情けないです。

 第2に、「驚く」とその受身形の「驚かされる」の両方が使われていて、後者の方が多くなっていると思いますが、この問題にも気づいていないようです(1)。

 第3に、「犇(ひしめ)き合う」も相当一般化していますが、これは「重言」の1つではないでしょうか。

 第4に、「お話を聞く」という言い回しも「完全に」と言って好いくらい一般化していますが、「お話を伺う」、「話を伺う」、「話を聞く」を含めてこの4つの表現を比較して、どういう場合にどれを使うのが適当か、編者の考えを聞きたいものです。

 第5に、「一方では~、他方では~」という対比の表現がほとんど完全に無くなってきていますが、これにも気付いていないようです。その代わりに「一方では~、一方では~」が使われ、初めから「他方では」と言い出すべき所でも「一方では」が使われています。つまり、「他方では」と言う日本語は今や、英語のon the other handの訳の場合を除いて、ほとんど使われなくなってきているのです。

 第6に、「ドリンクの方はどういたしますか」といったように、やたらに「~の方」という言い回しも多くの人に気づかれひんしゅくを買っていますが、これも載っていません。
 これなどは、善悪はともかく、なぜそういう言い方が使われるのかは理解できると思います。手紙の宛名に「○○様」と書きますが、その「様」は元は「方向」を意味したからです。つまり日本人は人の名を直接言うのを避けて「誰誰の方向」と言うことで相手を尊重したのです。ですから、サービス業などで客に対して丁寧な表現をと考えた時、「ドリンクの方は」と言うのはこの日本人の深層心理から見て自然だったのだと思います。辞書や文法書にはこういう説明も必要でしょう。

 第7に、最後に「明鏡」を褒めておきます。これには「させていただく」が独立した見出しで載っています。これは適当でしょう。内容的にも説明がかなり詳しいですが、この言い回しがやたらと使われるようになってきている事には警鐘を鳴らしておいてほしかったです。更に進んで注(1)に書きました「知られざる」や「あってはならない」をも見出し語にしてくれると好かったと思います。

 「明鏡」のもう1つの長所は「助詞の説明が詳しく、見やすい」ということでしょう。「岩国」でも詳しい説明がありますが、「明鏡」の方が箇条書きになっていて、黒い丸に数字やカタカナを白抜きにしているので、読みやすいです。数字とカタカナの表し方を分けると更に好かった。「新明解」の助詞の説明はかなり見劣りがします。

 しかし、この努力も辞書と文法の役割分担にまで考えが及んでいないために中途半端に終わっています。それのよく出た例が「同語反復文」です。A is Aの文型ですが、日本語の場合は「AはAだ」の外に「AがAだ」と「AもAだ」があります。この3者の「それぞれについて」は「明鏡」は詳しく検討していますが、3者の比較には思いが及ばなかったようです。と言うより、3者の比較は優れて文法書の仕事なのですが、包括的な文法書をまとめなかった北原氏はこの仕事を忘れたようです。

 なお、第1~6までの欠陥は「新明解」でも「岩国」でも同じです。

 (1) 「驚く」と「驚かされる」だけでなく、かつてはあまり受け身表現が使われなかったであろう日本語で、最近は受け身が好く使われるようになっていると思います。両者は事実としてどう使い分けられているか(記述文法)と両者の使い分けの原則は何か(規範文法)は文法学の大テーマの1つではないでしょうか。

 北原氏自身、「連用修飾語が構文論のはきだめであったと批判して、連用修飾語の構文的職能について精細な考察を展開した渡辺でさえ、この2つを区別していない。しかし、このAB2つは、どうしても区別されなければならないものである。この2つを区別しないようでは、日本語の構文論は始まらない、そう、声を大にして叫ばずにはいられない」(前掲「文法」124頁)と、両者を「使い分け」ていますが、意識してした事でしょうか。

 受け身表現と言えば、「知られざる」と「知らない」とは意味も違います。「どこそこの知られざる魅力」と「知らない街を歩いてみたい」を比べると分かります。

又、最近は「あってはならない(事)」という責任の所在を曖昧にした言い回しがよく使われますが、これはいつごろからでしょうか。本来は「してはならない(事)」ではないでしょうか。「あられもない」と「あるまじき」はもちろん載っています。「あるまじき」の説明の中に「あってはならない」があるのに、こちらは見出し語になっていません。

 第5節・文法的に考える

 北原氏は「文法的に考える」ということを提唱しています。そして、その名を持った本まで出しています。しかし、その内容は氏の著書『表現文法の方法』(大修館書店)と同様に、連絡なく書かれた論文を集めただけのもので、羊頭狗肉と言われても仕方ないでしょう。「文法的に考える」という考えに賛成する者として残念な事です。

 同じ事は文法教育についても言えます。氏はこう言っています。

 「学校文法が文法研究の成果を取り入れないのは、口語文法の重要性を認めようとしないからである。いな、重要性に気づいていないのである。しかし、昔のことばについて考えるよりも現在自分の用いていることばについて考える方がはるかに深く考えることができるし、また実用の面から見ても有益であることは、いうまでもない。身近なものであるからこそ可能でありかつ有用なのである。深く考えれは面白くなる。

 現在学校で教えられている文法は、口語文法にせよ、文語文法にせよ、日本語について深く考えるには、あまりにも、かいなで的で通り一遍すぎる。文法教育はことばについての洞察力を養うものでなければならない。そして、ことばについて考えることの楽しさを感得させ、ことばについて考えることが好きになるような魅力的なものでありたい。そういう文法教育が行なわれるようになれば、日本語を考え日本語を愛する心が育ち、文法の不幸は救われることになるのである。(前掲「文法」21頁)

 しかし、これだけ言っておきながら、そのすぐ後では「解釈の問題について考えるには、古文の方が具合がいいから」と言って「古文の例で考え」ています。「昔のことばについて考えるよりも現在自分の用いていることばについて考える方がはるかに深く考えることができるし、また実用の面から見ても有益である」という言葉はどうなったのでしょうか。

 長々と古文での説明が続いたのち、ようやく「現代語の例をあげよう」と言ったかと思うと、そこでひかれる例文は「用例」ではなく「作例」です。つまり、「雨が、降りそうだ」と「雨が、降るそうだ」という2つのつまらない文を作って比較・検討しています。これは「ことばについて考えることの楽しさを感得させ、ことばについて考えることが好きになるような魅力的なもの」でしょうか。

 思うに、これはドイツ語の授業でも同じです。そこでも最初の1年で「初等文法」を教え、後は読本ばかりです。その中で文法的な解説をしたり、文法上の研究テーマを与えたりする授業はほとんどありません。多分、全然ないでしょう。なぜか。ほとんどの先生にその力がないからです。

 しかし、北原氏なら「力がない」とまでは言えないでしょう。それなのに国語学の大学教授としてどういう授業をしてきたのかの報告がありません。沢山の本を出しているようですが、授業の報告の本はないと思います。これが問題です。

 「文法的に考える」という態度を身に付け、又生徒にも身につけてもらうには、まずそれに役立つ「包括的な」文法書とそれに役立つように作られた辞書が必要だと思います。 これを作った上で、それを手がかりにしながら、「文法的に考える」授業を行いつつ、文法書も辞書も改良して行くのです。これが学問的に正しい道(1) だと思います。

 この観点から考えますと、北原氏は一応「明鏡」を出して新しい版で不十分ながら改良していますから、この点は合格としましょう。しかし、「包括的な」文法書は出していません。これが困ります。氏の前掲「文法」は「包括的」ではなく、しかも文法書と言うよりは「文法を論じた本」です。たしかに氏も言うように「学校文法」(橋本文法)はつまらない代物です。しかし、とにもかくにも「包括的な文法」ではあります。学校文法を批判するなら代案を出すべきでしょう。

(1) 「正しい道」と書いて思い出しました。最近はこの意味で「正道」ではなく「王道」が使われることが多くなりました。本来は「王道」とは①徳を以てする政治(「覇道」の反対)、②安易な方法(学問に王道なし)、の2義だけでしたが、最近は③最も正統的な道の意(本来は「正道」)でも使われるようになってきています。「岩国」は③を載せていません。「明鏡」と「新明解」は③も記していますが、共に、なぜ③の意味で使われるようになったのかを説明していません。

 第6節・文法

 北原氏の文法は既に指摘しましたように包括的な文法書ではなく、そもそも文法書でもなく、文法についての理論です。しかも、構文論に偏っています。氏はこう言っています。

「本書では、文法論の中心は構文論でなければならないという立場から、構文についての論が多くの紙幅を占めたが、単語についても論じなければならない問題は多いのである。ただ、従来の文法論の多くや学校文法においては、単語についての論や説明の方がむしろ中心で、それが文法を無味乾燥で面白味のないものにしていたことも事実である。目的のない品詞分解や、品詞分析のための品詞分析、また、助動詞の活用や文法用語名の丸暗記などが文法嫌いを増やしていたことに気づかなけれはならない。単語論も、構文論の場合同様に、文法的に考えるようなものでなければならない」(前掲「文法」309頁)。

 その言やよし。実際はどうでしょうか。「文法的に考えるのに役立つ構文論」になっているでしょうか。残念ながら、否です。論じているテーマは目次を頼りに整理しますと、単文の構造、複文と重文の構造、文の補充成分と修飾成分、主語と主題、うなぎ文、客体的表現と主体的表現、です。このほかに「文とは何か」「単語とは何か」についての学説史研究を踏まえた自説の展開があります。品詞論では助動詞についての大部な著書があるようですが、ここにはまとめられていません。助詞については「明鏡」に譲ったようです。

 さて、決定的に欠けていると思われる点を箇条書きに指摘します。

 第1に、主語概念については三上章も含めて検討していますが、不十分です。「主語とは人称変化をする動詞(定形動詞)と対になる概念である」という点が検討されていないからです。

 たしかに、「英語でも、「What~+be+名詞句」というような構文によらないで、前提=焦点の表現になる場合があるが、英語には日本語における『は』のような標識(marker)がないために、それが形式の上からは分かりにくいのである。そういう点では、日本語の方がはるかに論理的な言語であるということができる」(文法278頁)と指摘しています。しかし、関口存男(つぎお)の意味形態論を知らなかったために、「人類に共通の意味形態に対してそれ専用の文法形態を持っている言語とそうでない言語とがある」という法則、及び「従って日本語には専用の文法形態のない意味形態を意識するためには外国語を文法的に研究しなければならない」という結論までは引き出しませんでした。

 第2に、述語概念が諸文法で様々な意味で使われ混乱を引き起こしているのに気づいていないのか、検討も説明もしないで、最も広い意味で使っています。氏の使い方では全ての文が述語文とされてしまいそうです(1)。

 私は近刊予定の「関口ドイツ文法」の中でこれを整理し、すべての平叙文を名詞文(繋辞文、属詞文、「である」文)と動詞文(非繋辞文、非属詞文、非「である」文)に分けました。この分類と用語の特徴は、①「述語」という用語を追放した事(「述語」の「述」という日本語の意味が広すぎるから。文全体はすべて何かについての叙述だから、強いてそれを言う場合は「叙述文」、それの叙述部を言う場合は「叙述部」とし、あくまでも「述語」という言葉は使わない)、②「である」文の補語を「属詞」とするフランス語文法の用語法を受け継いだ事、です。

 いや、そもそも平叙文全体を「である」文とそれ以外に分けたことが根本の大前提です。なぜ分けたかと言いますと、関口氏が文の9割は「である」文だと言っているからです。実際、「である」文の適用可能性は無限大と言ってよいくらい広いものです。北原氏は「うなぎ文」を論じる中でそれに近付いていますが、文全体の見通しが不十分だったために、理解が狭すぎたと思います。

 第3に、この狭さは、「である」文の無限の可能性の検討を「うなぎ文」に限定した点に出ています。氏はこう言っています。(僕はウナギを注文する、の意での)「僕はうなぎだ」という表現は、われわれ日本人にとっては、ごくあたりまえのもので、特に変わった文であるとも感じられないが、英語で、I am a fish.などといっても魚料理を注文したことにはならないという。日本人にとってごくあたりまえの表現であるということは、それだけ、この文が日本語の構造の基本にかかわるものであるということである」(前掲「文法」284頁)。

 しかし、こういう一般論を帰結する前に、用例を出来るだけ集めなければなりません。「である」文には、「体の具合が少しおかしい」と言った人に対して、「それは運動不足だよ」と言うような「原因を表す用法」もあります。これはドイツ語にも英語にもフランス語にもあるようです。又日本語では「春はあけぼの」(春はあけぼのに限る、の意)という表現も可能です。形式的には、「これは君だ」といったような「主題も属詞も代名詞の文」もあり、ドイツ語ではDas ist's、英語でもThat's itというような文まであります。要するに「である」文には何でもありなのです。むしろ、なぜそうなのかを考える事が大切だと思います。

 更に、英語のA is Bに対応する表現形式として日本語では「AはBである」のほかに「AがBである」もあり、更に驚くなかれ「AもBだ」(お前も悪だな、など)という表現もあるのです。日本語の強みは「は」だけではないのです。この「も」については「そのまま当たる表現はドイツ語にはない」と関口氏は言っています。

 第4に、たしかに北原氏はうなぎ文について、「『ぼくはうなぎだ。』に代表される『だ』型文の意味は曖昧で、この文は、たとえば、『ぼくはうなぎが食べたい。』『ぼくはうなぎを注文する。』『ぼくはうなぎを釣る。』あるいは『ぼくはうなぎを食べたくない。』などのように、いろいろな意味に解される。これはどうしてであろうか(同、285頁)と問題提起し、結論として、「うなぎ文は分裂文から説明される」としているようですが、私にはこれにどれだけの意味があるのか分かりません。

 それよりもこの問題と関係しているのは、「『の』が、格助詞というよりも格表示にはかかわらない超論理的な連体関係を表示する助詞」だ(同、250頁)、という事のように思われます。実際、英語のA of Bという句はAとBのどんな関係でも表せるのではないでしょうか。Anne of Green Gables(「赤毛のアン」の原題)は「アン」と「緑の切り妻屋根」とのどんな関係を表しているのでしょうか。ドイツ語の2格付置名詞(A des Bs)でも同じでしょう。ほとんどあらゆる関係を表せますが、Die Philosophie des Als-ob(「かの如く」の哲学)では両者の関係がどうだと言うのでしょうか。

 両者の曖昧さ、どんな関係でも表せる事は、両者が同じ考え方の2つの表現形式にすぎない事を暗示しているのではないでしょうか。推測を言いますと、これは「特定」の方法の1つだと思います。要するに、AとBの論理的な関係はどうでもいいのです。とにかくAについて、「どのAか」を示せばいいという意味形態なのです。そう考えると、Anne of Green Gablesは「緑の切り妻屋根のアン」で、関係の如何は省いても、ともかく「どのアンか」という問題に答えていて目的を達している事が分かります。Die Philosophie des Als-obでも同じです。言語は「意を達する」ことが一番重要であり、極端な場合は、「意を達しさえすれば手段はどうでも好い」という性格を持っているのです。

 うなぎ文の場合は、思うに、「何を食べたいか」といった大主題は前提されている状況下で、小主題を「僕は」で示し、答えを「うなぎ」で示しているわけで、これもこれで「意を達している」わけです。「僕はうなぎだ」の意味の違いは、そこで前提されている大主題の違いによるだけです。

(1) 前掲『日本文法事典』には「述語の定義」としてこう書いてあります。「文の成分の1つ。係ってくる種々の成分を受けとめて、その文の主体の動作・作用や性質・状態・関係などを叙述・説明し、文を成立させる成分」(285頁)。そして、その後に「述語を否定する説はなく、ただそれの定義の仕方に諸説がある」と言っています。

 文法事典がこういう説明だけでは不十分です。以下の点を言うべきです。──この定義は「広義の述語概念」です。狭義では、「AはBである」型の文、またはA is B型の文のBだけを述語とします。フランス語文法ではこれを属詞と言います。こういう述語を取る動詞「である」とかbe動詞とかを繋辞とかコプラと言います。──

 三上章が「題述関係」と言う時も「広義の述語」を考えていたようです。と言うより、主語を追放した三上でさえ述語概念は再検討しなかったようです。

 終わりに

 これからの日本語文法の研究では外国語で書かれた日本語文法書も、また外国語についての文法書でも独特の内容を持っているものは参考にした方が好いと思います。関口存男氏の文法はどの言語の文法研究者にとっても有益だと思います。北原氏は関口文法を知らなかったのでしょうか。

 関口氏の大功績の1つは「日本語における響きとドイツ語の指向性」の指摘ですが、関口文法を知らない北原氏の文法には擬音語(擬態語を含む)論がないのではないでしょうか。今や、日本のマンガは多くの外国語に訳されているようです。しかるにマンガは擬音語のオンパレードです。では、そこで擬音語はどう訳されているのでしょうか。本当の文法はこういう事を考える時にも役立つものだと思います。

 また、国文法についても氏は広く文献を渉猟している(「広く」と「渉猟」とは重言です)ようですが、上記の書の巻末の「参考文献」を見ますと、三上章については『現代語法序説』と『象ハ鼻ガ長イ』の2冊しか挙がっていません。三上には『日本語の構文』及び『構文の研究』と、「構文」を書名に含んだ著作が2冊ありますが、構文論に特別の関心を持つ北原氏はなぜこの2冊を読まなかったのでしょうか。数学教師の国文法だから低く見たのだとしたら、残念な事です。

 しかし、『日本語の構文』では「途中乗り換え」という文法的に非常に重要な事実を指摘しています。これを読まなかった北原氏は大きな損をしたと思います。関口はこれに「移轍」という名前を与えて、三上よりはるかに詳しく研究していますが、これも知っていたら北原氏の構文論は更に深まっていたでしょう。

 前掲「文法」の「あとがき」は「温かいご批正をお願い申し上げる」と結ばれています。その日付は昭和56年[1981年]8月となっています。それから既に31年近く経っている事になりますが、無名の哲学者の辛口の批評は「温かいご批正」と受け取ってもらえるでしょうか。
(2012年5月3日)

       関連項目

「メリー・クリスマス」は「楽しいクリスマス」ではない

板倉聖宣(きよのぶ)氏の仮説実験授業





やる気と才能の無い人の検討会設置

2012年05月02日 | カ行
 01、朝日、2012年04月24日より

 教職員の不祥事が相次いでいることから、静岡県は04月23日、「教育行政のあり方検討会」を6月までに新設する方針を明らかにした。検討会の委員らが、教育委員会のあり方や首長、学校との関係について検証し、改善のための提案を取りまとめる。提案を受け、県は組織体制の見直しも含め、検討するという。

 この日の記者会見で川勝平太知事は「特に高校で不祥事が多発しており、看過できない。教師に緩みがあるのではないか。静岡の教育は危機にある」との認識を示した。検討会については、「教育論を論じる場ではない。教育委員会は職責を果たしているのか。教育長や教育委員会の実態をさらす場としたい」と述べた。

 検討会は、教育委員会や県教委事務局の果たすべき役割や現状を検証し、現行制度の中で対応可能な改善策をまとめるとした。知事は予算や教育委員の任命権を持っており、改善策は可能なものから教育行政へ反映させるという。改善策の内容次第では大幅な組織改正につながる可能性もある。

 現状の教育制度は、県に教育委員会、教育長があり、各市町も教委を持ち、各小中学校・高校を指導する体制だ。県は「役割が複雑化して、市民にわかりにくい構造になっている」との立場。川勝知事は県議会で、教育行政の見直しの必要性にも言及していた。

 委員には、学識経験者や企業や学校関係者ら10人程度を招く予定。検討会には県教委側も参加し、委員らと議論を重ねる。オープンな場での議論とするため、インターネットを使って会議を中継し、県民参加も検討するという。

 教職員の不祥事を巡っては、昨年度、3月下旬段階で計8人の教職員が窃盗未遂や児童買春の容疑で逮捕された。安倍徹教育長は県立・市立高校の校長らを集めた臨時校長会で「安心できる場所を作るのが学校の最大の責務。いま一度、学校長としてリーダーシップを発揮して欲しい」と話し、再発防止を訴えていた。

02、中日新聞、2012年04月15日から

 過疎化や農林業の後継者不足など中山間地域が抱える課題の解決に向け、静岡、浜松などの県内市議会が「中山間地域活性化市議会協議会(仮称)」を設立する計画を進めている。各市議会が共通の課題を洗い出し、国や県に要望活動を行うことで発言力や影響力を高める狙い。県内中山間地域を貫く新東名高速道路も開通し、活性化の実現に期待が高まる。

 静岡市議会事務局によると、県内全23市に参加を呼び掛けたところ、既に浜松や沼津、掛川など11市が参加を表明。賛同する市議会事務局が6月ごろに初会合を開き、協議会の正式発足に向けた準備を進める。

 協議会では、過疎化による集落機能の低下や、農林業の後継者不足、農作物の鳥獣被害などの情報を共有し、対策に知恵を絞る。議会集団として国などに要望したり、関係する意見書の可決を共同で行ったりする。専門家らによる後援会やシンポジウムも開催する。

 静岡市議会が温める協議会概要案では「大規模社会資本整備に呼応した活性化策」との表現で新東名にも注目。高速道を活用したアイデアも検討課題に挙げている。

 静岡市議会の剣持邦昭議長らは2月下旬、広島、盛岡、京都各市の市議会を訪問し、協議会の趣旨を説明した。剣持議長は「中山間地の課題はどの都市も共通。将来的には他県の主要都市にも呼び掛け、全国的な組織にしたい」と意気込む。

 全会派一致で参加を表明した浜松市議会の吉村哲志議長は「中山間地の割合が高い政令市として、他市町と積極的に議論を交わしていきたい」と話す。

 03、感想

 こういう検討会とか協議会とかを設置する目的は、「行政や議員は何をしているのだ」と聞かれた時に、「○○委員会を作って検討しています」と答えるためです。実際に解決策を実行するためではありません。市民がこういう事を見抜けるようにならない限りは政治はよくならないでしょう。

 問題は何年も前から指摘されてきているのです。今さら「知らない」としたら、首長も議員もその資格がないと言わなければなりません。

 知っていたのに、未だに解決策を出せない場合でも、資格がありません。辞めるべきです。

 意味のある協議会は、首長が根本方針を示した上でその具体的実行を諮問する場合だけです。

     関連項目

過疎対策

教育改革

所在不明児童

2012年04月27日 | カ行
 学校が居場所をつかめず、1年以上も「行方不明」とされている小中学生がいる。都市部を中心に全国で1000人超。市区町村が適切な教育を受けているかどうかを把握できないまま、事件に巻き込まれるケースも出ている。「消えた子どもたち」に何が起きているのか。

 大阪府富田林市で今月(4月)、9歳男児の安否が不明となっていることが判明し、祖父母ら4人が生活保護費を不正受給した疑いで12日に大阪府警に逮捕された。文部科学省の学校基本調査によると、昨年5月1日時点で「不明児」とされる小中学生は1191人。9歳男児はその1人だった。

 男児の場合、小学校入学を控えた2009年3月、ともに住民登録された曽祖母が市に「一緒に住んでいない」と説明。市は学校への在籍を認めたが、男児は登校せず、1年後に「不明児」扱いになった。

 曽祖母が昨年8月に「ひ孫の住民登録を消して欲しい」と訴えるまでの2年5カ月間、市は男児の安否を確認していなかった。男児は乳幼児のころ、すでに行方不明になっていた可能性が高い。

 文部科学省によると、日本国籍を持つ就学年齢の子どもは、住民基本台帳に基づいて市区町村教委が学齢簿を作る。居場所がつかめないまま1年以上たつと、学齢簿の別冊に移して「居所不明」として数えられる。家庭内暴力(DV)や夜逃げで、居場所をたどられないように住民票を移さない例が多いとみられる。父母のいずれかが外国人で、日本国籍を持つ子を自国に連れ帰ってしまうケースもあるという。

 住民票を移さなくても、希望すれば、子どもは移転先の学校に通うことができる。文科省の担当者は「逃げた先で、親が前の住所を学校に教えなければ、学校間で子どもの行き先がわからず、不明児になる」。東京都葛飾区教委は「よそから区内に逃げてきて、親子
が元の学校名を明かしていない実例はある」という。

 1191人の中には、そうした形で学校に通う子どもたちも含まれるが、転居後に義務教育を受けられずにいる子どもが含まれている可能性も否定できない。

 市区町村教委は年に1回、学校基本調査の一環で不明児の数を国に報告している。2010年度は326人だが、昨年度は1191人に急増した。文科省が昨年4月に調査の徹底を求めたためだ。文科省は同時に各教委に、民生委員や児童相談所と連携して子どもの行方の把握に努めるよう通知を出した。
(朝日、2012年04月20日。工藤隆治)

 感想・日本社会が崩れて来ているのだと思います。根本から取り組まないと、解決しないでしょう。

教育員会の議事録の公開

2012年04月26日 | カ行
 全国の多くの教育委員会が議事録の公開に消極的な実態が明らかになった。情報公開が進んでいない教委では、教育行政の中身が分かりづらい。

 「情報公開請求があれば公開可能だから、非公開とは認識していない」。そんな見解の福井県教委は、議事録だけでなく、会議自体の公開に後ろ向きだ。2010年度にあった20回の会議のうち、一部でも傍聴できたのは10回。全107議案のうち18議案の議論しか公開しなかった。

 教委事務局は、議事録を公開していない理由について「会議を傍聴できる部分では事務局からの報告が多く、委員同士の議論が少ないので」と話す。「傍聴不可の部分の議事録は、公開請求されても非公開が多い」とも言い、大半の議事が県民には分からない。

 10年度は、県立高校入試の制度変更や教科書採択に関する議論も非公開だった。林逸男委員長は「事前にパブリックコメントを募るなどしている。県民の意向は反映されている」と話す。事務局によると、近年、事務局が出した議案が否決された例はないという。一方、関東のある市教委担当者は、公開しない理由を「傍聴者もほぼゼロ。必要が感じられない」と話す。

 議事録を公開しても、不十分なケースもある。栃木県日光市は11年度からウェブサイトで議事概要の公開を始めたが、発言者を「委員」と表記。誰の発言か分からない。担当者は「委員の自由な発言を妨げない配慮でもある」と話す。

 東京都教委の木村孟委員長は「公開されないと委員に緊張感が生まれず、事務局の考えを追認するだけになる。形骸化と批判されても仕方ない」と言う。都教委は01年度に議事録の公開を始め、08年度から発言者を実名にした。「誰がなぜそう決めたのかが見えないと、責任の所在があいまいになる。情報発信を充実させ、住民の関心を喚起する努力が必要だ」と話す。

 議事録の情報公開請求をしても、内容が乏しい可能性もある。東京都足立区教育委員の小川正人・放送大教授(教育行政学)は「そもそも活発に議論する教委は全国的に少ない」と指摘。委員の多くは教育に縁のない本業をしながらの非常勤で、会議も月1回程度といい、「事務局の運営に誤りがないかをチェックするのが精いっぱいだ」。

形骸化招く恐れ(小松郁夫・玉川大大学院教授・教育行政学の話)

 教育委員会は、地域の教育に関する基本方針を決める重要な機関で、議会と同程度の情報公開・発信をする必要がある。住民が簡単に情報を得られる環境が大切だ。それなしでは教委の役割が住民に伝わらず、関心がますます薄れ、形骸化を招く恐れがある。
 (朝日、2012年04月10日)

  感想

 議事録自身は取ってあるようですが、議事録の在り方自身も変えた方が好いと思います。現在は、多分、テープかACレコーダーに録音したものを業者に渡して、速記のように一字一句正確に起こしているのだと思います。が、これを読む人はほとんどいないでしょう。

 原記録としてはACレコーダーに録音したものをPCに移して保管し、必要な場合には聞けるようにしておくが、実際の用には、新聞記事の10倍くらいにまとめた「記事」を文字で発表しておけば好いと思います。

 浜松市の行革審の公開審議会の記録は2週間くらい後に発表される「簡略版」と、更に後に発表される「完全版」の2つから成り立っていますが、前者は「新聞記事の3倍くらいにまとめたもの」にして、すぐ翌日に発表する方が役立つと思います。