昨日は「敬老の日」で祭日でありました。
今の世の中の礎となって長い間社会に貢献してきた老人を敬い労うという趣旨なのか、働きすぎで休めないという勤め人たちや子供たちの休日を増やす、という意味もあるのか存じませんが。
敬老の「老」の定義がよくわからないのです。年齢で区分けするならば何歳なのか。ワタシ達が会社に入ったころは55歳が定年でしたが、間もなく60歳に延び、最近では65歳が定年で、それまでは働いて下さいという仕組みになっております。年金も繰り下がり、働いているならば老人ではない、という扱いなので、下手をすると70歳までは老人に入らないとされているのかも。
実際は、近所の競輪場の警備員や、商業施設の駐車場の入り口で歩行者をよけて車に出入りさせるおじさん、タクシー運転手・・・明らかに70歳越えの人たちが働かざるを得ない社会に見えます。
ある人に言わせると、敬老の日は対象者ではなく敬う側(若い人)たちの都合であって、孫がいるからおじいちゃんおばあちゃんという概念が成り立つ、それなので敬老の日の相手は孫がいることが前提になるというのですが。
それもどうかと思いますね。結婚もせず子や孫もいない人は敬老に値しないのか? 二十歳で娘を産んだ、その娘が25歳で孫を産む、となると45歳くらいでおばあちゃんになりますね。それは敬老の対象には出来ないでしょう。実際ワタシの知り合いはまだ60歳台ですが、すでにひ孫がいます。
さて、68歳になるワタシは、孫がいて、年金を貰い、人並みにあちこち持病を抱え、実質無職(名目上は会社経営者で月給8万円)なので、恐らく敬老の日にはお祝いされる側になるのでしょう。町内の祝い金は70歳からだそうですが。
それがあってかどうかはわかりませんが、昨日三男夫婦が「表敬訪問」に来ることになりました。横浜に住んでいていつでもこちらに来ることができるのですが、共働きで、お嫁さんの方には、ご実家でご不幸があったり病人が出たりでそれどころではない事情がありました。次男が釣りに来てちょっ顔を見せる程度の事はありましたが。勿論ワタシにお祝いもお土産もありません(笑)
更に、次男夫婦も合流することになって午後は大変賑やかであったのです。実際は子供たちは4人で釣りに出かけたのですが。もっともワタシが気を悪くすると思ってか、「敬老の日」の話は一切ありませんでした。長男からは遠い新潟から孫の写真などを送ってくれて、三人の子供たちがとりあえず無事に家庭を持ち、元気に働いているだけでワタシにとっては親孝行してくれている、大変結構な敬老の日だ、と感じた次第です。最近とみに記憶が失われてきたことを実感する日々であります。かような佳日はそうそうあるわけもないので、記憶にとどめておければと願うばかりです。
さて、映画の話であります。敬老の日を意識したかWOWOWでは、次々に老人をテーマにした洋画を続けて放送しておりました。「ミセスハリス、パリに行く」「ロングロングバケーション」「ラッキー」と3作ぶっ続けでした。今までに見たことのない映画であったのでそれなりに楽しめました。
で、その数日前に放送していた古い映画をここで紹介いたします。
ワタシは、子供の頃からの映画好きですが、映画館でお金を出して観れるほど裕福な家で育っておりませんから「ナントカロードショー」とかのテレビで放送するのを見ただけ、それは大学を卒業するまで同様でありました。
その後はいわゆるレンタルショップが出来てAVはじめ笑、ビデオレンタルからDVDまでずいぶんあちこちで借りて鑑賞しましたね。
そんな中で記憶に残っている映画の一つが「ドライビングミスデージー」です。1989年公開のアメリカ映画ですから、34年前になりますね。当方は歳相応に記憶が薄れ(ボケて来て)おりますから、筋書きなど細かいところは覚えているはずもありません。しかし、名優「モーガン・フリーマン」がわざとかどうかはわかりませんが口元をもぞもぞと動かす仕草は忘れられません。
1848年、ユダヤ人の家族が貧乏から這い上がって、教師をやっていたデージーさんの息子が織機工場を営むお金持ちになるのです。高齢になった気難しいデージーさんの車の運転手に雇われたのが、フリーマン扮する黒人のホークでした。最初は全くホークを疎んじ身を許さなかったデージーでしたが、ホークの優しさや気配り、苦労して歳を重ねた人に備わる忍耐強さと賢さのおかげで、いつしか信頼感が芽生えます。そしてデージーさんは認知症を発症してしまうのです。
ここまで書くと、老人をテーマにした映画と思われるかもしれませんが、実は当時、アメリカでは根深い人種差別があったのです。ホークは教育を受けられず言葉を喋れても、文字が読めません。それを知ったデージーが古い読み書きのテキストをホークに渡すのです。また、州外へ出かけ、走行中呼び止め職質した警官が「ユダヤ人に黒人とは最悪の組み合わせだな」みたいなことを呟きます。黒人はどこに行っても奴隷扱い、その時代でも召使以下としか扱われなかったのですね。監督は年老いた二人の名優を通して、人種差別の根深さを訴えたかったのでしょう。
一緒に観ていた家内によると、現在でも生まれて一度も黒人と会話したことが無い、という白人が実在するそうです。
この映画は、静かでゆっくりお茶しながら鑑賞するにふさわしい映画だと思いました。機会があったら是非どうぞ。