植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

記憶に残る(残ってほしい)敬老の日

2023年09月19日 | 雑感
昨日は「敬老の日」で祭日でありました。
今の世の中の礎となって長い間社会に貢献してきた老人を敬い労うという趣旨なのか、働きすぎで休めないという勤め人たちや子供たちの休日を増やす、という意味もあるのか存じませんが。

敬老の「老」の定義がよくわからないのです。年齢で区分けするならば何歳なのか。ワタシ達が会社に入ったころは55歳が定年でしたが、間もなく60歳に延び、最近では65歳が定年で、それまでは働いて下さいという仕組みになっております。年金も繰り下がり、働いているならば老人ではない、という扱いなので、下手をすると70歳までは老人に入らないとされているのかも。
実際は、近所の競輪場の警備員や、商業施設の駐車場の入り口で歩行者をよけて車に出入りさせるおじさん、タクシー運転手・・・明らかに70歳越えの人たちが働かざるを得ない社会に見えます。

ある人に言わせると、敬老の日は対象者ではなく敬う側(若い人)たちの都合であって、孫がいるからおじいちゃんおばあちゃんという概念が成り立つ、それなので敬老の日の相手は孫がいることが前提になるというのですが。
それもどうかと思いますね。結婚もせず子や孫もいない人は敬老に値しないのか? 二十歳で娘を産んだ、その娘が25歳で孫を産む、となると45歳くらいでおばあちゃんになりますね。それは敬老の対象には出来ないでしょう。実際ワタシの知り合いはまだ60歳台ですが、すでにひ孫がいます。

さて、68歳になるワタシは、孫がいて、年金を貰い、人並みにあちこち持病を抱え、実質無職(名目上は会社経営者で月給8万円)なので、恐らく敬老の日にはお祝いされる側になるのでしょう。町内の祝い金は70歳からだそうですが。
それがあってかどうかはわかりませんが、昨日三男夫婦が「表敬訪問」に来ることになりました。横浜に住んでいていつでもこちらに来ることができるのですが、共働きで、お嫁さんの方には、ご実家でご不幸があったり病人が出たりでそれどころではない事情がありました。次男が釣りに来てちょっ顔を見せる程度の事はありましたが。勿論ワタシにお祝いもお土産もありません(笑)
更に、次男夫婦も合流することになって午後は大変賑やかであったのです。実際は子供たちは4人で釣りに出かけたのですが。もっともワタシが気を悪くすると思ってか、「敬老の日」の話は一切ありませんでした。長男からは遠い新潟から孫の写真などを送ってくれて、三人の子供たちがとりあえず無事に家庭を持ち、元気に働いているだけでワタシにとっては親孝行してくれている、大変結構な敬老の日だ、と感じた次第です。最近とみに記憶が失われてきたことを実感する日々であります。かような佳日はそうそうあるわけもないので、記憶にとどめておければと願うばかりです。

さて、映画の話であります。敬老の日を意識したかWOWOWでは、次々に老人をテーマにした洋画を続けて放送しておりました。「ミセスハリス、パリに行く」「ロングロングバケーション」「ラッキー」と3作ぶっ続けでした。今までに見たことのない映画であったのでそれなりに楽しめました。
で、その数日前に放送していた古い映画をここで紹介いたします。

ワタシは、子供の頃からの映画好きですが、映画館でお金を出して観れるほど裕福な家で育っておりませんから「ナントカロードショー」とかのテレビで放送するのを見ただけ、それは大学を卒業するまで同様でありました。
その後はいわゆるレンタルショップが出来てAVはじめ笑、ビデオレンタルからDVDまでずいぶんあちこちで借りて鑑賞しましたね。

そんな中で記憶に残っている映画の一つが「ドライビングミスデージー」です。1989年公開のアメリカ映画ですから、34年前になりますね。当方は歳相応に記憶が薄れ(ボケて来て)おりますから、筋書きなど細かいところは覚えているはずもありません。しかし、名優「モーガン・フリーマン」がわざとかどうかはわかりませんが口元をもぞもぞと動かす仕草は忘れられません。

1848年、ユダヤ人の家族が貧乏から這い上がって、教師をやっていたデージーさんの息子が織機工場を営むお金持ちになるのです。高齢になった気難しいデージーさんの車の運転手に雇われたのが、フリーマン扮する黒人のホークでした。最初は全くホークを疎んじ身を許さなかったデージーでしたが、ホークの優しさや気配り、苦労して歳を重ねた人に備わる忍耐強さと賢さのおかげで、いつしか信頼感が芽生えます。そしてデージーさんは認知症を発症してしまうのです。

ここまで書くと、老人をテーマにした映画と思われるかもしれませんが、実は当時、アメリカでは根深い人種差別があったのです。ホークは教育を受けられず言葉を喋れても、文字が読めません。それを知ったデージーが古い読み書きのテキストをホークに渡すのです。また、州外へ出かけ、走行中呼び止め職質した警官が「ユダヤ人に黒人とは最悪の組み合わせだな」みたいなことを呟きます。黒人はどこに行っても奴隷扱い、その時代でも召使以下としか扱われなかったのですね。監督は年老いた二人の名優を通して、人種差別の根深さを訴えたかったのでしょう。
一緒に観ていた家内によると、現在でも生まれて一度も黒人と会話したことが無い、という白人が実在するそうです。

この映画は、静かでゆっくりお茶しながら鑑賞するにふさわしい映画だと思いました。機会があったら是非どうぞ。
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日展はやはり諦めないことにした

2023年09月18日 | 篆刻
篆刻を始めて、3年、随分彫ったのですが、自己流で好きに彫ってきました。先生もなし、篆刻の入門書にもあまり目を通さず、試行錯誤で続けて来ました。しかし、ここにきて一段上の世界を見てみたい、自己満足ではいけないと思うようになったのです。

そして、ひょんなこと(笑)から、日展の申込書が届き、これもいつかは通る道かな、と勝手に考えて公募展への出品をすることになったのです。その公募展の種類や会派、篆刻の専門家の業界のことも全く知らないまま、やみくもに作品制作に入ったのが7月の初旬からでありました。ターゲットは10月10日の搬入日、それまでに一つか二つ作品を仕上げて、一件12千円の出品料を払って日展に出す、それしか考えていませんでした。

目的はただ一つ、「日展」へチャレンジして出品するという実績作りでありました。日本の最高峰の芸術の展覧会であり、最大の難関であります。洋画日本画、から彫刻、書道などの超一流の先生方や気鋭の新人が挙って出品するという権威ある公募展に自分の作品を出す、という事自体夢のような話なのです。書道・篆刻で言えば、出品したもののうち1割以下しか入選しないそうです。なので、ワタシの場合は何がどうなっても入選など夢のまた夢、出すことで十分満足すべきであると考えていたのです。

そして、なんの事前知識もないまま、ただ大きい石(6cm角以上)にとりあえず、自分の好きなように彫る、として十数個彫りました。その最中にある篆刻家Sさんから「アシスト」の申し出を受け、形式的にその一門に加入し、その流れに乗って(言う通りに作業する)着実に前進すること、作品を仕上げることに専念しておりました。

そして、作戦会議の結果、日展の前に大東文化大学主催の「全国書道展」というものに出す、ということで先日ワタシのやるべき作業は全部終えてS先生に渡したのであります。で、次は本命の日展作品の仕上げという段階になって思いもよらぬ連絡を頂きました。
「今回は入選確率はどうやっても0なので、12千円がもったいないから、やめときましょう」というのです。それには、いろいろな裏事情があって、S先生の会派・流派からは書作品を含めて「今年は」一切団体出品をしない、というふうになっていたようです。

ワタシは業界の事、公募展の実情審査のあり方など一切存じません。先生にげたを預け、3年計画で指示通り方針に従ってやる、と決めた居ましたので、「そうか、じゃやめておこう」と翻意し切り替え、その旨LINEいたしました。「最初から入選できるなどと思っていないので、気にしませんよ。個人出品でもどうせ落選だから意味は同じですね」と返信したら、何故か、だったら出しましょうと再度連絡がきたのです。???どういうこと?!

つまり、個人出品というものは①流れを知ることができる ②選外でも一度は日展の会場に展示される ③出品したことで満足感・達成感が得られる、といった価値があるというのです。
ワタシ自身、すでにして2か月半の「日展用の作品制作」を通して、相当な知識が得られ、またスキルも向上しているのです。日展用作品も少なくとも2,3点はほぼ出来上がっているので、半紙に押捺して落款を入れれば出来上がり、という段階まで来ているのです。(どうせ結果は落選するので、作品の出来具合やどれを出すか等は、実はたいした問題ではない)。



これらのうちどれかに落款を入れて出せば事足りるのです。

まだ、搬入日まで十分日にちがあります。こんな感じで紙の下半分に印の基になっている漢詩(2行の七言詩)を書き、左に落款を入れようと思います。聞けば印を捺してあるだけでも作品として認められるらしいのですが。余白がもったいないし、多くの方は書を含めた総合的な作品として作るようなのです。

そして、ワタシの篆刻印を使っている十数人の仲間(書道家)のグループline「サロン槐松亭」で、事情を知らせ、会派を通じた出品は難しくなったけれど個人出品をしようかと考えている、とコメントしたら、多くの人から励まされました。すごくいい経験になりますよ、無所属なんだから好きになされば、と背中を押してくれたのです。その中には入選歴のある人、毎年出品している人が3人もいるのです。

定年を迎えてから今まで、書道や篆刻に限らず、ほとんどのことは自分の意志で自分の力でやってきました。人に頼ることを潔しとしない、その気持ちは持ち続けておりました。だったら、今まで通り自分が考えて切り拓いていくのが良かろう、と思い直したのです。人から助けてもらおうなんて考えない、人のためになることは多少おせっかいしよう、という気持ちを大事にしたいのです。

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ワタシは日本でも有数のコンビーニエンスな生活者

2023年09月17日 | 雑感
あのビッグモーター(BM)が本社を六本木ヒルズから、多摩や横浜の営業所に分散し、移転するそうであります。名目上は、街路樹を枯らした「器物破損」という微罪での嫌疑で、本社への一斉捜査が入るのを察知して「証拠隠滅と捜査の攪乱」という意図が見え見えでありますな。

今度の内閣改造人事で選対委員長になった、小渕優子議員は2014年に政治資金規正法違反事件に問われ、秘書の有罪が確定しましたが、パソコンのHDDをドリルで穴をあけていたそうであります。もっと重大な犯罪を隠蔽したと思われても仕方ない 悪質な行為であったのです。

BM社の場合は、日本でも恐らく最も家賃が高いオフィスビルですから、家賃が払えなくなる、という切羽詰まった理由が大きいのだとは思いますが。
そんなヒルズとか六本木には全く縁もないワタシには、想像でしか言えませんが、東京のど真ん中で、近隣には日本で最も重要な施設や有名店がひしめき、なんでもそろって究極の便利な場所なんだろう、と思います。だから、高い家賃を払ってもこうした東京の高級オフィスビルに入居するのが一流企業の証であり、実際になにかと便利で社業にも有用、それに見合う効果があるのでしょう。

便利という単語は英語にすると「コンビニエンス」と言います。これの象徴が「コンビニ」、日用品は何でも揃っていて、24時間営業しています。ATMもあればコーヒーサーバーもあり、トイレも借りられるし煙草にお酒・・・、とにかく合法的なものであれば大概のものが間に合います。そのコンビニの2階がワタシのオフィス、もとい作業場兼隠れ家であります。ここに、何もなければだいたい朝6時から夕方5時まで仕事(草むしり・園芸・ゴミ拾い・篆刻・メダカ養殖等々)をしております。六本木ヒルズとは比較になりませんが、費用対効果、つまり家賃の高さを割り引いて勘案したら、ワタシの方がはるかにコンビニエンスな生活を送っているのです。

何しろ、階下がコンビニなので、衣料品以外はほぼすべて間に合います。コーヒーを飲むにもたまの来客で出す茶菓も、小腹が空いたときのおにぎりも。普段飲み食いするものも、冷蔵庫などへの備蓄が不要であります。食べ物を温めたかったら下に行って電子レンジが借りられます。現金がなくなれば下でお金をおろすし。早い話が、自分一人だけの職場にコンビニと冷蔵庫とATMと郵便局にお花畑までそろっているのですよ。

また、BM社と違って、コンビニ敷地内の緑地は、ワタシにとってはかけがえのない花壇・畑・果樹園となっております。あの会社は、賃借していた敷地内の緑地をコンクリートで潰し、路側帯や公道の植え込みに除草剤を撒いたのですが、ワタシは公道の植え込みにはわざわざ自分で買った樹木を植え花の種を撒き、草むしりまでしております。

屋上にはメダカのプールがあります。そこで4千匹以上のメダカを飼っているのです。そして、ただでガーデニングが出来ているのです。季節折々には野菜が採れ、果樹には果物がなります。今はブドウ(甲斐路)とリンゴが食べられます。基本無農薬なので、洗わずに食べております。自分の仕事場から20m以内に採れたての果物がある、なんと便利で豊かな生活でありましょう。
これは昨日屋上で採れた「パッションフルーツ」です。

2年前には、国道の植え込みに郵便ポストも出来ました。郵便を出すのに、切手はコンビニで買えるし、ポストが階段を下りて5mのところにあるのです。そうそうクロネコヤマトの宅急便だって出せますね。
勿論道路の所有者は国でありますが、周りのゴミ拾いと除草はワタシが自発的にやっております。

これほど、なんの不自由もない便利な生活を送っている人は、そうそういないはずであります。勿論、綺麗なおねーちゃんとか美味しいお酒や料理とは無縁であります。ブランド物の洋服や時計も不要。現金も貯えもなし笑。一年365日お休みはなく、朝からずっとやることはいつもたくさん抱えております。爪は真っ黒、手はガサガサ、数十年来腰痛やら肩こりは何をやっても治りません。
でも、仕事と称して好きなことをやり、お日様を浴びて汚い恰好でも野良仕事をやって、疲れたらシャワーしていつでも昼寝もできる、これで文句などあるはずもありませんね。幸せ者、それが今の自分であります。
本日は、自慢話でありました、まことに申し訳ありません。
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石印材の整理を始めたが、先には進まない (その3)田黄石の本物はどれだ?

2023年09月16日 | 篆刻
石の種類の特定など、そもそも素人には無理なのです。人造石位ならばすぐにわかります。自然石で、原則として「ヨウロウ石」であることをベースにしても、石の産地で大別すると4つあります。
1.寿山石  福建省福州寿山・月洋・高山
2.青田石  浙江省青田県
3.昌化石  浙江省臨安県
4.巴林石 (パリン石) 内蒙古自治区
しかし、これがややこしいのは、産地が違っても似たような石が散在するので、一瞥しただけでは判別しにくいのであります。例えば真っ赤な血の色が入った石材を総称して鶏血石と呼びますが、寿山系にも赤い色の入った石が多く含まれますし、本家昌化鶏血石だけでなく巴林鶏血石と称する石も非常に多く現在も採掘されております。

そこで、ワタシのブログの隠れテーマである「田黄石」になると、その本物の田黄石に間違えやすい、あるいはそれと偽って田黄と謳われる類似品が山ほど出回っているのです。そもそも母岩のある寿山の山(一説によれば名坑と名高い杜陵坑)から長い歳月を経て水田に流れ着いて埋もれていた石です。他にも善伯洞さらには高山などの凍石は本物の田黄石に勝るとも劣らないような逸材もあるのです。
ワタシの作った箴言で「世の中には、田黄と田黄のようなものがある」があります。

また、田黄石が見た目によって(色合いや紋様)によってさまざまバリエーションががあるので、鑑定を困難にしています。
橘皮黄…みかんの皮のような色、熟栗黄…成熟した栗のような色、栗子黄…未成熟の栗のような色、黄金(皮)黄…黄金のような色、鶏油黄…鶏の油のような色、枇杷黄…枇杷のような色、桂花黄…キンモクセイのような色、蛋黄…卵の黄身のような色などなどであります。

さらに、先日のブログに載せた「烏鴉皮田黄」 金抱銀(金銀田)や銀抱金(銀裏金)、渓管独石、硬田など、石の形状で分類した様々な種類があります。
例えばワタシのお宝である寿山銘石サンプル「福建寿山石章」の田黄石の一部が下の石であります。
この見本石集は本場福州彫刻加工場」で製作販売されたようです。この説明文によれば、「寿山石は3000万年前に生成された天源・水源・山岳に100種類の製品がある」(知り合いの台湾などで商売する秋吉さん訳)のだそうです。天源は、野天つまり田坑、水源は水坑、山岳は山坑を指します。その半分にあたる50種のサンプルが収められているので大変な研究資料なのです。
上左から順に、「黒田・田黄凍・白田・金裏田・灰黒田・擱溜田?」
みんな形が悪く、雑味が入っていて小さい端材なので、高級印材の製造工場としてはサンプルとして活用されたのだと思います。

一方、希少で珍重される田黄はそんじょそこらでは採れない(ある資料によれば1900年後半には取り尽くされて資源が枯渇した)ものでありますから、似たような石が、田黄石としてどんどん出回るようになったのであります。
田黄擬きと言われる石の種類だけで「掘性坑頭・掘性高山・掘性杜陵坑」などから鹿目格・善伯洞・連江黄・牛蛋黄・牛角凍」など20種類くらいあるのです。

そこで何度か紹介しているワタシの「田黄石もどき」のコレクションであります。やっと一所にまとめ、こじゃれた古い収納箪笥にしまうことが出来ました。
この中に、本当の本物の田黄石があるのか?それが問題なのです

下のは、明らかな田黄もどきの石で、「杜陵坑・連江黄」であります。

こちらが最近入手した「高山凍」と銘打たれた薄意つきの凍石ですが、田黄と言ってもおかしくないほど美しい石でありました。非常に丁寧な「微雕(彫)」があり読めないほどの芥子粒のような文字が彫られています。
箱の裏には名刺まで

こういうのは、なかなかお目にかからないもので、ちゃんとした田黄石のような高山石に、ちゃんとした薄意を施して製造元まで開示したちゃんとした「正規品」とみていいのです。


また、非常に良質な一昔前の布箱に収められたこの黄金色の石は、限りなく本物に近い銘品でなかろうかと期待しているものです。

コレクションには、こうした田黄ないし田黄に似た別物の石が、50個ほどあります。はてさて、本物の田黄石があるのかないのか、それがワタシにとって最大級の関心事なのであります。
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お向かいさんにお迎えが来た、自分はまだお迎えが来る前にやるべきことがある

2023年09月15日 | 雑感
先日、裏のおばさんが亡くなりました。享年93歳で、年齢に不足はありません。1週間くらい前から危篤だと人づてに聞いてはおりましたが、実際にそうなってみるとやはり残念で寂しいものです。

彼女の旦那さんは、うちの先代の従兄で、全身に入れ墨を彫っていました。若いころはだいぶそれなりに悪さをしたのでしょうか。もう30年近く前に亡くなりました。自分の事を「オレ・オラ」と呼ぶその奥さんは、まさに姉御肌でべらんめぇ調、それでも二人の娘さん青女手一つで学校にやり嫁に出して、ずっと一人暮らしでありました。

元気のいいおばさんは、口も達者なら喧嘩早く、好き放題に生きていましたが、どこか憎めず、80歳過ぎても知らないおじさんなどが出入りしていたようです。おばさんの様子がおかしくなったのが、90歳手前で、「老人性の認知症」の症状が出てきました。そのうち毎日のように警察に電話して「泥棒が入った、モノが無くなった」などと騒ぎを起こすようになりました。並行してガンがみつかり、手術も出来ず余命2年などと診断されるに至って、いよいよ一人でほおっておけないとなり、1年ほど前から「施設」に入所しました。

住んでいた20坪ばかりの家は借家で、家財も運び出しましたが、庭木はそのままなので、ここ1年間だれも手入れしないままユリやバラや菊が花を咲かせておりました。今は朝鮮朝顔の青い花が咲いております。面倒をみていたお向かいのMさんの奥さんには、何かあった時のためにお金を床下に埋めてあるとか絨毯の下に隠してあるとか言っていたそうです。ボケて家を明け渡す時、お向かいさんはそれを覚えていて、これはもしかするとと思ったんですね。娘さんにそのことを伝えたところ、敷物の下から封筒に入ったお金がいくつも出て来て100万円くらいあったそうです。

そのおばさんが、亡くなって明日がお通夜であります。ワタシの家の周りだけで、8軒のお隣さんがいます。その中の数人が参列するそうです。8軒のうちご主人が亡くなった家が5軒になりました。まだMさんは50代の後半、うちのまん前の家の旦那さんはワタシより少し上くらいでしょうか。男だけで言えば、順番からすると次の次がワタシの番になりますね。

年寄りばかりの町内で、まだ若いつもりでいたのですが、いつのまにやら見渡すと爺さん婆さんの仲間入りをしております(笑)。

最近では、もうカウントダウンが始まっているのだ、現在68歳、せいぜいもって20年、下手をすれば10年くらいかも、としみじみ思うのです。こんどの11月には以前勤めていた金融機関のOB会が行われワタシが世話人をいたしております。その支店長が3年前に亡くなり、一時ワタシの直接の上司であった方も同じころ亡くなりました。また、当時20代前半であった若い女子行員が10年くらい前に亡くなったと連絡を貰ったときはさすがにショックでありました。色の白いきれいな娘さんでしたが、40代で亡くなったのです。

OB会はその亡くなった会長を偲ぶ会として開かれます。出欠連絡には、入院して手術したとか、病院の検査が入ったとかで欠席の通知がありました。ワタシがその支店に在籍したのは30歳~35歳の頃です。支店には40名くらい(転出入による入れ替えがあるので実際は累計60名位)が働いていたでしょうか。あれからもはや33年経過しています。この間、亡くなった人や退職して行方知れずの人は10人以上になっています。

人と出合いがあれば人との別れもある、生まれたら必ずいつか死ぬ。そんな理(ことわり)が身に染みる歳回りになりました。しかし、まだやることが幾つかあって、もう少しこの世にいたいのです。

①残された時間をどう生きるか
②断捨離などで自分の身辺整理をすこしづつ行う
③自分が生きた証がどんな形で残るのか(何を残すか)
④誰にも迷惑をかけないで最期を迎えるにはどうするのが最善か

そんなことを毎日考えております。今はせっかく始めた「篆刻」で、いっぱしの篆刻家としてのポジションまで登るために、公募展へ出品し入賞という結果を残すこと、できれば日展入選が最高の結果になります。
それが成就したなら、石印材をもう少し深く研究し、印材の愉しみ方と石の種類の分類法などを本に著わすことが目標になっております。あぁ、石印材の故郷中国福建省にも行きたいなぁ。
同時に片端から植えた植物たちをすこしづつ始末をつける、屋上にいる数千匹のメダカの行く末も心配であります。印材は保存すべきもの・コレクションとして残すべき希少な石を除いて、処分する、を始めようと思います。

先に旅立ったおばさんに、何十年か先に、もし家内がいずれ逢うことになったら、「K子(家内)よ、お前よー、いい旦那に恵まれたな、案外立派だったじゃねぇか」と言って貰えるよう、もうひと頑張りせねば、と思う朝なのであります。
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