これから、昔に勤務していた金融機関のOBによるゴルフコンペに参加します。リタイアして8年になりますが、ゴルフのみならず所属した部店の中でも、ずっとお付き合いして飲み会をするなどのグループもあり、いまだに親交のある人は数十人になります。
振り返ると、九州大分で育った私、小学校の同級生はさすがに縁がなくなりました。しかし中学になるとさほど仲が良かったわけでもないのに、何時の頃からか、連絡を取り合う仲になり、ここ数年はそれが楽しみで帰省することも増えました。90人の同級生で既に他界した人はわかっているだけで10人、今グループLINEで繋がっているのが20人です。残りの3/2は、LINEをやっていない、行方が分からない、みんなと付き合いたくないなどいろいろ事情があるのでしょう。
高校は地元の一流(笑)進学校でした。13クラスもあって同級生はすごく多いのですが、全国に散らばっていてそうそう会えるものではありません。関東在住の仲間数十人で、コロナ前には集まったりしていました。ゴルフの会もありましたが、残念ながら最近の多忙や体調、ちょっとしたいざこざなどもあって、数か月前、一旦抜けさせてもらいました。
そう考えていて、不思議なのは大学の仲間のことであります。昔から本当の友人になれるのは中学校までとか言うのです。大学は横浜でありました。金沢文庫の工学部の汚い古い学生寮に入寮して過ごしましたが、その寮生や同級生の誰一人ともお付き合いがありません。それどころか、連絡先も知らず名前もほとんど覚えておりません。
何故か?それは多分、ワタシがほとんど大学へ行っていなかったからであります。バイトと麻雀に明け暮れ、出席をとる授業や試験の時だけしかキャンパスへ行かないので、仲間と仲良しになる機会が少なかったからではなかろうか、と思います。
数少ない友人の中で、唯一親しくしていたのがI君、セリカに乗りテニスで真っ黒に日焼けしたお金持ちの息子さんで、学業優秀、当時もっとも学生に人気があった東京海上に就職しました。どういうわけかその彼が、貧乏学生で不真面目なワタシに何かと良くしてくれたのです。彼女などと一緒に出掛けたり遊んだり、そして、ワタシの代わりにレポートやテストまで出してくれました。ワタシが、学業をおろそかにして全く授業にも出てないのに単位が取れたのはひとえに彼のおかげでした。
ワタシの就職が決まった時、Y大学の7不思議というフレーズが同級生の中で飛び交いました。そのうちワタシが①留年せずに卒業できた ②金融機関に就職できた ③ゼミ幹(長)だった ④卒論は不合格であったのに卒業した と7不思議のうち4つを占めるという偉業であったのです。残りの三つは学校に行っていないので知りませんが。
社会人になってからもI君とは親交が続き、お互いの結婚式にも呼び合ったのですが、そこまで、それ以降一切連絡をしておりません。お互いの動静も知らず、会う必要も無かったからでしょう。
そんなことを昨夜ふと思い出して、ネットで調べてみたら居ました(笑)、Facebookに登録していました。昔と変わらぬ丸い真っ黒なお顔。意外なのはもっといろんなところで活躍していっぱい検索に引っかかると思ったのに意見だけ。もっともワタシは実名で何も出てこないようにやってきましたから、多分ググってもわからないはずなのですが。
ちょっといたずらして書き込んでみようかと思います。