植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

仁義も 恥も外聞もなく かっこ悪い

2019年12月13日 | 時事
梅宮辰夫さんが亡くなりました。享年81歳だそうです。太く短くという往時の映画俳優さんとしては、長生きされたのではないでしょうか。当然一面識もない遠い世界の方ですが、ワタシが学生の時、悪ガキを集めた学習塾のバイトを思い出します。
 当時中学生数名が生徒でしたが、そのなかでえらくハンサムな子が居ました。仲間の誰かが、ワタシに「あいつ、梅宮辰夫の私生児なんだ」と耳打ちしましたのを覚えています。今となっては、その真偽など確かめようもなく、どうでもいいことですが。あの時代、映画俳優は何でもありだった、というのはご当人たちが得々と話していますから、あっても不思議はないのです。

 戦後東映・大映・松竹と、映画産業が全盛期であったころの大スターの一人であります。鶴田浩二、山城新伍、松方弘樹、高倉健、菅原文太など、あの頃やくざ映画で暴れまわった俳優さんはあらかた鬼籍に入ってしまいました。
 ワタシは「仁義なき戦い」のシリーズが好きで、何度もテレビやビデオで見ました。さすがに未成年の頃親から小遣い貰って、やくざ映画を映画館で観るというような環境にはありませんでした。
 この、シリーズは、それまでの任侠路線と違って「かっこよくない」ということを主眼においていたように思います。雪の降りしきる中「ドス」を懐に単身殴りこむ、片肌脱ぐと般若の刺青が・・みたいなやくざや任侠道を礼賛する映画ではなく、金と欲で動く(本来の暴力団らしい)やくざさんの実態を赤裸々に表現しました。死に方も然り、二枚目俳優の役柄が男らしくない卑怯ものに描かれたりしました。仁義・義侠心など無い!と宣言したような映画でした。

 ワタシは、金融機関に勤務していたころ、何度かこの業界(暴力団)の人とのかかわりがありました。彼らはお金の匂いがするところに出てきました。われわれ堅気相手には、さほど怖い姿を見せるわけではありませんでしたが、その目つきの鋭さ、爬虫類を連想させる冷たい眼光は忘れられません。

 そういえば、まだワタシが30歳前後の時、山口組の東京侵攻がありました。勤務していた川崎市は、当時「二率会」という独立系の暴力団が縄張りにしておりましたが、山口組が標的にし抗争事件が起きました。2,3度射殺事件の後、当然ひとたまりもなく解散させられましたが、早朝川崎市の商店街に、射殺された組員にブルーシートが掛けらていたのを見ました。
 その20年後、別の業務で川崎をテリトリーにして外回りをしましたが、少なくとも5,6か所の事務所は目に浮かびます。恐らく、稲川会山川一家のシマ内でしょう。

 山口組は、跡目争いで内部分裂し「任侠山口組」「神戸山口組」が出来ました。この神戸山口組の中核である山建組というのが、山口組きっての武闘派でかの「山一抗争」の中心となったものです。神戸が本拠地で、その主要団体だったのに、愛知県の弘道会に母屋を取られたと怒って組を出たわけですね。

 その後の抗争事件は割愛しますが、県警は「神戸山口組」の関係者を次々に検挙しています。抗争が激化しないよう、小さいほうの組織を抑えようという作戦でしょうね。それはそれで悪くは無いと思いますが、本丸は弘道会ですから、どこまで迫れるかというところでしょうか。

 そこで、この暴力団を想定して自民党政府が「反社勢力」と定義づけしたのがH19「企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針」あります。これによりひとまず暴力団のしのぎ(経済活動・収入減)を抑える効果が出てはいるようです。

 ところが、反社勢力は、一概に定義できないと閣議決定したそうであります。これは、端的には「反社勢力かどうかは、政府(権力)がいかようにも解釈できます」という意思表明です。彼らが仮にやくざ・暴力団にくみすることがあっても、「反社ではない」と言い切ることが出来るようにしたのです。これで、警察、企業や一般社会が、毅然と反社勢力に立ち向かえるのでしょうか。

 今の政府は、そうしてでも隠さなければならないことがるのでしょうね。
 カッコ悪い
コメント
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