植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

金をかけなくても、日本や地域が良くなる方策はたくさんある。

2019年12月28日 | 時事
先日ぼんやりとテレビを眺めていましたら、BSTBS,報道1930で、面白い内容の話題が取り上げられていました。

 日本で最も小さな村、富山県舟橋村の人口が、日本一の人口増加を遂げているという話。富山県は、世帯当たりの所得が東京を上回ってトップレベル、車の保有率や支出額・貯蓄額もほとんどが1,2位の経済的に豊かな県であるというのもよく知られています。

 どうして少子高齢化社会・大都会一極集中で、地方の限られたところだけ、人口が顕著に増えるのかという理由がいくつか紹介されました。住居費が安く、通勤のための道路網が整備され渋滞が無い、図書館を駅前に作ったなどなど。また、休耕田を借り上げ農業を奨励したという効果もあったようです。村長が、あちこちの圧力に屈しなかったのが最大の要因だとも。
 こうした、一部の市町村への人口流入は、他都市との綱引きで、相対では変わらない、と間抜けな理屈をこねる識者もいますが、そうではありません。生活に適した環境、合理性と豊かさが整った地域が増えれば、自然に若者が集まり結婚し、子供を産むというゆとりにつながるのです。すると、さらに、住宅需要・消費の増加で経済効果が高まり、就業チャンス・収入増が見込めるという好循環を生み出すのですね。

 さらに、先の台風で、越水・洪水を生じた河川流域の上流には取水ダムが多く存在し、氾濫の一因だったとか、田中角栄の列島改造論は間違いだったとか、興味深い事例や自説が披瀝されていました。

 その内容もさることながら、解説者・出演者が、実に楽しそうに活気のある議論をしていたのが印象的でした。この手の番組は、やれ日韓関係だ、やれ桜を見る会、習近平がどうした等々、言っても仕方がない(ほとんど世間話に近い)議論になります。想像と推論にとどまり、世論形成にもなりませんし、みんながてんでに知ってることを言い合って結論などありません。「さて、今後の展開はどうなるんでしょうか」「目が離せません」など軽くしめておしまいです。
 その点昨日の討論は、好事例や前向きな解決策の端緒になり得る様々なヒントが盛り込まれておりました。

 東京などの大都会で高コスト、劣悪な住宅・就業環境のなかで暮らすことより、郊外や田舎で豊かな生活が可能であり、幸せになる確率が高いことかもしれない。
 ダム建設などに代表される巨額の公共工事は、当初の目的が失われても作り続けられ、やがて自然や日本人の生活・環境を脅かす懸念が強いのも明らかです。
 農業が、今後日本の将来を変えていく有望な手段になり得ること。そして、心のみならず健康・生計にもプラスに働くだろうことの再認識もできました。
 今まで、正しいと思われていた政策・公共的な投資・事業は正しくなかったかもしれない、時代や将来の夢に逆行していたことに気づくべきだと思います。

行政(公務員)の無謬性という言葉があります。有権者に選ばれた議員が決めたことを行政が執行・施行するのだから、また今までそうしていたから、正しいことなのだ、という理論です。正しく判断されてベストの施策が行われていたというなら、今の日本は、最善の結果であるという理屈になりますね。

 ワタシ達は、今までが間違っていたのだ、という前提に立って、次の社会をつくる行動が求められているのだと思います。
 裁判所は判例主義を見直す。殺人したら原則死刑。役所は前例主義をやめ、予算の作成方法を根本から変える。選挙制度も変え1院制にして議員定数を減らし、指導者は、国民の直接投票を導入する。やりだしたらきりがありませんよ。
 あー、憲法。これも全部一度なしにして、一から作ったらいかがでしょうか。


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