植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

クリスマスプレゼントに、意味はありましょうか

2019年12月24日 | 雑感
X'masですか。そうですか。

何も関係ないが、今晩のおかずは鶏のモモでしょう。ワタシの好物なので、年中食べていますから、わざわざ高値のこの時期に、並んで買うほどのこともないのですがね。孫たちへのプレゼントは、すでにポケモンのぬいぐるみと、スケートボードを、トナカイの代わりに楽天が届けてくれました。ケーキも血糖値が気になるワタシとしては、遠慮しておきましょう。

 一昨日は、思いがけずネットだけの知り合い(グリーンスナップという写真投稿サイト)の方から、観葉植物(ハオルチア・サンセベリアファーンウッド・アルブカスピラリス)を頂戴しました。丁寧なカードと手作りの鉢の敷物などが添えてありました。顔も知らない方から、手間をいとわず心づくしのお品を送って頂くというのはうれしいやら心苦しいやら。

 ご近所から、総菜やお菓子のおすそ分けを届けていただいたり、差し上げた野菜のお礼にと、お茶をご馳走になったり、双方で品物と心のやり取りが出来るのは、両行な人間関係の元になるものでしょう。昔は、ご近所の間で助け合うという習慣が当たり前のように有って、味噌醤油にいたるまで、隣同士で貸し借りしたと聞きます。運動会なんかでは、親が応援に来れないとか、貧しい家庭の児童のために、町内・村内の方の多くが余分に海苔巻きや煮物、から揚げなどを用意しました。

 現代社会では、そういう、真心や共助の気持ちから品物をやりとりするという行いがだんだん姿を消しているように見えます。見返りを求める贈答、利便を図って貰った謝礼、金銭を巻きあげるための罠、といった取引材料や犯罪行為に利用されることばかりが目立ちます。「関西電力と助役」「桜を見る会」などはその典型でありましょう。
 身内以外で、ただで、何かをくれる人には目的がある、と思って間違いありません。中元歳暮程度の社交的・儀礼的なものか、あるいは貰う方から提供した金品やサービスに対する相応のお礼以外には意図があります。それは時として、それ以上の対価を収奪されるか、普通では受け入れがたい請託、反社会的な行いに結び付く危険が伴うということを肝に銘じなければなりません。

 愚かな人間は法外な金品を手にしたら、正常な判断ができなくなります。

 まだ若かったころ、クリスマスというと、女の子とデートしたりプレゼント交換したりという楽しみが有りました。それが、普段の相手に対する感謝や気持ちを伝えたかったのか、それとも、何かの見返りを期待していたのか、今となっては定かではありません。
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