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植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

日本の風習を考える秋

2019年10月27日 | 時事
昔住んでいた九州の田舎では、「頼母子講」というものが実際に行われていました。昭和40年代でしたか。(差別の意味ではなく、集落の小さな単位です)の10軒~20軒が集まって、毎月数千円を拠出、1年位経つと、持ち回りか、その時にお金に窮しているお宅に全部渡すという、互助会ですね。母子が頼る講です。
昔の田園地域・山村では、金融機関も無くまとまったお金を融通する団体が無いために自衛的に発生したもので、「無尽」とも呼びますね。ワタシの田舎では。「たのもし」と言っていました。

でかい数珠を輪になって回す「お念仏」というのもありました。みんなが座敷に丸くなり念仏を送って回しながら念仏を唱えるという宗教的な風習で、当然ワタシはそこにいたわけではありませんが、漠然と土俗的・密教的な雰囲気を想像して「恐ろしや」と思ったことを覚えています。

それから「おせったい」。四国巡礼ではお遍路さんに茶菓を提供することで知られています。一方托鉢僧などが民家を回って米やお金を集める(托鉢)することなども含まれるようです。大分県では、民家が食事やお菓子を用意し、子供たちがそれを貰うために、各戸を回ることを意味しました。これも、貧しい家が多く、食事もままならない家族や住民を救済するために行われたのではないかと考えています。

今はもはや、地域の中で個々の住民たちの相互扶助の制度や繋がりは廃れ、助け合いの精神などは希薄となりつつあります。それも時代なのでしょうか。それは、セーフティーネットが充実したせいなのでしょうか。日本の人々が豊かになったからなのでしょうか。いずれも虚言であります。

どうやら巷では、ハローウィンの催しが年々大規模になっています。こちらは欧米での収穫祭と相まって、禍を追い出すための儀式でであったそうな。子供がキャンデーを貰うというのが、若干日本のおせったいと通じるところはありますが、ハローウィンはお祭りで、宗教色も福祉性にも乏しいようです。
 クリスマスは明治後半、バレンタインデーは、昭和50年代から日本に浸透してきたものだそうです。Xmas・Vデーともなると町では若者がプレゼント交換したりデートで賑わったのですね。

 ところが、このところ、それらに代わって、ハローウィンが台頭してきました。少なくともワタシの記憶では20年位前まではあまり注目されませんでした。何故か。
これは、多少眉唾でありますが、日本の若者が恋人を作らなくなった(あるいは出来ない)せいだというのです。クリスマスもバレンタインデーも、お相手がいて初めて楽しく過ごせるので、プレゼントする相手がいない若者にとっては疎ましいというわけ。その点、ハローウィンは仲間で仮装し、バカ騒ぎをして盛り上がるという若者受けしそうなお祭り騒ぎが出来るイベントとなってきたのです。

これも虚しい話でありますな。

おりしも、少子高齢化が進み日本の人口がどんどん減っているさ中であります。一生子供を産まない女性が3割とも4割ともいわれています。結婚した女性が3人子供を産んでも追いつかないのですよ。

こうなったら、日本の古来の風習を復活・奨励したらいかがか。

一つは「夜這い」  もう一つはお祭りの夜は性開放「交際祭り」


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