植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

ワタシが市長になったなら

2019年10月13日 | 雑感
心配していた台風19号が、当地をかすめて通過していきました。交通機関の計画運休も、土日ということで、さほど混乱はありませんでした。各地に河川の氾濫、住宅の冠水はありましたが、事前のアナウンスの如く、100年に何回も無いような大災害とはならずに済み、何よりでした。
 今回大潮と城山ダムの放流とのタイミングが一致していたので、相模川の決壊を心配していましたが、予想より雨量が少なかったのと、県が放流をぎりぎりまで先延ばししたことで回避出来ました。役人さんGOOD JOBでありました。

 当地平塚は、厚木や秦野方面から極めて緩やかな平地が続き、山らしい山も無い平坦な地形です。相模川は、蛇行が少なく広い川幅のおかげで極めて穏やかな河川です。海岸部はかなり深い砂地でずっとまっすぐな海岸線が続きます。西は急峻な箱根の山があり雨や風を和らげてくれます。そのため、昔から大きな災害に襲われることはほとんどありません。大津波の記録も無いようです。温暖で植物を育てやすい地域でもありますね。相模川の堆積土砂で出来た土地ですから、水はけもいいのです。

ところが、平塚は人気がありません。曰く、ガラが悪く治安もよろしくない。交通が不便、競輪場や風俗店の印象が強い、観光資源がない、等々。
そのとおりでありますな。戦前は、畑と葦が生い茂る田園地帯で、火薬工場など軍需工場が有った為に、空襲で焼け野原になったといいます。もとは平塚宿と呼ばれ、交通の要衝として栄えていましたが、旅籠屋・本陣・商店などがみんな燃えてしまったのですね。おかげで、戦後の区画整理や復興はやりやすかったのだろうと思います。駅を中心に、放射状あるいは碁盤目のように道路が整備されました。

その時、お役所はいくつかの間違いを犯しました。町名を一新して古い建物や旧跡を一掃したのです。復興は競輪場と七夕という集客力に頼り、工場誘致を熱心に行いました。結果として飲み屋や風俗店が増え、暴力団が幅を利かせるようになります。工員・職工さんの街になり、教育・文化水準の高い人たちは敬遠しますね。

もう一つの過ちは、鉄道網・高速道路を遠ざけたということであります。ただでさえ平塚は、相模湾に面していることから、南には行き止まりというハンディがあります。
東海道線一本に頼り切っているため、通勤に制約が大きいのです。さらに、ちゃんとした自動車専用道路を通さなかったために、自動車輸送・物流からも敬遠されました。東西につながる鉄道と北に向かって、厚木、秦野、座間、藤沢などを抜けて横浜、東京につながる私鉄があれば、まったく違った都市になったでしょう。(実際に私鉄が路線を新設する計画はありました)
東海道線を除くと「新幹線」の線路が突っ切るだけという愚策です。

結果として、27万人の人口を擁する平塚市の中心部は、百貨店がすべて撤退・廃業し商店街はシャッター通りになりつつあります。温泉旅館も無く、観光地も無く、神社仏閣にも魅力が無し。これでは、若い人や旅行客にそっぽを向かれますね。
ワタシの住む町も、老人ばかりで限界集落と揶揄されています。

いまだに、七夕まつりと競輪の二枚看板を掲げているのです。もはやペンキは剥がれ、錆びだらけだというのに。

それでも、平塚市庁舎は、新築でガラス張りの威容を誇りますし、市の職員の収入は全国有数なのです。

ワタシが、市長になったら魅力的な都市に変えてあげるのに

コメント
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