道志村の少女が行方不明になってから、すでに10日経ちました。先日はお母さんがカメラの前に立ち、心情を嗚咽しながら話しておりました。あの時こうしていれば、という悔恨の思いは察するに余りあります。こうも手掛かりがないと、誰かにさらわれた可能性も否定できません。早い発見を祈るばかりです。
それに引き換え、子供を死なせる親が最近多すぎると思います。
虐待死は後を絶たず、目黒の結愛ちゃんのノートに記された「おねがいゆるして」の言葉が胸に深く刺さります。パチンコ店の駐車場の車の中で熱中症で亡くなった赤ちゃん、母親が幼児をアパートに置き去りにして遊びまわって餓死させた事件。交際相手の暴行で死んでいった幼い命。これらが、どうして根絶できないのでしょうか。
聞けば、周囲や学校、警察、児童相談所等がその虐待やネグレクトを把握していた事例が殆どであります。その事後の関係者の無責任さと事態の認識の甘さがはなはだしく、唾棄したくなります。
こういうことが起こる原因はさまざま、シングルマザーの増加、若者の収入減、住人たちの無関心、若者の倫理観欠如や幼稚性などの親・保護者に起因するものと、警察・自治体の意思疎通・情報共有の不備や人員不足などの社会システムの問題でしょう。
親の問題は、また別のテーマにして取り上げますが、早急に改善すべきは後者であります。
虐待やネグレクトを通報し情報を一元的かつ多岐にわたって共有するシステムが必要です。ネットがあれば難しいことはありません。疑わしい親と子供の名前と生年月日で危険な情報を登録し、関係機関が相互に共有すべきです。そこに「個人情報保護法」などというくそみたいな法律は排除します。人の命が関わるのに、小役人の不祥事を公表しないため、あるいは政治家の隠れ蓑にするために作られた法律ですよ。
そして、欧米の一部で行われているアニマルポリスのような機動力、強制・執行権をもった組織を警察や地方自治体に作るのです。動物の虐待ですら、ドアを破って救助し、飼い主を逮捕するのに、日本では「親が会わせてくれない。ドアを開けてくれなかった」とか情けない言い訳をしています。開けなければドアを破ると言えば、なんの引け目も無い親はドアを開けます。
児童相談所の人が足りないと言われます。知恵が足りないの間違いです。受付・情報収集だけなら役所で十分賄えます。現地調査や相手方との接触をする人を使えばいいのですよ。スマホいじりとキャッチボールをやってる消防隊員でも、下らぬ交通違反の取り締まりの警察官でも、いざという時には交戦しない自衛隊でもなんでも、こういう社会に貢献できる仕事だったら喜んで駆け付けますよ。
児相は、はっきりいって役に立ちませんな。「国民生活センター」とか生涯学習センターと同程度で、ごく潰しで新聞や雑誌を読むのが仕事の役人が鼻歌交じりに高給を貰うところ。
さらに重要なことは、罪状が軽いことです。「保護責任者遺棄(致死)」だいたい5年から10年の懲役が運用されますが、原則として「殺人罪」を適用すべきなのですよ。身を守る術を知らぬ幼子を長期間暴行し恐怖におののくまま、死ぬまで放置したら、死刑でしょうよ。空腹のあまりおむつまで食べた幼児をほったらかしして遊んでいた母親は死刑でしょう。
直接の死因でなくても虐待の延長で死んだのは「暴行罪」ではなく」最低殺人未遂とすべきです。暴行罪と言うのは胸倉つかんで「てめー殺すぞ」とか脅かしただけで成り立つ犯罪ですよ。全く次元が違います。
殺人という明確な犯意がなくても、死ぬかもしれないとわかって暴行や食事を与えないのは「未必の故意」です。これから何十年も待っているだろう夢に満ちた人生を、悲しみと恐怖の中で絶たれた子供たちの無念さを思う時、わが国の法曹関係者がその罪状の軽さや不備に目をつぶっているとしたら万死に値します。
児相への相談件数は年間20万件にも上り、年々その件数が急激に増えています。それとともに亡くなる子供たちも増えています。隣国の政治家の話や漠とした改憲の話をグダグダやっている暇があったら、マスメディアも政治家も直ちにこの問題に取り組んで欲しいと思います。そんな話は飲み屋ですればよし、いくら話題にしてもなんの効果も変化もありませんよ。
やる気になればいかようにでも変えられるはずです。変革するという障壁を避け、変えられない理由(理屈)を先に考える大人が多すぎるのです。