植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

無謀な挑戦と笑わば笑え 日展に出品しよう

2023年07月06日 | 篆刻
昨日の続きみたいなお話(認知症)で、恐縮です。

昨夕帰宅したらこんなものが届いておりました。・
見た瞬間!!!?、ナニコレ?でありました。


「日展」からの出品申込書であります。その時、事態が呑み込めず、ややパニクっていたのです。日展から書類が届くいわれはない、自分には全く縁のない団体であります。誰かのいたずらか、と思ったのです。ワタシの名前と住所を知っている方のだれかが、ワタシの名前を使って申込書を取り寄せたのか?と疑ったのです。
それで、思い当たるグループlineなどに「どなたかご存じ?」と聞いたのでした。

しかし、冷静に考えて私以外の人間が申し込みをする、あるいは事務局から自動的に申込書が送付される可能性は無い、と気づきました。それから2,30分経って、夕ご飯を食べているうち、脳に糖分や血流が行き届いてきたらしく、徐々に思い当たるふしがあり、うっすらと記憶が蘇ってきました。
そのヒントは、封書に貼られた切手であります。うん?これどこかで見たな、うちのストックの切手にあったような・・・。ワタシが幾人かの方に篆刻印を彫って差し上げた時に、お代は結構、どうしてもというなら、レターパック料金程度の切手を頂きます、としたので切手だけは沢山あったのです。

そういえば、昨年暮れかこの春頃、何の気なしに日展の事務局の住所を調べたことがあったな、あ、なんか封筒を出した気がする、数か月前に「日展からの書類が来るはずだけど見なかった?」と家内に聞こうと思ったけど、結局忘れて言わなかったな・・・などと断片的な記憶を思い出したのであります。

それで今朝確認しました。ムーミンの切手が一枚だけ残っていて、残り3枚が封筒に貼られて戻っております。そのものずばり、間違いなくワタシの仕業でありました(笑)。日展の申込書を取り寄せたことは忘れても、切手の絵柄を覚えている、これが人間の脳の面白いところでしょうか。

普通だったら大事な日本一・最高峰の芸術家が集う作品展の出品ですから、忘れるはずが無いでしょう。しかし、ワタシの場合は「出品するつもりは無い」がベースにありました。自分の力量や篆刻歴でそんなところに相手にされるはずもなく、実際に出品すると払うのが14千円の出品料であります。日本中の芸術家が必死に制作して入選・入賞を目指して応募し、出品数の1割程度しか入選しない超難関に、ワタシ風情が挑む方がどうかしている、お金をどぶに捨てるようなものですからね。

しかし、半年前(多分)世の中に「日展」なるものがあるらしいが、具体的にはどんな流れでどんなシステムなんだろう、と好奇心が湧いたのです。余っている切手も封筒もあり、しかもワタシの仕事場から10mのところに郵便ポストがあるので、いとも簡単に手紙が出せるのです。それで何の気なしに申込書の取り寄せをしたが、例年の発送予定時期から半年も前の事で、完全に忘れていたのです。

この春以降最近まで、「一過性全健忘」という症状に見舞われたり、軽い「自治会性鬱病」に懸かったり、コロナ騒動に巻き込まれ、4か月間に大分へ2回、栃木県に2回、新潟へ1回とあわただしく飛び回っていた、そんなことがワタシの衰えている体力・気力と記憶力をさらに衰えさせている、と自己判断するのであります。全くあずかり知らないと言う家内だって、ワタシがそんなことをぶつぶつ言うと、急に「そういえばだいぶ前あんた、日展へ出すんだとかなんとか言っていたわね」と言い出しました。

さて、それでは「日展」をどうするか?日展は誰でも金さえ出せば応募できるのですよ・・・ふふふ
答えは即決です。とりあえず作品作りして、いいのが出来れば出しちゃお。であります。篆刻作品を精魂込めて作るのには、問題もなく金もかかりません。何かに挑戦することをためらう理由はありませんね。自分の篆刻は、師匠も居らずなんの束縛や制約もない独学なので、誰も考えたこともない見たこともない「ルール無視」の作品を作れるのです。気負うこともなく背伸びすることもないのであります。
それで、締め切りまでに出来あがらなかったら、あるいは自分で気にらなかったら応募しなければいいのです。

仮に14千円という出品代を払って応募したとしても、いい経験になります。どのみち選外になることはわかりきっているので期待もせず落胆もせずでありましょう。

「金も要らなきゃ女もいらぬ、あたしゃも少し背が欲しい」というのは昔のお笑い、玉川カルテットのギャグでした。
西郷隆盛さんは西郷南洲遺訓第30条で「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。 」とあります。
私利私欲をすて己を無にして、死ぬことさえ厭わない人は扱いに困るが、そういう人でないと国家の大事業は成し遂げられない、といった意味でしょう。

そんな大それた話とは全くレベルは違いますが、ワタシもお金や名誉・肩書・受賞歴など何も欲しくはありません。やりたいことがやれ、新たなことに挑み、自分の技量や経験値が少しでも上がればそれで十分というものであります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする