植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

7.7とくれば 七夕 今でしょ(笑)

2023年07月07日 | 時事
ワタシの愛車のナンバーは「78」であります。車を買ったとき、カーディーラーのお兄さんから「有料でナンバーを指定できますが、何番にしますか?」と聞かれ、七転八起、78でいいじゃないか、と決めました。七転八倒という語呂合わせもありますが(笑)。その前に、実は家内がお隣の系列中古車センターで、押し売りされて中古の軽自動車を買っていたのですが、驚いた事に納車されたらカーナンバーが「77」であったのです。
偶然であったか、車屋さんが気を利かせたかいまだに謎でありますが、おかげで家内は自分の車を「ナナちゃん」と呼んで気に入っているようです。

長男は1088、長男の名前に天(ten)があるので「テンパパ」、お隣さんは「光永」さんなので車は「3788」、お母さんの愛車は「1188(いい母)」といった調子で、語呂合わせか連番などが好まれるといいます。ちなみに、暴力団(やくざさん)は昔、黒や白のベンツが好まれ、その番号は「893(ヤクザ)」ならぬ「5910(ゴクドウ)」が定番だったとか(笑)

さて、ここで、勘のいい方はお気づきでしょうが、本日は7月7日、七夕の日であります。七夕と言えば「平塚七夕まつり」・・というのが数十年前は当たり前でした。まだワタシが二十代であった頃は、バブル真っ盛り、日本全体に勢いがあり好景気に沸いていた時代でした。平塚では何か月も前から準備が始まり、各商店はその七夕飾りを競い合うので、その頃は、業者さんに数百万円も支払って製作させたそうです。

平塚のお祭りでは、駅の北側にあるメインストリート「紅谷町」商店街がその中心で、期間中はそこを歩くと、竹飾りで空が見えなくなった、と家内が言っておりました。ワタシの家は駅から南方向、南口から帰っていくのですが、こちらも観光客であふれ歩けないほどの混雑ぶりでありました。

テキヤさんはじめ露店が沿道にずらりと並び、八割がたが飲食の商売で埋め尽くされていました。ただでさえ蒸し暑い時期、人いきれや熱気でむんむんするので、冷やしたビールがよく売れたのであります。
翌朝、まだうす暗い未明に行けば、お金がたくさん落ちていたそうです。また、あちこちに吐しゃ物も残されていました。お酒は飲む、いささか鮮度が落ちたイカ焼きや焼き鳥などを食べるものだから、道路はたで吐いてしまうのです。
その時に感じていたことは、飲み屋やテキヤは儲かるが、高いお飾り費用を負担している地元は割を食っている、ということでした。衣料品や本屋さん、日用品店などにはお客さんは入ってきません。シャッターを下ろして、その前の露店で冷やしたキュウリやらサイダーを売っていたのです。こんなことが長く続かないだろうと。

それから40年、平塚は様変わりいたしました。世の中はバブルがはじけ、失業者が増え非正規雇用者の割合が多くなりました。少子高齢化は加速し、商店にお金が落ちなくなったのです。一方で消費税はじめ、国民の公的負担は収入の50%近くになっております。平塚では一流であった老舗の人形店やかばん屋さんなど多くの店が廃業したりつぶれたりして寂れる一方であります。十年ちょっと前から市の人口は純減に転じております。平塚は日本の縮図とさえ言えるかもしれません。

南口の商店通りは、ほとんどのお店は店じまいし、美容院や数件の.3の飲食店をのぞいて住宅・マンション・空き地・空き家になっております。ワタシの家から近い漁港かを起点とした「新地通り」は3つの大きなお寺があるので「寺前町」として栄えたのですが、郵便局と小さなスーパー、2,3軒の魚屋さん以外はほとんどが住宅地に変わり、空き店舗・空き地が目立つ廃れた通りとなっております。

町おこしを自治会に丸投げし、年に二日間しかやらない七夕まつりをいつまでも観光の目玉にしているお役所が「阿呆」なのです。大きな温泉施設もなければ老舗旅館もなし、お寺も神社もパッとしません。行列ができるような有名な割烹や飲食店もありませんね。昔は東海道の交通の要衝で、「本陣」があった地なのです。戦争で焼かれた後、そうした建物の復元や街並みの復興もいたしませんでした。ここだけの話、誰とは言いませんが、この地を地盤とした国会議員一家「K一族」が阿呆なのです。票集めは一生懸命でしたが、地元のために何かした、という話は聞きません。一方で東名高速道路かなにかの計画が公表される前に、計画路線の山を買い占めたとかろくでもない話ばかり。

まぁ。地元民もいい勝負で、酒と祭りが好きで勉強嫌い、そんな人が多く、気性が荒くて地域の将来などには無関心という年寄りがたくさん身の回りに居ます。自治会でも、昔と同じことをやる、しか考えずイベントと赤十字の募金集めを仕事と思っているのです。

地元民であるワタシは、コロナが一応落ち着いたとされて初めての七夕祭りには全く興味がわかず、どちらかと言えば迷惑であります。金のない数少ない商店がお飾りに金をかけるはずもなく、一般の市民や市外の人だって生活が苦しい人が増えております。盛り上がらないでしょうね。

さて、本日は書道教室の日。それから「小玉スイカ」の収穫予定日であります。屋上で栽培しているスイカのが受粉を確認したのがたしか6月5日でした。小玉スイカはだいたい30~35日が収穫の目安になります。ひと月前、7/7に収穫しようと決めていたのであります。


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