誘われて、西宮にある芸術センターの「琉球舞踊公演」を見た。
沖縄は大昔に一度、正月休みを利用して行った事があるが 海はきれいだったが泳ぐことも出来ず 食事も食べ慣れないものが多くそのまま縁遠くなったが これを見て神戸から1時間なので 再び行って見たい気持ちになったが。
演目はテレビでも見る沖縄大衆踊りと、他に宮廷(首里城内)で交易外国特使を迎えるための「組踊り」沖縄で300年も続く伝統芸能の紹介。これの記念行事として全国6カ所で初実施され この日がその最終公演だった。
しかしツアー公演中に、13人の国立学芸員の本元である 首里城が全焼する不運とな 主要メンバーにのにそれにも駆けつけられず 国元に戻ると思うと大変お気の毒だが 寄付も多かった様なので早い再興を期待したい。
演目は「組踊り-執心鐘入」で安珍清姫の物語の沖縄版。お能の様な何もない舞台に片隅に座るお囃子の奏者だけで 演者だけが 華麗な衣装で踊りと話す言葉で観客は背景とか物語を想像しながら見るのだが 終ったあとは万雷の拍手だった。沖縄の独特の手ぶりが、異国を感じさせて面白かったが 日本人は予めストリーは知って見るが 大昔の諸外国の高官には自国語の解説を事前に手渡して それから見せるので 大評判だったそうだ。
最初の紹介で太平洋と東シナ海の間にある、琉球王国と言われた昔は独立国だった。中国・インド・日本など中継交易の拠点として450年間の繁栄した歴史を持つ・・と解説があったのを聞いて改めて「辞書ウィキペディア」で調べて見た。
琉球王国は1429-1879年で、この国名は中国の隋が命名した交易の国名として使われていたそうだ。しかし、国民は古くから「おきなわ」と呼んでいたがその源は「浮縄・阿児奈奈波・・」などいろいろ諸説があるらしい。
薩摩島津藩の侵攻(1909年)された以降も、中国・信と島津藩の両属体制を保ち交易で富を稼き独自文化も形成してきたようだから 政治経済は小さい、分散した島国でも しっかりと統治されていた国家だったのだ。
明治になって、自国の名前を「沖縄」にする宣言をしたが 二次世界大戦で日本の敗戦と同時に 米軍に占領されマッカーサーの日沖分断作戦とかで「米国民政府琉球」と再び「琉球」が再利用され1979年沖縄返還でやっと「沖縄」に戻ったが この間に葉ベトナム戦争・朝鮮戦争・核兵器・爆撃機発信基地で アジア諸国からは恐ろしい国と言われ、沖縄内では 反米機運の高まった混乱した歴史があった。
沖縄の、どんなに楽しい踊りも音楽も その旋律には 常に悲しさを 感じるのは そんな歴史が住む人の心の奥にその流れがあるのだろうと。・・この国の歴史の深さは測り知れない気がする。

宮古島諸島・八重山諸島・尖閣諸島・沖縄本島・・・、しかし遠い南国だ
沖縄は大昔に一度、正月休みを利用して行った事があるが 海はきれいだったが泳ぐことも出来ず 食事も食べ慣れないものが多くそのまま縁遠くなったが これを見て神戸から1時間なので 再び行って見たい気持ちになったが。
演目はテレビでも見る沖縄大衆踊りと、他に宮廷(首里城内)で交易外国特使を迎えるための「組踊り」沖縄で300年も続く伝統芸能の紹介。これの記念行事として全国6カ所で初実施され この日がその最終公演だった。
しかしツアー公演中に、13人の国立学芸員の本元である 首里城が全焼する不運とな 主要メンバーにのにそれにも駆けつけられず 国元に戻ると思うと大変お気の毒だが 寄付も多かった様なので早い再興を期待したい。
演目は「組踊り-執心鐘入」で安珍清姫の物語の沖縄版。お能の様な何もない舞台に片隅に座るお囃子の奏者だけで 演者だけが 華麗な衣装で踊りと話す言葉で観客は背景とか物語を想像しながら見るのだが 終ったあとは万雷の拍手だった。沖縄の独特の手ぶりが、異国を感じさせて面白かったが 日本人は予めストリーは知って見るが 大昔の諸外国の高官には自国語の解説を事前に手渡して それから見せるので 大評判だったそうだ。
最初の紹介で太平洋と東シナ海の間にある、琉球王国と言われた昔は独立国だった。中国・インド・日本など中継交易の拠点として450年間の繁栄した歴史を持つ・・と解説があったのを聞いて改めて「辞書ウィキペディア」で調べて見た。
琉球王国は1429-1879年で、この国名は中国の隋が命名した交易の国名として使われていたそうだ。しかし、国民は古くから「おきなわ」と呼んでいたがその源は「浮縄・阿児奈奈波・・」などいろいろ諸説があるらしい。
薩摩島津藩の侵攻(1909年)された以降も、中国・信と島津藩の両属体制を保ち交易で富を稼き独自文化も形成してきたようだから 政治経済は小さい、分散した島国でも しっかりと統治されていた国家だったのだ。
明治になって、自国の名前を「沖縄」にする宣言をしたが 二次世界大戦で日本の敗戦と同時に 米軍に占領されマッカーサーの日沖分断作戦とかで「米国民政府琉球」と再び「琉球」が再利用され1979年沖縄返還でやっと「沖縄」に戻ったが この間に葉ベトナム戦争・朝鮮戦争・核兵器・爆撃機発信基地で アジア諸国からは恐ろしい国と言われ、沖縄内では 反米機運の高まった混乱した歴史があった。
沖縄の、どんなに楽しい踊りも音楽も その旋律には 常に悲しさを 感じるのは そんな歴史が住む人の心の奥にその流れがあるのだろうと。・・この国の歴史の深さは測り知れない気がする。

宮古島諸島・八重山諸島・尖閣諸島・沖縄本島・・・、しかし遠い南国だ
