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碧い山・青い海

趣味の山登りとか、技術とネット情報を照合し個人メモに・・

1911- 琉球芸能 公演へ

2019-11-12 | 日記
 誘われて、西宮にある芸術センターの「琉球舞踊公演」を見た。
沖縄は大昔に一度、正月休みを利用して行った事があるが 海はきれいだったが泳ぐことも出来ず 食事も食べ慣れないものが多くそのまま縁遠くなったが これを見て神戸から1時間なので 再び行って見たい気持ちになったが。

 演目はテレビでも見る沖縄大衆踊りと、他に宮廷(首里城内)で交易外国特使を迎えるための「組踊り」沖縄で300年も続く伝統芸能の紹介。これの記念行事として全国6カ所で初実施され この日がその最終公演だった。
しかしツアー公演中に、13人の国立学芸員の本元である 首里城が全焼する不運とな 主要メンバーにのにそれにも駆けつけられず 国元に戻ると思うと大変お気の毒だが 寄付も多かった様なので早い再興を期待したい。

 演目は「組踊り-執心鐘入」で安珍清姫の物語の沖縄版。お能の様な何もない舞台に片隅に座るお囃子の奏者だけで 演者だけが 華麗な衣装で踊りと話す言葉で観客は背景とか物語を想像しながら見るのだが 終ったあとは万雷の拍手だった。沖縄の独特の手ぶりが、異国を感じさせて面白かったが 日本人は予めストリーは知って見るが 大昔の諸外国の高官には自国語の解説を事前に手渡して それから見せるので 大評判だったそうだ。

 最初の紹介で太平洋と東シナ海の間にある、琉球王国と言われた昔は独立国だった。中国・インド・日本など中継交易の拠点として450年間の繁栄した歴史を持つ・・と解説があったのを聞いて改めて「辞書ウィキペディア」で調べて見た。
琉球王国は1429-1879年で、この国名は中国の隋が命名した交易の国名として使われていたそうだ。しかし、国民は古くから「おきなわ」と呼んでいたがその源は「浮縄・阿児奈奈波・・」などいろいろ諸説があるらしい。
 薩摩島津藩の侵攻(1909年)された以降も、中国・信と島津藩の両属体制を保ち交易で富を稼き独自文化も形成してきたようだから 政治経済は小さい、分散した島国でも しっかりと統治されていた国家だったのだ。

 明治になって、自国の名前を「沖縄」にする宣言をしたが 二次世界大戦で日本の敗戦と同時に 米軍に占領されマッカーサーの日沖分断作戦とかで「米国民政府琉球」と再び「琉球」が再利用され1979年沖縄返還でやっと「沖縄」に戻ったが この間に葉ベトナム戦争・朝鮮戦争・核兵器・爆撃機発信基地で アジア諸国からは恐ろしい国と言われ、沖縄内では 反米機運の高まった混乱した歴史があった。
 沖縄の、どんなに楽しい踊りも音楽も その旋律には 常に悲しさを 感じるのは そんな歴史が住む人の心の奥にその流れがあるのだろうと。・・この国の歴史の深さは測り知れない気がする。



 宮古島諸島・八重山諸島・尖閣諸島・沖縄本島・・・、しかし遠い南国だ

1911- 晩秋の六甲山

2019-11-07 | 山登り
 今は、秋晴れが続き 毎朝眺める六甲山の山並みに惹かれ 前日に山支度をして朝8時に家を出た。
紅葉も期待して、谷筋のトェンテイクロスから登り山頂の穂高湖で ランチ、下りは杣谷峠からカスケード・バレイ(小滝の道の意味?)を阪急六甲駅と言う計画を持って。
 クロスまでは気持ちよく、登り沢を渡渉して途中まで来た辺り「ここから先、崩落につき通行止め」と言う掲示と黄ロープに遭遇。迂回路も無く よく辺りを見ると小さい字で『通行可能・』と書いた紙きれが貼ってある。
 ロープを潜り、そのまま暫く進むと 道が途切れて落石と倒木の山があり 乗り越えて見上げた向こうに赤いテープが見え対岸に登る道が見えた。このコースは、過去5回ほど登っているので覚えているのだが 渡渉は20カ所と言うほどは無いが 石が流されたらしく 上流に最近付けたらしい木橋が増えている。
 毎年の台風で、山岳会の方が整備されているらしいが コースも多くご苦労されているのだろう。昼過ぎに山頂に近い桜谷分岐にまで来て、この調子では杣谷は相当荒れていると思われ 危険だと思ったので 穂高湖は行かず かわうそ池(川獺池)経由で炭屋道の北山麓に下ることに変更。

 六甲山は、下山ルートは多いが山上の穂高湖から下るのは杣谷峠が近い。カスケードと 尾根下山道もあるのだが 秋は谷道が良いのだ。
シエール道をたどり池に着く。『カワウソ」は絶滅種らしいので 当然池にも見つけられなかったが。炭谷道は昼でも暗いマムシ道とも言われるので人気薄なのか、二時間ほどの間 人には出会なかった。 北斜面も今年の台風で、20mの大木が数本も重なって倒れ 道を塞ぎ 枝が散乱した荒れた道だったが 未だ明るい内に下山出来 静かな晩秋を満喫した。

 桜谷分岐点は西とすると、穂高湖は北東1km先 摩耶山頂は南東1km先で 丁度三角形の配置になる。


 トェンテイクロス・コースのこの谷川の雰囲気が好き


 突然現れた、倒壊箇所・・落差があるので半端ない


 倒木上に登ると、向うの対岸にロープを使った登坂ルートが


 紅葉


 これが山頂近く"かわうそ池(川獺 左上)" 昔はいたのだろうか

 
 
 真昼でも薄暗い炭屋道・・かすかな踏み跡と、谷中央を忠実に辿る

1911-メリケンパークへ

2019-11-05 | 日記
 大阪の知人の、インド舞踊ノステージが神戸メリケンパークであると言う誘いで見に行った。この月初めは毎年のことで、何処に行ってもイベントだらけだ。
住居自治会は文化祭、近くの国際展示場はワールド・フエア、街の道路は来週に迫った神戸マラソン準備。又、神戸駅に下りれば花展イベントとか側で生開演の準備とか 何処も街中が秋の大騒ぎ。
 メリケンパーク入口も子供向アンパンマン祭り 目当てのインド舞踊のステージは 人が一杯で神戸にはインド人も多く住んでいる為か ステージも分刻みで出演者が待っている状況。
友人の所属するグループは大阪からで、広場もインド料理一色の屋台が並び インドの観光地の様で ここは日本なのかと思ってしまうが インド舞踊がこんなに流行っているのを知りこれも驚いた。
 ロボットの様な踊りも音楽もアジア独特で面白く鑑賞したが、終わった後に見た 踊り子たちの衣装も顔の化粧と飾りもとても珍しく皆日本人だったが 新しい変わったものに何故か惹かれる時代なのだろう。

 この時期の秋の晴天だ






連休3日間のプログラム、朝から晩まで30分刻みインドダンス・チームで埋まってる

 

1911- 頼り過ぎの現代人

2019-11-02 | 日記
 「論理的思考力を鍛える数学パズル」と言う小冊子。
若い時に、手に入れた似た本は、一問題を一日かけて解くほど 難しかったのだが 選んだレベルを間違ったのか 偉く易しいので物足りないと思いながら 3日程で 50問中42問まで難なくクリヤー。

 これもタイトルに惹かれ買ったのだが、流行の数独パズルには興味がないが 私は数学パズルの方が奥が深く突破した時に快感が残る。最近はコミック人気なので、数独の様な単純パズルの方が好まれるのだろう。
途中で止まったのは、43問目「手書き割り算の空白を埋める」簡単な筈の問題。長い間、掛け算も割り算も計算機で、数字入力だけで良かったので 小学生の時の書いて解く割り算の手順を思い出せずこれが解けなかった。
 下の「余り3」から上の一桁を推定し 割り算の方法を確認した後に その推定数字は九九り7段から探すのだが久しぶりに九九の暗記を確認して解くことが出来た。手書きの掛け算は、何とか思い出せたが 割り算・・忘れていた自分にも驚いたのだが。

 電卓が登場したのが50年前、仕事上の計算も全て電卓の慣れて考える事をしなくなった。車を運転する人も、昔は構造とか始業点検などの試験もあったが 今はボンネットを開ける事も知らなくても運転するドライバーも珍しくないらしいから 割り算の仕組みなど知らなくても 家計簿も出来てしまう。
 人間の論理的思考は、数学パズルに限らず 社会生活には必須なものなのに こんな簡単な手順を忘れている自分に 人間退化の兆候を見た気がしてしまった。車も、計算も原理構造を知らなくても生活は出来ているが 異常が起これば簡単な事でもサポートに依頼して直れば原因も確かめずにそのまま使い続ける。

 そんな時の為に、生活の困りごとも水平思考と垂直思考で 突破口を見つけ出す知恵が必須なのに今は 何か起これば他人に頼り人は自分で解決するすべを考えなくなった。
動物は、問題が起これば本能を駆使して 突破口を見つけ出すが人間は「進化した」と言う割に その辺りは物に頼りすぎて頭脳は退化に向かっているのではないのだろうか。




 カシオ電卓・・1972年に低価格で登場した商品・・この辺りから割り算は忘れていたらしい (カシオの歴史ページから)

1911- シラスと言うお魚

2019-11-01 | 日記
 先月、愛媛の佐田岬に旅行して 海岸にあるシラス漁をしている作業所に案内して頂いた。
そこで、食べた捕りたてのシラスのドンブリ飯が 美味しかった。普通は、新鮮と言っても生干し止まりだが ここでは30分前まで生きていたと言う目が光ったシラスも出て これは初体験だったこれもが美味しい。
 シラス丼は生卵をかけると 更に美味しいと教えられ 次々と食べ比べていたら多分 一万匹位は食べたのだろう。

 シラスは春から秋まで、長い漁期らしいが 社長のkさんのお話では 毎朝80メートルの細かい網を他の魚から保護する150メートルの目の荒網で保護して守りながら船で引いて全員を捕獲するらしい。
捕ったシラスを茹でる釜とその処理をする長いコンベアと、苑で天日干しされるシラスを見たが 毎日トラックで都会に搬送しているのだと思う。昼時間で、もう作業は終って大量のシラスが茹で上がるのを 見れなかったのは残念だが 装置を眺めていたらその男らしい作業風景も想像出来た様な気がしたが 都会での新鮮シラスは人気なのだろう。

 泳ぐのが見えるメダカは魚だが、シラスは魚と言われてもピンとこない魚類から外れた感じだが 過疎地だって知恵と努力すれば いくらでも仕事は成り立つのだと感心してしまった。
生きて泳ぐシラスは海では透明なので、見えないらしいが 少し前まで生きていたシラスは銀色に輝き 丸い黒目が二つ・・・やはり、小さくても魚なのだ。

 これは、生のシラス


 中に、見つけたイカの赤ちゃん・・シラスの群れの中で、仲間から外れて泳いていた生き物、他にもフグの赤ちゃんも・・ 


 茹で上がったばかりのシラス・・これを干して出荷されるらしい


 シラスを茹でて、仕分けるコンベア装置