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碧い山・青い海

趣味の山登りとか、技術とネット情報を照合し個人メモに・・

2412- 頭も退化したか

2024-12-23 | 日記

 先日、物を買おうとし単体と隣に複数での価格があり単価を比較したいと 割り算をしようとしたが 計算方法をど忘れして スマホの電卓を使ったが 後で気になり 下のページで再確認して思い出したが 多分直ぐに忘れるだろうけれど。

 過去40年間は漢字は ワープロからワードを使い続けて漢字を忘れたが、得意だった計算もロータス・エクセルで 計算式も暗算も忘れたり出来なくなった。最近始めたCAD設計も 立体形状は瞬時に出来る利便性は認めるが 後から部分追加も削除も可能なので 最初の構想が完璧で無くても途中で修正補正を繰り返して設計すれば出来る。しかし、何か構想を練り具体化してから 図面に表現すると言う過程がAIに取られてしまうと作業効率は上がっても 企画思考が不充分のまま作られる製品は中味の薄い物しか出来ない様な気がする。

 計算の基礎も 漢字の出来た歴史・意味も機械に任せ利用する人間は SF小説の様に終いには機械からバカにされ労働力として使われる事になりそうだ。既に会話もSNSが主流になり、会話も電話も世界全体が減っているらしい。人間が備えていたは触覚・味覚・感覚も活用する事も忘れスマホ情報に頼り フェイクを含んだ情報が全体にフラット化して それを動かすGAFAMの巨大企業が世界を席巻し資金を集める一方で 人は近視眼的で感情的になり言葉も短くなり 長文は読まないし読めなくなったと言うから きっと人間が退化し始めているのだ。

 新年号の文藝春秋の歴史人口学者と経済学者の対談に、資本主義が経済成長と技術革新を達成し 民主主義が各さ弱者を救済する努力をしていた社会が 資本主義が暴走し止められなくなった、仏は生産基盤を海外移転しすぎ戻れないし 米トランプ現象もその現れだとか「人類が退化して社会運営が困難になった」などの記事を読んだ。しかし、我が国は世界の IT化では1997年を100とすると独企業は2.7倍、米国は3倍も売上高を伸ばしたが 多くの企業が倒産廃業し 残った企業売上は30年間 足踏み状態で推移している。

 割り算を気にして 先に進まない過去からの思考に拘るのが問題なら 今の社会はもっと根が深い問題を抱えてしまったのだろう。

 

数学と理科の資料集から

 

 掛け算は、九九暗算は出来るから未だ大丈夫らしい

 


2412- 来年は昭和百年

2024-12-20 | 日記

 新年特大号と言う、雑誌を買うのは何十年ぶりだろうか、この秋 有隣堂と言う本屋さんで「文藝春秋」を買った、古くから知ってはいたが初めて読み すっかり気に入ってしまった。

コンビニでその一回り厚い新年号の「昭和百年の100人」のタイトルを見て昭和人間なら読むべきだろうと思わず買ってきた。昭和は戦争のどん底から、この国が成長した苦難と努力の時代で考えれば平和な平成・令和などとは違うレベルの日本 あるいは日本人だったと思うが その昭和が続いているとすれば2025年は百年目となるとは気が付かなかった。昭和帰りの今のブームも関係あるのだろうか。

 この本の中に 数学者の藤原正彦氏の 日清戦争1984年(明治27年)に中国と日本の戦争した時は子供だった教師をしていた祖父の話があつた。「10年後に日露戦争で10年後に第一次世界大戦、10年後に満州事変、10年後に第二次世界大戦そして敗戦 教え子たちの大勢は死んだし弟も死んだ、わしは運よく死ななんだが 平和なんて戦争の合間の一瞬しかないのだから思い切り輝いて生きろ」と言った言葉を財産を残さなくても言葉は残そうと 今も子供たちに伝えているそうだ。これを読むと今の世界中で起きている戦争と飢餓の混乱も同じ昭和と思ったり 魔法使いのおばさんと言われていた白洲正子さんが山の上から新幹線を見て「お前はすぐに古くなるだろうが こっちは千数百年続く巡礼をしているのだ、ざまを見ろと言いたい」と自伝に書いているエッセイを知ると 選ばれたのは 経済活動の発展の影で 社会で活躍してきた素晴らしい人が沢山存在していたのを感じる。

 著名人はこの百人では収まらない もっと多くの人が思い出させるが 改めてこの時代は日本人に磨きが掛けられた重要な時代だったのだと思い起こされる、そして昭和を代表する表紙の絵がゴジラと言うのも面白いではないか。

 


2411- 神戸のJazz

2024-11-24 | 日記

 12月は予約も取れないと今年最後のジャズライブを今月の北野坂SONEに6時過ぎの予約で その日は 最後の3ステージまで聴いたので店を出たのは10時過ぎになった。狭い店内は後ろまで満席で、ピアノ・ベース・ドラムス そしてVocalジャネットさんも熱が入り思わず最後まで聴きたくなった。石川さんもジャネットさんも、私達より一まわり若いが選曲が「ホテルカルフォルニア・モナリザ・アメージンググレース」など 全て知っているし 歌って踊った頃の20代に帰る楽しい雰囲気は ここでしか味わえない。

 この毎月一回の ピアノ石川武さんとジャネット・ケイさんのステージには 年4-5回聴きに来るが いつも楽しいし素晴らしい。前席に並ぶフアンは中高年中心だが、最近は若者も観光客も多く見かける様になった。店内はいつも賑やかで、時にはミュージシャンとテーブルでお話も出来るので コンサートなどに行くよりリーズナブルで自宅からも近いし ジャズを聴きながら食事も出来る ので ここ数年の私達の 楽しみの場所になった。

 神戸は昔からジャズが盛んな街だが、町中には数十件のライブハウスのライブが毎晩あり 何処も賑わっている。この夜も、常連の後ろの席に石川県から観光でこられた団体とか、隣に遅くなって入った若い外国観光客にドイツから来たカップルがいた、どうして此処に・・と酷い英語で聴くと英語で「ドイツで買った漫画の本に、神戸のジャズは最高だ」と知ったので一番有名なSONEに来たと言うから 神戸ジャズも世界的にも話題になっているのかも。

 誕生日に来た客は、店からケーキが送られ、ジャネットさんがバースデイを歌ってくれる、手拍子をとつて喜んでいるドイツの新婚さんは 明日は京都に行く・・。と帰り際に行っていた Good luck 。


2409- 故人になっても・・

2024-09-07 | 日記

  昔は考えられなかったが 本人がいなくなっても Twitterとか Lineのチャツトは自身の端末の他に交信相手にも永遠に残される時代だ。紙なら賀状の様に1年過ぎたら削除・廃棄され消えるのが 人気作家・芸能人は ファンと繋がり簡単には削除するのは難しいのかも知れない。

 先日、本屋で1年前に亡くなったコラムニスト 小田嶋隆氏と交流のあった 大学教授で思想家の内田樹氏がSNS-Twitterの記録を読み返し「小田嶋隆と対話する」と言う著書を発刊したのを見つけ 以前から両作家は愛読していたので直ぐに手に入れ読んでみた。

 表紙に内田氏が「小田嶋隆が生きていたら今の状況を何と言っていただろう」と生前3年間のTwitterから 内田氏の受け止め方を加えた珍しい本だが丁度、世界中が一斉にコロナ感染の危機管理で右往左往した辺りから始まり、日本の反省すべき後手対応とか その渦中に反対論を押し切り無観客の東京五輪を強行・全国の観光業者の圧力に負けた政府は感染予防よりGOTOキャンペーンを実施して国の財政を破綻状態にした。政府は世界の面子と権威と目先利益を優先したか、国民の紛糾も抵抗も抑え未来展望も反省も無く 又次の首相に交代された・・そんな世相が話題の中心だが 今でもこの流れは何も変わっていない市経済も下降を続けている。彼の時代感性と鋭い指摘に 物の見方も共感させられるが 何も展望のない未来は変えることも出来ない。

 Twitterは「つぶやき」と訳されるらしいが 本とは違って事象を知リ 即座にツイートした言葉は良く伝わるが これを本にした発行元も内田氏も流石に目の付け所が違う。 内田氏は自己利益に走りすぎるこの国の将来は先ず「行政・医療・教育」を立て直し 国民は「人に親切にする」と言う一歩からでしょう・・と何かに書かれていたけれど。

 知の巨人として有名な立花隆氏が、亡くなって数年経つのに新刊が発行されるのも彼の講演会とか対談が編集社の営業戦略らしいが、小田嶋氏も古い著作以外に過去メデイアに投稿したコラムが書籍にされ次々と本屋に並ぶのも社会に影響を与えた作家だからだろう。今でも立花隆と小田嶋隆のコーナーがある書店を見かけるが 惜しむ読者の需要があると言う事だが これはこの国の未来の指標を示す知識人はめっきり少なくなったと言う事なのかも知れない。以前の島国なら 自然が豊富で幸せで生活できていれば良かったが、今は世界の波に飲まれて生活しているのだから。

 私はメール派で匿名で交流する Twitter/Facebookは使わないが Twitterは設定で非公開交信が可能で 仕事関係では便利なのだろうけど 死んで放置されると永久に残るのなら注意しないと。

                     Twitterロゴがイーロンマスク氏代表で変更された

 


2409- 新聞の未来は

2024-09-05 | 日記

    猛暑で部屋冷房で喉を痛めていたが 近くの医者に行き薬を貰いやっと 元に戻った。街の地下街の酷い温度差とか、長くクーラー部屋にいた換気不足も原因だったのだろう。

 この暑さでは本屋も行く回数も減り、代わりに読む新聞も ネットと同じ内容が多く地域情報とかスポーツ結果もネット済むので新聞を深読みする事もなくなった。以前から新聞の目的は、政治記事でこの国の行方知ることに興味があり購読していたのに  ここ数十年は与党に忖度した様な記事、批判的意見は排除した少し偏向的な感じで 本来の中立ジャーナリズムから 業界で談合決めた様な記事の集まりで共感し応援したくなる新聞では無くなった様に思う。人は多様なので政治もスポーツも反対賛成があり その気に入った応援チームがあるから 読み続けたり見に行くが 新聞にも そんなワクワク感を求めても 今はその辺りが欠けてしまったらしい。

  ページ数は多くなったが 保存記事が多くなり 1/3は広告で これでは同じ広告の多いネットで必要な記事を読んだ方が遥かに面白いし 読者も離れるのは当然だが 新聞発行数が減少し大手新聞でさえ経営難で資産を売ったり 経費と人員削減して広告が増え 一流紙でも公共では疑問のある様なものまで載せて自己利益ばかり考えて長期的な社会安定とか存続価値を追わなくなったのだろう。各新聞は時差がある弱さをオンライン・ニュースで補う工夫はしているが短期的な損でどの新聞サイトも少し中途半端な感じがする。

 今の時代に情報を紙印刷して個別に配るのは 時代遅れ代表のようだが 未だに私も含めて過去の習慣で空気の様に毎朝 新聞を読むのが惰性になっている人達が多いのだろう。ニュースのそれはオンライン形態になるだろうが 自己主張のある 世界・国内・地域ニュースを集めたサイトが増えて競い合えば もっと面白くなるのだが・・。

 

 コンビニ新聞・・毎年、種類も部数も減り続く