すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

【Jリーグ】強力補強で来季の名古屋は優勝を狙う

2020-12-29 05:47:42 | Jリーグ
柿谷、長澤のビッグ補強で戦力アップ

 マッシモ・フィッカデンティ監督は本気だ。優勝を狙っている。

 元日本代表の柿谷曜一朗、長澤和輝を獲得したフロントからも強いヤル気が伝わってくる。名古屋にはぜひ、川崎フロンターレ一強のJリーグに「革命」を起こしてほしい。

 柿谷はムラっ気がありトランジション(切り替え)に問題はあるが、とにかく瞬間的なプレイのキレ味は一級だ。

 また長澤はハリルジャパンに招集された際に試合で観て、いい選手だったので強く印象に残った。その後、「代表メンバー予想」的な企画で何度も彼の名前を上げたことがある。

 名古屋は戦力的にもゲームモデル的にも、優勝、またはそれに準じる可能性は十分ある。現にJリーグ最終節の広島戦でも、彼らはいいサッカーをやっていた。

ピッチを斜めに横切るサイドチェンジが素晴らしい

 広島戦の名古屋は攻撃時4-2-3-1だった。グラウンダーの低いボールで最終ラインから丁寧にビルドアップする。

 インサイドキックから放たれる強くて速いグラウンダーのパスを基調に、要所でピッチを斜めに横切る大きなサイドチェンジを織り交ぜながら攻める。

 特に試合の立ち上がりに、1本のパスで素晴らしく正確で長いサイドチェンジを立て続けに2度決めたときには驚いた。

 私事で恐縮だが私がまだJリーグを取材していた90年代には、日本人のサイドチェンジといえば2本のパスを使って中央を経由して行うのがふつうだった。日本人はロングボールを正確に蹴れないからだ。

 で、2本のパスが、えっちらおっちら逆サイドに届くころには、相手チームはすっかり守備の陣形を立て直している。

「ヨーロッパの選手みたいに1本の速いパスでサイドチェンジできなければ世界で勝てない」

 そう警鐘を鳴らす記事を何度も書いた記憶がある。それが今のJリーガーは事もなげに1本のロングボールでやってしまうのだ。Jリーグの進歩は著しい。未来は明るい。

縦パスを切りボールをサイドへ誘導する

 一方、彼らは敵のビルドアップ時には4-4-2に変化し、ミドルプレスで前の2枚が敵のCBに圧力をかけて縦パスのコースを切る。で、ボールをサイドに誘導し、サイドでボールを回収する。

 選手別では、ワンプレイ終わると足を止めてしまうマテウスはトランジション(切り替え)の悪さが気になったが、途中出場し最後の「サヨナラゴール」でおいしいところを持って行った前田直輝は素晴らしかった。

 また稲垣、米本の2セントラルMFや最終ラインは守備がよく危なげなかった。オフェンシブな相馬も要所で利いていたし、阿部やGKランゲラックもよかった。

 イタリア人監督らしく、安定した守備をベースに変化のある攻撃で魅せる。Jリーグをあまり見てない私は、ひと目見てすっかりファンになってしまった。

 同じチームが毎年勝つのではリーグ全体が発展しない。来季は必ず川崎フロンターレを倒してほしい。期待している。

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【Jリーグ最終節見て歩き】横浜FMのハイライン裏問題やいかに?

2020-12-28 02:20:56 | Jリーグ
セレッソと名古屋、横浜FMがおもしろかった

 ふだんJリーグをほとんど見ないので、勉強のためにとダゾーンで最終節の見逃し配信をザッと見て歩いた。

 私の好みのチームは、最低限、インサイドキックのボールスピードが一定以上に速いチームだ。インサイドキックが「ズバンッ」と決まってるチームでなければ見る気がしない。(というか一定以上にボールスピードがないとパスで狭いところを通せない)

 そんなわけでガンバーエスパルス戦は10分だけ見て消した(失礼)。なぜガンバはあんなサッカーで2位になれるんだろう? 不思議だ。

 で、お眼鏡にかなったのは前回紹介したセレッソ大阪のほかには、名古屋グランパスと横浜Fマリノスだった。この3チームのサッカーは非常におもしろかった。

横浜FMは2019年夏に見て一目惚れ

 このうち特に印象に残ったのは最終ラインが高い横浜FMだった。彼らに関しては2019年夏にマンチェスターシティとの親善試合をたまたま見て一目惚れし、そのときの印象を記事『「世界」に伍した横浜FMのハイライン・ハイプレス ~横浜FM1-3マンチェスターC』にまとめた。

 すると同年、スルスルと勝ち進み、その年のうちに優勝したので驚いた。ところがその同じチームが今年は9位に沈んだというので、いったい何があったのか気になっていた。最終節を見た印象だと、高い最終ラインの裏をしきりに狙われて苦しんでいる印象だった。

高いライン裏をどうケアするか?

 横浜FMはゲームモデルからいってハイライン・ハイプレスを変えるわけにいかない。とすればカギは、ハイラインの裏をどうケアするか? が問題だろう。なにしろ最終ラインが高いので、裏に速い縦パスを入れられて「よーいドン」で走り負けたら失点する。

 とすれば中盤でのプレスをさらに厳しくしてライン裏にラストパスを出されないようにするのが第一選択だ。

 それでもパスを出されたらGKが「第2のスイーパー」になり、思い切りよく飛び出してスルーパスを刈り取る必要があるのではないか? パッと見たところGKの梶川はそういうプレイスタイルではなかったので心配だ。 さてライン裏問題、来季はどうするんだろうか?

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【横浜FM】頑なに理想にこだわるガラスの城

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【セレッソ大阪】「ロティーナ事件」は価値観の問題だ

2020-12-27 03:52:45 | Jリーグ
「守備的=悪」なのか?

 セレッソ大阪を退任することになったロティーナ監督の問題については、いろいろと考えさせられた。

 この「ロティ―ナ事件」を知らない人のために関単に説明しておこう。

 まずリーグがまだ終わる前から内部リーク(?)が行われ、スポーツ紙がいっせいに「ロティ―ナ監督は今季限りで退任する」と報道した。

 で、その理由をスポーツ各紙は「ロティ―ナは守備的だから」「攻撃的じゃないから」辞めるハメになったんだ、と報道した。つまり「攻撃的なサッカーをするために監督を変えるのだ」というわけである。

川崎フロンターレが大好きな日本人

 ここで強く思うのは、じゃあ「守備的=悪」なのか? ということだ。

 そんなものは個人の価値観によってまったくちがう。現にこの私なんかは川崎フロンターレのチマチマしたショートパスを足元だけで繋ぐスケールの小さなサッカーなんかより、セレッソ大阪のサッカーのほうが「おもしろい」と感じる。

 だがぶっちゃけ、川崎フロンターレのサッカーが大好きで「あれこそサッカーだ」と思っている日本人の大多数にとって「守備的=悪」なのだ。

 彼らには守備の「おもしろさ」や「コク」なんてわからないし、守備をめぐる駆け引きなんてものも理解できない。とにかくパッ、パッ、パッとド派手にパスがつながり、ガンガン点が入れば「攻撃的でおもしろい」のだ。

 理屈の問題じゃなく日本人はそういう感性なわけで、ゆえに「攻撃的なサッカーをするために監督を変えるのだ」と聞くと「なるほど、そうだろうな」と納得するわけである。

「攻撃的=もうかる」てな視点もある

 では、逆にこれを興行側から見てみよう。

 日本人の大多数にとって「守備的=悪」であり、川崎フロンターレが大好きな人ばかりなのであればどうだろうか?

 なら興行者サイドは「攻撃的」なサッカーをすれば、「カネが落ちるぞ」と考える。攻撃的であれば客が入るし、なによりスポンサーがついてウハウハ広告費がもうかる。これがデカい。

 興行側にとっては「攻撃的=バンザイ」なのである。

ハリルジャパンでも似たことは起こった

 これと似たようなことは代表チーム=ハリルジャパンをめぐっても起こった。

「守備的」で日本人が大好きなパスをつながないハリルジャパンに、日本サッカー協会が大爆発。なんとワールドカップへ行く切符はすでに取ってあるのにハリルの首を切った。

 つまりセレッソ同様、「攻撃的なサッカーをするために監督を変えた」わけである。「俺たちは華麗にパスをつなぐサッカーをするんだ」ってわけだ。

 まあそれだけじゃなく、「日本サッカー協会の言うことを何でも聞く森保サンみたいなナアナアの監督じゃなきゃダメだ」って話である。

日本人の価値観は変わらない

「守備的=悪」な日本では、これと似たようなことは今後何度でも起きるのだろう。

 過激派の私なんぞは、この日本の社会構造を作っているのは川崎フロンターレだ、川崎フロンターレこそ悪だ、などと公言するから顰蹙買うわけだが。

 でも過激に言えばそういうことだと思うのだ。

 まあ日本人はイタリア人みたいに、「今日の試合は0-0の引き分けで非常にコクがあった」なんてことには未来永劫ならないだろう。ゆえにこの風潮は今後も続くのだ。

 うんざりだけどね。

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【森保批判を整理する2】選手の「テスト」だったメキシコ戦

2020-12-26 08:21:51 | サッカー戦術論
勝ちに行く試合ではなかった

 今回は、前回の【森保批判を整理する】で触れた論点をさらに深めてみる。2020年11月に行われた国際親善試合のメキシコ戦は、果たして森保監督にとって勝ちに行く試合だったのか? それとも選手の「テスト」だったのか? である。

 前回の記事でも書いたが、結論からいえば「選手のテスト」だったのだと思う。

 だからスペースがあってこそ生きる浅野は、後半になってスペースがないにもかかわらず(テストだから)途中起用されたのだ。

 ネットには「ゴールを決められなかった鈴木武蔵をもっと早く引っ込め、まだスペースがあるうちに浅野を出していれば」という意見も見られた。だがおそらく森保監督の中で武蔵は浅野よりだいぶんプライオリティが高い選手であり、武蔵はギリギリまで引っ張って使って「見たかった」のだと思う。

特に橋本拳人はもう一度チェックしておく必要があった

 とすれば前回の記事でも書いたが、武蔵と南野拓実の交代は同じFW同士を替えて「南野の力を再確認する」ための交代だ。

 一方、柴崎岳と橋本拳人の交代は、同じセントラルMF同士を替えて「橋本をテストする」ための交代である。

 特に橋本拳人に関しては、柴崎が何試合か不安定だったのでぜひ橋本を試してみたかった(行う価値のある)起用だった。なぜなら柴崎が不調のとき、橋本にやれるメドが立てばメンバー構成上、駒が豊富になり非常に意味があるからだ。

 つまりメキシコ戦はほぼすべての交代が実戦で選手を見てテストするための交代であり、「試合に勝ちに行くため」の交代ではなかったと考えられる。実は森保監督が行う選手交代は、このケースが非常に多い。

やはり清水英斗氏「メキシコのシステム変更に対抗した」は読み違い?

 となるとサッカージャーナリスト、清水英斗氏が記事『森保一監督は、いつ「無能の仮面」を外すのか。巷に渦巻く“監督解任論“の是非を問う』のなかで、「57分に武蔵と柴崎に代え南野と橋本を投入したのは、メキシコのシステム変更に対抗した交代策だ」と分析されていたが、それは読み違いではないか? ということになる。

 つまりあの交代策はメキシコのシステム変更に対応したものではなく、単なる「選手のテストだった」のではないか? ということだ。しかもあれらの交代策は森保監督が、「今日の試合では南野と橋本、浅野を途中投入して彼らをチェックしよう」と事前に考えてあった可能性が高い。

 なぜなら繰り返しになるが、リードしたメキシコが後半に引いて試合を終わらせようとしていたためスペースがない中、にもかかわらずスペースがあってこそ生きる浅野を投入しているからだ。試合の「内容」に応じた起用としては甚だ疑問が残る。

 ということは、一連の交代策はあらかじめ試合前に考えてあったものを機械的に実行したものだと推測できるのだ。

 こんなふうに交代策ひとつとっても、疑いの目を持ち深く思考すると見えてくる事実があっておもしろい。これだからサッカー観戦はやめられないのだ。

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【森保批判を整理する】議論の前提が違う清水英斗氏への違和感

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【プレミアリーグ 20/21】南野、ローテーション入りか?

2020-12-24 07:20:00 | イングランド・プレミアリーグ
クロップは南野を認めている

 クロップの南野拓実に対する信認は相当に厚いようだ。

 なんせリバプールの3トップは、泣く子も黙るサラー、マネ、フィルミーノだ。どこにも付け入るスキがない。で、南野はインサイドハーフで試され始めて一定の結果を出した。これでインサイドハーフ確定か? と思いきや……。

 現地時間19日、プレミアリーグ第14節クリスタル・パレス戦に、南野はサラーにかわり3トップの一角として先発出場。7-0の完勝劇の狼煙を上げる先制点を叩き出した。

 ラ・リーガのビジャレアルで戦力外か? と噂される久保とは対照的に、監督の信認が相当厚いんだなと思い知らされる。クロップはいいヤツだしなぁ。

南野はトランジションの申し子だ

 とはいえ南野はお情けで厚遇されてるわけじゃない。南野はクロップがめざすサッカーに非常に近い選手なのだ。

 ストーミングで知られるFCレッドブル・ザルツブルクで過ごした南野は、トランジションの申し子のような選手である。

 ボールを失っても、絶対に足を止めない。素早いネガティブ・トランジションからカウンタープレスをかけ、ボールの即時奪回からショートカウンターをめざす。むろんポジティブ・トランジションの局面でも、足を止めずに素早いポジショニングやドリブルから攻撃の起点になる。

 南野はこんなクロップがよだれを垂らしそうな「リバプールらしい」スタイルをもとからレッドブル・ザルツブルクで身につけているのだ。

リバプールとRBグループはスタイルが近い

 実際、ゲームモデルがリバプールに近い「RBグループ」とリバプールの縁は深い。

 南野の「先輩」であるリバプールのFWサディオ・マネも、もともとはレッドブル・ザルツブルクの選手だった。また同様にリバプールの先輩MFナビ・ケイタも、レッドブル・ザルツブルクとRBライプツィヒでプレイしていた。

 これは何も人脈のお話ではない。似たサッカーをしているRBグループにいる選手なら、(わかりやすく大げさに言えば)クロップが何も指示しなくてもすぐリバプールでプレイできるわけだ。

 自分のプレイスタイルやゲームモデルが近いチームに移籍すると、いかに有利か。おまけにクロップはいいヤツだし(またそれかい)。

 チームと監督に恵まれた南野を見ていると、つくづく久保との対比が残酷なまでに目立ってしまう。久保も自分に合ったチームに移籍し、がんばってほしいものだ。

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【森保批判を整理する】議論の前提が違う清水英斗氏への違和感

2020-12-23 06:37:02 | サッカー戦術論
批判すべきはチーム作りか? それとも采配か?

 サッカー日本代表の森保監督を批判する意見にふれるたび、「何か違うなぁ」と違和感を覚えてきた。

 その違和感とはいったい何かがわかった。サッカージャーナリスト、清水英斗氏の記事『森保一監督は、いつ「無能の仮面」を外すのか。巷に渦巻く“監督解任論“の是非を問う』を読んだのがきっかけだ。

 私と同じように森保監督を論評しているように見えて、その実、批判者によって議論の前提や土台が違うのである。

 その違いとはいったい何か? それは試合に至るまでの過程、つまりチーム作りの段階における指導力の欠如を問う趣旨なのか? それとも試合の最中の指示や用兵術など指揮ぶりを問う意図なのか? の違いだ。このどちらを批判するのかで、まったく議論の次元が変わってくる。

チーム作りの過程に問題がある

 僭越ながら私の例を出せば、私はほぼ一貫して前者、つまりチーム作りの段階における指導力を問題にしている。一例として、森保監督はふだんからゲームモデルやプレー原則をおそらく選手に仕込んでない点だ。

 これは試合を見ればよくわかる。例えば、いつカウンタープレスをするのか? いつハイプレスをするのか? 等にふだんの指導は如実にあらわれる。

 森保ジャパンでは南野と中島、堂安ら「三銃士」が揃って試合に出ていた頃、および最近ではカメルーン戦のように大迫と南野が同時に試合に出ているときには、カウンタープレスやハイプレスを行う。

 一方、彼らが試合に出てないときには行わない。

 明らかに試合に出る選手が自分たちの個人的な判断で声をかけ合い、「やるのか? やるならこうやろう」などと選手が自主的に決めているフシがある。

ふだんの戦術の仕込みが試合を変える

 だがカウンタープレスやハイプレスは1人でやるプレイじゃない。個々の判断では無理がある。ふだんの練習時から監督がカウンタープレスやハイプレスをゲームモデルやプレー原則として設定し、選手に日頃から指導徹底しておく必要がある。

 しかし森保監督はこうしたふだんの仕込みをやっていない可能性がある。ゆえに私はそれを問題にしているのだ。

 たとえば前線でボールを失ったとき、その場で足を止めずにカウンタープレスを行いボールの即時奪回をめざすのか? それともミドルサードまでリトリートして相手を待ち受けるゾーンディフェンスをするのか? は大きな違いだ。

 また敵の最終ラインからのビルドアップに対し、ハイプレスをかけマンツーマンでハメに行くのか? それともミドルプレスで敵を待ち受け、FWが縦パスのコースを切ってボールをサイドに追い込みサイドでボール奪取を図るのか? この違いは大きい。

 こうした戦術もふだんから森保監督が約束事として仕込んでおくべきだ。

 こんなふうに私の場合は一貫してチーム作りの段階における指導力の欠如を問うている。これができてないなら、そもそも森保氏が監督である意味がないからだ。

森保監督はメキシコのシステム変更に対応した?

 一方、清水英斗氏は記事『森保一監督は、いつ「無能の仮面」を外すのか。巷に渦巻く“監督解任論“の是非を問う』のなかで、2020年11月に行われたメキシコとの国際親善試合にふれている。このなかでメキシコが後半からシステム変更したことに関連し、清水氏は以下のように書く。

「日本優勢の前半が終わった後、メキシコはシステムを4-3-3から4-2-3-1に変更し、戦術を修正した。それに対し、森保監督が交代カードを切ったのは、後半に入った57分。鈴木武蔵と柴崎岳に代え、南野拓実と橋本拳人を投入した。

 珍しく、動きが早い。風向きの変化を感じた。(中略)森保監督は10分も経たないうちに交代を話し合い、動きを見せた。珍しい。その必然性があるとすれば、やはりメキシコが戦術を変えてきたことだ」

 清水氏は、森保監督が行った選手交代はメキシコのシステム変更に対する対抗策だとしている。つまり私が上の方で「後者」としてあげた「試合の最中における指示や用兵術といった采配」を問題にしている。

 私が「チーム作りの段階における指導力の欠如を問うている」のとは議論がまったく食い違っているのだ。なるほど同じように「森保批判」をテーマにしていても、人によって着眼点が大きくちがうのである。

 これで冒頭に書いた「森保批判論に対する違和感」の正体が分かった。

 森保監督のふだんのチーム作りを批判しようとしているのか? それとも試合中の采配についての批判なのか? そんな大きなスレ違いがあるのだ。

森保監督は機械的にシナリオを実行しただけだ

 だが問題はそれだけではない。一点だけ、清水英斗氏の記事にツッコミを入れておこう。メキシコ戦で森保監督が行った選手交代の意味は、清水氏の分析と私の見立てでは180度違う。

 後半に鈴木武蔵と柴崎岳に代えて南野拓実と橋本拳人を投入したのは、同じFWである武蔵と南野、同じセントラルMFである柴崎と橋本を交代させることにより、森保監督の頭の中にある「控え組とレギュラー候補」を対比させ、選手を比較検討しながら試合で見てチェックするためだったと私は推測している。すなわち「テスト」だ。

 つまり(1)あの選手交代はメキシコのシステム変更に対する臨機応変な対応策などではないーーというのが一点。

 もう一点は、(2)おそらく森保監督は試合前からあの選手交代を事前に考えてあった。それを計画通り実行しただけではないか? という点だ。私はそう考えている。後半にスペースがないなか、わざわざスペースがあってこそ生きる浅野を途中投入したのも、あらかじめ考えてあったシナリオだったからだと思う。

 つまり森保監督は、試合の流れに臨機応変に対応して選手交代を行ったのではない。ただ単に、事前に考えてあった交代策を機械的に実行しただけではないか? 

 もし私のこの分析が正しければ、「森保監督はメキシコのシステム変更に対し素早く選手交代して対策を講じた」という清水氏の論述は根底から無意味なものになる。

 こんなふうに監督の指導力や用兵術とひとことで言っても、人によって解釈もちがえば着眼点もちがう。となれば議論を整理して生産的なものにするためには、各自のスタンスをまず明らかにするのがいいと思う。

 例えば、(1)森保監督のふだんのチーム作りにおける指導力の欠如を問おうとしているのか? あるいは(2)試合の最中にリアルタイムで行う指示や用兵術などの采配を問う主旨なのか? それを記事の冒頭にでも明記しておく。そうすれば議論のスレ違いも起こらず、生産的な意見交換が行えるだろう。

◼️追記

 清水氏の記事に触発されてメキシコ戦を再度振り返ったが、森保監督は(事前に考えてあった采配にしろ)勇気を持ってよく橋本と浅野を途中投入したと思う(結果はともかくあのテストは試す価値があった。なお南野投入に「勇気」はいらない)。それにしても後半からバイタルエリアにフタをした敵将の修正力を強く思い知らされたゲームだった。

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【セレッソ大阪】香川待望論が守備的なロティーナ監督を切らせた?

2020-12-22 10:16:34 | Jリーグ
香川を迎えて攻撃的なチームに

 前回の記事でセレッソ大阪がロティーナ監督を手放した理由がわからない、と書いた。

 邪推だが、理由は香川真司にあるんじゃないか?

 セレッソは、欧州での再就職めざして「浪人中」の香川にオファーを出し続けている。

 単にチーム作りの方針というだけでなく。おそらく経営戦略的にも、あの英雄・香川を迎えて「攻撃的で華のあるチームを作りたい」という狙いがあるのではないか?

 とすれば守備的なロティーナ監督がジャマになる。で、監督の方を切り、香川を迎えるための環境作りを整えた、というのが舞台裏じゃないだろうか?

 いや、あくまで邪推ではあるが。

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【Jリーグ】セレッソ大阪・ロティーナ監督はなぜ退任する必要があるのか?

2020-12-21 08:01:44 | Jリーグ
ロジカルなサッカーだったが……

 J1第34節で鹿島アントラーズとセレッソ大阪の試合を見たが、いったいなぜセレッソのロティーナ監督はやめなければならないのか、まったく理解できなかった。

 試合は1-1の引き分けに終わったが、非常にハイレベルでコクのある内容だった。

 セレッソは相手ボールになると5-4-1または5-3-2のフォーメーションを取り、スペースを埋める。そしてパスコースを限定し、敵のボールをサイドへ誘導して絡め取る。

 セレッソの選手はデスマルケがよく、攻撃になると清武も非常に利いていた。

 確かに敵にボールをもたせるセレッソのサッカーは「攻撃的」とはいえなかったが、固い守備からマイボールにするとサポートがロジカルでスムーズだった。

 ボールをもたされて攻め続けるしかなかったアントラーズは、攻め疲れが目立った。

「Jリーグではああいうサッカーは認められないのかなぁ」という感じ。まあロティーナ氏は来季はJ1清水の監督に就任するから、ロティーナ流のポジショナルなサッカーはまた見れそうだが。

 来季を愉しみにしよう。

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【サッカー戦術論】森保ジャパンはアドリブで演奏されるジャズか?

2020-12-19 07:27:56 | サッカー戦術論
個性重視といえば聞こえはいいが……

 選手の自主性を生かし、ピッチで化学反応を起こすーー。

 選手のその場のインスピレーションが尊重される森保ジャパンを見ていると、前にもちょっと書いたが「芸術とは何か?」について考えさせられる。

 いわば森保ジャパンは、音楽理論を知らずにアドリブでジャズを演奏しようとしているように思えるのだ。

ジャズはクラシックより優れた音楽か?

 例えば譜面を見ながら演奏するクラシック音楽は、あらかじめ譜面に書いてある通りに譜面をどこまで精緻に再現できるか? が求められる。

 一方、ジャズのライブでは奏者が譜面など見ずにその場のアドリブで演奏し、すばらしいフレーズを連発して「彼は天才だ」などと持て囃されたりする。

 ではあらかじめ決められたシナリオ(譜面)なしで演奏されるジャズは、奏者のインスピレーションが要求される時点でクラシックより優れた音楽なのだろうか?

 いや、クラシックにはクラシックのよさがあり、ジャズにはジャズのよさがあるのだ。

「アドリブ」と「無軌道」はちがう

 譜面なしのアドリブで選手がプレイする森保ジャパン。だが彼らは音楽でいえば監督の指示なしにインスピレーションで演奏しているというより、音楽理論を知らない状態で演奏しているに近い。

 クラシックの奏者がいくら譜面を見ながら譜面通りに演奏するといっても、もちろん彼らは音楽理論を踏まえた上で演奏しているからだ。

 一方の森保ジャパンはゲームモデルやプレー原則といった「音楽理論」に基づいてない。いわば行き当たりばったりでプレイしている。それは「華麗なアドリブ」とは程遠い。

譜面があっても芸術的にプレイできる

 クラシックの奏者は、譜面という「監督」が決めたゲームモデルやプレー原則の範囲で自分を個性的に表現している。

 そういう最低限の音楽理論(約束事)なしで選手が無軌道にプレイし、「選手の自主性を尊重している」と称する森保ジャパンとはちがう。

 ゲームモデルやプレー原則という「譜面」を踏まえた上でも、サッカーはいくらでも芸術的にプレイできる。これだけは確実である。

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【サッカー戦術論】広く攻め、狭く守るサッカーのキモはトランジションだ

2020-12-19 07:27:56 | サッカー戦術論
攻守に合わせて陣形は収縮する

 攻撃では「いかに広がるか?」だ。幅と深さを取り、チームは散開してゴールをめざす。

 一方、守備では「いかに縮むか?」。スペースを消し、チームは密度高く布陣し穴を作らない。

 とすれば問題は攻撃から守備、守備から攻撃に移るときのトランジション(切り替え)である。

素早く密度を高める守備

 例えば広がって攻めている状態からボールを失うと、カウンターを食らいやすい。そこでかのグアルディオラは偽SBを発明し、あらかじめ予防的カバーリングや予防的マーキングを行う。

 そしてボールを失えば素早いネガティブ・トランジション(攻→守の切り替え)から、リトリートせずその場でカウンタープレスをかける。

 あるいはそれがムリならミドルサードにリトリートし、スペースを消しブロックの密度を高めるポジショニングが行われる。

 とすれば敵は、相手が守備の態勢を崩しているうちに速く攻め切りたい。ゆえに素早いポジティブ・トランジション(守→攻の切り替え)から、敵の陣形の穴を突くカウンター攻撃をめざす。

速攻と遅攻の使い分けは?

 では逆に縮んで守っている状態からボールを奪えば? そのとき敵が守備のバランスを崩していればカウンター速攻を選択すべきだ。

 一方、敵の陣形が崩れておらずアンバランスでなければ、じっくりパスをつないで敵の陣形に穴を開ける遅攻を選択する。

 例えば選手が真ん中に集まって(オーバーロード)トライアングルやロンボ(ひし形)を作ってパスを回し、敵の守備者を中央へ引き寄せる。で、サイドにスペースを作ってそこを攻める。

 あるいは例えば右サイドでパスを回して敵の守備者を右サイドへおびき寄せ、一転、サイドチェンジを入れて逆サイドでの1対1に勝つことを狙う(アイソレーション)。

トランジションの速さがカギだ

 こうしてめまぐるしく攻守が変わる現代サッカーに「お休みの時間」はない。

 そこで有利を稼ぐためには、ネガティブ・トランジションとポジティブ・トランジションを速くすることだ。

 スピーディーに守備の態勢に入れば守りは固くなる。逆に素早く攻撃の態勢に入れば、敵の脆いゾーンを突きやすくなる。

 トランジションを操るチームこそが勝利に近づく。

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【サッカー戦術論】なぜ日本はいつも「悲劇を繰り返す」のか? ~すべてを決める試合運びの巧拙

2020-12-11 05:00:00 | サッカー戦術論
メキシコ戦後、原口元気の嘆きの意味とは?

 森保ジャパンが2020年11月に行ったメキシコとの強化試合の敗戦後、MFの原口元気はこう嘆いた。

「なぜいつも日本はこうなるのか?」

 善戦していても途中で引っ繰り返されるーー。

 敗因は、いつもハッキリある。ひとことでいえば試合運びのまずさだ。

 メキシコ戦では、後半の頭からフォーメーションを4-3-3から4-2-3-1に変えてセントラルMFを2枚配置してきたメキシコのシステム変更に日本は対応できず、前半に善戦していたにもかかわらず一転して後半に2点を取られて惨敗した。

 2018年ロシア・ワールドカップ決勝トーナメント1回戦で日本が体験した「ロストフの悲劇」では、日本はネガティブ・トランジションの悪さからベルギーにカウンターを食らって逆転負けした。

 1994年アメリカワールドカップ・アジア地区最終予選の最終節で起こった「ドーハの悲劇」では、1点リードしていた日本は時間をうまく使って試合を殺せず、みすみすイラクにチャンスを与えて2-2とされワールドカップに行けなかった。

「なぜ日本はいつもこうなるのか?」などと嘆いているヒマはない。

 歴史は何度でも繰り返す。

 敗因のロジカルな分析と反省、そして今後の修正が必要だ。

【参考記事】

【サッカー戦術論】「ロストフの悲劇」なんてなかった ~トランジションの重要性

【サッカー戦術論】なぜトランジションが重要なのか?

【サッカー戦術論】日本が世界で勝てるサッカーとは?

【森保ジャパン】日本にトランジション・フットボール以外の選択肢はない

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【サッカー戦術論】「ロストフの悲劇」なんてなかった ~トランジションの重要性

2020-12-10 06:53:57 | サッカー戦術論
セオリー通りだった「スーパーなカウンター」

 ロシア・ワールドカップ決勝トーナメント1回戦、日本対ベルギー戦の終了間際。

 あの日本のコーナーキックが終わった瞬間、ベルギーの選手たちは弾けるようにダッシュを始めた。何が起こっているのか、まったくわからず呆ける日本の選手たち。

 それを尻目にベルギーの選手たちはGKクルトワの素早いフィードからスルスルとピッチを激走し、日本陣に殺到して世にもスーパーなカウンター攻撃を決めて見せた。

 マスコミはあれを「ロストフの悲劇」と言う。

 冗談じゃない。あれは「ロストフの喜劇」だ。

 日本の選手がセオリー通り、ネガティブ・トランジションに対応していればふつうに防げた失点である。

ワンプレー終わったらすぐ切り替える

 日本の選手たちは自分たちのコーナーキックが終わり、ほっと一息、「精神的」に休憩した。だがマイボールでオンプレーのベルギーは当然のようにすぐ次のプレーに移った。

 たった、それだけの差だ。

 ワンプレー終わったら、すぐ次のプレーに移る。

 そのトランジションに対応できなかった日本は、いかに愚かで間抜けだったか?

 そしてセオリー通り、トランジションに対応したベルギーはいかに抜け目がなかったか?

 ただそれだけの話だ。

 マスコミはそれを「ロストフの悲劇」などと美談に変えて呼称し、日本代表を「悲劇のヒーロー」に仕立て上げた。とんでもない。あれは単なる「ロストフの喜劇」であり、悪くとも「ロストフの教訓」くらいには名付けて反省すべきだった。

 だが当時の日本代表監督は「あんなスーパーなカウンターを決められるなんて……」と、敗因にまったく気づく様子もなかった。

 そんなことでは困るのだ。

 歴史は繰り返す。

 あの「ドーハの悲劇」とやらのとき、もし日本がうまく時間を使って試合を終わらせていれば、日本はワールドカップに行けた。こういう試合運びの巧拙は勝敗に直結する。

 ロストフでも、それは起こった。

 歴史は繰り返すのだ。


【参考記事】

【サッカー戦術論】なぜトランジションが重要なのか?

【サッカー戦術論】日本が世界で勝てるサッカーとは?

【森保ジャパン】日本にトランジション・フットボール以外の選択肢はない

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【サッカー戦術論】カウンターに弱い日本式パスサッカー ~カウンタープレスのすすめ

2020-12-09 04:18:51 | サッカー戦術論
ショートパスが大好きな日本人

 森保ジャパンは(よくも悪くも)日本人らしいパスサッカーに落ち着きそうだ。そこでアキレス腱になりそうなのが、そのスタイルではカウンターに弱いことだ。

 日本人はもっぱら、味方同士が近い距離を保ってパス交換する。日本人は長いボールを正確に蹴るのが苦手だし「嫌い」だ。逆に日本人が大好きなのはショートパスである。

 ゆえにショートパスを使いやすいよう、味方と近い距離を保つことを「距離感が大事だ」などと言って有難がる。

 とすれば日本人のパスサッカーは、常にボールのあるサイドに人が密集する。逆にいえばボールのない反対サイドには、人のいないスペースがたっぷりある。

 となると敵にボールを奪われ、素早くその逆サイドのオープンスペースにボールを展開されれば簡単にカウンターを食らう。敵にサイドチェンジされた瞬間に、それまでパス交換していた3~4人の日本人はたちまちまとめて取り残される。日本人ならではのパス交換の距離が短い「小さいサッカー」は、致命的にカウンターに弱いのだ。

嵐のように襲いかかるカウンタープレス

 ではどうすればいいのか?

 この対策として有効なのがカウンタープレスである。

 前線でボールを失った瞬間に、素早い攻守の切り替えから複数の選手が連動しながら嵐のように敵にプレスをかけ、ボールを即時奪回してしまうのだ。

 前述の通り、日本人のパスサッカーはボールの周辺に人が密集しがちだ。だが、ものは考えようである。これは逆にいえば、失ったボールの近くにはカウンタープレスに使える味方の「駒」がすでにたくさん配置されていることになる。

 つまりカウンターに弱いという日本式パスサッカーのピンチを、チャンスに変えるわけだ。そして素早いネガティブ・トランジションからカウンタープレスをかける。

 では、もしこのときファーストプレスをかわされてオープンスペースへボールを運び出され、カウンターを受けたとすれば? 

 そのときの対策としては、事前にSBを内に絞りながら最終ラインの前に一列上げておく。で、「偽SB」としてあらかじめ危険なバイタルエリアを予防的にカバーリングしておく。

 そしてもし前線でボールの即時奪回がむずかしい場合には、敵の攻撃をなるべく遅らせて速いカウンターを許さない。敵のパスコースを背中で切りながら、ミドルサードへリトリートしてブロック守備に移行する時間を稼ぐ。

 これでカウンター対策は万全だ。さあ、ワールドカップへ行こう。

【参考記事】

【サッカー戦術論】「ロストフの悲劇」なんてなかった ~トランジションの重要性

【サッカー戦術論】なぜトランジションが重要なのか?

【森保ジャパン】日本にトランジション・フットボール以外の選択肢はない

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【サッカー戦術論】ポジショナルプレーは将棋の定石だ

2020-12-08 07:06:03 | サッカー戦術論
基本をおさえて創造性で勝つ

 ポジショナルプレーは将棋の定石のようなものだ。

 こういうと「定石通り指しても将棋には勝てないぞ」と反論がきそうだ。お説ごもっとも。サッカーのポジショナルプレーにしても、選手のすべてのプレーを機械のように規定するものではない。

「こうプレーすれば有利を得られるが、そこから先はあなたの創造性で考えて下さい」

 そういうことなのだ。

 一方、将棋の定石もあくまで「基本」であり、この基本を積み上げたそこから先は個人の創造性が上回ったほうが勝つ。

 まさにポジショナルプレーは、将棋の定石と双子の関係にある。

数と質、位置で優位を稼ぐ

 ポジショナルプレーは、試合の各局面ごとに数的優位、質的優位、位置的優位を稼いでプレイする。

 まず数的優位は読んで字のごとしだ。ある局面でプレイヤーの人数に数的優位を作ってプレイすること。

 次に質的優位とは、例えばマッチアップする敵の選手より味方の選手の能力が高ければ、あえてそこで1対1を作って有利を稼ぐことだ。

 例えば味方の右WGが特に優れていれば、それと逆サイドの左のゾーンでパス回しを繰り返して敵の選手を左サイドに引きつける。そこで空いている逆サイドの味方の右WGに向けてサイドチェンジを入れ、あえて彼のマーカーである敵の左SBと1対1の局面を作って勝負するわけだ(アイソレーションを作る=孤立化を図る)

 3つめの位置的優位は、例えば一例だが死角になりやすいCBとSBの間(ニアゾーン)でボールを受けるなど、位置的な優位を稼ぐことだ。

「5レーン理論」とは?

 さてポジショナルプレーを実行するための「5レーン理論」というものがある。

 これはピッチを縦に5分割し、中央のレーンを「センターレーン」、その両脇に「ハーフスペース」、いちばん外側の両サイドは「アウトサイドレーン」と呼ばれる。

 なぜこんなふうに5分割して考えるかといえば、ポジションごとの役割を選手に明示し理解させるためだ。

 例えばこの5レーンに選手がどう布陣するかといえば、5つの縦のレーンの中にはそれぞれ最大2人までしか入れない。

 またミドルサードとディフェンディングサードにある4つの「横のレーン」の中には、それぞれ最大3人までしか入らない。

 さらに隣り合うレーンに位置する選手は、常に斜めの位置関係を取る(アタッキングサードのみでは自由)。

 そしてこの通りポジショニングすると、あちこちに無数の三角形ができるのだ。つまり三角形を作ればパス回しがスムーズになりやすく、また選手同士がお互いを補完しやすい関係になるわけである。

 三角形を作っていれば、ボールを奪われた時にも敵を取り囲みやすく、ネガティブ・トランジション(攻→守への切り替え)時にも有効だ。

 このような5レーン理論は、もちろんビルドアップにも取り入れられる。例えば基本フォーメーション4-2-3-1でビルドアップするとしよう。

 このときビルドアップ時に例えば左SBが前に高い位置取りをし、そのぶん2CBと右SBが空いた左にスライドして3バックを形成すれば? すなわち5レーンをすべて埋める3-2-4-1でビルドアップする形になる。

偽SBは守備時に予防的カバーリングをする

 また偽SBといって、SBが絞って一列上がるポジションを取る。こうすれば攻撃時には偽SBが前後のリンクマンになる。そんなやり方もある。

 一方、守備時には、偽SBは弱点になりやすいアンカーの両脇を埋めているため、予防的カバーリングとしても役立つのだ。

あとは創造性の勝負だ

 こんなふうに言葉で説明するとわかりにくく感じるが、実際にピッチでポジショニングしてみれば一目瞭然。プレイしやすい。

 ただし冒頭で書いた通り将棋の定石と同じく、こうした配置はあくまで「基本」であり、90分間、「その位置から動かない」などというものではない。

 これまた将棋と同様、そこから先は「創造性」が勝負を決めるのだ。

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【サッカー戦術論】日本が世界で勝てるサッカーとは?

2020-12-07 05:16:24 | サッカー戦術論
トランジションと縦への速さが命だ

 日本が世界で勝てるサッカーとは、どんなサッカーだろうか?

 まず日本人の俊敏性を生かし、3人目の動きとサイドチェンジを入れながら素早く攻守を切り替える。そんな機動的なパスサッカーをめざす。これがゲームモデルである。

 3人目の動きを重視する時点で、人もボールもよく動くスタイルになる。

 また日本人によくあるショートパスを同サイドでただ延々とつなぐサッカーはやらない。同サイドでパス交換することにより敵をボールサイドに引きつけ(オーバーロード)、そこで一気にサイドチェンジを入れて敵が手薄な逆サイドでの1対1に勝つ(アイソレーション)。これでゴールに向かう。

 加えて最大のポイントはトランジション(切り替え)を重視する点だ。

 ボールを失っても足を止めず、素早いネガティブ・トランジションから守備の態勢に入る。

 逆にボールを奪取したら、素早いポジティブ・トランジションから縦に速いカウンターを見舞う。これがプレー原則だ。

ポジショナルなビルドアップ

 最終ラインからは、ポジショナルなビルドアップを行う。

 まず2CBの間にアンカーが落ちるサリーダ・ラボルピアーナだ。これで両SBを高く張り出す。またCBとSBの間にアンカーが落ちるケースもある。

 ほかには、左(右)SBを前に高く押し出し、2CBと逆サイドのSBが中央にスライドして3バックを形成するパターン。

 またボールを保持したCBは、前にスペースがあれば持ち運ぶドリブルで前へ出て位置的優位をかせぐ。

「脱日本人」的なパスの種類を

 一方、パスの種類については、まずボールスピードが速いことが最優先だ。ヨーロッパの選手はまるでシュートのようなインサイドキックを蹴る。ゆえに敵にカットされにくい。日本人もそこに学ぶべきだ。

 また第2に、パスは2タッチ以内で回す。

 第3には、ショートパスを横や後ろ(バックパス)にこねくり回す日本人的なパス回しから脱したい。

 そのためまず第一選択は縦パスだ。縦への速さを求める。縦にパスが通るなら、当然そうすべきだ。これにより攻めが速くなる。つまり敵が守備の態勢を崩しているうちに速く攻め切れる。

 またパスの長さは局面によるが、基本的にはショートパスだけでなくミドルレンジやロングパスも重視したい。

 フィールドを斜めに横切る長いサイドチェンジで空いたサイドにボールを運んで、ピッチを広く使う。

 また攻撃の最終局面では、前線の選手の足元へ正確につけるロングパスや、敵のライン裏に落とす正確なロングパスを重視する。つまり「大きなサッカー」だ。

ゲーゲンプレッシングで即時奪回

 最後にネガティブ・トランジションの挙動についてだ。

 まず敵のビルドアップに対しては、マンツーマンによるハイプレスでハメに行く。そのとき陣形をコンパクトに保ち、ライン間にスペースを作らないよう注意する。またその背後では予防的マーキングと予防的カバーリングでカウンターに備えておく。

 これによりボールを奪えば速いショートカウンターが利く。

 また前線でボールを失ったら、複数の選手でゲーゲンプレッシングを行いボールの即時奪回をめざす。こうして前でボールを奪ってショートカウンターをかける。

 もし前でのプレスが無理な場合には、ミドルサードまでリトリートして4-4-2のゾーンディフェンスで待ち受ける守備をする。これで前の2人が敵のビルドアップを規制し、縦パスを防いでボールをサイドに追い込む。こうしてサイドでボールを刈り取る。

 さあ、このサッカーでワールドカップへ行こう。

【参考記事】

【サッカー戦術論】「ロストフの悲劇」なんてなかった ~トランジションの重要性

【サッカー戦術論】なぜトランジションが重要なのか?

【森保ジャパン】日本にトランジション・フットボール以外の選択肢はない

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