すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

映画『ダーウィンの悪夢』が描く勝ち組と負け組の末路

2007-07-31 13:22:05 | 映画
 週末にビデオレンタルで新作映画を借りて観た。『ダーウィンの悪夢』『イカとクジラ』『UNKNOWN』の3本だ。

『ダーウィンの悪夢』は、2004年ヴェネツィア国際映画祭でヨーロッパ・シネマ・レーベル賞を受賞したのを皮切りに、2006年セザール賞(フランスの権威ある賞)で最優秀初監督作品賞、また2006年アカデミー賞では長編ドキュメンタリー賞にノミネートされている。

 映画の舞台はアフリカのビクトリア湖だ。外来魚“ナイルパーチ”の増殖をきっかけに、さまざまな悪夢が連鎖反応的に引き起こされる現実を描く。南北問題(勝ち組と負け組)や貧困、現実逃避としてのドラッグ、搾取の構図などを、構造的な問題として射抜いている。

 生態系の頂点には人間がおり、なにより人間に対する影響がいちばん大きいんだってことを思い知らされる作品だ。超おすすめである。

 この映画のテーマを敷衍すれば、ネカフェで寝泊りして食いつなぐ「日本難民」や年金をもらえない「年金難民」、ワーキングプア、生活保護を門前払いされる人たちに行き当たる。日本にとってアフリカは、もうすぐそこである。

 一方、『イカとクジラ』は、インテリ夫婦の離婚をトリガーに息子たちが反乱を起こす家族問題を扱った映画だ。必要な時期に親に甘えられない子供たちはどうなってしまうのか? 今や日本でも家族の崩壊は深刻である。

 世の中じゃ、とかく憲法がどうとか大きな物語が語られがちだ。だけど実は日本人にとっていちばんシビアな問題は、我々を取り巻く外の世界じゃなく人間の内側にある。

 家族問題はもちろん、「自分は生きる目的を持ち、生きたいように生きなければならない」てな自己実現幻想に取り付かれた自分探しや、その果てに来るニートとかワーキングプア、ウツ病、自殺の問題などなど。大きな物語に気を取られて足元を見ない状態が続くと、5年~10年もすればホントにこの国は危なくなるだろう。

 最後に映画『UNKNOWN』は、ひとことで言えば映画『SAW』のプロットをパクって発展させ、犯罪ミステリーっぽい心理スリラーにした作品だ。パクりと言っても十分に楽しめるデキだった。ラストにもうひと工夫ほしいところだけど……ごにょごにょ。

 以上、3本とも観て損はない映画である。レンタルで3本借りて、3本とも一定水準をクリアしてるってのは珍しいなあ。いやラッキーでした。

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インターネットの「リアル世界化」は正解か?

2007-07-30 18:33:43 | 実名・匿名問題
 ブログ「ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)」さんからトラックバックをいただいた。「等価交換」というキーワードで、実名、匿名の功罪がうまくまとめられている。ポイントを引用しよう。

(前略)ブログが持つ名もなき人も読んでくれる流通力を享受しているわけだから、ある程度は、ekkenさんがおっしゃる匿名でのネガティブコメントも、メリットとデメリットの「等価交換」であるのが望ましいとすれば、それはしょうがないのではと思います。甘受すべき範囲内なのではないかと思います。(中略)

 松岡さんは、たぶん、そういうブログの流通性や自由との「等価交換」として、ネガティブコメントなどの荒らしはあるというデメリットがあるのがブログというかネットの現実なのだから、きっと、初心者にブログを実名ではじめるのを勧めるというのは無茶だと思われたからこそ、反論を書かれたのだと思います。そして、現実を生きる知恵として、「スルー力」を啓蒙されたのでしょう。

『「実名匿名論争」雑感』


 大筋はその通りです。ただしekkenさんがおっしゃる「ネガティブコメント」とは、正当な批判異論も含んでいます。ネガティブコメント=誹謗中傷ではない。そのあたりはekkenさんのエントリ『小倉弁護士は「ネガティブコメント対策」への理想が高すぎるのではないかと』をご参照ください。

 さて今回は上記の引用部分のうち、前段を少し補足させていただきたい。

 インターネット上に存在するデータ(文章その他)は、集合知である。集合知は、束ねられた意見の数が多ければ多いほど価値が増す。また、そこに集積された意見が多様であればあるほど意義深いはずだ。それが実名でなされたものか? それとも匿名か?なんて関係ない。

 で、問題なのは、(前回も少し触れたが)仮にインターネット上に実名制度が導入されれば、少なくない数のネットユーザが情報発信をやめてしまう可能性があることだ。

 とすれば集まった意見の数が多いほど、また意見が多様であるほどに価値があるとの定義に照らせば、実名制度下における集合知の意義は大幅に下落することになる。

 この部分の見方が、私と小倉さんではかなりちがうのだ。小倉さんの持論をこのケースに当てはめれば以下のようになるのだろう。

「インターネットが実名化されれば、いままでネット上で発言してなかった専門家知識人がブログを書くようになる。そのぶんスペシャリストの意見が、今までよりもネット上に上積みされることになる。だから実名制度には意味がある」

 ところがそのテの専門家や知識人は、すでにリアルの世界で発言したりモノを書いているのだ。読みたければ別にネット上でなくても、本屋さんに行けばいい。

 また実名化により、仮にネット上に存在するのが彼らの発言だけになったとしたら、それはリアルの世界とどうちがうのか? 単なるインターネットのリアル世界化ではないのか? そんな世界に意味はあるのかと私は思う。

 一方、小倉さんが「匿名」とカテゴライズする人々の論述は、ネット上にしかないケースが多い。実名制度の導入で彼らの声が消えてしまえば、もうどこを探しても意見が聞けなくなる。

 かつ個人的な体験で言えば、「匿名」の人の意見に教えられたり、インスパイアされることは多いのだ。私は自分のブログのコメント欄で、何度もそれを経験している。

 最後に、前回エントリの結論部分を一部再掲しよう。

 だけど実名化のせいで、匿名だからこそ書かれていた無数の有益な文章、才能ある書き手が消えてしまうとしたら損失が大きすぎる。ゆえに私はその観点から、実名制度に反対である。


 実名化のメリット、デメリットを秤にかければ、やっぱりデメリットが大きすぎると私は思う。

【関連エントリ】

『誰のための実名制か? ~小倉さんへの擁護が説得力を持たない理由』

『小倉さんの実名制は、能力があっても存在価値がゼロになる暗黒世界だ』

『小倉さん、論理の飛躍は計画的に』

『小倉さん、印象操作はほどほどに』

『匿名の心理、実名の心理~暴言の抑止力になるものは?』
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誰のための実名制か? ~小倉さんへの擁護が説得力を持たない理由

2007-07-26 12:27:29 | 実名・匿名問題
 ブログ「福田::漂泊言論」さんから、エントリ『小倉さんへの異論が批判力を持たない理由』をトラックバックしていただいた。

 文中ではいろんな論点が提示されており、あれこれ考えるきっかけになった。やはり他人の異論を聞けるのは有益だ。

 では結論を先に言おう。こうした小倉さんへの擁護論には説得力がない。その理由は「誰のための実名制か?」という根本的な疑問を、無視できない数の人が抱いているからである。

 では読ませていただいたエントリ『小倉さんへの異論が批判力を持たない理由』の文脈を追いながら、考えてみよう。

 まず第一の疑問は、ブログ「福田::漂泊言論」さんの現状認識である。同エントリでは随所に気になる表現が散りばめられている。そこで文頭から順に【ポイント】として上げていく。各引用文の下段の文章は、私の感想とツッコミである。

【ポイント1】

小倉さんの、匿名問題を扱った幾つかのエントリをめぐって、一部の方々が異論を唱えていらっしゃいます。(※強調表現は松岡による)


 単に「異論を唱えている方々がおられます」とお書きになればいいのに、なぜわざわざ「一部の方々が」と付け加えるのか?

 こういう表現を見ると、「小倉さんに異論を唱えているのはごく一部の人にすぎない」というイメージを読み手にあたえようとしてるんじゃないか? てな既視感にとらわれる。そう。小倉さんがよくお使いになる印象操作って言葉である。

 もちろんどういう意図でこうお書きになっているのか不明だ。なので、どうか気を悪くしないでいただきたい。少なくとも外から見ればそう見える、というお話である。

【ポイント2】

「匿名の暴力に対して社会全体がもううんざりしている」という現実があります


 これも第一のポイントと同じだ。「社会全体」などと、あたかも社会の構成員すべてが「匿名の暴力」にうんざりしているかのような書き方をされている。さすがに誇張がすぎるだろう。

 ん? 誇張? ああ、またも既視感がワラワラと……。まあいいや。で、「社会全体」とお書きになる以上は、独自に統計でもお取りになったのだろうか? いや別に皮肉や非難じゃなく、素朴な疑問である。なぜなら少なくとも私自身には、「匿名の暴力にうんざりしている」実感がないからだ。

 もちろん私のブログのコメント欄にも、小倉さん流に言えば「コメントスクラム」な皆さんがたくさんお見えになることはある。たとえばこの欄とか、こことかね。

 けどこのテのお客さんが大量に来ても、私みたいに平然とコメントを公開してスルーする人間もいる。(しかも私は小倉さんが主張されている実名でブログをやっている)。

 一方、かと思えばパニックに陥り、「コメントスクラムだ」、「私が反論できない大量のコメントはハラスメントだ」、「匿名者による不当な暴力を許すな」と騒ぐ人もいる。人間には2種類いるのである。

 で、前者の人間から見れば、「匿名の暴力を防ぐために実名制度を導入しよう」と言われても実感がわかない。「それって誰のためにやるの?」と思ってしまう。もしかして、「私が反論できない大量のコメントはハラスメントだ」とおっしゃるごく一部の方々のためにやるんでしょうか?

【ポイント3】

『現状維持』を連呼するだけではこの社会全体を覆う『うんざり』感を払拭することはできないわけです


 またもや「社会全体」なる言葉をお使いになっている。第一、第二のポイントにも書いたが、あたかも国民すべてが「匿名の暴力」にうんざりしているかのような表現だ。

 こうした誇張極論論理の飛躍は、私がエントリ『小倉さん、論理の飛躍は計画的に』で指摘した通り、小倉さんの論法に驚くほど似ている。

 私から見れば「またコレか?」と思うだけだ。

 私には「社会全体がうんざり感にとらわれている」てな実感がない。だから失礼ながら、このエントリにはまるで説得力がない。

 もっとも「うんざりしている」のは社会全体じゃなく、【ポイント2】で上げた「私が反論できない大量のコメントはハラスメントだ」と叫ぶごく一部の方々だとおっしゃるなら意味はわかるが。

【ポイント4】

別に小倉さんの提案は完全無欠の策ではないわけですから(そもそも完全無欠の策などあり得ないわけですが)、「完全にカバーしきれない」だの「穴がある」だの言ってみたところで、「現状維持」をあっけなく手放さざるを得ない状況下ではそんなことあまり重要ではありません。


 ここでも、あたかもそれが既成事実であるかのように「もはや現状維持はできない状況だ」との論旨でお書きになっている。だけどいったいこれは誰の認識なのか? 少なくとも私は匿名と実名が混在する今のままでいいと思うし、無視できない数の人々が同様に考えているだろう。

 もちろん私はネット上の暴言被害をなくしたいと思う。前述の通り私自身も被害を受けているし、無視できない問題だと思う。だが少なくともそれはインターネットの実名化によってではない

【ポイント5】

松岡美樹さん(が書いた/注・松岡)、(中略)「多くのネットユーザが否定している(かつ、実際にデメリットが大きい)実名主義」という表現は、「現状維持」をあっけなく手放さざるを得ない状況下では当てはまらない表現であると言えるでしょう。


 またもや「現状維持できない状況にある」ことが、既成事実であるかのようにお書きになっている。だけど私はそう思わないのだ。だから「多くのネットユーザが否定している(かつ、実際にデメリットが大きい)実名主義」と書いたのである。

 ひょっとしてブログ「福田::漂泊言論」さんは、インターネットの実名化が絶対に避けられない必須の路線だと認識されているんだろうか? だとすれば私の認識や、私が書いた原稿と結論が大きく食い違うのは当然だ。

 とすれば「インターネットの実名化が絶対に避けられない」とお考えになっているのは誰なのか? それらの方々はどこに、何人おられるのだろうか?

【ポイント6】

で、松岡さんご自身がオルタナティブな策をご提案なさるのかと思いきや、結局次の小倉さんの実名制は、能力があっても存在価値がゼロになる暗黒世界だというエントリの中でも特になさっていません。


 繰り返しになるが、私は消極的・現状維持派だ。だから別に現システムのままでもいいし、実名化以外の良い方策があるならそれでもいい。

 私は「絶対にシステムを変えなければいけない」なんて思ってないのだ。ゆえに積極的に対案を出そうなんて気は毛頭ない。というかそのテのシステム論には正直、まったく興味がない。だから書かない。それだけの話だ。

【ポイント7】

しかも(松岡美樹は/注・松岡)「本来なら個のモラルに帰すべき問題に対し、システムや技術が必要以上に介入する危険性はないのか?」とまでおっしゃっています。

 そもそも現状のシステムでは、個の発言の抑制機能として「個のモラル」に多くを依存し過ぎているからこそ「匿名の暴力」が蔓延り「匿名の暴力に対して社会全体がもううんざりしている」という現実があるわけですから、「本来なら個のモラルに帰すべき問題に対し、システムや技術が必要以上に介入する危険性はないのか?」というご発言は、「現状維持でいいのでは?」とおっしゃっているに他ならない言えるでしょう。(一部改行した)


 はい、その通りです。繰り返しになりますが、私は消極的・現状維持派です。で、ここでもまた「『匿名の暴力に対して社会全体がもううんざりしている』という現実があるわけですから」と決め付けているが、うんざりしているのは誰なのか? いったい誰のための実名化なのか? 次の項で私の考えを述べよう。

【まとめ】

 仮に実名制度がネット上に導入されれば、少なくない数の才能あるネットユーザがブログをやめてしまうことが予想される。彼らの文章を読めなくなるのは大きな痛手だ。損失は計り知れないと私は考える。

 前回のエントリ『小倉さんの実名制は、能力があっても存在価値がゼロになる暗黒世界だ』でも書いたが、こうしたクリエイティビティの損失は深刻な問題だ。

 とすればいったい、実名化は誰のためなのか? ひとつは芸能人など、リアル世界の有名人だ。もうひとつは大学教授や弁護士、作家など、リアル世界におけるエスタブリッシュメントである。

 彼らエスタブリッシュメントが、リアルの世界で持っている権威や既得権益を、ネット上でも行使できるようにするためのシステムが実名制度ではないのか?

 彼らがリアルの世界と同様、誰の反論も受けることなくネット上で発言するためのシステム。それが現状言われている実名制度ではないのか?

 私は実名で仕事の原稿やブログを書いているから、私個人はインターネットが実名制になったとしても何ら変わりない。

 だけど実名化のせいで、匿名だからこそ書かれていた無数の有益な文章才能ある書き手が消えてしまうとしたらダメージが大きすぎる。ゆえに私はその観点から、実名制度に反対である。

【関連エントリ】

『インターネットの「リアル世界化」は正解か?』

『小倉さんの実名制は、能力があっても存在価値がゼロになる暗黒世界だ』

『小倉さん、論理の飛躍は計画的に』

『小倉さん、印象操作はほどほどに』

『匿名の心理、実名の心理~暴言の抑止力になるものは?』
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小倉さんの実名制は、能力があっても存在価値がゼロになる暗黒世界だ

2007-07-25 09:46:14 | 実名・匿名問題
 弁護士の小倉秀夫さんが唱える実名制度や議論の定義には、欠点が多い。そこで今回は小倉さんが提示されている論点を検討しながら、よりよい議論のあり方や実名・匿名問題を考えてみる。

 まずは正当な議論と、不当な物言いの定義をはっきりさせよう。それにはekkenさんが作った4分類がわかりやすい。一部、アスキーに書いた『スルーが効く理由(わけ)、効く場合』と重なるが、ご了承願いたい。

 ekkenさんは、サイトの管理人が不快感を覚える可能性のあるコメントを次の4つにカテゴライズしている。

1. 事実確認
2. 異論・反論・批判
3. 誹謗・中傷・侮辱
4. コピペ(荒らし)

『小倉弁護士は「ネガティブコメント対策」への理想が高すぎるのではないかと』(ekken)


 そして何かを主張するタイプのブログや議論系のブログは、読者から1:「事実確認」や2:「異論・反論・批判」を受けたとき、拒否してはいけないとする。

「オレは言いたいことを言う。だけど他人がオレ様に異論を述べるのは許さない」てなご都合主義を否定しているのだ。

 ちなみに「事実確認」とは、「ココはこうまちがってるんじゃないですか?」、「それは正確には○○ではないですか?」などと事実関係を確認する行為を指す。

■数が多いと内容がよくても不当なコメントになる?

 ekkenさんの主張に対し、小倉さんはエントリ『ekkenさんはブログ主に課すハードルが高すぎる』の中で、1と2のコメントに付帯項目をつけている。で、付帯項目に抵触するものは、1と2であっても「ハラスメントだ」と言う。

 1.や2.が「匿名でなくともできる」通常の態様でなされるのであればそうでしょう。しかし、1.や2.だって、言葉遣いに問題があったり、生活の片手間にブログの維持管理を行っているに過ぎないブログ主がおいそれとは応えられないであろう分量の投稿を行ったり、ブログ主が誠実に対処しても同じことを何度も何度も繰り返したりすれば、それは立派にハラスメントになります。


 私は前段に賛成だ。だが後段の一部に疑問がある。言葉遣いが乱暴なのは確かにNGだろう。だけど数が多く、短時間のうちに連続的・継続的に行われるコメントは「すべて不当だ」と断定できるのだろうか?

 この点について小倉さんはエントリ『コメント欄におけるネガティブコメントの正当性の基準』の中でも、次のように述べている。少し長くなるが引用しよう。

 また、社会人は限られた時間の中でブログを開設していますので、それに答えたり再反論をしたりするためには過度の時間や労力がかかるような質問や批判というのは正当な範囲を超えることになりがちです。ですから、短期間に沢山のネガティブコメントを特定のブログ主に投げつけるコメントスクラムは、その内容にかかわらず、批判としての正当性を失うことになります。

 また、同様にブログ主の時間には限りがありますから、沢山の質問や批判を投げつけられても、これらすべてに答えることは困難です。従って、ネガティブコメントの分量が多くなっていけばなるほど、批判としての正当性は薄れていきます。


 短時間にたくさん寄せられた反論コメントは、「内容にかかわらず」不当であり、数が多くなればなるほど不当性が高まると言う。

 小倉さんの定義では、いくら内容がマトモでも同時にたくさんくると有罪なのだ。

■インターネットの構造を無視した定義では?

 だけど私は「その内容にかかわらず」なんて付帯項目をつけ、前述の4分類を解釈改憲するのは反対だ。この調子であちこちに付帯項目をつけて拡大解釈していけば、憲法(4分類)が骨抜きになるのは目に見えてるからだ。
(事実、小倉さんは骨抜きにしている。後述しよう)

 もうひとつ感じる疑問は、「これは要するに小倉さんご自身が、書き込まれた反論にいちいち反駁しないと気がすまない性分だからそう言ってるだけなんじゃないか?」という点だ。

 異論を唱えるコメントは、確かに「相手(元の発言者)の反論権を担保した状態で行われるべきだ」という小倉さんの論旨は理解できる。コメントがあまりにも大量だと、物理的に反駁できなくなるだろう。

 だけど肝心のインターネットは、自分自身から見れば1:nのコミュニケーションなのだ。

 だから「友だち以外には公開しない」とか、「1時間当たり1件しかアクセスを受け付けない」なんていう何らかのアクセス制限をかけてない限り、短時間でコメントが集中することは常にありえる。

 しかもこれはインターネットの構造的な特徴だから、仮に小倉さんが唱える実名制度を採用したとしても避けられるわけじゃない。もし短時間で大量に、内容が正当な実名の反論コメントがきたらどうするのか? 結局、実名制度は解にならないのだ。

■システムや技術はどこまで介入すべきか?

 そもそも単なる揚げ足取りの書き込みや、明らかに悪意のあるネガティブコメントに逐一、反応しなきゃいけないなんて法はない。また内容は正当でも数が多くてレスし切れないならスルーすればいいし、逆に悪質なものは削除すればすむ話だ。

 ところが小倉さんは以下のエントリで、発言者に心理的な圧迫感削除・スルーなどの負担を強いるシステムや環境には問題がある、という趣旨の論述をされている。

『Balance-Toi』
・『コメント欄におけるネガティブコメントの正当性の基準』(前出)
・『ekkenさんはブログ主に課すハードルが高すぎる』(同)

 おっしゃる意味はわかるが、じゃあスルーする以外にシステム的・技術的な解決策はあるのだろうか? 実名制度では、コメントの同時多発性を避けられないのは前述の通りだ。

 また仮にシステム的・技術的な対策があったとしても、それはインターネットの(責任ある)自由と創造性を損なう可能性はないだろうか?

 本来なら個のモラルに帰すべき問題に対し、システムや技術が必要以上に介入する危険性はないのか? 

 この点に大きな疑問が残る。

■筆者が返答に困る書き込みは「不当なコメント」?

 さらに小倉さんはエントリ『コメント欄におけるネガティブコメントの正当性の基準』を、次のように締めくくっている。

「ブログ主の見解が間違っていた」という以外の理由でブログ主が質問に回答したり批判に答えたりということを回避してしまうような状況を作り出すネガティブコメントは、「正当な批判」とは言えなくなっていくということです。


 前回、私が書いたエントリ『小倉さん、論理の飛躍は計画的に』でも指摘したが、小倉さんお得意の極論である。

 まず第一にこの定義は、書き込みの内容が正当でも「オレ様の気に入らないコメントは拒否する」というご都合主義とどうちがうのか?

 第二に、元記事がまちがってるとまではいえなくても、論理的に矛盾していたりする場合はどうか? で、その矛盾を指摘する正当なコメントが書き込まれたら?

 このとき書いた本人(サイト管理者)が「こりゃ自分に都合が悪いな」と考え、「批判に答えることを回避」(小倉さん)したら、それは不当なコメントになるんだろうか?

 結局、小倉さんがおっしゃることは、「オレは言いたいことを言う。だけど他人がオレ様に異論を述べるのは許さない」というのとどうちがうのか? だんだんワケがわからなくなってくる。

■小倉式の定義では「正解のない議論」ができない

 あるいはこんな例も考えられるだろう。記事を書いたブロガーの考えがまちがっていなくても、複数の異論が成立するケースだ。

 数学みたいに1+1が必ず2になるテーマならともかく、正解のない議論はありえる。その典型は哲学みたいに、人によってものの見方がちがうテーマだ。

 そんなお題のときに異論が寄せられたとしよう。で、ブログ主が回答したり異論に答えるのを避けたとする。この場合も小倉さんの定義では、投稿されたコメントは不当なのだろうか?

 第一、第二のポイントと同じく、これも「オレは言いたいことを言う。だけど他人がオレ様に異論を述べるのは許さない」のとどうちがうんだ? ということになる。
  
 結局、小倉さんが提示されている不当なコメントの定義は曖昧すぎ、グレーゾーンが広すぎる。そのせいでなんでもかんでも有罪にできるのだ。これではお話にならないだろう。

 さて私の対案を言おう。まず基本は前述の4分類とする。その上で議論系や主張系のブログは、1:「事実確認」と2:「異論・反論・批判」にも対応すべきだ。ここまではekkenさんと同じである。ただし1と2に当たるものでも、以下は不当なコメントとする。

・A 表現の仕方が社会的モラルを逸脱しているもの(乱暴、その他)

・B 明らかな悪意があるもの(正当な議論が成立しないため)

・C 議論に勝つことだけを目的にしたもの(ためにする議論)

 そして3:「誹謗・中傷・侮辱」、4:「コピペ(荒らし)」をスルーするか、削除するかはサイト管理者の裁量にまかせる。この定義ならスッキリしていると思うが、どうだろうか? 

■実名でなければ、あなたには存在価値がない?

 最後に、私が小倉さん的な実名制度に反対する最大の理由を書こう。

 たとえば小倉さんの定義では、ekkenというハンドルは「匿名」に相当するらしい。

 出典●『「匿名」に関するekkenさんからの質問』

 とすれば小倉さん的な実名主義に立てば、ekkenさんが何を書こうがその意見は存在しないことになる

 いや、ekkenさんに限った話じゃない。

 どんなにすばらしい論述や分析をしようが、どれだけおもしろいセンス、ユニークな発想、芸術的な才能があろうが、本人が実名でなければその瞬間に価値がゼロになる世界──。

 私は中世ヨーロッパの暗黒時代に等しいと思う。

 小倉さんの実名主義はデメリットが大きすぎる、と私が感じる最大のポイントはこの点だ。

 小倉さんは7月23日付のエントリ『既得権を打破しようとする声に対する反発なんてそんなものでしょう。』の中で、「匿名者が跋扈する今のネット社会」を、金正日が独裁支配する北朝鮮に例えている。多数の匿名者が実名主義者をリンチする圧制社会だ、てなわけだ。

 だけどちょっと待ってほしい。

 インターネットは有名・無名にかかわらず、ネットユーザの創造性を育ててきたクリエイティブな世界である。なのに前述の通り小倉さんによる実名の定義では、どんなに才能があろうが実名でなければその人の能力は認められない。とすれば小倉さんの主張は、インターネットの根幹にかかわる問題といえるだろう。

 実名制度のメリット、デメリットを秤にかけるとどちらが重いか? クリエイティビティの問題を考えた場合、私は実名主義の世界こそ金正日が独裁支配する北朝鮮と同列に論じるにふさわしいと考える。

 さて、あなたはどう思いますか?

【関連エントリ】

『インターネットの「リアル世界化」は正解か?』

『誰のための実名制か? ~小倉さんへの擁護が説得力を持たない理由』

『小倉さん、論理の飛躍は計画的に』

『小倉さん、印象操作はほどほどに』

『匿名の心理、実名の心理~暴言の抑止力になるものは?』

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小倉さん、論理の飛躍は計画的に

2007-07-24 05:17:03 | 実名・匿名問題
 前回のエントリで、「弁護士の小倉秀夫さんは私の記事の論旨を印象操作(または誤読)されてるんじゃないか?」と疑問を投げた。

 小倉さんは私の記事に、「ネットでのいじめや嫌がらせなんてたいしたことがない」と書いてあるじゃないかと、主張されているのだ。

 だがもちろん私はそんなことは書いてない。それどころか私は、「ネットでの嫌がらせなどたいしたことがない」なんてことは考えたことすらない

 筆者である私自身が「書いてない」と言ってる以上、小倉さんには書いたと証明する必要が生じる。で、当の小倉さんから苦しい口頭弁論が出されたので、ご紹介しよう。まず結論部分からだ。

確かに、「すべてのネットでのいじめや嫌がらせなんてたいしたことがない」とまでは言っていないのかもしれませんですが、ネットでのいじめや嫌がらせが被害者に与える被害について現実世界でのいじめや嫌がらせが与える被害よりは大したことがないと松岡さんが考えていると読み取っても誤読とは言えないでしょう。(※強調部分は松岡による)

■『先ず隗より始めよ、松岡さん』(la_causette)


 えっと、いや小倉さん、書いた本人である私自身が「そんなことは書いてないし、いままで考えたことすらない」と言ってるんですよ?

 なのに記事を読んだ小倉さんが勝手に、「(前略)と松岡さんが考えていると読み取っても誤読とは言えないでしょう」とは、これいかに?(※強調部分は松岡による)

 ひょっとして小倉さんには超能力があり、私の頭の中を脳内スキャンしてるんでしょうかね? だとしたらその超能力は整備不良ですよ。だって私はホントに考えたことすらないんだから。

 もっとも「とまでは言っていないのかもしれません」てな表現が、逆に誤読してしまった罪の意識をそこはかとなく漂わせてはいる。いかにも後ろめたそうで自信なさげなところが、かわいらしい。だけどそれとこれとは別問題だ。白黒はハッキリさせておく必要がある。

 すでに結論が出たようなもんだが、小倉さんの口頭弁論に対する私の反証(総論)は以下の通りである。

 筆者である私が現に「書いてない」と言っているのに、小倉さんは「そう読み取っても誤読とは言えない」とおっしゃる。でもやっぱり私はそんなことは考えたことすらない。となると小倉さんは純粋に誤読されたか、あるいは意図的に誤読し、自説に都合のいいように印象操作しているかのどちらかだ。この2つ以外の可能性はありえない。

 では次に各論へ移ろう。

 まず第一に不思議なのは、なぜ小倉さんは私の文章を読み、書いてもいないことを「書いている」と感じたのかだ。その理由は小倉さんの以下の説明で、おぼろげながらわかってきた。

 (前略)ここからは、松岡さんは、ネットでの暴言被害を現実世界での暴言被害と区別していること、並びに、(現実世界でなされたとすればスルーしても自分が傷つかざるを得ないものであっても)ネットでの暴言被害についてはスルーすれば自分が傷つかなくてすむと考えていることが読み取れます。

■『先ず隗より始めよ、松岡さん』(同)


 ああ、なるほど。やっと小倉さんのアクロバチックな飛躍した論理がわかりました。小倉さんの主張をわかりやすく翻訳すると次の通りですね?

----------------------------------------------
【小倉さんのアクロバチックな主張】

1 ネット上での暴言は現実世界のそれとちがい、「スルーすれば自分が傷つかない」と松岡は考えている。(にちがいない)

2 スルーすれば傷つかないということは、すなわち「たいしたことがない」ってことだ。

3 ゆえに松岡は元記事で、「ネット上の嫌がらせなんてたいしたことがない」と言ってるも同然だ。

-----------------------------------------------

 ここまではオッケーですか、小倉さん? でもこの1~3の時点ですでに、ポリショイサーカス並の離れワザで論理が飛躍していますね。でもまあ順番に反駁していきましょう。

【小倉さんの主張 1】

●ネット上での暴言は現実世界のそれとちがい、「スルーすれば自分が傷つかない」と松岡は考えている(にちがいないと小倉さんは考えている。以下、同)

【私の反証】

 まず私は「ネット上では、スルーすれば自分が傷つかなくてすむケースが多い」とは書いた。だけど「スルーですべてがカンタンに解決する」なんてことは言ってない。証拠物件をあげよう。

 インターネットを使ったコミュニケーションでは、スルーすれば自分が傷つかなくてすむケースや、逆にカッカして相手を攻撃してしまうのを防げる例は多い。(※強調部分は松岡による追加処理)

『小倉さん、それでもスルー力は必要ですよ』(ASCII.jp)


「例は多い」と書いたのは言うまでもなく、スルーで解決しないケースもあるからだ。加えて、わざわざ「例は多い」と限定的な表現をしたのは、それ以外の「スルーで解決しないケース」を私が重く受け止めているからである。

 ゆえに小倉さんが主張されている「松岡はネット上の暴言被害なんてたいしたことがない、と考えているにちがいない」という思い込みは、見当ちがいだ。

 こんなふうに小倉さんの論述に特徴的なのは、極論である。「スルーで解決するケースは多い」と書くと、たちまち「スルーですべてカンタンに解決する」みたいに書いたじゃないか、と極論で反駁しようとする。そして極論は古来から、印象操作の典型である。

【小倉さんの主張 2】

●スルーすれば傷つかないということは、「たいしたことがない」ってことだ。

【私の反証】

 私はこんなことは、ひと言も書いてない。2はあくまで小倉さんの個人的な考えだ。小倉さんはご自分のこういう個人的な見解をもとに、私の文章を勝手にねじ曲げて解釈している。だから筆者の意図から外れた誤読をするのだ。

 そもそもスルーで解決した事案は、なぜ「たいしたことがない」のか? 深刻な事態(悪質なフレーミング)がスルーで解決するケースなんて、いくらでも考えられる。つまり小倉さんの頭の中にあるだろう2の概念自体、事実誤認なのだ。とすれば「小倉さんの主張 2」も1と同様、論理の飛躍と極論の産物と言っていいだろう。

【小倉さんの主張 3】

●ゆえに松岡は元記事で、「ネット上の嫌がらせなんてたいしたことがない」と言ってるも同然だ。

【私の反証】

 3は論駁する必要すらないだろう。ほかの項目同様、私はこんなことは一切書いていない。これも小倉さんの頭の中にある勝手な解釈だ。かつ、その解釈はほかの項目同様、論理の飛躍で彩られている。なかでも特にこの3などは、自説を有利に展開するための明らかな印象操作だと言っても過言ではないだろう。

【その他の部分も誤読と誇張だらけ】

 一方、小倉さんの同エントリの後半部分だって同じだ。資源のムダだからカンタンにすませよう。私は元記事で、誹謗中傷などの攻撃を受けた側の一例として、被害者側が過剰反応しているケースを書いた。

 するとさっそく小倉さんは、「(前略)等として、ネット上での暴言被害と被害者側が感じるのは単なる被害者側の過剰反応に過ぎないかのように印象操作をしています」と書き立てる。

 おわかりだろうか? またもや極端な一般化だ。私はスペースの都合で一例をあげたにすぎないのに、松岡はすべての暴言被害が被害者側の過剰反応だと決め付けている、印象操作だと誇張するのだ。

 また私は元記事で、「小倉さんの(誤読を含む)以下のエントリを読んだ出版社の方たちが『松岡ってこんな人間だったのか?』と誤認し、私にいっさい執筆依頼がこなくなったら、小倉さんはどう責任をお取りになるのでしょうか?」と問いかけた。

 もちろん私は仕事の心配をしてるわけじゃない。私が実名で書いた文章を小倉さんが印象操作(または誤読)し、歪曲した上で人々に伝えた場合、実名者である私はどれほど重大な被害を蒙るか? その具体例を示すためだ。

 つまり実名はそれほどリスキーなのに、あなた(小倉さん)は初心者に実名ブログをすすめるのですか? という問題提起の意味を込めている。主題は私の仕事が減る話じゃなく、その次の段落に書いた小倉さんが初心者に実名ブログをすすめることの是非だ。

 このことを頭に置いて、もう一度私の元記事の該当箇所をよく読んでいただきたい。

 ところがもちろん脊髄反射の小倉さんは、そんな深い意味を読み取れるはずもない。それどころか「松岡さんは、その覚悟(仕事がなくなる覚悟/注・松岡)もなしに、あの記事をASCIIの編集部に送ったのでしょうか」などと、またもや誤読している。

 小倉さんは、私・松岡が書いたアスキーさんの記事を各出版社が読み、松岡に原稿依頼をやめた場合のことを指してるんだろう、てな意味だと解釈しているのだ。

 文意はもちろんそうじゃない。私の記事を印象操作(または誤読)してネガティブに脚色した小倉さんの記事を各出版社が読み、「松岡はこんな人間だったのか」と誤解されて私に執筆依頼がこなくなったら? という意味だ。

 で、実名はこんなに危険なのに、それでも小倉さんは初心者に実名ブログをすすめるのですか? と、主題である結論につながる流れである。

 ふぅ、疲れた。国語の授業はもうこんなもんでいいでしょう?

【まとめ】

 以上、見てきたように小倉さんの論法には、論理の飛躍と事実誤認、極論が多い。それはなぜか? 理由は恐らく以下の通りだろう。

 小倉さんは、私・松岡の文章を誤読してしまった。そして誤読にもとづき、自説に都合のいい内容のエントリ『ネットでの暴言被害の方がより深刻だ』を脊髄反射で書いた。ところが事実関係のまちがいを私に指摘され、困ってしまった。

 そこで誤読した部分をあとから辻褄合わせしようと、エントリ『先ず隗より始めよ、松岡さん』を書いた。だからそのエントリもこれまで見てきた通り、あちこちで論理が破綻しているのだ。もともと人の文章を歪曲したエントリに無理やりもっともらしい理由づけをしてるんだから、崩壊するのは当たり前である。

-------------------------------------------------

【私はなぜ『小倉さん、印象操作はほどほどに』を書いたか?】

 私はスルーが原則なので、小倉さんの誤読はたいして気にしてない。加野瀬さんがブクマコメントで「松岡氏が不快表明」なんてオーバーに煽っていたが、残念ながら見当はずれだ。一方、当の小倉さんも、さっそく以下の通り誤読している。

 っていいますか、松岡さん自身が、自分が批判されたとなると、全然スルーできていないではないかという気がしないでもありません。

■『先ず隗より始めよ、松岡さん』(同)


「気がしないでもありません」と自信なさそうなところが、ちょっとかわいらしい。だが誤読は誤読である。

 繰り返しになるが私は不快になんて思ってないし、怒ってもいない。というか私自身が主観的に不快かどうか? 怒っているかどうか? なんてどうでもいいのだ。そういう問題じゃないのである。

 説明しよう。

 私が前回のエントリ『小倉さん、印象操作はほどほどに』を書いた理由は、小倉さんが『初心者にこそ実名でブログを開設することをお勧めする』と言い出したからだ。

 私は小倉さんのこの最新エントリ(7/22時点)を読むまでは、小倉さんに4回も前のエントリの反論をする気なんてなかった。事実、それまでずっとスルーしていた。だけど被害者が出るおそれすらある、小倉さんの危険な初心者こそ実名論を読み、黙っていられなくなったのだ。

 小倉さんが「実名主義こそ理想の姿だ」と独り言を言ってるぶんには、実害はない。だが小倉さんはご自身の都合(実名主義)を理論付けるために、論述の中で他人を巻き込もうとするフシがある。なかでも「特に初心者には実名をすすめたい」論は看過できなかった。

 初心者はネット上で実名を出すリスクを、よくわかってない。なのに小倉さんは自説の実名論を補強するために、他人(初心者)を巻き添えにしようとしているのではないか?

 私はこれを見て放置しておけなくなった。で、前回のエントリを書いたのだ。私自身が誤読されて不快だったとか、そんなのは下衆の勘繰りだ。前回のエントリで私がいちばん言いたかったポイントは、次の箇所である。

 初心者(も含めたすべてのネットユーザ)に実名でブログをやらせるって、そういう甚大なリスクを負わせることを意味してるんですよ? おわかりですか? 小倉さん。

■『小倉さん、印象操作はほどほどに』(すちゃらかな日常 松岡美樹)


 小倉さんや加野瀬さんたちがおもしろがって囃し立て、「なぜ私が書いたか?」が別の理由にされちゃいそうなんで、あえて説明しておく。自分の文章を自分で解説するなんて超ダサいが、祭りが好きな人たちはさぞかし「松岡が怒った」ってことにしたいんだろう。

 残念でしたっ。ベーだッ。

 さて今回のやり取りでわかったのだが、小倉さんは論理の飛躍があるものの実はおもしろい人のようだ。

 私が「小倉さん、印象操作はほどほどに」てなタイトルをつけると、それに反応して韻を踏み、「先ず隗より始めよ、松岡さん」などとステキなタイトルを考えついちゃったりする。私のつたないプロファイリングでは、おそらくユーモアのセンスがある方だとお見受けした。

 ゆえに前回のエントリで、「小倉さんはちゃんとした方だ、と思っていただけにショックだ」と書いたのは部分的に訂正したい。

 小倉さんは論理の飛躍や極論が多いけれども、ユーモアのセンスがありおもしろい方だ──。こう認識を変えさせていただく。

【小倉さんへのご提案】

 で、思うのだが、(前回も書いたけれど)小倉さんのような人材がネットユーザと対立し、ヒステリックな論戦を繰り広げているのは不幸だと私は思う。エネルギーの浪費だ。

 私ごときがこんなことを言うのはアレだが、小倉さんがもっとポジティブな方向にその才能や能力を生かす方法はないのか? 多くのネットユーザと小倉さんが手を携えて共にネット上の諸問題を考え、それらを解決していく道は模索できないか?

 そのためには、小倉さんはネットユーザからの反発が多い実名主義のカンバンをはずす必要があるだろう。

 たとえば小倉さんはエントリ『誹謗中傷の内容が荒唐無稽であることは被害者にとって救いにはならない』の中で、「トレーサビリティの高い実名等」の必要性をこうお書きになっている。少し長いが引用しよう。

(前略)私からみると、被害者に強くなれ(スルーの意味/注・松岡)と要求することでハラスメント対策を終えてしまうというのは、非常に非現実的であるように思えてなりません。それよりかは、ハラスメントが行われていることが発覚したときにこれを継続させないような場の運用を行うこと及びハラスメントを行うことに自制心が働くようにハラスメントを行ったものに対して現実的に制裁が加えられるようなシステムを講ずることの方がよほど現実的です。

 そのためには少なくとも確実に法的な制裁が加えられるようにトレーサビリティの低い匿名・仮名の使用は禁止し、できることならば(法的制裁はコストが高いので)ハラスメントについては社会的制裁が加えられるようにトレーサビリティの高い実名等を用いることを原則とすることが求められます。(※強調部分は松岡による)


 小倉さんが文中で「実名等」としているのは、実名または共通IDシステムを指しているのだろう。だけどスルーを実践するより、実名制を導入するほうがなぜ現実的なのか? 上記のエントリを読んでも判然としない。私はむしろ逆だと思うがどうなんだろう?

 また小倉さんは最新エントリ『既得権を打破しようとする声に対する反発なんてそんなものでしょう』(7/23)で、こうお書きになっている。

今の北朝鮮で単身金正日による独裁体制を打破せよと訴えても、これに賛同する声は表では聴くことはできず、却ってそのような主張をする人間を罵る声で溢れるとは思いますが、おそらくそれは北朝鮮の大衆の真の声ではない。それと同じようなものです。


 小倉さんは今の(匿名)ネット社会を、金正日が独裁体制を敷く北朝鮮になぞらえる。で、匿名者たちがネット社会を不当に独裁しているとする。

 小倉さんによれば、その仮想社会では実は多くの大衆が実名にしたがっている。だが、独裁者(匿名支持者)によるリンチを恐れて声を上げられないらしい。そして実名主義を唱えるご自身を、金正日独裁体制の打倒を叫ぶ革命の士に例えている。

 しかしここまで小倉さんが実名制度に固執する理由は何なのか? 実名制以外の代替案ではダメなのだろうか?

 そこで最後にひとつだけ、小倉さんにご提案させていただく。

 小倉さん、ネット上の誹謗中傷や嫌がらせをなくしたいという点では、多くのネットユーザも小倉さんと同じ考えだと思います。で、目的が同じなんだったら、小異を捨てて大同につくことは考えられませんか?

 小倉さんが提唱されている実名制度や共通IDシステムは、前項の目的を達成するための手段にすぎません。目的が実現するならば、手段はほかの方法でもいいはずでしょう。

 それなら多くのネットユーザが否定している(かつ、実際にデメリットが大きい)実名主義や、共通IDシステム以外の方法はないでしょうか? つまり実名制度、共通IDシステム以外の方法で、ネット上の誹謗中傷などの被害をなくす第三の道です。

 小倉さんがこれらの二枚カンバンをはずしさえすれば、多くのネットユーザと共同歩調が取れると思うのですが、いかがでしょうか?

【関連エントリ】

『インターネットの「リアル世界化」は正解か?』

『誰のための実名制か? ~小倉さんへの擁護が説得力を持たない理由』

『小倉さんの実名制は、能力があっても存在価値がゼロになる暗黒世界だ』

『小倉さん、印象操作はほどほどに』

『匿名の心理、実名の心理~暴言の抑止力になるものは?』
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小倉さん、印象操作はほどほどに

2007-07-22 13:26:56 | 実名・匿名問題
 弁護士の小倉秀夫さんが、ブログの最新エントリ(7/22現在)でこうお書きになっている。

これからブログを開設しようという人に対しては、私はむしろ最初から実名で始めることを勧めます。(後略)

■『初心者にこそ実名でブログを開設することをお勧めする』(la_causette)


 いやあ実名でブログをやるなんて、私は真っ向から反対しますよ。だって小倉さんみたいな人が印象操作(または甚だしい誤読)をして、他人の記事や筆者の人格を貶めるんだもん。

 別に私は気にせずスルーするけど、初心者がコレやられたらそれこそ心神耗弱状態になっちゃいますよ。まじめな話。

 というか、小倉さんの以下のエントリを読んだ出版社の方たちが「松岡ってこんな人間だったのか?」と誤認され、私にいっさい執筆依頼がこなくなったら、小倉さんはどう責任をお取りになるのでしょうか? 私は実名でブログ(を含めた原稿書き)をやってるんで、そういう事態はふつうにありえるんですが。

 初心者(も含めたすべてのネットユーザ)に実名でブログをやらせるって、そういう甚大なリスクを負わせることを意味してるんですよ? おわかりですか? 小倉さん。

【証拠物件】-----------------------

松岡美樹さんは、

「また小倉さんはリアルの世界における例をあげて反駁している。だがこの論争は現実世界のそれではなく、あくまでネット上における暴言被害の話だ。

 そもそもスルー力はネット特有のコミュニケーション術であり、スルーが有効なのもネット限定の話だろう。なのにリアルの世界におけるいじめと関連付けては議論がそれてしまう」

仰っています
 しかし、「ネットでのいじめや嫌がらせなんてたいしたことがない」みたいな認識はもやは(原文ママ)古い、牧歌的なものであるとしか言いようがありません。(※強調部分は松岡による)

■『ネットでの暴言被害の方がより深刻だ』(同)


-----------------------------------

 えっと、私が書いた上記の記事のいったいどこらへんに、「ネットでのいじめや嫌がらせなんてたいしたことがない」なんて意味の記述があるんでしょうか? 小倉さんにはぜひ具体的に指摘していただきたいものである。

 というかこれって……。

 松岡は「ネット上の嫌がらせなんてたいしたことがない」と書いていると、私が書いてもいないことを捏造し、印象操作することにより、ご自分が議論に勝とうとしてるだけじゃないんですかね?

 論理で説得するんじゃなく、論争の相手を貶めることで相対的に自分への評価を高めよう、ってのはフェアな議論のしかたじゃありませんよ。

 私はいままで小倉さんと直接コミュニケーションしたことがなかった。だからどんな人なのか、よくわかってなかった。

 以前、小倉さんが、ご自身の記事に対するotsuneさんのブクマコメントをこう論評されるのを見て、「えっ、それって印象操作かなぁ?」と感じたことがある程度だった。

「 誹謗中傷が溢れる美しい国日本!」というエントリーに関するotune(原文ママ)さんから「定義を曖昧にしたまま「指摘・議論=誹謗中傷・いじめ」と強弁するのは小倉弁護士blogだとこれで何回目だろ? 」というはてなブックマークコメントを頂きました。「指摘・議論=誹謗中傷・いじめ」とは言ってはいないのですが、一種の印象操作かも知れません。(※強調部分は松岡による)

■『「受忍限度」ではまだ納得しないでしょうか?>otune(原文ママ)さん』(同)


 ところがなんのことはない。小倉さんはご自身が日頃から他人の文章を印象操作(または甚だしく誤読)しているせいで、ご自分に対する他人のコメントまでもがクロに見えるだけだったようだ。

 私はてっきり、「小倉さんは実名制度を主張されてるせいで、たまたまネットユーザからバッシングを受けてるだけだ。ご本人はちゃんとした方なんだろう」と思っていただけにショックである。

 ちなみに小倉さんが私の記事を論評した上記エントリに寄せられたブクマコメントを見れば、小倉さんの記事が第三者にどう見えるかが一目瞭然だ。

 だれも小倉さんに同意してないのがすごい(7/22現在)。

 実名の小倉さんより、「匿名」の方たちのほうが読解力や事実をねじ曲げないモラルがあるってことが図らずも証明されているのだ。

 これ以上反証する必要もないだろうが、小倉さんのお書きになった上記エントリにfjskさんがつけたブクマコメントを以下に引用しておく。

引用元の(松岡の)文章を「ネットでのいじめや嫌がらせなんてたいしたことがない」みたいな認識』と本気で要約しているなら読解力を疑う。それともこれは法廷戦術?ともかくコレ以上の議論はどうにもならない気がする


 最後にひとこと。

 もし小倉さんが意図的に印象操作してるんじゃなく、単なる誤読なのであれば、ご自分に言及した記事やコメントに脊髄反射せず、もう一度読み返すことをおすすめしたい。

 で、いったんお書きになった反論文はひと晩寝かせて、気持ちをクールダウンしてから翌日にまた推敲するのが効果的です。

 こうしたセルフコントロールを効かせた原稿書きのノウハウと、その心理学的裏付けについては、よろしければ以下の拙文をご参照ください。

 余計なお世話ですが、ネットユーザとのコミュニケーションが現状のままでは、小倉さんご自身のためにもならないと感じます。

【ご参考】

『スルーが効く理由(わけ)、効く場合』

【関連エントリ】

『インターネットの「リアル世界化」は正解か?』

『誰のための実名制か? ~小倉さんへの擁護が説得力を持たない理由』

『小倉さんの実名制は、能力があっても存在価値がゼロになる暗黒世界だ』

『小倉さん、論理の飛躍は計画的に』

『匿名の心理、実名の心理~暴言の抑止力になるものは?』
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スルーが効く理由(わけ)、効く場合

2007-07-20 23:03:43 | 仕事の日記
 アスキーのウェブ媒体「ASCII.jp」に、「スルー力」シリーズの第二弾を書いた。

 今回はネット上で煽りや誹謗中傷をする荒らしの心理や、被害者の心理、また自衛策としてのスルーがなぜ有効なのか? それはどんなケースなのか? について考えている。

松岡美樹の“ネットメディアの心理学”

「スルーが効く理由(わけ)、効く場合」(ASCII.jp)

 今回は攻撃する側とされる側に分け、それぞれの内面を分析した。その上でスルーが有効なモデルケースを上げた。

 またスルーは荒らしにどんな心理的作用をあたえるか? 逆に自分がキレそうになったときはどうセルフコントロールすればいいのか? などについても解説している。

【関連記事】

「小倉さん、それでもスルー力は必要ですよ」(ASCII.jp)
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小倉さん、それでもスルー力は必要ですよ

2007-07-20 01:54:26 | 仕事の日記
 アスキーのウェブ媒体「ASCII.jp」に、「スルー力」について書きました。

松岡美樹の“ネットメディアの心理学”

「小倉さん、それでもスルー力は必要ですよ」(ASCII.jp)

 弁護士の小倉秀夫さんとブロガーのekken(えっけん)さんが、ブログに書き込まれる誹謗中傷や嫌がらせのコメントについて論争している。興味深い議論だったので、論争の経緯やポイント、私自身の意見をまとめた。

 私は荒らし対策にスルーは有効だと考えているので、その立場からの主張だ。攻撃する側、される側の心理や、スルーの心理的側面・物理的側面などについて分析している。結果的に小倉さんの意見と食いちがったが、議論とはそういうものだ。もちろん他意はない。

 インターネットを使ったコミュニケーション術のひとつとして、スルー力がみなさんの何かのお役に立てば幸いだ。

【関連記事】

「スルーが効く理由(わけ)、効く場合」(ASCII.jp)
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iTunesの仕様に疑問をもつヤツはいないのか?〈後編〉

2007-07-18 08:44:06 | 仕事の日記
 アスキーのウェブ媒体「ASCII.jp」に、『iTunesの仕様に疑問をもつヤツはいないのか?』〈後編〉を書きました。

 多忙のため告知が遅れましたが、未読の方はよろしければ。また同様に「前編」ページのコメント事前承認・公開作業が遅れていましたが、本日公開しました。

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