すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

直木賞作家・坂東眞砂子氏が語る子猫殺しと「堕胎の論理」

2006-09-24 21:35:13 | 社会分析
 なんかナチスドイツまで引っ張り出してるけど、どうなんだこれ。

 だから生まれたばかりの子猫を殺す時、私は自分も殺している。それはつらくてたまらない。(中略)

「だったらなぜ避妊手術を施さないのだ」と言うだろう。現代社会でトラブルなく生き物を飼うには、避妊手術が必要だという考え方は、もっともだと思う。

 しかし、私にはできない。陰のうと子宮は、新たな命を生みだす源だ。それを断つことは、その生き物の持つ生命力、生きる意欲を断つことにもつながる。

 ■作家・坂東眞砂子氏が説明する「子猫殺し」(livedoor NEWS)
 これってなんか、君のことは本気で愛してるんだ。だから肌と肌で直接、触れ合いたいんだとかなんとか言って避妊せずに○ックスしようとする男みたいだなあ。

 で、いざ彼女が妊娠したら……嫌がる彼女を引きずって、無理やり産婦人科に連れてくヤツな。「堕ろせよ」って。

 だったら初めから避妊すりゃいいのに。

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検索結果からブログをシャットアウト ~gooのブログフィルターを取材してきました

2006-09-22 08:17:51 | 仕事の日記
 調べ物をするために検索すると、いまや結果画面がブログでギッシリ埋めつくされる世の中である。ブログを探すために検索するなら好都合だが、ブログ以外の情報がほしいときにはえらくジャマだ。そこで先日gooが開発したのが、検索結果からブログを排除するブログフィルターである。おお、これって私が欲しいと思ってた機能じゃん。てなわけでさっそくgooへ取材に行ってきました。

 検索結果がブログでいっぱいだと困るケースはどんなときか? 代表的なのは、ある出来事の事実関係を調べたいときだ。

 たとえば雑誌『○○』に原稿を書くため、2005年に起きたJR西日本・福知山線の脱線事故について調べたいとする。この事故は何月何日の何時頃に起きたか? 原因は何だったか? 亡くなった方は何人で、ケガ人は何人か? 事故の経過や背景には何があったか?

 これらの客観的事実を調べるには、ブログは不向きだ。ごく一部を除き、ブロガーは現場へ取材に行ってるわけじゃない。だからどうしても新聞やテレビの報道を又聞きし、エントリーを書くことになる。

 すると伝言ゲームの原理が働く。仮にソースは正しくても、記憶ちがいでまちがった情報がブログにアウトプットされる可能性がある。ゆえにブログの記事は仕事の資料としては使いにくい。

 じゃあ逆に、検索でブログが役立つのはどんなときか? さっきの例でいえば、JR西日本の事故を見て「私」はどう思ったか? 「私」は何を感じたか? を調べたいときである。「私」とは、これを読んでるあなたやあなたの友人の山田さん、あるいは三丁目の鈴木さんなど、それぞれの「私」だ。

 つまり世の人々の主観的な意見や感想を調べたいとき、ブログを読めばほしい情報が手に入る。

 まとめよう。

-------------------------------------------------
【仮説】

1. 同じ1人の人間が検索する場合でも、検索結果にブログが必要なときと、そうでないときがある  ⇒TPO別・検索機能の必要性

2. ブログがいらないケースは、より客観的で正確な事実が知りたいとき。逆に主観的な意見を拾いたい場合、ブログはとても役に立つ

--------------------------------------------------

 とまあ、かねがねこんなことを考えていた。するとそこに、goo(NTTレゾナント)がオン/オフ切り替えのきく検索用ブログフィルターを開発した、ってニュースが飛び込んできたのである。

 おお、これがほしかったんだよ私は。こりゃ取材しないわけにいかないじゃないか。

 てなわけで商業ニュースサイト「RBB TODAY」の私の連載で、goo取材の顛末を書きました。はてさて、このブログフィルターはどの程度効果があるのか? そんな実験もやってますので、興味がある方はお読みください。

松岡美樹:時代を射抜くコンテンツの作り方
 第6回:NTTレゾナント「ブログフィルター」
 ~検索結果からブログを取り除く期待の新機能~


goo検索

 ところでみなさんは、検索結果がブログであふれ返って困ったことはありませんか?

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安全地帯から2chに遠吠えするライブドアPJの「相変わらず」

2006-09-17 10:33:04 | メディア論
 ライブドアの「パブリック・ジャーナリスト PJニュース 取材班」なるものが、2ちゃんねるを糾弾する記事を連発している。

『言論へのテロ!ブログ炎上の恐怖と悪質性』
『2ちゃんねるの「良識」』
『「デスノート」と化す、2ちゃんねる』

 内容は言い尽くされてる話ばかりで新味はない。が、笑ってしまうのは文末である。引用しよう。

※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJニュースはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。

パブリック・ジャーナリスト PJニュース 取材班【東京都】
    ※文字の強調表現は松岡が加工した

「文責はPJ個人にある」という。じゃあ、この記事を書いた「PJ個人」てのはいったいだれなの? そう思ってさらに先を見ると、個人ではなく「PJニュース 取材班」なる組織が書いたことになっている。これを見た読者はどう思うだろうか?

 要は、だーれも責任を取らないのね。

 まともな読解力のある人ならば、こう思うにちがいない。エントリー『フリーランスは「人間じゃない」のか? 文化レベルを露呈したTBS盗用問題の実態』で私が指摘した、マスコミによる組織を使った責任隠蔽体質とそっくりなのだ。

 もうひとつ、これらの記事には不可解な点がある。書いたのが「取材班」となってる割には、取材した形跡がないのである。

 特にだれかのコメントが出てくるわけでもない。机の前に座っていれば書けるような論評と、現象面の記述ばかりだ。はてさて、これを見た読者はどう思うだろうか?(リピート)

 書いた人間の名前を出したくないだけじゃないのか?

 だから「取材班」とかいう組織が書いたことにしたんじゃないの?

 こう思われてもしかたがない。なにしろ前後のほかの記事は、みんな署名記事なのだ。本当に取材班が取材したんなら、次のように表記するのがふつうだろう。

 ■PJニュース 取材班(○○○○、△△△、××××)

  ※(松岡・注)○○○○、△△△、××××は、取材班を構成する記者の実名

 PJニュースは、2ちゃんねるが「匿名による悪質かつ卑劣な誹謗中傷を行っている」という。だけど自分たちこそがまさに匿名なのだ。

 おまけに当たり障りのないほかの記事は署名なのに、2ちゃんねるを扱ったセンシティブな記事だけは匿名にしているのである。

 別に2ちゃんねるの肩をもつわけじゃないが、こんな腰の引けた言説をマトモに受け取る人がいるんだろうか?

 聖人君子ヅラして人のことは批判するくせに、その実、自分がやってることは変わりない。こういう卑怯な輩を見ると無性に腹が立つ。

 くやしかったら私のブログみたいに、タイトルの後ろにどデカく筆者名を入れて文責を明らかにすればぁ?

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【過去の関連エントリー】

『ほりえもんに見るメディアリテラシーの憂鬱』

『「答え」を振りかざしたオウム。そしてほりえもんさん』

『自分探しに疲れたあなたに贈る処方箋』

『ライブドアのPJってマトモな人はいないの?』

『「韓流」がいつも1面トップの新聞なんていらない』

『ほりえもんで読み解く「ブログはアウトサイダー」か?』

[追記]文章全体をコンパクトにした(9/17)

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「YouTube」を使った広告モデルは疑問でいっぱい

2006-09-14 22:28:32 | メディア論
 今年の後半から「YouTube」を活用した広告モデルが活発化しそうだ。だけど私にはかなり疑問がある。ホントにユーザは投稿された広告動画を素直に観るのか? そんなカンタンじゃないだろう、って話だ。

 いまやIT系経済誌は、「YouTube広告にはバラ色の未来がある」みたいな煽りでいっぱいである。

 ソフトウエア開発ツール・ベンダーの老舗である米ボーランドは,8月に発表した新製品「Turboシリーズ」の広告をYouTubeに投稿している。Turboシリーズは主にプログラミングの初心者向けツール。同社は「プログラミング人口を広げるためにいつもいろいろな方法を考えている」(デベロッパーツールズ事業本部の藤井等マーケティングディレクター)とし,YouTubeへの広告動画投稿もその一環だという(中略)。

 高い広告費を払ってTVで放映するためではなく,YouTubeやその類似の動画共有サイトに投稿するためにCMを作成する企業が増える可能性は高い。“広告の王者”テレビCMが凋落し,動画共有サイトを活用したマーケティングが勃興する。
     「テレビCMはいらない?YouTubeマーケティングの時代が始まった」(日経 IT pro)

 いや、そりゃまあ私だってさ、『アスキー ビジネス』の11月号(9月29日発売)に似たようなお題で書きましたよ、原稿を。自分のWeb連載でも書いてるし。

松岡美樹:時代を射抜くコンテンツの作り方「第5回:Askビデオ」(RBB TODAY)

 でもねえ、さっきの「IT pro」さんみたいなイケイケドンドンな論調で書いたんじゃないよ。だって根本的な疑問があるもん。

 たとえば「IT pro」が記事にしてるのは、企業が自社のCMをYouTubeに投稿するパターンだ。実際、私も以前にそっち方面の取材で同じネタを仕入れた。でもこれ、ユーザは素直に観るのかね。そのCMを。

【A】「YouTubeがブレイクしてる。爆発的に観られている」

【B】「YouTubeにCMを投稿すれば、たくさんの人に視聴される」

 当たり前の話だが、AとBはイコールじゃない。次の例と同じだ。

【C】「ブログが大ブレイクしている。ユーザ数が○百万人になった」

【D】「ブログを書けば、たくさんの人に読まれる」

 CとDはイコールですかぁ? そうじゃありませんね。いくらブログのユーザが多くなったからって、ブログを書きさえすりゃたくさんの人に読まれるわけじゃない。おもしろいブログを書かなきゃ読まれないのである。

 企業がCMをYouTubeに投稿する場合だって同じだ。問題はそのCMがおもしろいかどうか? あるいは「観てみようか」というモチベーションをユーザに起こさせる仕掛けが、そのCMにあるか? である。

 じゃあ仕掛けとはいったい何か?

 たとえば企業がクリエイターに発注し、しゃれたオチのついた3分くらいのショートフィルムを作る。で、その物語の中で自社製品を小道具に使う。

 かつストーリーの展開上、この小道具には重要な役割をもたせる。商品をオチにからませるか、あるいはその商品のせいで物語が急展開する構成を取るか。まあそのへんはどうにでもなる。

 ただし重要なのは、宣伝臭をさせちゃいけないってことだ。

 イメージ的にはタイアップ広告ね。純広告じゃなくて。小道具に使う商品はあくまで脇役、主役はストーリーそのものにする。でもその商品が物語上のカギを握ってるわけだから、フィルムを観た人は自然に小道具(商品)が印象に残る。

「ねえ、あの『○○』っていうショートフィルム、おもしろいよねえ。あの中に出てくる△△は、どこのメーカーのなの?」

 商品の正体を適度にぼかしておけば、逆に視聴者は気になるものだ。寸止め戦法である。

 で、「『○○』というショートフィルムはおもしろい」、「その中に出てくる△△はどこの製品なのか?」、この2つの話題がネット上を駆け巡るように誘導する。ウワサ作りだ。

 するとなんてことはない。あちこちのブログやSNSが勝手に取り上げ、あとは口コミ効果で自然に商品が売れる。

 なーんだカンタンじゃん、YouTube広告って。

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究極のブロードバンド・コンテンツ(しかもタダ)

2006-09-13 00:28:14 | インターネット
 これはマジですごいなあ。たちまちHDDがパンパンになっちゃいそうなんですけどw

1クリックでYouTubeの動画をiTunesにダウンロードする「iTube」

「YouTube」と「iTube」のセットが、「GyaO」を駆逐するかもなあ。いやまじめな話。だって、あんなのとかこんなのがタダ(CMなし)で簡単に手に入るんだもん。

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初めてのブログを訪問したとき、「最近の記事」を一番に見る?

2006-09-12 20:14:10 | メディア論
 あなたはおハツなブログを訪問したとき、どんな手順でそのブログの特徴や面白さを調べるだろうか? 考えるきっかけになったのは、えっけんさんがくれたトラックバックだった。どうやら人によって、行動パターンがえらくちがうようなのだ。

 発端は、私がエントリー『コメントとトラバが管理者の承認制になってる! @浦島太郎』中で、「エキサイトブログに乗り換えようかと思ったけど、エキブロには『最近投稿された記事』の項目がないからやめた」と書いたことだ。問題のくだりを引用しよう。

 トップ画面にアクセスしてきた人って、「この人はどんな記事を書いてるんだろう?」と思ってるわけですよね? ふつう。そしたら真っ先に、最近投稿された記事のタイトル群をザーッと眺めてみるんじゃないの?(私はいつもそうしてる)

 で、タイトルの良し悪しで読者がふえるかどうかが左右されるわけだよね。雑誌や新聞と同じ理屈で。そんな重要な項目がないなんて、あの仕様もよくわからんなあ。
 この記事に反応し、えっけんさんか送ってくれたエントリーが「松岡美樹さん再開記念」(EKKEN♂)だ。以下、引用部分はすべてえっけんさんの当該記事である。

「最近投稿された記事」はトップ画面からアクセスしてきた人よりも、検索や他所からなされた個別エントリへのリンクからアクセスしてきた人向けじゃないかと思います。
 ああ、「トップ画面にアクセスしてきた人は」の部分を訂正します。これ、関係ないです。

 ブログのどこにアクセスしたかにかかわらず、初めてのブログを訪問したとき、いちばん手がかりになるのは「最近の記事」一覧だ、ってことです。

 少なくとも私の場合、どんな方法で未知ブログにたどり着いても、必ず1番目か2番目に「最近の記事」一覧を見るんです。

だって「最近投稿された記事」を見なくとも、トップ画面にはそれと同じ記事の題名が常に表示されているんですよ?
スクロールさせなくとも題名が一瞥できるのは、確かに便利かもしれないけれど、(後略)
 ええ。トップ画面を下までスクロールさせなくても、サイドをちらっと見るだけで過去記事のタイトルを一望できますね。これが最大のメリットのひとつなんです。タイトルの一覧を読みたい、って意味もあります。見出しのつけ方を見れば、その人のセンスがわかりますから。

 スクロールさせる手間が省けることがひとつ。もうひとつはタイトルがズラッと並んだところを一度に見られる、ってことです。

僕の場合「この人はどんな記事を書いているんだろう」と思った時は、気になる話題を扱ったカテゴリ一覧や、最近他所のサービスでは一般的になってきた「タグ一覧」から探すことが多いですね。
 なるほど。私とぜんぜんちがうなあ。いやこの話、おもしろいですね。人によって行動パターンがちがうんだな。

 たとえば私の生態をケース別にまとめると、こんな感じだ。

--------------------------キリトリ線------------------------------

■何かの拍子でトップ画面にたどり着いた場合

1 まず「最近の記事」一覧から各記事を読み、筆者がどんな書き手なのかを調べる ⇒タイトルのセンスや文章力、得意ジャンルなどをチェックする

2 そのブログに興味をもったら、カテゴリ一覧、または投稿された月・年別一覧をもとに、どんどん過去記事にさかのぼって読む

3 継続して読む価値があると感じたら、RSSリーダーに登録する

■どこかのトラックバック一覧から、任意のエントリーにたどり着いた場合

1 まず筆者がトラバしたエントリーを読む

2 次に「最近の記事」から各記事を読み、筆者がどんな書き手なのかを調べる ⇒以下、3まですべて同じ。

■Google等のキーワード検索で、任意のエントリーにたどり着いた場合

1 まず検索結果に出ていたエントリーを読む

2 次に「最近の記事」一覧から各記事を読み~ 以下、すべて同じ

-----------------------キリトリ線--------------------------------

 ブログのどの部分にアクセスした場合も、1番目か2番目に必ず「最近の記事」を読んでいるのだ。

 たとえば記事を書いた時期によって、ブログの方向性がちがうことはよくある。そんなときにも「最近の記事」を見れば、現在の傾向がわかる。まあとにかく私にとっては、いちばん重要な項目なのである。

 たとえば、の例だけど……「ブログ時評」のトップページを見てほしい。左上の写真の下に、最近書かれた記事のタイトル一覧がある。けど、エキサイトブログには「最近の記事」一覧は、ない(はず)。

 つまり「ブログ時評」筆者の団藤さんは、「最近の記事」一覧が重要だと思っている。けど、エキサイトブログにはその項目がない。だから新しい記事を書くたびに、わざわざ手作業でその都度ここに新記事のタイトルを書き加えているのだ(と思う)。

 この感覚って、私と同じなのである。私には(そんなめんどう臭いことをする)団藤さんのキモチがとってもよくわかる。

 うーん、これって前回にも書いた「紙媒体の人間」独特の感覚なのかなあ……。

 おもしろそうだからアンケートを募集します。上記の「キリトリ線」から「キリトリ線」までをコピペして、「自分のパターンはこうだよ」って記事を書いてこのエントリーにトラックバックを送ってもらえませんか? 物好きな人は(笑)。

 ブログ読みの行動パターンを類型化し、分析するとおもしろそうだし。

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[追記]タイトルを微調整した
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【オーマイニュース】スポーツ面と社会面を同じデザインにする必然性は?

2006-09-10 23:52:14 | メディア論
 北海道新聞の高田さんからおもしろいトラバをもらった。ニュースサイトは階層が変われば、ちがうデザインでもいいんじゃないか? なんで同じデザインでなきゃいけないんだ? という目ウロコなお話である。

 どうして、ニュースを扱うサイトのデザインは、どこもかしこも、レイアウトが似ているのだろうか? 上の方に「スポーツ」「国際」「政治」「社会」といったタブが並び、各項目のニュースは、上から下へスクロールして読む仕掛けになっている。(中略)

 しかし、政治経済ニュースを一番に読みたい人と、スポーツ記事を真っ先に読みたい人とでは、ニュースに対する受け止めも感性も違うはずだ。政治経済ニュースとスポーツニュースでは、書き方も文章もレイアウトも、写真の扱いもその他もろもろ、大きく違っていて当然だと思う。
     ■『オーマイニュースのレイアウト』(ニュースの現場で考えること)

 さすがは私と実家が近いだけあって(謎)、目のつけ所がユニークだ。いや冗談じゃなくホントに唸ってしまった。

 たとえば私はウェブの商業媒体にも原稿を書いているが、もとは紙媒体の出身だ。そんな「紙の人間」の感覚からすると、デザインは媒体1冊を通して統一感がなきゃいけないとか、文体はテイストが同じであるべきだみたいな常識(というか既成概念)に縛られがちだ。

 だけどよく考えてみると、ウェブ媒体はリンクをクリックしながら読むものである。社会面へ行きたいと思えば社会面へのリンクを踏むし、スポーツや芸能、国際面にしても同じだ。いってみりゃリンクをクリックした時点で、2次元から3次元へ(まったく別の次元へ)ワープしてるようなもんである。

 だったら同じデザインにする必然性はあるんだろうか?

 たとえばスポーツ面は、躍動感を感じさせる色使いとデザインにする。で、芸能面はポップなテイストに。かたや社会面は、人間に深く思考させるような体裁にする。

 文体も各面の雰囲気に合わせよう。芸能面はおもしろおかしく軽妙に、社会面はちょっとマジメに──。

 こういうのもアリなんじゃないか?

 もちろん制作上の手間がかかるとかモロモロはあるだろう。だけど少なくとも同じデザインにする意味はあるのか? って気がしてきた。

 過去のエントリーでも書いたが、ブログでコミュニケーションしていると、こんなふうに思ってもみなかったものの見方を提示されることがよくある。で、自分が広がっていく。だからブログはやめられないのだ。

(と、1年も書いてなかったヤツがよくもまあのうのうと)

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コメントとトラバが管理者の承認制になってる! @浦島太郎

2006-09-08 03:15:42 | インターネット
 1年ぶりにブログを書いて驚いた。コメントとトラックバックが、なんと管理人の承認があるまで公開されないようになっている。デフォルトでだ。まったく浦島太郎状態である。

 まあ意味不明な海外の英語サイトから死ぬほどトラックバックスパムとスパムコメントがきてたんで、ちょうどよかったが。

 けど、これはこれで不便な点もある。いちいち承認しなきゃいけないからだ。

 スパムを削除する手間と、あらかじめ承認する手間と。さてどっちがラクなのか。あちらを立てればこちらが立たずである。

 おまけに「大西 宏のマーケティング・エッセンス」の大西さんからいただいたコメントに、レスを書いてびっくりした。

 なんと管理者である私が書いたコメントにも、「私自身の承認」が必要なのだ。自分で自分のコメントを許可しなきゃ公開されないって……。なんなんだ、この仕様は。

 と、ここまで書いてハタと気づいた。よく考えたら私自身だって、別にログインしてからコメント書いてるわけじゃないんだから当然か。

 しかしコレ、なんとかならないのかなあ。ログインしたら本人確認が取れるんだから、それ以後に私がコメントを書いたら「私自身の承認」なしで画面に反映されるとかさぁ(ヘルプを読んだらそうなってそうで怖いな)。

 あと、オヤッと思った機能変更といえば、エディタ機能がふえたことくらいだな。お絵かきツールなんてどうでもいいし、画像フォルダもほとんど使わないし。

 ああそうだ。ひさしぶりにgooブログ内のアクセスランキング・ページに行って思い出した。ランキングページ内でのブログの検索って、できないんだよね? 相変わらず?

 画面右上にある「ウェブを検索」の窓はただのウェブ検索だし、広告の下の「ブログを探す」は単なるブログ検索だよな。

「ランキングページ内において、『○○』というブログはいま何位にいるのか?」を調べる検索機能はありませんよね? うーん、この仕様もどうかと思うぞ。

 だってこのランキングページに来る人って、かなりの比率で「自分のブログが何位なのか?」を調べに来るんじゃないの?(ちがったらゴメン) だったらそれを検索できなきゃおかしいっしょ。

 まあランキングページにおもしろいブログを探しに来る人もいるんだろうけど。私ならランキングページで自分の読みたいブログを探したりしないから(アクセス数はおもしろさの尺度にならないから)、関係ないし。

 いやね、実は一昨昨日、1年ぶりにブログを更新する前に思ったのよ。

「ひさしぶりだから気分一新、よそのブログサービスに乗り換えるかな」と。

 で、前から気になってたエキサイトブログを、また調べた。だけどトップ画面に「最近投稿された記事」の項目がないからやめました。

 あれ、なんでないんだろう?

 だってトップ画面にアクセスしてきた人って、「この人はどんな記事を書いてるんだろう?」と思ってるわけですよね? ふつう。そしたら真っ先に、最近投稿された記事のタイトル群をザーッと眺めてみるんじゃないの?(私はいつもそうしてる)

 で、タイトルの良し悪しで読者がふえるかどうかが左右されるわけだよね。雑誌や新聞と同じ理屈で。そんな重要な項目がないなんて、あの仕様もよくわからんなあ。

 てなわけで結局ホントに満足しようと思ったら、サーバたてるかウェブホスティングを契約し、ムーバブルタイプとかでやんなきゃだめなんだよねえ。

「オレはそういうところにエネルギーを使いたくない。文章を書くのに集中したいんだ」

「でもデザインは、この世にふたつとないオリジナルがいい」

「あと、○○な機能と××の機能は絶対ほしい」

 そんな我儘なニーズはかなりあると思うんだけど。

 それだとけっこうな料金払ってオーダーメイドするしかないんだろうな。これってビジネスチャンスだと思うんだが。

 さて。

 今回のエントリーで私はさりげなく4つの疑問を播いた。知ってる人はだれか教えてちょ@最初からそれが目的.ne.jp。

 え? ここは「教えてgoo」じゃないって? 

 そらまた大変失礼致しまったっ。

 ちゃんちゃん。

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オーマイニュースは燃えているか? ~「誰でも参加」のドグマから抜け出せ

2006-09-05 21:28:17 | メディア論
 ひさしぶりにブログ界をのぞいてみると、オーマイニュース日本版をめぐって騒ぎが起きている。9月2日(土)には鳥越俊太郎編集長以下、編集部サイドとブロガーらが討論するシンポジウムも開かれた。そこでの編集部側の発言を拾ってみると、「誰もが参加できる媒体を」という呪縛に囚われているように見える。いわゆる「参加型ジャーナリズム」の限界が、まさにこれだ。

 たとえばシンポジウムの内容をレポートした「ブロガーXオーマイニュース『市民メディアの可能性』」レポート(1)(BigBang)によれば、鳥越さんはこんな発言をしている。

「今の日本の政治は劇場型であり、参加型メディアを作ることは意義があると考えた。参加するというプロセスが大事」
 またオーマイニュース編集次長の平野日出木さんは、「普通の人にはまだブログもハードルが高い」とし、「ブログは基本的にエリートのもの。オーマイはもっと裾野を広げた人たちのもの」という。

 私は1年前にエントリー『質を問わない「参加型ジャーナリズム」って意味あるの?』を書いた。その中で分析した時事通信の湯川鶴章さんと、発想が同じだ。「みんなが参加することに意義がある」という思い込みは、参加型ジャーナリズムを強調する人たち共通のものなんだろうか?

 でもそれってえらく時代遅れだ。私は鳥越さんを尊敬してるのでアレだが、鳥越さんや湯川さんの主張はインターネットがなかった時代の議論なのである。

 既存のマスメディアには庶民が参加できない。だから誰もが執筆・編集できる媒体を立ち上げよう──。

 インターネットがなかった時代に、こう考えるなら理解できる。だけどネットが生まれた時点で、誰もが参加して情報発信する器はすでに用意されているのだ。そもそもインターネットそのものが参加型なんだから。

 あるいは百歩譲って、「スキルのいらないブログが登場した時点で」と言い換えてもいい。言いたいことがある人は、もうブログやSNSに書いているのだ(もしくはこれから書くだろう)。なのにこの上、わざわざ媒体を立ち上げ、市民記者みたいなものを集めてやる意味があるのだろうか?

 これが第一の疑問である。

 ああ、いきなり話が終わっちゃった。これだけじゃナンだから、もうちょっとポジティブなことも書いておこう。

 じゃあネットが普及している今日ただいま、どんな媒体ならあらためて作る意義があるのか? 

 まず徹底的に記事をふるいにかけることだ。誰でも参加できるんじゃなく、「読んでみようか」という気にさせる記事だけが載ってる媒体でなきゃだめなのである。

 この点で私の意見に近いエントリーを2つあげておく。

『オーマイニュースの可能性ほぼ消滅か』(ブログ時評)

『「ブロガー×オーマイニュース~市民メディアの可能性」にいってきた。』(未熟者隊長の四駆連絡帳)

 なにしろブログやSNSは数が膨大だ。だから当たり外れがある。RSSやソーシャルブックマークを頼りに当たりをつけ、でも読んでみたらばつまんなかった。そんな空振りをすることは多い。

 そもそも人間は自分の自由になる時間が限られている。なのにネット上に存在する情報量はふえる一方だ。単位時間当たりに読める記事数は、実質的にどんどん目減りしている。ゆえに読んだらハズレだったなんていうムダは、現代人にとってはつらい。

 ところが、である。オーマイニュースを読んでみると、必ず「なるほど」と納得させられるとすればどうだろう? いつも決まって、「えっ、そんなものの見方があったのか」と唸ってしまうとしたら?

 これなら競合するブログやSNSがどんなに多かろうが、読んでみる気になる。誰でも参加できるんじゃなく、精選するからこそ存在価値が出るのだ。99本のどうでもいい記事を捨て、1本の記事を選ぶことが必要なのである。

 もっと話を具体的にしよう。そもそも人間は、いったいどんな記事なら読んでみる気になるのだろうか?

「ブログ時評」の団藤さんは、エントリー『市民記者サイトは高い敷居を持つべし』の中でこう指摘する。

 市民記者が強みを発揮できるのは「特定のことについて非常に詳しい」からであり、私の言う「知のピーク」をなしている場合に限られる。それ以外の事柄を書いてメディアと競えるはずもないし、ましてや日本語能力が疑わしいライブドアPJなど検証するまでもない(中略)。

「特定のことについて非常に詳しい」ブロガーが、そのツボにはまって書いてくれれば読むに耐える市民記者サイトが出来よう。それには現在の茶飲み話級の話題は捨て、ハードルをぐんと上げねばならない。
 団藤さんは、書き手の知識の質と量を尺度にしている。半分は賛成だ。だけどあえて蛇足を付け加えれば、私は知識よりむしろものの見方を推したい。

 文章力や知識はそんなになくても、視点の鋭さや新しさ、ユニークさがあればそれだけで武器になる。あちこちブログを読んでいて、いちばん感じるのはこれだ。事実に対するものの見方がおもしろかったり、それに基づく分析力があったりすれば、思わず読んでみる気になる。

 もとから知っていなくても、文章を書くにあたって調べればいい。知識に関してはまあ間に合う。だけどセンスのほうは、そんな付け焼刃じゃどうにもならない。

 私は2005年8月7日付のエントリー「ライブドアのPJってマトモな人はいないの?」で、ライブドアPJに批判的な見方をしながらも、その可能性について次のように書いた。これはライブドアPJニュースであろうが、JANJANツカサネット新聞、オーマイニュースであろうが同じことだ。

 せっかく新しいことをやるんだから、大新聞と同じ土俵で、同じフレームワークに乗って活動するんじゃ意味がない。

 たとえばPJが力を発揮するとしたら、それは日常生活に潜む「ちょっとした違和感」や「ちょっとした不安」、「ちょっとした不服」、「ちょっとした輝き」を切り取ってくるときだろう。

 身近な町の話題でもいいし、自分の生活感を通して見える日本の姿でもいい。PJからたくさんの「ちょっとした」が発信されれば、人を動かす点火装置になりそうな気配がする。

「ちょっとした」の意味は、大所高所から俯瞰するマスメディアにはないその人なりの視点、マクロではなく日々の生活に密着したミクロの感覚、読者が「これ、わかるよなあ」と思わず膝を打ってしまうような等身大のセンス、みたいなことだ。

「ニュースの現場で考えること」の高田さんも、エントリー『オーマイニュース、始まる。』で大手メディアとの差別化についてこう書いている。

もう一つは、トップページの左上にある「オーマイ速報」だ。各記事を読んでいると、ソースはほとんど「NHK」「朝日新聞」「読売新聞」である(中略)。おそらく、推測ではあるが、これらの速報記事は、オーマイニュースの在東京本社の編集部員が、本物の新聞やテレビを見ながら、重要だと思った記事を要約して掲載しているのだと思う。

しかし、日本のメディアの構造的欠陥の一つは、ニュースの過半が「東京一極集中型発信」にあることは疑いない(中略)。「東京発」「中央発」のニュースに頼っていては、既存の大手メディアの目線と、なかなか違いは打ち出せないように感じる。
 大手メディアと同じ土俵、同じ切り口、同じ視点じゃダメだってことだ。新しいメディアとしてスタートしたはずなのに、朝日や読売の記事を要約・掲載してどうするのか? 私には意味がよくわからない。「いちおう抑えておかなきゃ」的な感覚はスッパリ切り、もっと独自路線にシフトするべきだろう。

 朝、読、毎に出ているニュースが載ってなくたって関係ない。オーマイニュースの100人の記者が、日々の暮らしの中で見つけた100通りのユニークな視点があればいいのだ。

 もっともこのへんは鳥越さんも近い見方をしている。オーマイニュースがシンポジウムの内容を報じた『鳥越、引退の危機!? ブロガー × オーマイニュース』によれば、鳥越さんはこんなことをいっている。

「たとえば市民記者が病院で点滴がうまく入らず、えらいことになったと。それを記事にして、さらに『私もこういうことがあった』と続けば、点滴問題、日本の医療がいまどうなっているんだということを検証できる。そういう経験を書いてもらい、常勤記者もカバーし、経験から始まったことで社会がちょっとでもいい方向に変わればと思っている」
 掲載する記事を徹底して選ぶ方針に切り替えれば、こういう鳥越さんのものを見る目も生きると思うのだが。

 それにしても参加型ジャーナリズムを唱える人を見ていると、実は内容なんかどうでもよくて、「誰もが参加できることそのもの」に意味を見出してるんじゃないか? と感じることが多い。

 みんなが参加して(手段)、世の中がいいほうに変わる(目的)。あるいは社会の風通しがよくなる(目的)。これが青写真じゃないかと思うのだが、手段が目的化しているような気がするのだ。

 まとめよう。特にオーマイニュースのような市民記者サイトが存在意義をもつためには、逆に記事を精選するべきだ。誰もが参加できる的なユートピアに酔うんじゃなく、質をこそ問うべきである。

 とすれば彼らは自動的に、自己矛盾にぶつかるだろう。質を高め、読者が読もうと思える誌面にすればするほど、みんなが参加できるわけじゃないメディアになるからだ。

 市民記者サイトは「誰もが参加」というドグマから抜け出し、まず矛盾を乗り越える必要がある。でなければ自己満足チックな同人誌で終わってしまうだろう。

【ご参考】

■拙著『ニッポンの挑戦 インターネットの夜明け』(RBB PRESS/オーム社)

※インターネットの歴史を振り返りながら、ブログのようなCGM(Consumer Generated Media)の可能性についても分析している

■過去の関連エントリー

『質を問わない「参加型ジャーナリズム」って意味あるの?』

『参加型ジャーナリズムと「衆愚」のあやうい関係』

【オーマイ騒動を知らない人のためのリンク集】

■コトの経緯に関しては、『オーマイニュースジャパンの「炎上」と「現状」』(ガ島通信)がわかりやすい

■シンポジウムの開催要項

『ブロガー×オーマイのシンポジウムを行います』(ガ島通信)

■騒ぎを加速させたのは、以下のエントリだ。フリーランスのジャーナリストでオーマイニュース編集委員でもある佐々木俊尚さんが、オーマイニュース編集部のスタンスに問題提起をしている

『佐々木俊尚のオーマイニュースへの疑問 (上)』(オーマイニュースブログ~編集局から~)
『佐々木俊尚のオーマイニュースへの疑問 (下)』(同上)
『私がオーマイニュースに批判を書いた理由』(CNET Japan ブログ)

■シンポジウムの内容を知るには、BigBangさんの2本のエントリーがある

「ブロガーXオーマイニュース『市民メディアの可能性』」レポート(1)

「ブロガーXオーマイニュース『市民メディアの可能性』」レポート(2)

 一方、オーマイニュースがレポートした「正式版」はこちら。

『鳥越、引退の危機!? ブロガー × オーマイニュース 』

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