久保にはマーカーが2枚ついた
久保建英が所属するレアル・ソシエダは現地時間2月25日、ラ・リーガ第23節でバレンシアと敵地で戦い、0-1で敗れた。期待の久保は降格圏の19位に落ちていたバレンシアを相手にほとんど試合から消え、まったく輝けなかった。
このゲームでソシエダのイマノル・アルグアシル監督は4-3-3のフォーメーションを採用し、久保はその右ウイングに入った。
一方、この試合、バレンシアはある対策を用意してきた。それは「久保にボールが入ればマーカーを2枚つける」というものだった。
このため久保はボールを保持しても自由にプレーできなかった。で、彼はマークを嫌がり、逆サイドの左へポジション・チェンジしたり、センターに移動したりした。だが、思うように行かない。
かくて前半40分、それでもポゼッション率60%だったソシエダは相手のカウンターを浴び、敵のクロスをクリアしようとしたDFイゴール・スベルディアのオウンゴールで失点した。
この難局を打開しようとソシエダのアルグアシル監督は、後半に入るとフォーメーションを中盤ダイヤモンド型の4-4-2に変え、久保をトップ下にもってきた。
だが結局これもうまく行かず、久保は消えたまま。彼は後半28分に交代となり、試合も落としてしまった。
オフ・ザ・ボールがダメな久保の欠点が出た
ではなぜ、久保は輝けなかったのか? それは持ち前の欠点が出てしまったからだ。
久保はもともとオフ・ザ・ボールの動きがダメで、ボールのないところでは「我関せず」だった。ボールを持ってこそ輝く、典型的なボールプレイヤーなのだ。
当然、守備の意識にも乏しく、相手ボールになったら歩いているような選手だった。
また自分にしつこいマークがつくととたんにプレーがイヤになり、ちょっとチャージされるとプレーをやめてしまう。で、大げさに倒れてファウルをアピールしたりしていた。
レアル・ソシエダに来るまでの久保は、こんなふうだった。
「天才」というものは、気まぐれなものなのだ。
カタールW杯がバネになり生まれ変わった
ところが久保はあのカタールW杯で思ったように出場できず、くやしい思いをした。それが大きなバネになり、W杯後はまったく別人のように変わった。いい意味でガムシャラにプレーするようになったのだ。
例えば味方がボールを保持すると、絶えず自分にボールを呼び込むオフ・ザ・ボールの動きをする。止まらず、献身的に走る。また相手ボールになれば懸命に守備もした。
これにより彼はカタールW杯後、自リーグで生まれ変わったように活躍した。このあたりの変遷は、この記事でも分析した通りだ。
だがこのバレンシア戦、ボールをもった久保には2枚のしつこいマークがつき、またぞろ彼の病気が出た。要所でプレーをやめてしまったのだ。
これは最近、対策されて封じられることが多くなったプレミアリーグ・ブライトンの三笘薫にもいえることだが……本当に優れた選手というものは、策を講じられてこそそれを乗り越え活躍するものだ。
その意味では対策されるようになった久保は、やっと一人前。これからが勝負である。
久保はどうやってマーカーをかいくぐり、「自分を出す」のか?
しっかりと見届けさせてもらおう。
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【ラ・リーガ】久保建英はソシエダで自分を磨け
久保建英が所属するレアル・ソシエダは現地時間2月25日、ラ・リーガ第23節でバレンシアと敵地で戦い、0-1で敗れた。期待の久保は降格圏の19位に落ちていたバレンシアを相手にほとんど試合から消え、まったく輝けなかった。
このゲームでソシエダのイマノル・アルグアシル監督は4-3-3のフォーメーションを採用し、久保はその右ウイングに入った。
一方、この試合、バレンシアはある対策を用意してきた。それは「久保にボールが入ればマーカーを2枚つける」というものだった。
このため久保はボールを保持しても自由にプレーできなかった。で、彼はマークを嫌がり、逆サイドの左へポジション・チェンジしたり、センターに移動したりした。だが、思うように行かない。
かくて前半40分、それでもポゼッション率60%だったソシエダは相手のカウンターを浴び、敵のクロスをクリアしようとしたDFイゴール・スベルディアのオウンゴールで失点した。
この難局を打開しようとソシエダのアルグアシル監督は、後半に入るとフォーメーションを中盤ダイヤモンド型の4-4-2に変え、久保をトップ下にもってきた。
だが結局これもうまく行かず、久保は消えたまま。彼は後半28分に交代となり、試合も落としてしまった。
オフ・ザ・ボールがダメな久保の欠点が出た
ではなぜ、久保は輝けなかったのか? それは持ち前の欠点が出てしまったからだ。
久保はもともとオフ・ザ・ボールの動きがダメで、ボールのないところでは「我関せず」だった。ボールを持ってこそ輝く、典型的なボールプレイヤーなのだ。
当然、守備の意識にも乏しく、相手ボールになったら歩いているような選手だった。
また自分にしつこいマークがつくととたんにプレーがイヤになり、ちょっとチャージされるとプレーをやめてしまう。で、大げさに倒れてファウルをアピールしたりしていた。
レアル・ソシエダに来るまでの久保は、こんなふうだった。
「天才」というものは、気まぐれなものなのだ。
カタールW杯がバネになり生まれ変わった
ところが久保はあのカタールW杯で思ったように出場できず、くやしい思いをした。それが大きなバネになり、W杯後はまったく別人のように変わった。いい意味でガムシャラにプレーするようになったのだ。
例えば味方がボールを保持すると、絶えず自分にボールを呼び込むオフ・ザ・ボールの動きをする。止まらず、献身的に走る。また相手ボールになれば懸命に守備もした。
これにより彼はカタールW杯後、自リーグで生まれ変わったように活躍した。このあたりの変遷は、この記事でも分析した通りだ。
だがこのバレンシア戦、ボールをもった久保には2枚のしつこいマークがつき、またぞろ彼の病気が出た。要所でプレーをやめてしまったのだ。
これは最近、対策されて封じられることが多くなったプレミアリーグ・ブライトンの三笘薫にもいえることだが……本当に優れた選手というものは、策を講じられてこそそれを乗り越え活躍するものだ。
その意味では対策されるようになった久保は、やっと一人前。これからが勝負である。
久保はどうやってマーカーをかいくぐり、「自分を出す」のか?
しっかりと見届けさせてもらおう。
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