すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

【悪徳商法】DAZNにハメられた

2023-12-09 07:00:30 | インターネット
「30日後」にならないと解約が有効にならない

 DAZNを解約したのだが、びっくりするような目にあった。なんと、解約を申し出た日から「30日後」にならなければ解約が有効にならないというのだ。

 そのおかげで私は無理やりあと1回、よぶんに月額料金が引き落とされてしまうハメになった。

 そんな規約はまったく知らなかったが、「新しく加わった規約であり明示してある」という。

 そんなもの、毎週、「ひょっとしたら規約が変わったかな?」などど、あらためて規約を見直す人なんているわけないじゃないか。

 いや百歩譲って、今回の新しい「30日条項」が付け加えられた時点でユーザーにその通告があったとしても、そのときユーザーが「そんな項目が加わるなら解約します」と申告したって、その解約は「30日後」とされてしまうわけだ。

 そんな事前通告なんて何の意味もない。

なぜかネットの画面から解約できなくなった

 いや、おかしいと思ったのだ。

 過去、前に一度、解約したときには、ネット経由で画面からカンタンに解約できた。ところが今回は「解約する」ボタンを押すと表示が出て、「電話してこい」というのだ。強制的に、だ。

 で、仕方なく電話すると、今度はオペレーターが解約しないよう、しつこく営業をかけてくる。

 それでも「解約します」と言い張り、オペレーターに面倒なIDやら何やらをわざわざ口頭で申告して解約を申し出た。すると相手は「規約にある通り、この解約は30日後に有効になります」というのだ。

 まるで悪徳商法である。

 おかげでコンテンツを見もしないのに、1ヵ月分、まるまる余分に月額料金が引き落とされてしまう……。

 みなさん、DAZNにはくれぐれも注意しましょう。

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「面と向かって言えないことはネットで言うな」のウソ

2008-02-25 08:46:38 | インターネット
 アメリカ人なんて、日本人がとうてい面と向かって言えない本音を言い合っている。あと大阪人とか。

 その点、「和をもって尊しとなす」日本人は、直接相手に言いたいことを言ってない。

 ああ。
 
 てことはインターネットが日本人を国際化した、ってことか。大阪人はもともと国際人だしな。

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ブログを更新しないブロガーは死んだも同じ

2007-12-17 18:46:25 | インターネット
 以前、ブログの更新を半年以上サボったことがあった。そのときあるネット上の知り合いから、「最近更新がないけど大丈夫ですか?」と気遣いのお声がけをいただいた。

 最初は「えっ?」と驚いた。「何を言ってるんだろう、この人は?」と。私には意味がわからなかったのだ。だけどよく考えてみると、ネット経由オンリーのお付き合いでは、ブログを更新しないブロガーは死んだも同じなのだ。

(というか、その人は本気で心配してくれていたみたいだけど)

 いわば更新されたブログ記事だけが「元気な便り」なのである。

 で、それ以来、たとえ見知らぬ人のブログであっても、更新されてないと「大丈夫なのかな?」と気になるようになった。

現在、ブログなどのサービスはたいていが無料で利用できるので、会費滞納によって登録が抹消されることはない。本人が死んでも、その日記やブログはインターネットという空間で永遠に近い時を存在し続けることになる。

●日経トレンディネット『ブロガー死してブログを残す――ネット空間に生き続ける“友人”たち』


 筆者はこの世にいないのに、ブログだけがネット空間で永遠に漂い続ける。これも爆発的なブログブームがもたらした一億総表現者社会のひとコマなのだろう。

 なんだかシュールな光景ではあるけれども。

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プロフィールはサイトの憲法である

2006-10-21 22:25:58 | インターネット
 ネット上に数多ある筆者のプロフィールって、テキトーなのが多い。ハンドルネームで書いてる人が大部分なせいか、「自分のことなんか説明したってしゃーないやん。どうせハンドルだし」みたいなヤル気のなさが文面に漂っている。

 それにひきかえ、このプロフィールの男前ぶりはどうなんだこれ?

■プロフィール(カナかな団首領の自転車置き場)

当サイトは、正義と秩序を基調とするWorld Wide Webを誠実に希求し、無断リンクと、トップページ以外へのリンクは、Webサイトを関連付ける手段としては、永久にこれを放棄する。

前項の目的を達するため、他サイトへのアンカーは、これを保持しない。無断リンク権は、これを認めない。
 ああっ。思わず無断リンクしちゃったよ。

 だっておもしろいんだもん。

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究極のブロードバンド・コンテンツ(しかもタダ)

2006-09-13 00:28:14 | インターネット
 これはマジですごいなあ。たちまちHDDがパンパンになっちゃいそうなんですけどw

1クリックでYouTubeの動画をiTunesにダウンロードする「iTube」

「YouTube」と「iTube」のセットが、「GyaO」を駆逐するかもなあ。いやまじめな話。だって、あんなのとかこんなのがタダ(CMなし)で簡単に手に入るんだもん。

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コメントとトラバが管理者の承認制になってる! @浦島太郎

2006-09-08 03:15:42 | インターネット
 1年ぶりにブログを書いて驚いた。コメントとトラックバックが、なんと管理人の承認があるまで公開されないようになっている。デフォルトでだ。まったく浦島太郎状態である。

 まあ意味不明な海外の英語サイトから死ぬほどトラックバックスパムとスパムコメントがきてたんで、ちょうどよかったが。

 けど、これはこれで不便な点もある。いちいち承認しなきゃいけないからだ。

 スパムを削除する手間と、あらかじめ承認する手間と。さてどっちがラクなのか。あちらを立てればこちらが立たずである。

 おまけに「大西 宏のマーケティング・エッセンス」の大西さんからいただいたコメントに、レスを書いてびっくりした。

 なんと管理者である私が書いたコメントにも、「私自身の承認」が必要なのだ。自分で自分のコメントを許可しなきゃ公開されないって……。なんなんだ、この仕様は。

 と、ここまで書いてハタと気づいた。よく考えたら私自身だって、別にログインしてからコメント書いてるわけじゃないんだから当然か。

 しかしコレ、なんとかならないのかなあ。ログインしたら本人確認が取れるんだから、それ以後に私がコメントを書いたら「私自身の承認」なしで画面に反映されるとかさぁ(ヘルプを読んだらそうなってそうで怖いな)。

 あと、オヤッと思った機能変更といえば、エディタ機能がふえたことくらいだな。お絵かきツールなんてどうでもいいし、画像フォルダもほとんど使わないし。

 ああそうだ。ひさしぶりにgooブログ内のアクセスランキング・ページに行って思い出した。ランキングページ内でのブログの検索って、できないんだよね? 相変わらず?

 画面右上にある「ウェブを検索」の窓はただのウェブ検索だし、広告の下の「ブログを探す」は単なるブログ検索だよな。

「ランキングページ内において、『○○』というブログはいま何位にいるのか?」を調べる検索機能はありませんよね? うーん、この仕様もどうかと思うぞ。

 だってこのランキングページに来る人って、かなりの比率で「自分のブログが何位なのか?」を調べに来るんじゃないの?(ちがったらゴメン) だったらそれを検索できなきゃおかしいっしょ。

 まあランキングページにおもしろいブログを探しに来る人もいるんだろうけど。私ならランキングページで自分の読みたいブログを探したりしないから(アクセス数はおもしろさの尺度にならないから)、関係ないし。

 いやね、実は一昨昨日、1年ぶりにブログを更新する前に思ったのよ。

「ひさしぶりだから気分一新、よそのブログサービスに乗り換えるかな」と。

 で、前から気になってたエキサイトブログを、また調べた。だけどトップ画面に「最近投稿された記事」の項目がないからやめました。

 あれ、なんでないんだろう?

 だってトップ画面にアクセスしてきた人って、「この人はどんな記事を書いてるんだろう?」と思ってるわけですよね? ふつう。そしたら真っ先に、最近投稿された記事のタイトル群をザーッと眺めてみるんじゃないの?(私はいつもそうしてる)

 で、タイトルの良し悪しで読者がふえるかどうかが左右されるわけだよね。雑誌や新聞と同じ理屈で。そんな重要な項目がないなんて、あの仕様もよくわからんなあ。

 てなわけで結局ホントに満足しようと思ったら、サーバたてるかウェブホスティングを契約し、ムーバブルタイプとかでやんなきゃだめなんだよねえ。

「オレはそういうところにエネルギーを使いたくない。文章を書くのに集中したいんだ」

「でもデザインは、この世にふたつとないオリジナルがいい」

「あと、○○な機能と××の機能は絶対ほしい」

 そんな我儘なニーズはかなりあると思うんだけど。

 それだとけっこうな料金払ってオーダーメイドするしかないんだろうな。これってビジネスチャンスだと思うんだが。

 さて。

 今回のエントリーで私はさりげなく4つの疑問を播いた。知ってる人はだれか教えてちょ@最初からそれが目的.ne.jp。

 え? ここは「教えてgoo」じゃないって? 

 そらまた大変失礼致しまったっ。

 ちゃんちゃん。

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松岡さん、コメント欄が大変ですよ

2005-10-15 23:56:25 | インターネット
 ゆうべから私用で外出していた私は、1本の電話で食事を中断された。携帯を取り出し電話に出ると、知人である。いまオレ店でメシ食ってるんだけどなあ……。すると知人は意味不明なことを言う。「松岡さん、コメント欄が大変ですよ」。彼の声はやや上ずってはいたが、心なしかうれしそうだった。

「え、コメント欄? なに?」

知人「いや、ほら松岡さん、2ちゃんねるの一部がどうとか書いてたでしょ? ブログに」

「うん」

知人「だからそのエントリのコメント欄がね、爆発してるんですよ」

(※やはり彼は明らかにうれしそうな感じだ)

「はぁ?」

知人「いや、今もうコメントの数がね、40本こえてます

「はぁぁぁぁぁ?」

【場面転換】

 ガランとした部屋。効果音は、ロバート・フリップが作ったおどろおどろしい悪魔の音楽。うす暗い部屋にモニターの青白い光がほのかに浮かびあがっている。

【ACTION!】

(カチンコの音)

 さて私は今、パソコンを前にしている。43本のコメントを読み終えたところだ。というか今現在も、コメントが送られ続けている(笑)。くだんのエントリーは知人の通報通り、この状態である。

『2ちゃんねるの「一部の人」論争を考える──これは2ちゃんねるに限った話なのか?』

 もはやこの数になると、1人1人にレスをつけるのは不可能だ。そこで総評的な形で書こうと、このエントリを立てたってわけだ。

 さて、コメント欄を通読してまず最初に感じたのは、ロジカルで知的な書き込みがほとんどだった点だ。主観的な感情論に流されてる人がほぼいない。しかも大部分がおハツの人たちなのに、である。

 さすがは私のブログにお見えになるだけのことはある(おい)。

 もちろんなかにはごく少数の意味不明なノイズもあったが、43本という総数を考えれば占める割合は驚異的に低い。

 やはりブログで問題提起し、議論を呼びかけるのは意義があるな、って感じだ。ちなみにこのエントリでは、トラックバックはほとんど打っていない。

 いやはや、やっぱりブログが議論を喚起する力はすごいわ。

 しかも書き込みの内容を見ると、私が書いた文章に賛同している人は少ない。たいてい何がしかの異議を唱えている。これがとても貴重な点であり、重要なポイントだ。

 私がブログに求めているのは、まさにコレだからである。

【ご参考】

※うちの過去の関連エントリです(議論・ブログ論)

『ファンクラブ志向と議論志向──SNSとブログにみるコミュニケーション・ギャップの原理』

『なぜ日本では議論が生まれにくいのか? ──議論とケンカのメンタリティ』

『【匿名論争始末記】トラックバックスパムと議論の「呼びかけ機能」のあやうい関係』

『ほりえもんに見るメディアリテラシーの憂鬱』

【商業サイトに書いた原稿】

●RBB TODAY『第11回:議論の呼びかけはトラックバックスパムか?』

 ブログのコメント欄や送られてくるトラックバックが、「お説ごもっとも」みたいなうなずき系ばっかじゃ意味がない。過去に何度か書いたが、私は自分とは異なる価値観と出会いたい。

 たくさんの異論を聞き、私がそれまで想像もしなかったような独自の視点や、ユニークな発想にふれたい。で、胸いっぱいのエンドーストメント、じゃなかった、インスパイ(ヤ)されたい。

 私は教えてほしいのだ。

 で、最後にひとつささやかな提案なのだが……。

 今回みたいに議論になることが予想されるテーマのとき、あるいは文章が一定以上の長さになる場合は、できればご自分のブログで新しくエントリを立て、トラックバックの形で送ってもらえると助かります。

 たとえば今回は各コメントがけっこう長文で、閲覧者はおそらく読みにくいんじゃないかと思ったり。またコメント欄の機能上、基本的にみなさんと1対1のやり取りがしにくい。

 やっぱりまとまった議論をするなら、トラックバックを送りあうのが理想的だなあと感じた。

 上にあげた過去の議論系エントリを読んでもらえればわかる通り、私はむしろ異論を聞きたい。

 だから反論エントリが送られてきたからといって、相手のブログに乗り込んで、みょうなことをやったりするようなセコイ人間じゃない。この場でそれを証明して見せることはできないが、そこはもう「信頼してほしい」というしかない(笑)。

 とはいえもちろん、「コメントするな」なんて意味じゃない。むしろ逆だ。トラバじゃなくやっぱりコメントがいいと思えば、そうしてもらってけっこうだ。

 長くなったのでひとまず店じまいしよう。今回はいただいたコメントに対する踏み込んだ感想は書けなかったが、機会があれば回をあらため、それ用のエントリを立てようと思う。

 さて……。いまこの原稿を書き終わり、ふとコメントの本数を見たら60本になってるし(笑)。

 わはは。

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エイベックスが公式謝罪(?)~「のまネコ」のロイヤリティはもう要りません

2005-10-13 21:57:33 | インターネット
 きのう(10/12)、エイベックスが公式に謝罪し、「のまネコ」グッズで発生するロイヤリティ(キャラクター使用料)を受け取らないことに決めたと発表した。はたしてこれで一件落着なのか? 実にわかりにくい話である。

■エイベックス・グループ・ホールディングスのニュースリリース(10/12付・PDF)
『「のまネコ」商品化に関する当社グループの方針』

 このリリースを読むと、なるほどいままでよりはマトモな社会人ぽい文書になっている。赤ペン先生が出動する可能性も低そうだ。なおかつ謝罪のニュアンスも込められている。

 だけど騒動を傍観してるだけの私みたいな外野にすれば、どうもハッキリしない。

 たとえばこれなら小学生でも理解できるだろう。

インスパイヤされてやった。いまは反省している。キャラクターとしての「のまネコ」は、もうこの世からいっさい抹消する。
 けどプレスリリースの文面を解読すると、こういうことだよね?

1 ネットコミュニティから生まれたモナー等は、誰もが自由に使えるキャラクターだ。AA文化とインターネット特有の精神を背負った存在である。

2 (そのモナーにインスパイアされて作った「のまネコ」の)商標登録出願に関与し、一方的な企業の論理で「のまネコ」グッズを展開したことは、モナーを生んだネットコミュニティに対する配慮に欠けていた。

3 だから「今回の件」に関しては反省している。ごめんなさい。

4 で、懺悔の証として、「のまネコ」グッズで発生するロイヤリティを我々は受け取らないことに決めた。

 あー、要約を書いてるだけでアタマ痛くなってきた(笑)。

 リリースの後半には、「今回の件に関し非常に不快な思いをされたネット・コミュニティーに参加されている方々にもお詫び申し上げます」とあるけど……エイベックスが謝罪してる「今回の件」てのが、いったいどこからどこまでのことがらを指すのか? が、えらくわかりにくいのだ。

 たとえば2ちゃんねる管理人のひろゆき氏は、「謝罪してキャラクター使用料を放棄するというのは、のまネコのパクリ疑惑に関しては実質認めたようなものだと思います」とコメントしている。

出典●『のまネコ問題への個人的見解。2005/10/13』

 一方、不買運動を呼びかけている以下のブログは、「盗作を認めず、版権使用料も取ったままなんだ(先払いだよね?)。不買祭り終わんないよ」と宣言した。

出典●『モナーを守る具体的な方法 - のまネコ問題』

 で、結局どうなんだこれ? いや私にはよくワカリマセン……。

 私自身は、モナーにはまるで興味がない単なる野次馬である。だからどっちが正しいのかを論じるつもりもない。

 けど、いままでの経緯を客観的に見ると、エイベックス側は非難に押されてズルズルと謝罪+譲歩を小出しにしている印象は否めないなあ。

 戦場で防衛線Aが突破されたから、じりじり後退して今度は防衛線Bに陣取る。で、防衛線Bが破られたら、次はもうちょっと下がってトーチカにこもり……みたいな感じだ。

 そもそも外野スタンドから見た印象では、「のまネコ騒動」の根本的な対立点ってこうだったんじゃないの?

主張A●2ちゃんねるの「一部の人」たち

『「のまネコ」はモナーのパクリじゃないか?』

主張B●エイベックス側

『モナー等にインスパイアされて作ったが、「のまネコ」はオリジナル・キャラクターだ。モナーとはまったくの別物である』

 今回のエイベックスの声明は、この点にはふれていない。だから少なくとも文言の上では、主張Aと主張Bの溝は埋まってないように見える。

 はたしてひろゆき氏が言うように、ロイヤリティを受け取らない=「のまネコ」のパクリ疑惑を実質的に認めたことになるのか?

 それともロイヤリティの放棄は単に、商標登録出願に関与したことに対するおわびのしるしにすぎないのか?

 プレスリリースの形で公式声明が出ても、相変わらず「あうん」の呼吸で行間を読まなきゃならない要素がふえるばかりだ。

 モナーのそもそもの出自や厳密な法解釈はさておき、観客席にいる小学生レベルの頭脳しかない私にはわからないことだらけである。いやはや。

【蛇足】私が商業サイトに書いた関連記事

『「のまネコ問題」がダントツの1位に~インフォシーク検索ランキング』

※同じ記事のYahoo! JAPAN版

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違和感ありまくりのmixi的コミュニケーション

2005-09-01 22:55:52 | インターネット
 なんかムカつくんだよなあ、mixiって(笑)。いや自分で入っていながらいうのもナンだけどさ。てか、もうすっかり飽きてぜんぜんいじってないし、「やめようかなあ」みたいな今日このごろだ。

 私はなぜそんなふうに思うのか?

 まず第一に感じるのは、そもそも私はmixiのコンセプトにまるで適合しない人間だってことだ。mixiって、内輪だけで閉じられたコミュニケーションをするための道具だよね? 基本的に。

 で、なにがいちばんムカつくかっていうと……。

 たとえばmixiでは足跡が残る。んで、私のところに足跡が残ってるからと思って、その人のところにアクセスしてみると……。

「この日記は友だち以外には公開していません」

 みたいな画面が出ることあるでしょ? つまりその人は自分の日記にアクセス制限かけてるわけよ。

 この「進入禁止」みたいな画面を突きつけられたとたん、なんか「ムカーッ」とするんだよねえ(笑) 自分でもよくわからないんだけど、この気持ち。うーん、あえて説明すると……。

 あなたは私のところにアクセスして私の日記を見てるのに、私にゃ日記を読ませないわけ? みたいなことかなあ。

 これってどう? 私と同じように違和感おぼえてる人っていない?

 いや別に「その人の日記がどうしても読みたい」とか、そんな話じゃぜんぜんないんだけどさ。ただなんか向こうはこっちに対して自由自在にアクセスできるのに、「あんたは自分を公開しないのかよ?」って心理かなあ。相手は万能の力をもってるのに、こっちだけが権利を制限されてるみたいなイヤな感じっていうか。うまくいえないや、やっぱ。だれか代わりに説明してよ(笑)

 そもそもインターネットの精神って、すべての人に情報を公開し、また逆にすべての人から公開してもらう、みたいなことじゃない? つまりオープンな場所だってことね。で、せっかくそういう開かれたインターネット上にいるのに、わざわざ自分から閉じてどうする? って感じがするんだわ。

 もちろん「同じ価値観を共有してる人だけとコミュニケーションしたい」とか、「特に親しい人たちとだけ」、「仕事関係のグループ内だけで」やり取りしたい、ってニーズや心理はわかるんだけどね。

 でもなんか私の皮膚感覚としては、そういう「身内だけコミュニケーション」な人たちと同じ空間を共有したくないなあ、って感じがするんだよねえ。なんとなく。で、もうやめようかなあ、と思ってるわけなんだけど(笑)。

 それで思い出したのは、チャットについてだ。

 たとえばチャットって、いわゆる常連だけで仲よく固まってる閉鎖的な部屋があるじゃない? 初めての人が入室してきてもあいさつさえしない、みたいな部屋。私の場合、ああいうコミュニケーションのしかたって基本的にきらいなんだよねえ。

 私にとってインターネットって、「今度はいったいどんな見知らぬ人と出会うんだろう?」って感じの場だ。私は自分とはちがう価値観の人とどんどん知り合いたいし、むしろそういう人と話がしたいと思う。だからチャットではおハツの人ってすごく大切だと思う。

 ところがチャットの常連部屋やら、mixiでアクセス制限かけてる人たちって、親しい身内だけでやりたいわけだよね。私から見るとそういうコミュニケーションのしかたって、なんだか排他的な気がしていい感じがしないんだ。

 もちろんコミュニケーションに対する考え方は自由だし、そういう人たちの気持ちもわからないわけじゃない。なおかつ彼らがそうしたいなら、「そうできる権利」は守られるべきだと思う。

 けど私はやっぱりチャットでは見知らぬおハツの人を大事にしたいし、シカトするようなまねはしたくない。他人を排除するような行為はどうも肌にあわない。

 だから「身内だけコミュニケーション」な考えの人たちに文句をいうつもりはないけど、あんまり同じ空気は吸いたくないなあって感じがする(笑)。いや別に彼らに対して悪気があるわけじゃないし、うまくいえないんだけどさ。ソリがあわないってやつかなあ。

「同じ空気は吸いたくない」ってことは、逆にお前自身が彼らを排除してるじゃないか? ってツッコミはやめてね(笑)。それ以前に彼らは、自分から閉じてるわけだから。

 みなさんはネットやってて、こんな違和感を感じる瞬間ないですか?


●追記/タイトルおよび文中のミクシーをmixiに変えた(2007-10/30)
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6つのブログで世界はつながる? パラレルワールドとスモールワールド

2005-05-30 00:16:18 | インターネット
 好みでブログを読んでいると、自分のいる世界が実に小さいことに気づく。興味の対象になる複数の有名ブログ(ハブ)がリング状のバックボーンを形成し、自分がそこにぶら下がっている。いわば広域LANみたいなものだ。なんだかプライベートIPアドレスで完結する世界である。

 みなさんはふだん、どんなブログの読み方をしているだろう? たいていはまず興味のある分野の文章が目につき、次にそこのトラックバックをたどってトラバからトラバへと世界を広げていくはずだ。

 たとえば私の場合は自分で意識しているわけでもないが、ジャンルでいえばメディア論とブログ論が勝手に太い幹になっている。

するとその分野ではいくつかのハブと呼ばれる有名ブログがあり、これらがつながってバックボーンを構成している。つまりトラバをたどるとぐるりと世界が1回転し、また元の位置にもどるような按配だ。

 その過程で目につくコメントやトラバを見ていると、「あっ、知り合いのあの人がいる」、「またこの人だ」てな感じである。とっても奇妙な感覚だ。

 で、なるほど1960年代に社会学者のスタンレー・ミルグラムが提唱したように、6人を経由すれば世界はつながるんじゃないか? と思えるのだが……ホントに「世界」なのかそれって?

 ネットは広大な宇宙のはずなのに、なぜか「果て」がある感じがする。自分には決してグローバルIPアドレスは振られず、まるでひとつのLAN内で完結しているみたいだ。自分が「世界」だとばかり思ってるものは、せいぜいルータの内側なんじゃないか? って気がしてくる。

 もちろんときどきWAN側に飛び出すときはある。私の場合でいえばそれはメディア論ではなく、決まってブログ論のほうを追っかけてるときだ。気がつけばいつのまにかテクノロジーの話に囲まれ、「あれっ?」と気づく。海で沖へ向かって泳いでいるとき、ある瞬間に水温が変わって浜辺がずいぶん遠くにあるのに驚くのと似ている。

 で、そうこうするうちアニメ系の会話が聞こえてきて、「ありゃ、こりゃ、わからんなあ」とあわててLAN内に引き返す。ルータ越えをするひとつのパターンは、ブログ論→テクノロジー→アニメ系→引き返す(笑)。いつも決まってコレなのだ。

 みなさん、こういうことってないですか?

 あともうひとつパターンがある。こっちは目に見えてわかりやすい。70年代のロックと映画、サッカーである。これらは分野がハッキリしている。だから目に見えてLAN内である。

 ゆえに、70年代のロック→テクノロジー→アニメみたいな複雑な経路には絶対ならない(少なくとも私の場合)。映画や音楽、スポーツは、初めからそのジャンルに特化したブログになってるからだ。するとこれらの世界もそれぞれプライベートIPの世界である。

 なわけで自分の興味を追ってるかぎり、別の世界へ飛ぶことはない。あたりを見渡し、「世界は案外、狭いなあ」と感じても、それって実はホントの意味での「世界」じゃなかったりする。

 SFには平行して存在する「パラレルワールド」という概念があるが、決して隣に広がる平行世界へスライドしないのだ。

 唯一の突破口はブログ論→テクノロジー→アニメ系→引き返す、なのだが……今度はいっぺん引き返さずに、そっちへ突っ込んでみようかな? と思っている。

 はてさてその先には何があるのか? 案外、人間の一生って、こんなことで180度変わったりするのかもしれない。

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RSSで広く薄くつながる僕らのキモチ

2005-05-20 23:25:21 | インターネット
 RSSの普及で、サイトの更新チェックは革命的に楽になった。もうお気に入りのサイトに「出かける」必要なんてない。家にいながらにして新しい記事だけを選んで読める。だが裏を返せば濃密だったお気に入りサイトとのつながりは、どんどん薄くなっている。私たちはいまやRSSという細い蜘蛛の糸でかろうじてつながるガンダダだ。

 毎日ネットサーフィンしていると、お気に入りサイトは雪だるま式にふえる。「あ、いいな」と思ってブックマークしても、巡回先が広がるにつれ気がつくと二度と見てなかったりする。ネット上にあふれる情報量は、すでに1人の人間の処理能力をはるかに上回っているからだ。

 そこで革命を起こしたのがRSSだった。RSSのおかげで私たちは、いちいちサイトへ出かけなくてすむ。新しく書かれた記事だけを選択的に読める。「アクセスしてみたら更新してなかった」なんて空振りがないから、そのぶんチェックできるサイトの数は飛躍的にふえた。

 事実、私はRSSリーダの「Headline-Reader」を使っているが、いまやこれがほぼメインブラウザ化している。愛用していたタブブラウザとの使用比率は、6:4から7:3くらいになっている。

 だがここでひとつ問題がある。RSSリーダを使っていると、お気に入りサイトが引っ越しても気づかない可能性があるのだ。ブログ「デジモノに埋もれる日々」のCK氏は、「URLというブランド力 - 機械処理を介して繋がる人々」の中で、自サイトの固定客が体験した笑えない笑い話をこう披露している。

「私の旧ブログ(Doblog版)を定期的に巡回してくださっていた方がいました。仮にAさんとします。Aさんは、私のブログが新MT版に場を移していることに、数ヶ月もの間気が付かなかったというのです」(一部、改行した)

 Aさんはティッカー型のRSSリーダを使っていた。で、「そういえば最近、デジ埋のエントリがないな~」と不審に思いながらも、なんと引っ越したことに数ヶ月も気づかなかったらしい。んー、ありえるわ、これ。

 さてそこで素朴な疑問がわく。私はRSSってあんまりくわしくないんだけど……。たとえばURLが変わったとき、新しいURLを含めて書き込んで、新サイトへ自動的に飛ばすようにできないんだろうか? 技術的には案外カンタンそうに思えるが、そういやこういの、だれも言ってなくない? どうなのよこれ?

 またCK氏はRSSが登場する以前には、「サイト引っ越しましたよ」「はい、ブックマーク変更しておくね」てな管理人と固定客のコミュニケーションがあった、とも指摘する。いわれてみると確かにそうだ。

 考えてみれば、これって便利になった現代のコミュニケーションすべてにいえる気がする。

 たとえば私の仕事なんかも、いまどきはメールとファックス、電話ですべて完結する。打合せのために編集者の方が拙宅へお見えになったり、私が編集部に出かける機会はめっきり減った。顔をつき合わせたコミュニケーションはなくなり、ネットワークとツールがそれを補完している。

 もちろんどっちがいい悪いの問題じゃない。これにはメリット、デメリットが両方ある。

 RSSを使えばより多くのサイトをチェックできるのと同じく、メールで打ち合わせがすむおかげで、こなせる仕事量は物理的にふえた。時間も有効に使える。ただしそのかわり相手の顔を見て、体温を感じながらでなければ生まれない新しい発想や切り口は、芽を摘み取られているかもしれない。

 記者が地べたを這いずり回って取材することを「足でかせぐ」という。そんなふうにして書いた原稿は、「記者の足音が聞こえてくるような記事」なんて呼ばれる。また人間が泥臭く努力することを称し、「汗をかく」って表現が使われる。

 その意味じゃ現代のコミュニケーションは汗をかかなくていいし、足でかせぐ必要もない。人間が動き回って人との距離を埋める行為を、ネットワークが瞬間的に代替してくれる。

 人は便利さに慣れるともう後戻りできない。特に私みたいに不精なヤツはなおさらだ。この流れは止めることは不可能だろう。

 とすればそんな世界に放り込まれた私たち現代人は、いままで以上に精いっぱい感性を研ぎ澄まし、心が磨耗しないよう覚悟を決めておく必要がある。いつも相手の顔を脳裏に描き、あちらの気持ちをイメージしなければならない。匿名論争でもお題になった、「相手の立場になって考える」ってやつだ。

 でなければ、あなたと私をつなぐRSSという名のガンダダの蜘蛛の糸は、いつぷっつり切れてしまってもおかしくはない。

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リアルな世界とインターネットはどっちがリアル?

2005-05-07 23:58:05 | インターネット
 ネットはバーチャルな世界だ、って言うけどホントだろうか? 実はリアルの世界より、ずっとリアルなんじゃないだろうか?

 たしか私が中学生のとき、学校の国語の教科書に安岡章太郎の自伝が使われていた。安岡はその作品で、自分がいかに勉強のできない子供だったか、自分がどんなにだらしない人間なのか、を書いていた。彼はしきりに「俺はダメなやつだ」「劣等生だった」とくり返し強調するのだ。

 私はそれを読み、子供心に本当にハラが立った。

「でもさあ、あんた、小説家になってるじゃん」

「人生の成功者じゃないか」

 いくら「僕はあなたたちと同じようにダメな人間なんですよ」と言われても、説得力がないのだ。「インチキだろう、その物言いは」。とにかく私は子供ながらに不愉快だった。

 今でこそ当たり前だが、安岡の時代には「学歴だけがすべてじゃない」と言えばそれだけで、「こいつはトンガった奴だ」とされ、先進的だと称えられた。だから彼はそれを売り物にしてた。まあ本心でそう思ってたのかもしれないが。

 こういうのって、よくある話だ。

 メディアにのっかってる人物が、自分のダメ度をテレビや雑誌でアピールする。斜に構えて「いやあ、僕なんかどうしようもない人間なんですよ」と自嘲気味に語る。

 けれども彼はメディアに登場している時点で、成功者である。成功者であるがゆえに、自分の欠点をアピールすればするほど「かっこいいヤツ」になれる。「ダメであること」が、逆に武勇伝になる。

 これが一般人だとそうはいかない。自分の弱点を吹聴すればするほど、権威は失墜する一方だ。ホームレスの人が「僕はダメな人間なんですよ」なんて言ってもシャレにならない。つまり彼は成功者であることで、いくら自分を卑下しようと安全を担保されているわけだ。一種の欺瞞である。

 たとえば「朝まで生テレビ」で、「大学の問題点」をテーマに討論が行われたとしよう。すると出演者は口をそろえて、今の大学がいかに意味のないものであるか、また大学がどんなにくだらない機関に成り下がっているかを強調する。

 だが現役の受験生から見れば、「でもあんたら、そう言いながら東大出てるじゃないか」となってしまう。いっこうに説得力がない。つまり本当にダメな人は、既存メディアには出てこないのだ。これがリアルな世界のしくみである。

 一方、インターネットの世界はどうか? こっちは本当に「ダメな人」が情報発信している。

「僕は働くのがイヤだから、生活保護受けてます」。そんな人がブログを書いていたりする。「30代の独身・無職です。親元にいて遊んでいます」。こういう人とチャットでふつうに出会える。リアル世界より、こっちのほうがよっぽどエキサイティングで現実味がある。

 リアルな世界と、インターネット。果たしてどっちが「リアル」なんだろうか?

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