ラインを下げるのはタブーか?
ハイライン・ハイプレスをまるで修行僧のように突き詰める横浜FMを見ていると、チームが掲げるフィロソフィ(哲学)と、勝ち点はどちらが重いのか? という芸術の世界ではよくある問いを思い出す。
すなわち芸術家として崇高なポリシーを貫き通すと作品が売れない。逆に売りやすいポップな作品を作ると、それは必然的に自己のポリシーを妥協したものになっている(商業主義)、と言うような永遠のパラドックスである。
おそらくアンジェ・ポステコグルー監督にとっては、売れることよりポリシーの方が重いのだろう。いや、というより、自己の哲学(ハイライン)を押し通すことこそが勝利につながると確信しているのだ。
プレスを強化することでハイラインを維持する?
今季の横浜FMは、高いディフェンスラインの裏を狙われて失点を続けた。前でプレスがかかってなければ、ラインを下げるのがふつうだ。だが横浜FMはあくまで下げない。
ラインを下げて対応するのでなく、前でのプレスのほうをより強化することでハイラインを維持しようとした。
だが人間はフルタイムでプレッシングできるほどインテンシティを堅固に保つのがむずかしい。で、どうしてもプレスが緩む瞬間は出てくる。
その緩んだ瞬間に要所にパスを通され、ハイラインの裏を狙われて失点する、というのが負けパターンだったように思う。
結果的にポステコグルー監督という芸術家は、ポリシーを貫き通し、そのために作品がたとえ売れなくてもいい、という選択をしていることになる。
来季はラインを下げる妥協をするか?
無責任な外野としては、作品を売るためにはある程度ポリシーを妥協してはどうか? と思える。だがポステコグルー監督にとってはあくまで哲学の貫徹=勝利なのだろう。
よく言えば崇高な、悪くいえば青臭いそのメンタリティによって今季は負けた。
果たして来季も、プレスがかかってなければ妥協してラインを下げる、という選択をしないのだろうか?
来シーズンの横浜FMの浮沈はそこにかかっているように思える。
【関連記事】
【Jリーグ最終節見て歩き】横浜FMのハイライン裏問題やいかに?
【国際親善試合】「世界」に伍した横浜FMのハイライン・ハイプレス ~横浜FM1-3マンチェスターC
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すなわち芸術家として崇高なポリシーを貫き通すと作品が売れない。逆に売りやすいポップな作品を作ると、それは必然的に自己のポリシーを妥協したものになっている(商業主義)、と言うような永遠のパラドックスである。
おそらくアンジェ・ポステコグルー監督にとっては、売れることよりポリシーの方が重いのだろう。いや、というより、自己の哲学(ハイライン)を押し通すことこそが勝利につながると確信しているのだ。
プレスを強化することでハイラインを維持する?
今季の横浜FMは、高いディフェンスラインの裏を狙われて失点を続けた。前でプレスがかかってなければ、ラインを下げるのがふつうだ。だが横浜FMはあくまで下げない。
ラインを下げて対応するのでなく、前でのプレスのほうをより強化することでハイラインを維持しようとした。
だが人間はフルタイムでプレッシングできるほどインテンシティを堅固に保つのがむずかしい。で、どうしてもプレスが緩む瞬間は出てくる。
その緩んだ瞬間に要所にパスを通され、ハイラインの裏を狙われて失点する、というのが負けパターンだったように思う。
結果的にポステコグルー監督という芸術家は、ポリシーを貫き通し、そのために作品がたとえ売れなくてもいい、という選択をしていることになる。
来季はラインを下げる妥協をするか?
無責任な外野としては、作品を売るためにはある程度ポリシーを妥協してはどうか? と思える。だがポステコグルー監督にとってはあくまで哲学の貫徹=勝利なのだろう。
よく言えば崇高な、悪くいえば青臭いそのメンタリティによって今季は負けた。
果たして来季も、プレスがかかってなければ妥協してラインを下げる、という選択をしないのだろうか?
来シーズンの横浜FMの浮沈はそこにかかっているように思える。
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