すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

「ブクマ・ジャーナリズム」はマスコミを屈服させるか?(後編)

2007-11-24 16:36:47 | 仕事の日記
 アスキーのネット媒体『ASCII.jp』で始めた連載「松岡美樹の“深読みインターネット”」を更新しました。

■第2回 「ブクマ・ジャーナリズム」はマスコミを屈服させるか?(後編)

 今回はCGMのポジティブな特性と、今後、マスコミとどんな関係になるのかを予測しています。CGMは「第五の権力」になるんじゃないか? みたいな話です。

 また同じく『ASCII.jp』で連載している「新聞はネットに飲み込まれるか?」も更新しました。朝日新聞を取材した後編です。

紙とウェブを使い分ける朝日新聞社の論理(後編)
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紙とウェブを使い分ける朝日新聞社の論理(前編)

2007-11-21 12:13:30 | 仕事の日記
 アスキーのネット媒体『ASCII.jp』に書いている連載「新聞はネットに飲み込まれるか?」第5弾を公開しました。今回取り上げるのは朝日新聞です。

紙とウェブを使い分ける朝日新聞社の論理(前編)

 紙の新聞に軸足を置きながら、ウェブ媒体を運営しているお家の事情がよくわかりました。あと「asahi.com」の読者層を見ると、年収1000万円以上の世帯が17.4%もいるというのにも、ちとびっくり。

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医者の処方箋がないとタバコを吸えないようにしろ

2007-11-19 17:42:17 | 禁煙・タバコ
医者に処方箋書いてもらわないと入手できないようなものならば、ほとんどの喫煙者はタバコをやめられるだろうと思うよ。


●れいめいにっき『喫煙者にとって非喫煙者はゴミなのだ』


「先生、処方箋書いて下さい!」

 ……って、ニコチン中毒患者が病院に押しかけるだけだったりして。

 で、桶屋が儲かると。

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ブロガーが陽の目を見るって大変だ

2007-11-12 10:06:38 | メディア論
 前回は、おもしろいものを書く人はすでに参入し終わってるぞ幻想について書いた。実際、ブログ界ってまだ未開拓な要素が多い。「ブログは終わった」なんて鬼が笑うぞ。

 だいいちまだ始めてない人がいる一方、おもしろい文章を書いてんのに発掘されてない人もたくさんいる。

 ここ数日、ブログ論をやってる未知のエントリをはしごしてるんだけど……。「なぜこんな面白いのに1ブクマなんだ?」とか、いい記事だなあと思うと「うちの訪問者はせいぜい日に数十人だ」なんて書いてる人が山のようにいる。

 Googleみたいな検索サイトや「はてなブックマーク」に代表されるソーシャル・ブックマーク、ニュースサイト、人気ランキングサイトなど、知の集約化や発掘をするシステムはここ数年で格段にふえた。だけどまだまだ拾い切れてないのだ。

 だいいちソーシャル・ブックマークなんて、はてブ以外は機能してない感じだ。ブクマしてるユーザが1人や2人の記事がズラーッと並んでるだけ。はてブは技術系のネタが多いんで「もっと文系のとこはないかなあ」と随時のぞいてみるが、まだサービスが育ってない気がする。

 てか自分で書く以外にSBMやろうなんて人は、実は少ないのかも? アーリーアダプタまでと、せいぜいアーリーマジョリティの中でもちょい尖がった人だけとか? どうなんだこれ。

 発掘の問題は、手当たり次第に見て回るって人力じゃ解決できない。やっぱりシステム論や技術論になるんだろう。私はそのへんあんまり興味ないんで、今日はこれにて撤退します。はてブは衆愚化なんてしてるヒマないぞ、もっと働け、って感じ。

【本日の結論】

「ブログは限界」「終わった」んじゃなく、現状まだ発掘するためのシステムがブログ人口の爆発に追いついてない。そんだけネットは広いんだよ。どうすんのこれ?

【関連エントリ】

『ブログ祭りが終わり、僕らは日常へ帰った』

『みんなが書くことについてマジメに考える時代』

『偏った視点でブログを目利きする「必殺選び人」待望論』

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ブログ祭りが終わり、僕らは日常へ帰った

2007-11-10 23:57:36 | メディア論
 あれは祭りだった。

 え? 僕が今どうしてるかって? 日常へ帰っただけさ。

            (1947年夏、ジェームズ・ブロゴスフィア)

 なんかボーガスニュースみたいな始まり方だな(主幹さん、怒ってないよね?)。ええと、リンクをあれこれたどりながら、「ブログはもう山を越えた。下り坂だ」みたいな議論をボーッと数日ながめてた。すると愛・蔵太さんのコメント欄で、おもしろい意見を見つけた。

 エントリ自体は確かリアルタイムで読んだと思うが、コメントはなぜか記憶になかった。してみると一度読んだエントリを再読するって、けっこう有意義かもしれない。さて本題だ。Tigerさんなる方のコメントである。

読んでておもしろい人って、そもそも、そんな沢山いるものか、と思うわけで、初期の頃はその密度がやはり高かったのではないかと思うのです。

しかし、今は、云い方は悪いですが「たいしておもしろくもない沢山の人々の『それこそ普通の』ブログ」^^; がわらわらわらと出てきていて、その中で、キラリキラリと光るブログがごくごくたまにいくつかあるという、いわば、日常の状態になりつつある、というように思います。

それを終わったと云うならそうかもしれませんが、正確には、終わりを迎えつつあるのは「祭り」で、その後には、長い「日常」の始まりがあるのだと思います。

●愛・蔵太の少し調べて書く日記『ヤバい、というかブログ全体がもうヤバい』コメント欄より


 考えてみたらブログ・ブームだったんだから、確かに祭りだ。だけどこのコメントの場合、「祭りと日常」という組曲で攻めたのがキモである。

 もうひとつ「祭りと日常」って、生活に密着した昔からあるふつうの言葉だ。であるがゆえに批評した対象の現象が、リアリティをもって感じられた。

 自分を大きく見せたがる学者や評論家は「ハレ」なんていう手アカ系の言葉を使いたがるが、ふつうっぽい日常語で表現したのがよかった。座布団三枚である。

■面白いものを書く人は全員ブログを始めてるぞ幻想

 さてここからは私自身の深読みなのだが、実際の図式はこんなにわかりやすくはないだろう(もちろん一面は鋭く突いているが)。

 どうゆうことか?

「ブログ(ブーム)は終わった」みたいな議論がされるときって、論者はたいてい面白いものを書く人はすでに参入し終わっているというのを前提にしてる。だけどホントにそうだろうか?

 そうじゃないと仮定した場合、少なくとも2種類の人間(ブロガー予備軍)が想定できる。

 タイプ1は、仕事で文章を書いてる人たちだ。彼らはふだん書くことで収入を得てるから、「お金にならないのになぜブログなんか書くの?」って考える。(私も以前はそうだった)

 この種の人は往々にして、書くだけじゃなく書いたものを元にコミュニケーションするのが面白いんだってのがわかってない。(私も以前はわかってなかった)

 たとえば紙の媒体に書いてると、情報はほとんど一方通行だ。読み手の顔が見えないし、見えてないくせにステレオタイプの読者像を想定してたりする。彼らに伝わる読み手の反応はせいぜいこんなふうだ。

「自分の本が○万部売れたなあ。きっとおもしろいと思ってもらえたんだなあ」

「自分が書いた雑誌『○○』の11月号が売れたらしい。ひょっとしたらオレの原稿がウケたのか?(思い込み)」

 売れた、売れないの単純な反応ばかり。「あなたの原稿はここがこう面白かったよ」とか、「あそこがイマイチだった」的な情報はフィードバックされない。しかもネットとちがってリアルタイムじゃなく、数字が出るまでにはタイムラグがある。

 彼らはある意味、虚像に向かって書いているのだ。だから実像を相手に書くおもしろさに気づけば、ブログにハマる可能性は高い。もちろん彼ら全員が、おもしろいものを書く人ばかりであるはずはないんだけれども。

■「ブームにゃ乗らないぞ症候群」の人はまだ書いてない

 かたやタイプ2は、「人と同じことをするのが大きらいだ」って人だ。このテの人は個が確立しており、自分をもっている。だからマスコミが寄ってたかって取り上げるモノやコト(つまりブーム)を見ると、拒否反応を起こす。死んでもブームになんか乗るもんか、って層だ。

「ほう、そうか。ブログなるものが流行ってるのか。じゃあおれは死んでも書かないぞ」

 人と同じになりたくない。埋没したくない。だからわざと逆のことをやっちゃったりする。このテの人もまだ参入してない可能性がある。彼らは強い個をもってるから、視点がハッキリしている。「オレはこうだ」、「こう思う」的な個性や主張のあるものを書く確率が高い。

 こんなふうにまだ潜在層がいるのだ。気が向いたら続編を書いて「まだこんなやつも残ってるぞ!」ってやるかもしれんが、今日はもう疲れたんで寝るわ。

 いや寝ない。まだ全部書き終わってないんだ。
 
 しかもアーリーアダプタ(早い時期に新しいものを取り入れる人)って、私のイメージでは新しいものをおもしろがりはするが、キャラ的に飽きっぽい感じだ。気がつくともう次の新しいものに行ってる、みたいなところがある。なら発掘はしても、カルチャーとして熟成させる機能は果たすのかなあ、てな疑問もわく。

 だとすればアーリーアダプタの一部が飽きてブログをやめちゃってても、もう大勢に影響ないんじゃないの? むしろタイプ2みたいな人のほうが、定着させ、発展させるには向いてるはずだ。

 そもそも文章を書くって行為は、3年や4年で終わったり始まったりするもんじゃない。スパンが短すぎる。そんなのは社会現象をこれすべて、ブームの構造でしか見られない人の言説だ。

 その典型が、ネタのほしいマスコミやマーケッターであり、短サイクルで「次」が来ないと買い替え需要で儲け損ねる業界人なのだ。「○○は終わった」とか言ってる人は、すでに彼らに洗脳されてる可能性があるぞ。あぶないぞ。だいいち私を見ろ。20年も書いてんのにまだ修行中だぞ。(ああそれ才能がないのか)

 いやそれはともかく。

 狂騒的な祭りは終わったけど、熟成させるための日常はむしろこれから始まるんじゃないの?
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ボーガスニュース、説明過多症候群に認定 ─患者の悲痛な訴え実る

2007-11-09 19:25:58 | へっぽこ文章講座
 2年前に書いたエントリ【へっぽこ文章講座】わざと説明しないことのかっこよさで今回と同じ指摘したんだけど、また見かけたんでしつこく書いちゃお。

 文末の以下のくだり(というか説明)は、蛇足ですってば(失礼)。いやあくまで個人的な好みですけど。

スリーサイズを明記したプロフィール写真つきの記入済み婚姻届を送りつけるような嫌がらせは、けっしてしないようにしたいところだ。

●ボーガスニュース『アルファブロガー認定恐怖症「苦しみ理解して」─患者の悲痛な訴え 』


 前回同様、ネタバレになるんで説明するのがむずかしいけど……文末の前に置いた「かわいいお嫁さんがこわい」を読んだ時点で、読者は「ああ、落語の『まんじゅうこわい』のパロディなんだな」って分かるわけじゃないですか? 

 だったらラストは、「と夢を語る」でスパンと締めちゃったほうがいい(いや個人的好みですが)。じゃあなぜ筆者は、「スリーサイズを明記した~」以降の文章を最後に付け加えたのか? 

「最後にもうひと押し説明しておかないと、分からない人には分からないな」

 こう考えたとしか思えないのだ。しかし前回も書いたけど、「かわいいお嫁さんがこわい」の時点で分からない人は見切っていいんじゃないかなぁ。理由は2年前のエントリで説明したから繰り返さないけど。

 ……とまあ、筆者さんがアルファブロガーに認定されちゃいそうなんで、恐怖症がひどくなるのを見かねて思わず助太刀しちゃいました。

(ああ……。説明したくなるなあ。この最後のくだりは)

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「ブクマ・ジャーナリズム」はマスコミを屈服させるか?

2007-11-08 08:15:28 | 仕事の日記
 アスキーのネット媒体『ASCII.jp』で、新連載「松岡美樹の“深読みインターネット”」を始めました。

 ネット上の出来事には、合わせ鏡のように世の中が映り込んでいます。そこでこの連載では、ネット上の社会現象やブーム、コンテンツなどを深読みします。あるときはねっとり分析したり、またあるときは単に笑ったり。はたまた批判、賛同します。

■第1回 「ブクマ・ジャーナリズム」はマスコミを屈服させるか?(前編)

 第1回は、何かと対立しがちなマスコミとCGMの関係性についてです。毎日新聞社を取材した先日の私の記事に、私の見方とは正反対の鋭い「はてブコメント」をもらいました。

 今回はそれを入り口に、マスコミとCGMの視点のちがいはなぜ生まれるのか? 両者は将来どんな関係になるのか? また炎上の論理などを分析しています。
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小沢さんて実は自民党の刺客だったんじゃないの?

2007-11-06 21:56:32 | 政治経済
驚きの自民と民主の大連立構想が発覚した

 2007年11月2日。福田康夫首相(当時)と民主党の小沢一郎代表(同)が国会内で会談した。

 自民党と民主党との大連立構想を2人で話し合ったのだ。

 両者はともに前向きだった。で、小沢氏は党内に持ち帰り協議したが、結局、猛烈に反対されて不成立に終わった。

 ネットのアンケートでも「連立反対」が8割を越え、世論も猛反対した。それはそうだろう。直近の参院選挙で「自公政治はNO」という国民の審判が下されたばかりなのだから。

 なんだかコトの経緯を見ていると……実は小沢氏って、「民主党はそのうちデカくなるだろうから、早めに爆弾を仕込んでおこう」と自民党が民主党に送り込んできた時限爆弾だったんじゃないか? てな妄想まで湧いてしまう。

 だってまるで時限爆弾が爆発したみたいだもんね。しかも「ここでプッツンしたらいちばんヤバい」って局面で炸裂してるし。

 しかしこうなると自民党の政権担当能力がますます相対的に大きく見えるなあ。

 だって選挙に負けて「次もヤバそうだな」ってビビってたら、相手が勝手にコケてくれるんだから。こういう運気も政権維持するには必要なんだろうな。

小沢さん、真意を国民に明かしてよ

 とまあ冗談はさておき、小沢さんはいろいろ考えすぎたんだろうね。あるいはもっと深読みすると、「生きるか死ぬか」的な状況を意図的に作り、アマちゃんな自分の党に突き付けたのかも? 「お前らホントに政権交代やる気あんのか?」と。

 報道されてるみたいに「民主党はこのままじゃ次の衆院選で過半数が取れない」って読みが小沢さんにあったなら、これくらいは仕掛けて党に刺激を与え、死ぬ気で戦う体勢を作るみたいなことはやるかもよ? だって小沢一郎だもん。

 んー、でも国民から見た党の印象は確実に悪くなるわけだから、やっぱ狙った釣りってセンはないかなぁ。まあ今日中に結論出すらしいから、こんなこと書いててもすぐネタが腐っちゃうが。と思ってたら、ああ午後9時すぎ「小沢続投」当確出ました。

 それから報道してるメディアにもひとこと言いたい。

 福田さんと小沢さんに「どっちからプロポーズしたんですか?」なんてワイドショーみたいなこと聞いてるヒマがあったら、もっと本質的なことを取材してよ。

 党代表が「自分の党には政権担当能力がない」、「これじゃだめだ。勝てない」って考えてるわけでしょ? でもこないだの選挙で民主党が勝った流れでいえば、これってすごい違和感があるじゃない? 有権者から見たら不思議でしょ。

 だったら小沢さんはなぜそう思うのか? 民主党のどこがどうダメで政権担当能力がないと考えるのか?

 これって民主党だけの問題じゃない。二大政党制で国を変えようと決めた日本の将来を左右する話だ。だったら参院選で民主党に入れた人だけじゃなく、国民がいちばん知りたいのはそこじゃないの?

 メディアはそこをきっちり取材し、具体的に問題点をえぐる分析をすべきだ

 (追記)

 と思ってたら小沢さんが明日記者会見をやるらしい。小沢さん、「このままじゃだめだ」って自己分析してる理由をしっかりしゃべってほしいな。まずどこに問題点があるのか国民の前に晒し、その上でどう修正し変えていくのか告白しなきゃ。

 正直に話せば、人間は動かされるもんだよ。

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毎日新聞の新サイト「毎日jp」はウェブならではか?

2007-11-01 17:44:29 | 仕事の日記
 アスキーのネット媒体『ASCII.jp』で始めた新連載「新聞はネットに飲み込まれるか?」の第4弾を公開しました。前回に引き続き、毎日新聞のネット戦略がテーマです。

「紙はウェブより上」であるべきか? 毎日新聞が既成概念を破壊する日(後編)

 今回は毎日新聞が10月1日にスタートさせた新サイト「毎日jp」のキモを検証しています。

 はてブのコメントでも頷ける意見をもらいましたが、毎日の方と話してみて感じたのは「やっぱり保守的だなあ」ってことです。いい意味でも悪い意味でも。

 毎日編のタイトルは私の個人的希望も込め、「既成概念を破壊する」というコピーを使いました。ただしタイトルの文末に「日」の一文字を加えてあります。なぜ文末に「日」がついているのか? これにもちゃんと意味があります。(あえて説明しませんが)

 その意味では毎日新聞編の原稿は、随所に「行間を読んでください」みたいな部分ができたかもしれません。別にハッキリ書けないとかそんな意味じゃなく、そういう原稿もアリかなあ、と。

 とはいえ私もまったく人のことは言えません。

 私がブログを始めたのは2005年の3月ですが(ネット歴はもっとずっと前からです)、自分でブログをやってみるまで私の感覚は彼らと何ら変わりありませんでした。人間、やっぱり自分で体験してみないとわからないし、変われないんです。(とはいえ今の私の感覚がいいかどうかは別問題ですが)

 もうひとつ、この連載を始めてみて思うのは、まだまだ時間が必要だってことです。

 新聞人は、新聞畑という密閉された独特の空間の中で育っています。新聞村ならではの紙の常識や、報道のセオリーを日々刷り込まれて。

 それがいきなり「ネットの頭」「ウェブの頭」になろうったって、(彼らでなくても)無理でしょう。そうやって出来上がった古い脳は、これから業務でネットを実体験しながら少しづつ、少しづつ変わっていくんだと思います。場合によっては世代をまたいで。

 実際、会って話を聞いてみて、「少しづつだけど変わる兆候はあるな」と感じられたのは収穫でした。ローマは一日にして成らず、ですね。

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「生きにくさ」を感じる子供

2007-11-01 09:56:56 | エッセイ
 幼稚園児くらいの頃、おじいちゃんちの土間に犬のゴローがグダーッと寝てるのを見て、「ゴロー、お前はいいなあ。毎日寝てるだけでいいんだもんなあ」と思った。

 というか、なぜかさっき突然そんな記憶がよみがえってきた。

 だけどよく考えたら……残業だらけで休日返上な40代汗だくサラリーマンとかがコレ考えるならわかるんだけど、幼稚園児がなんでこんなこと考えるんだろう? (理由についての記憶はない)

 ふつうなら「いいよなあ」と考えたあと、「それにひきかえ俺の場合は……」って続くのが自然だと思うんだけど。たとえばこんなふうに。

「ゴロー、お前はいいなあ。寝てるだけでいいんだもんなあ。それにひきかえ僕なんか、毎日塾に通って勉強勉強だもんなあ」

 ところが私は別に幼稚園時代から塾に通ってたわけじゃない。

 それどころかよその家庭とくらべたら、無茶なくらいに放任されていた。だいいち「勉強しろ」なんて親に言われた記憶がない。「自分の頭で考えろ」ってのが親の方針だったのだ。
(だからこんな大人になるんだけどな。ほっとけアホ)

 してみると私は、幼稚園児だってのに理由もなく「生きにくさ」を感じてたってことなのかなあ。いやもうそれ以上の記憶がないからわかんないんだけど。

 ところでみなさんは、もう一度生まれてくるとしたら何になりたいですか?

 私は犬のゴローです。

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