矢野天哉の注解が参考になる。俳人であり郷土史家(元村長)経験者という情報提供者の書き残したメモ。勘違いとか思い違いが混入している可能性もあるので真偽・正誤のチェック(史料批判)は欠かせない。
さっそくの史料批判:矢野天哉の注記だが、「嘉永以前」ではなく、典型的な、明治の地図史料だ。何となれば筆跡・図法(角筆の入れかた)、図中の登場人物(たとえば政右衛門は明治の人、石井保次郎もしかり)、記載内容は明治の野取帳のそれとほぼ同じもの。
その他、気づいた点。楮の薄紙にかかれたもので松永分の町家なども書かれている(正式な行政史料であれば松永村分の町家とその所有者名を記載するはずがない。その点では本図の場合はその両方がある不思議な地図史料だ。)。別史料(たぶん台帳)との記載事項の照合確認印が押されている。
多数の借家をもち、かつこの地方の代表的な中小地主だった重右衛門の地租が好兵衛より少額だったとは
胡屋とあるのが岩淵好兵衛ー岩淵万吉の家(家紋入りの塀をもつ岩淵家墓地)。明治初期の居宅は「まねき」の隣、現在矢曽さんの居宅となっている場所にあたる。昭和25年岩淵智子が松永南駅前に潮香園開業(結婚式場として利用された料理旅館、現在マンション)。