- 松永史談会 -

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松永史談会12月例会/次年度1月例会の予定

2023年12月01日 | 松永史談会関係 告知板

令和6年1月例会予定(第一報)

開催日時:1月26日午前10-12時

開催場所:蔵2階

話題:続編執筆を念頭に入れた令和6度版市民雑誌投稿済み原稿の一つ(Microstoria/ミクロストリア・・単なるケーススタディーではなく、史料的細部の精緻な分析を通じて、「小さな場所で大きな問い」を立てようとする類のイタリアのカルロ・ギンズブルクらが提起した歴史研究における一つの野心的試み)について補足的・発展的に解説

 

松永史談会12月例会のご案内

開催日時:12月22日 金曜日 午前10-12時

開催場所:蔵2階

提供話題:網野善彦ほか編『瀬戸内の海人文化』(『海の列島文化・9』小学館、1991)及び地方史研究協議会編『海と風土』、雄山閣、2002を中心にこれまでの地域の風土性を炙り出そうとしてきた様々な瀬戸内研究(写真紹介文献類は一例)を回顧(成果及び課題の整理)しながら、松永史談会が行ってきた地域史研究をIntra-regional(地域内的)及びInter-regional( 相互地域的)な視角から再論理化していく方途を探っていく。その試みの第二回目として、

12月例会では 西田正憲氏論攷の内容紹介/(批判的吟味)検討を含めて、次年度市民雑誌投稿済み原稿の一つを取り上げ、その内容を補足的・拡張的な方向で解説する[原稿の中では「遺芳湾(茶山が松永湾に与えた風雅な呼称)」との記述に留めたが、より正確に言えば、菅茶山自身は藤江・奇好亭から望む松永湾岸の風景を中国の代表的景勝地の一つである杭州「西湖」に準(なぞら)え称賛(明言はしていないが、感覚としては松永湾岸の風景を”小「西湖」”に見立てる・・・漢詩人:梁川星厳は上野不忍池や東金八鶴池を漢詩の中で風雅な”小西湖”と呼んでいる)。従って、茶山が松永湾を捉え「遺芳湾」と命名したのは、当該湾一帯における諸利権を福山藩から独占的に付与され、藤江山路氏が栄華を誇っていた当時(1826年当時)の時代状況を文芸的に表現したもので、それは漢詩「遺芳湾十二詠」の台詞中の文言(「予因名其湾曰遺芳以祖先為南朝遺民而不受足利氏汚穢也」)にある通り、山路氏の先祖が後醍醐天皇に忠誠を尽くした南朝方の遺民・北畠氏(あるいは別の言い伝え/実はわたしの直観によれば、橘姓楠木氏流・讃岐白方の山路氏)で、今日の繁栄は儒教的名分論の精神にも合致した素晴らしい遺徳(遺芳とほぼ同義)の表れであるという意味でこの名称を使ったものだ」と指摘し、それに関連した諸解説を行った]。

参考文献

  • 西田正憲『瀬戸内海の発見』中公新書1466、1999。
  • 西田正憲『自然の風景論』AsahiEcoBooks33,2011年。
  • 白幡洋三郎『瀬戸内海の文化と環境』(新・瀬戸内海文化シリーズ2)、1999.西田正憲「瀬戸内海の風景と異文化のまなざし」、246-267頁(中公新書版の論旨をまとめ直したもの)。
  • 瀬戸内海の環境情報@環境省
  • 野間晴雄編著『風景表象の比較史』、関西大学東西学術研究所、2023。林倫子「山紫水明と東山鴨水」111-140頁と西田正憲「自然の風景表象と風景の政治学」141-164頁を所収。
  • 松永湾(@備後灘・燧灘)の水環境・・・干潟・藻場に注目

 

 

 

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