- 松永史談会 -

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石見街道の終点:長江・十四日町界隈に拠点を置いた尾道・宇津戸屋一族

2018年07月06日 | 断想および雑談
京都在住だった20年ほど前にたまたま尾道を訪れていて、宇津戸という地名を屋号にした人物を、久保三丁目にある勇徳稲荷社の玉垣の中に見つけた。そのご、同じ屋号を有する人物を『新修尾道市史』などでも見かけたことがあった。先般入手した古地図を見ていて文政期当時、長江町に宇津戸屋の拠点があったことを知った。



やはり、彼らは石見街道沿いに立地する御調郡宇津戸出身の家筋なのだろう(地図中のUは宇津戸屋抱の屋舗)。→石見街道沿いの宇津戸

尾道・本陣を担った笠岡屋小川氏の墓地

むかし撮影した画像の中に文政7年の墓石が写っていた。これは小川家ご当主のものではないようだ。作右衛門を襲名した人物の墓石は夫婦一対の五輪塔とか、大型の舟形光背墓・笠付墓など。比較的ジャンボだが、時代が下るほどサイズ的には小ぶりになる感じ。
笠岡屋小川氏の墓石群の隣に秋田屋小川氏の墓石群。文政4年尾道町全図には秋田屋の名前は不在。御本陣・笠岡屋作衛門屋敷の左右両隣には油屋(亀山氏)本助抱の屋舗。




十四日町内の古い倉庫


笠岡屋小川家の菩提寺・正授院(浄土宗)

尾道本陣(α)笠岡屋小川家屋敷の現地比定


灰屋橋本吉兵衛家の菩提寺:慈観寺(時宗)・・ここの住職だった恩師のお墓に参拝。なんと56歳で亡くなられていた。定期的に大阪から出張販売にくる業者から得体の知れぬ高額薬品にご執心だったので、もしかしたらその薬害のせいだったかも。30錠入風邪薬用小瓶に入れられた高貴薬と称する得体の知れないものが2万円だった。そんな薬を常用したために亡くなられたなというのがわたしの直感。
慈観寺と正授院の間の通り沿いに「花町」(花街ではなく、仏前に備える花屋に由来する町名とのこと)。天保9年橋本竹外を頼って尾道に来た当時の宇都宮龍山(御年36歳)の塾舎が立地したのが十四日町花町東側角だった。なお、文政4年尾道町絵図中、慈観寺の東隣に当時小さな堂祠を残すだけだった時宗寺院の旧「正覚寺」が図示されている。天保期に橋本竹外によって慈観寺本堂の再建が行われているが、これは橋本氏による尾道町内や後地村あたりの失業者に対する失業対策あるいは恤救事業の一環として行われたもの。
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